有馬(ありま)医院は戦後に大和の曾祖父に当たる人が開院し、長年地域住民の健康と安心を守り続けてくれた。祖父にあたる大先生は昼夜問わず患者さんを受け入れて、地域医療に貢献した人。
高齢の大先生を手伝うために父親の若先生が東京から奥さんと長男を連れて戻って来てそれから大和が生まれた。幼い大和はよく大先生の診察室に入り浸って、医者のまねごとをしたりして、患者さんたちからもとても愛されていた。
でも五年前、大先生が亡くなり大和の高校卒業のタイミングで一家は東京へ引っ越すことになる。事実上の閉院に地元の人たちは困惑した。市内には総合病院があるも通院には車が必須になる。奥さんが東京の人だったから、田舎での暮らしが性に合わなかったんだろう。若先生に泣きついたんだろう酷い嫁だな。そんな無責任な噂に私は悔しさを滲ませる。大和のお母さんは持病の悪化で治療が必要になり、より専門的な治療が可能な東京へ戻ることにしたのに。
「亜子はどうなの?」
「どうってなにが?」
質問の意図が分からずに聞き返した。すると、大和は気まずそうに視線を逸らす。
「いやさ、久しぶりにこっち戻って来て子供いるヤツとかいて驚いたし、亜子もなんだか雰囲気変わってて彼氏とかいるのかなーって思ってさ」
「彼氏はいないよ」
大和以上に魅力のある人でなければ好きになれないだろう。少なくとも今の役所の中にはいない。もしかすると私は一生独身かもしれない。
「大和こそどうなの?」
「いないよ」と秒で返ってきて思わず笑ってしまう。それと同時に安心する。まだ誰のものにもなっていない。
「よかった」
ポロリと本音が出てしまい慌てる。お酒のせいにするにはまだそれほど飲んでいない。缶ビールを煽って大和の表情を盗み見た。すると驚きと困惑のちょうど中間のような顔をしてこっちを見ている。
「違うよ、先を越されなくてよかったってことだから。私より先に大和が彼女作ったら悔しいじゃない。負けたって感じで……」
必死に言葉を連ねるほど、墓穴を掘っていく気がする。ただひと言、あなたが好きだと。誰にもとられたくないと言えればいいのに。身分違いの恋を自覚しているから十年何年も言葉にできないでいる。
「恋愛は勝ち負けじゃないだろ」
あきれた顔で大和は言う。
「それはそうだけど」
「けど俺も、亜子が俺より先に誰かと付き合ったらイヤかも……」
いいながら頷く。まるで自分の言葉を肯定するように。そしてこんな提案をする。
「俺とキスする?」
それは告白でも何でもない、ともすればただの気まぐれにしか思えないその誘いに、私は戸惑いつつも断る選択をしなかった。他の誰かに先を越されるくらいなら、自分が大和の初めてになりたかったから。
高齢の大先生を手伝うために父親の若先生が東京から奥さんと長男を連れて戻って来てそれから大和が生まれた。幼い大和はよく大先生の診察室に入り浸って、医者のまねごとをしたりして、患者さんたちからもとても愛されていた。
でも五年前、大先生が亡くなり大和の高校卒業のタイミングで一家は東京へ引っ越すことになる。事実上の閉院に地元の人たちは困惑した。市内には総合病院があるも通院には車が必須になる。奥さんが東京の人だったから、田舎での暮らしが性に合わなかったんだろう。若先生に泣きついたんだろう酷い嫁だな。そんな無責任な噂に私は悔しさを滲ませる。大和のお母さんは持病の悪化で治療が必要になり、より専門的な治療が可能な東京へ戻ることにしたのに。
「亜子はどうなの?」
「どうってなにが?」
質問の意図が分からずに聞き返した。すると、大和は気まずそうに視線を逸らす。
「いやさ、久しぶりにこっち戻って来て子供いるヤツとかいて驚いたし、亜子もなんだか雰囲気変わってて彼氏とかいるのかなーって思ってさ」
「彼氏はいないよ」
大和以上に魅力のある人でなければ好きになれないだろう。少なくとも今の役所の中にはいない。もしかすると私は一生独身かもしれない。
「大和こそどうなの?」
「いないよ」と秒で返ってきて思わず笑ってしまう。それと同時に安心する。まだ誰のものにもなっていない。
「よかった」
ポロリと本音が出てしまい慌てる。お酒のせいにするにはまだそれほど飲んでいない。缶ビールを煽って大和の表情を盗み見た。すると驚きと困惑のちょうど中間のような顔をしてこっちを見ている。
「違うよ、先を越されなくてよかったってことだから。私より先に大和が彼女作ったら悔しいじゃない。負けたって感じで……」
必死に言葉を連ねるほど、墓穴を掘っていく気がする。ただひと言、あなたが好きだと。誰にもとられたくないと言えればいいのに。身分違いの恋を自覚しているから十年何年も言葉にできないでいる。
「恋愛は勝ち負けじゃないだろ」
あきれた顔で大和は言う。
「それはそうだけど」
「けど俺も、亜子が俺より先に誰かと付き合ったらイヤかも……」
いいながら頷く。まるで自分の言葉を肯定するように。そしてこんな提案をする。
「俺とキスする?」
それは告白でも何でもない、ともすればただの気まぐれにしか思えないその誘いに、私は戸惑いつつも断る選択をしなかった。他の誰かに先を越されるくらいなら、自分が大和の初めてになりたかったから。

