木々の葉が風に揺らいで、そこから日の光がきらきらとこぼれていました。
アブラゼミがジージーと鳴いています。
私は、てかてかのセミがジジジとおしっこをかけてこないか用心しながらジグザグに歩いていました。
……私、虫って、虫、みんな、苦手なんです。
もちろん、さわることなんて、できません。
と、小鳥が甲高い声をあげながら、川のほうへと飛んでいきます。
「アユ! そんなに上ばかり見てると転ぶぞ!」
お父さんはもうずいぶん先を歩いていました。
私はピンクのポロシャツにデニムの短パン、ビーチサンダルですけど、お父さんはキレッキレの競泳水着で、裸足です。
首にブラブラさせているのは、水中めがねです。
ゆるやかな土の坂道を下ると、川のせせらぎの音が聞こえてきます。
ピカピカの昼下がりです。
梅雨も明け、遊泳が解禁となった今日、チェリー川の中流域にはシズク村の人たちが大勢、水着で集まっていました。
マイクを手に、何やら話しているのは、村長や村会議員たちです。
でも、村人は誰も話を聞いていません。
「うるせー」とか、「やめろー」とかいう声が時々、飛んでいます。
川の中からそそり立つ大岩の上には、男女数人の姿がありました。
そこは、飛びこみをするのにうってつけの場所なんです。
川底は、びっくりするくらい深くて、すりばち状になっているんですよ。
「ゴビさん! アユちゃん! こんにちは!」
白い板べいの監視小屋の窓から声をかけてきたのは、カッパーさんでした。
お父さんと私は声をそろえて、カッパーさんにあいさつを返しました。
カッパーさんは、チェリー川の監視員で、救助隊員です。
その黄色いTシャツには、大きく赤い文字で「RESCUE=救助」とあります。
私は、「もし溺れている人がいたら、助けに川へ飛びこまずに、救助隊員を呼びなさい」って、家でも、学校でも、言われています。
「溺れている人は無我夢中で、すがりついてきて、一緒に溺れてしまうことになるから」って。
私は、泳ぎに自信があります。
息つぎなしでも、かなりの距離を泳ぐことができます。
それに、私、速いんです、とっても!
川の魚たちからも一目おかれているように思います。
でも、私、お父さんやお母さんや先生の言いつけはちゃんと守って、溺れている人を見つけたら、「もうちょっと、がんばってねー!」って声をかけながら、カッパーさんたち救助隊員を呼びに走ろうと思っています。
カッパーさんは、監視小屋で働くようになってから、溺れた人を三人、溺れた猫を一匹、助けたことがあるそうです。
三人と猫は、「助かったぁ」とか、「死ぬかと思ったニャア」とか言ったと思います。
「ゴビさん、今日からまた泳いで出勤ですか」
「はい。やっぱり、夏は泳がないと」
お父さんは、満面の笑みでした。
カッパーさんは、二度、三度とうなずいてから、私を見てきました。
「アユちゃんは? 泳がないの?」
「水着のお尻の所に大きな穴があいちゃってて……」
「えっ? どうして穴が?」
「昨夜は何ともなかったんです。お姉ちゃんに聞いても、『知らない』って……」
「そりゃ、コウちゃんがアユちゃんの水着に穴をあけたりしないよね」
「二回聞いたら、4の字固めされました……」
私が唇をとがらせて言うと、カッパーさんは笑い声をあげました。
「カマイタチじゃないかって」お父さんがストレッチをしながら言います。「アユ、窓の所のハンガーに水着を掛けていたんですよ」
「ああ。カマイタチ」
カッパーさんは、バカな大人ではないので、カマイタチを知っていたようです。
私はバカな子供なので、カマイタチを知りませんでした。
お父さんとお母さんとお姉ちゃん情報によると、カマイタチは、つむじ風とも呼ばれる風で、鋭い刃物のように何でも切ってしまうんだそうです。人も、動物も、窓辺に掛けていた水着も。
でも、切られたほうは、自分が切られたことに気づかないんですって。
それで、水着の持ち主の私も気づかなかったんでしょうか?
ふざけたイタチの風です。
「カマイタチじゃ、しょうがないね」
「水着を窓の所に掛けておいたのも、お姉ちゃんを疑ったのも、私の失敗です」
私は肩を落として言いました。
「まあ、うっかりや失敗っていうのは、誰にでもあるから」
「カッパーさんも、失敗したことありますか?」
「もちろん、あるよ。数えきれないくらいある。川で流されたことだってあるんだから」
「カッパーさんが?」
「そう。でもね、自分が失敗しちゃったら、反省すればいいし、誰かが失敗しちゃったら、許してあげればいいんだよ」
「はい」
私は笑顔で、うなずきました。
新しい水着は買いません。
水着は、お母さんが直してくれます。
穴がふさがれば、ふつうに着られますから。
私の家、お金持ちじゃないんです。
もし、私が新しい水着を買って、お姉ちゃんが高校をやめなきゃいけなくなるようなことにでもなったら、私、またお姉ちゃんに4の字固めを掛けられちゃいます、たぶん。
私のお姉ちゃん、私立の超難関高校に通っているんです。
それで、むやみに高い授業料を払わないといけないんです。
おまけに、お姉ちゃんは、我が家で唯一スマホを持っています。
頭がよくて、金のかかる女なんです、お姉ちゃんは。
ともかく、明日は私も泳げるでしょう。
明日になるまでの時間は、とてつもなく長い時間ですけど、仕方ありません。
我慢です。
「ゴビさんも、これから観光客が増えて忙しくなりますね」
「ええ。チェリー川も、ネットで有名になっちゃって」
私のお父さんは、リバーサイドホテルに勤めています。
ホテルマンなんです。
リバーサイドホテルは、ここから少し下った川岸にあります。
私の家からだったら、電車や車で行くより、泳いだほうがずっと早いんです。
それでお父さんは、チェリー川の遊泳が解禁になると、遅番の出勤の日はいつも泳いでホテルに行きます。
遊泳解禁の今日、お父さん、運よく遅番なんです。
もちろん、荷物は持ちません。
というか、お父さん、元々、通勤には、極力、荷物を持たない人なんです。
私物は、ほとんど、ホテルのロッカーに置きっぱなし。
泳いで出勤するようになると、下着も、財布も、ロッカーです。
「サイコの強盗と出会っても、何も取られなくていい」とお父さんは言っています。
でも、サイコパスなら、何も取らなくても、拷問はするように、私、思います。
「じゃあ、アユ、いってくるよ」
お父さんは、私とハイタッチを交わすと、飛びこみの大岩のほうに裸足でぺたぺたと歩いていきました。
いいなあ、私も泳ぎたいなあ……。
私、地上より水の中にいるほうが好きなんです。
水の中だと、悪口を言う人もいないでしょう?
いるのかしら?
私は出会ったことがありません。
水の中って、自分の中のよけいなものを忘れさせてくれるように思うんです。
よけいなものって、たとえば……、嫌な気持ちとか、意地悪な気持ちとか、自分だけ得しようって気持ちとか。
お父さんは、大岩の北側に、手をかけ、ゆっくりと登り始めました。
大岩は、北側が比較的デコボコが多くて、登りやすいんです。
私は、お父さんが泳ぎだしたら、自分もポロシャツと短パンで川に飛びこんじゃおうかしらと思いました。
ポロシャツと短パンだって、私、泳げます。
それで、溺れた猫を救助する自信だって本当はあるんです。
でも、ビショビショの服で家に帰ると、お母さんに怒られそうなので、やめておきます。
溺れた猫も、やっぱり、カッパーさんたちにお願いすることにします。
アブラゼミがジージーと鳴いています。
私は、てかてかのセミがジジジとおしっこをかけてこないか用心しながらジグザグに歩いていました。
……私、虫って、虫、みんな、苦手なんです。
もちろん、さわることなんて、できません。
と、小鳥が甲高い声をあげながら、川のほうへと飛んでいきます。
「アユ! そんなに上ばかり見てると転ぶぞ!」
お父さんはもうずいぶん先を歩いていました。
私はピンクのポロシャツにデニムの短パン、ビーチサンダルですけど、お父さんはキレッキレの競泳水着で、裸足です。
首にブラブラさせているのは、水中めがねです。
ゆるやかな土の坂道を下ると、川のせせらぎの音が聞こえてきます。
ピカピカの昼下がりです。
梅雨も明け、遊泳が解禁となった今日、チェリー川の中流域にはシズク村の人たちが大勢、水着で集まっていました。
マイクを手に、何やら話しているのは、村長や村会議員たちです。
でも、村人は誰も話を聞いていません。
「うるせー」とか、「やめろー」とかいう声が時々、飛んでいます。
川の中からそそり立つ大岩の上には、男女数人の姿がありました。
そこは、飛びこみをするのにうってつけの場所なんです。
川底は、びっくりするくらい深くて、すりばち状になっているんですよ。
「ゴビさん! アユちゃん! こんにちは!」
白い板べいの監視小屋の窓から声をかけてきたのは、カッパーさんでした。
お父さんと私は声をそろえて、カッパーさんにあいさつを返しました。
カッパーさんは、チェリー川の監視員で、救助隊員です。
その黄色いTシャツには、大きく赤い文字で「RESCUE=救助」とあります。
私は、「もし溺れている人がいたら、助けに川へ飛びこまずに、救助隊員を呼びなさい」って、家でも、学校でも、言われています。
「溺れている人は無我夢中で、すがりついてきて、一緒に溺れてしまうことになるから」って。
私は、泳ぎに自信があります。
息つぎなしでも、かなりの距離を泳ぐことができます。
それに、私、速いんです、とっても!
川の魚たちからも一目おかれているように思います。
でも、私、お父さんやお母さんや先生の言いつけはちゃんと守って、溺れている人を見つけたら、「もうちょっと、がんばってねー!」って声をかけながら、カッパーさんたち救助隊員を呼びに走ろうと思っています。
カッパーさんは、監視小屋で働くようになってから、溺れた人を三人、溺れた猫を一匹、助けたことがあるそうです。
三人と猫は、「助かったぁ」とか、「死ぬかと思ったニャア」とか言ったと思います。
「ゴビさん、今日からまた泳いで出勤ですか」
「はい。やっぱり、夏は泳がないと」
お父さんは、満面の笑みでした。
カッパーさんは、二度、三度とうなずいてから、私を見てきました。
「アユちゃんは? 泳がないの?」
「水着のお尻の所に大きな穴があいちゃってて……」
「えっ? どうして穴が?」
「昨夜は何ともなかったんです。お姉ちゃんに聞いても、『知らない』って……」
「そりゃ、コウちゃんがアユちゃんの水着に穴をあけたりしないよね」
「二回聞いたら、4の字固めされました……」
私が唇をとがらせて言うと、カッパーさんは笑い声をあげました。
「カマイタチじゃないかって」お父さんがストレッチをしながら言います。「アユ、窓の所のハンガーに水着を掛けていたんですよ」
「ああ。カマイタチ」
カッパーさんは、バカな大人ではないので、カマイタチを知っていたようです。
私はバカな子供なので、カマイタチを知りませんでした。
お父さんとお母さんとお姉ちゃん情報によると、カマイタチは、つむじ風とも呼ばれる風で、鋭い刃物のように何でも切ってしまうんだそうです。人も、動物も、窓辺に掛けていた水着も。
でも、切られたほうは、自分が切られたことに気づかないんですって。
それで、水着の持ち主の私も気づかなかったんでしょうか?
ふざけたイタチの風です。
「カマイタチじゃ、しょうがないね」
「水着を窓の所に掛けておいたのも、お姉ちゃんを疑ったのも、私の失敗です」
私は肩を落として言いました。
「まあ、うっかりや失敗っていうのは、誰にでもあるから」
「カッパーさんも、失敗したことありますか?」
「もちろん、あるよ。数えきれないくらいある。川で流されたことだってあるんだから」
「カッパーさんが?」
「そう。でもね、自分が失敗しちゃったら、反省すればいいし、誰かが失敗しちゃったら、許してあげればいいんだよ」
「はい」
私は笑顔で、うなずきました。
新しい水着は買いません。
水着は、お母さんが直してくれます。
穴がふさがれば、ふつうに着られますから。
私の家、お金持ちじゃないんです。
もし、私が新しい水着を買って、お姉ちゃんが高校をやめなきゃいけなくなるようなことにでもなったら、私、またお姉ちゃんに4の字固めを掛けられちゃいます、たぶん。
私のお姉ちゃん、私立の超難関高校に通っているんです。
それで、むやみに高い授業料を払わないといけないんです。
おまけに、お姉ちゃんは、我が家で唯一スマホを持っています。
頭がよくて、金のかかる女なんです、お姉ちゃんは。
ともかく、明日は私も泳げるでしょう。
明日になるまでの時間は、とてつもなく長い時間ですけど、仕方ありません。
我慢です。
「ゴビさんも、これから観光客が増えて忙しくなりますね」
「ええ。チェリー川も、ネットで有名になっちゃって」
私のお父さんは、リバーサイドホテルに勤めています。
ホテルマンなんです。
リバーサイドホテルは、ここから少し下った川岸にあります。
私の家からだったら、電車や車で行くより、泳いだほうがずっと早いんです。
それでお父さんは、チェリー川の遊泳が解禁になると、遅番の出勤の日はいつも泳いでホテルに行きます。
遊泳解禁の今日、お父さん、運よく遅番なんです。
もちろん、荷物は持ちません。
というか、お父さん、元々、通勤には、極力、荷物を持たない人なんです。
私物は、ほとんど、ホテルのロッカーに置きっぱなし。
泳いで出勤するようになると、下着も、財布も、ロッカーです。
「サイコの強盗と出会っても、何も取られなくていい」とお父さんは言っています。
でも、サイコパスなら、何も取らなくても、拷問はするように、私、思います。
「じゃあ、アユ、いってくるよ」
お父さんは、私とハイタッチを交わすと、飛びこみの大岩のほうに裸足でぺたぺたと歩いていきました。
いいなあ、私も泳ぎたいなあ……。
私、地上より水の中にいるほうが好きなんです。
水の中だと、悪口を言う人もいないでしょう?
いるのかしら?
私は出会ったことがありません。
水の中って、自分の中のよけいなものを忘れさせてくれるように思うんです。
よけいなものって、たとえば……、嫌な気持ちとか、意地悪な気持ちとか、自分だけ得しようって気持ちとか。
お父さんは、大岩の北側に、手をかけ、ゆっくりと登り始めました。
大岩は、北側が比較的デコボコが多くて、登りやすいんです。
私は、お父さんが泳ぎだしたら、自分もポロシャツと短パンで川に飛びこんじゃおうかしらと思いました。
ポロシャツと短パンだって、私、泳げます。
それで、溺れた猫を救助する自信だって本当はあるんです。
でも、ビショビショの服で家に帰ると、お母さんに怒られそうなので、やめておきます。
溺れた猫も、やっぱり、カッパーさんたちにお願いすることにします。
