グロンブル台湾での仕事の日々は、瞬く間に過ぎていき、気がつけば一ヶ月がたっていた。
初出勤日、全スタッフの前で紹介された海帆が男なのか女なのかで若干ざわついたが、それ以外では特に支障が出るようなトラブルもなく、まずまず好調な滑り出しだった。
ホテルの仕事は激務だ。海を超えてきた新人への物珍しさがなくなれば、忙殺される仕事は山ほどある。
海帆もそのうちの一人で、産休に入る久保田椿の仕事を覚える為、鬼のような引き継ぎ業務をこなしていた。
「海帆さん、お疲れ様。休憩行って来ちゃってください」
「カメリアさん、お疲れさまです。じゃあ、行ってきます」
カメリアとは、椿のイングリッシュネームだ。台湾の人達は、ほとんどの人が本名とは違うイングリッシュネームを持っていて、それを仕事で使っている事が多い。大体の人が学生時代の英語の先生などに名前をつけてもらったりするらしいのだが、中には好きな海外の俳優の名前を名乗ったりもしてるので、その名付けは割と自由だ。
かくいう海帆も出勤初日に、あなたのことをなんて呼んだらいいですか、と聞かれて少し困った。一瞬、小さい頃に世海に呼ばれていた名前を言おうかと思ったが、なんとなく気が乗らなかったので「名字でも名前でも呼びやすいように呼んでください」と言うだけにしたら、呼びやすい「ミホさん」で定着している。
ちなみに椿の「カメリア」というイングリッシュネームは本人の名前の英名だが、ご主人につけてもらったらしい。名前の通り控えめで気取らない女性で、海帆ともすぐに打ち解けた。
軽く業務の話しをしてから、席を立つ。休憩室へ行くと、すでに数人の女性スタッフがかたまって、雑誌を読んで談笑していた。
「お疲れ様でーす」
「あ、ミホさん! お疲れ様です」
笑顔で挨拶を交わし、海帆は冷蔵庫から弁当を取り出して、レンジで温める。その時、黄色い歓声が上がったので、海帆は彼女たちの手元を覗き込んだ。
「何を見てるんですか?」
「ミホさん! 見てください、これ。私のイチオシなんですけど、カッコいいでしょう?」
グループの中の一人、ジェシカと呼ばれている明るい髪をゆるく巻いた子が、海帆に持っていた雑誌を見せた。
そこには、上半身の見事な肉体美を惜しげもなくさらしている、海帆も知っている俳優が載っていて、思わず海帆も「おー」と感嘆の声を上げた。
「この人知ってますよ。確かロビン……」
「ロビン・ルオです! 今一番注目されてる俳優なんですよ。今月のDanteの巻頭です」
Danteとは若者に流行りのファッション誌なのだが、キワドい記事を載せることで有名で、そこを飾るモデルや俳優達もそれに合わせて大人っぽく露出高めで出演するので人気がある。
「ああ、本当にカッコいい……」
うっとりした顔で雑誌を見入るジェシカ。頬ずりしそうな勢いだ。
「ジェシカ、そんなに入れ込んじゃって。ロビンはこの間、共演女優と熱愛でちゃったじゃん」
「あれはお互い友達同士です、てロビンが声明を出したでしょ。私はそれを信じる」
一緒に見ていた友人、確かアビーと言ったか、が茶々を入れてもジェシカは聞く耳をもたない。やれやれと頭を振って、アビーは海帆に話しかけた。
「ミホさんは好きな俳優います? 今月は今注目されてる人達が結構載ってるんですよ」
「私はあんまり知らないからなー」
海帆のあいまいな返事を聞いて、アビーはジェシカから雑誌を取り上げ、海帆の目の前でぱらぱらとめくった。
「ほら、いっぱいいますよ。誰かいます? ミホさんがどんな俳優好きなのかすごく興味があります」
わたしもー、というジェシカや他の子達が言うのに苦笑していたら、あるページを見て海帆は思わず「あ……」と声を出した。
「これですか? エリック・スン! わあ、ミホさん面食いなんですね!」
意外そうに騒がれる中、海帆はなんとか笑顔を崩さず弁当に箸をつけた。
「たまたま知ってただけですよ。すごく綺麗な人ですよね」
「わたしはロビンよりエリックの方がいいですね。麗しくて。でも今回はちょっと雰囲気が違うんですよ」
ほらーと海帆の目の前で見開きにされた雑誌には、あおり気味の角度から目を半眼にしてこちらを見下ろす、冷たい表情の世海がいた。ロビンとは違い、上半身ではなく肩までのショットだったが、それでもぞくぞくするような色気があった。
「エリックはキレイめ路線で売ってたから、冷たく美しい王子様系だったんですけど、最近は演技の幅を広げたいっていろんな役に挑戦してるんですよ。そういうストイックなところもいいですよね。この写真もちょっと意外だけど、すごく素敵です」
アビーが褒めるのに、海帆は素直に頷いた。
「うん、私もそう思う。あんがいこっちの方が素だったりして」
爪を噛みながらこちらを睨みつける不機嫌な表情は、この間会った時の顔つきそのままだ。
あれ以来、世海とは会っていない。
休みの日にはちょくちょく孫さんの家に顔を見せに行ってるのだが、世海は仕事が忙しいのかいつも不在だった。「何にこだわってるのか知らないけど、まったくいつまで意地を張るつもりなのかしらね」と恵君はぶつぶつ言っていた。
仕事があることはいいことだ。売出し中みたいだし、今が一番大事な時期なんだろう。そう言って海帆は恵君をなだめたが、あまり効果はないようだ。
「彼って結構謎に包まれてるんですよ。プライベートとか一切出さないし。今まで浮いた噂一つもないんですよ。この美しさで! 信じられます?」
「ゲイなんじゃないかって言われてるよね」
「えー違うと思うな。エリックはストレートだよ、絶対。で、絶対スケベだよ。こういう冷たい表情が美しい男ってすっごいエロいんだよ」
「王子がドスケベって誰得よ! あたしだよ!」
「でも、それじゃあ共演女優とか手当たり次第に手を出してるってこと? それはちょっと嫌だな」
「ちがうちがう、手なんて出さないよ。噂にならないってことは、本当に噂になるようなことをしてないんだよ」
「は? どういうこと?」
「つまり、その手の経験がない……」
一瞬の沈黙の後、今までにない歓声が休憩室に響き渡る。
「童貞ドスケベ王子キター‼」
言いたい放題だな、お嬢さん達。
うら若い乙女たちの熱量の激しさに呆気にとられながら、海帆は目の前に放置されてる雑誌をぱらぱらとめくった。
ロビンほどではないが、エリック・スンのページも結構ある。
芸能人とかは興味がなく、日本の映画やドラマですらほとんど見てこなかったので、世海の仕事している姿を見るのはこれが初めてだ。
挑発的な表情のショットの最後に、なにかを耐えるように視線を落とす写真があった。
苦しそうなのに、どこか恍惚としていて、綺麗な人だなーと素直に思う。
エロいがどうかは知らないが、冷たい表情が美しい男って確かに色気がある。
でもこれが珍しいと言うのなら、今までの世海はどういう風に撮られていたのだろう。海帆は初めて、世海のこれまでのことが気になり始めたのだった。
初出勤日、全スタッフの前で紹介された海帆が男なのか女なのかで若干ざわついたが、それ以外では特に支障が出るようなトラブルもなく、まずまず好調な滑り出しだった。
ホテルの仕事は激務だ。海を超えてきた新人への物珍しさがなくなれば、忙殺される仕事は山ほどある。
海帆もそのうちの一人で、産休に入る久保田椿の仕事を覚える為、鬼のような引き継ぎ業務をこなしていた。
「海帆さん、お疲れ様。休憩行って来ちゃってください」
「カメリアさん、お疲れさまです。じゃあ、行ってきます」
カメリアとは、椿のイングリッシュネームだ。台湾の人達は、ほとんどの人が本名とは違うイングリッシュネームを持っていて、それを仕事で使っている事が多い。大体の人が学生時代の英語の先生などに名前をつけてもらったりするらしいのだが、中には好きな海外の俳優の名前を名乗ったりもしてるので、その名付けは割と自由だ。
かくいう海帆も出勤初日に、あなたのことをなんて呼んだらいいですか、と聞かれて少し困った。一瞬、小さい頃に世海に呼ばれていた名前を言おうかと思ったが、なんとなく気が乗らなかったので「名字でも名前でも呼びやすいように呼んでください」と言うだけにしたら、呼びやすい「ミホさん」で定着している。
ちなみに椿の「カメリア」というイングリッシュネームは本人の名前の英名だが、ご主人につけてもらったらしい。名前の通り控えめで気取らない女性で、海帆ともすぐに打ち解けた。
軽く業務の話しをしてから、席を立つ。休憩室へ行くと、すでに数人の女性スタッフがかたまって、雑誌を読んで談笑していた。
「お疲れ様でーす」
「あ、ミホさん! お疲れ様です」
笑顔で挨拶を交わし、海帆は冷蔵庫から弁当を取り出して、レンジで温める。その時、黄色い歓声が上がったので、海帆は彼女たちの手元を覗き込んだ。
「何を見てるんですか?」
「ミホさん! 見てください、これ。私のイチオシなんですけど、カッコいいでしょう?」
グループの中の一人、ジェシカと呼ばれている明るい髪をゆるく巻いた子が、海帆に持っていた雑誌を見せた。
そこには、上半身の見事な肉体美を惜しげもなくさらしている、海帆も知っている俳優が載っていて、思わず海帆も「おー」と感嘆の声を上げた。
「この人知ってますよ。確かロビン……」
「ロビン・ルオです! 今一番注目されてる俳優なんですよ。今月のDanteの巻頭です」
Danteとは若者に流行りのファッション誌なのだが、キワドい記事を載せることで有名で、そこを飾るモデルや俳優達もそれに合わせて大人っぽく露出高めで出演するので人気がある。
「ああ、本当にカッコいい……」
うっとりした顔で雑誌を見入るジェシカ。頬ずりしそうな勢いだ。
「ジェシカ、そんなに入れ込んじゃって。ロビンはこの間、共演女優と熱愛でちゃったじゃん」
「あれはお互い友達同士です、てロビンが声明を出したでしょ。私はそれを信じる」
一緒に見ていた友人、確かアビーと言ったか、が茶々を入れてもジェシカは聞く耳をもたない。やれやれと頭を振って、アビーは海帆に話しかけた。
「ミホさんは好きな俳優います? 今月は今注目されてる人達が結構載ってるんですよ」
「私はあんまり知らないからなー」
海帆のあいまいな返事を聞いて、アビーはジェシカから雑誌を取り上げ、海帆の目の前でぱらぱらとめくった。
「ほら、いっぱいいますよ。誰かいます? ミホさんがどんな俳優好きなのかすごく興味があります」
わたしもー、というジェシカや他の子達が言うのに苦笑していたら、あるページを見て海帆は思わず「あ……」と声を出した。
「これですか? エリック・スン! わあ、ミホさん面食いなんですね!」
意外そうに騒がれる中、海帆はなんとか笑顔を崩さず弁当に箸をつけた。
「たまたま知ってただけですよ。すごく綺麗な人ですよね」
「わたしはロビンよりエリックの方がいいですね。麗しくて。でも今回はちょっと雰囲気が違うんですよ」
ほらーと海帆の目の前で見開きにされた雑誌には、あおり気味の角度から目を半眼にしてこちらを見下ろす、冷たい表情の世海がいた。ロビンとは違い、上半身ではなく肩までのショットだったが、それでもぞくぞくするような色気があった。
「エリックはキレイめ路線で売ってたから、冷たく美しい王子様系だったんですけど、最近は演技の幅を広げたいっていろんな役に挑戦してるんですよ。そういうストイックなところもいいですよね。この写真もちょっと意外だけど、すごく素敵です」
アビーが褒めるのに、海帆は素直に頷いた。
「うん、私もそう思う。あんがいこっちの方が素だったりして」
爪を噛みながらこちらを睨みつける不機嫌な表情は、この間会った時の顔つきそのままだ。
あれ以来、世海とは会っていない。
休みの日にはちょくちょく孫さんの家に顔を見せに行ってるのだが、世海は仕事が忙しいのかいつも不在だった。「何にこだわってるのか知らないけど、まったくいつまで意地を張るつもりなのかしらね」と恵君はぶつぶつ言っていた。
仕事があることはいいことだ。売出し中みたいだし、今が一番大事な時期なんだろう。そう言って海帆は恵君をなだめたが、あまり効果はないようだ。
「彼って結構謎に包まれてるんですよ。プライベートとか一切出さないし。今まで浮いた噂一つもないんですよ。この美しさで! 信じられます?」
「ゲイなんじゃないかって言われてるよね」
「えー違うと思うな。エリックはストレートだよ、絶対。で、絶対スケベだよ。こういう冷たい表情が美しい男ってすっごいエロいんだよ」
「王子がドスケベって誰得よ! あたしだよ!」
「でも、それじゃあ共演女優とか手当たり次第に手を出してるってこと? それはちょっと嫌だな」
「ちがうちがう、手なんて出さないよ。噂にならないってことは、本当に噂になるようなことをしてないんだよ」
「は? どういうこと?」
「つまり、その手の経験がない……」
一瞬の沈黙の後、今までにない歓声が休憩室に響き渡る。
「童貞ドスケベ王子キター‼」
言いたい放題だな、お嬢さん達。
うら若い乙女たちの熱量の激しさに呆気にとられながら、海帆は目の前に放置されてる雑誌をぱらぱらとめくった。
ロビンほどではないが、エリック・スンのページも結構ある。
芸能人とかは興味がなく、日本の映画やドラマですらほとんど見てこなかったので、世海の仕事している姿を見るのはこれが初めてだ。
挑発的な表情のショットの最後に、なにかを耐えるように視線を落とす写真があった。
苦しそうなのに、どこか恍惚としていて、綺麗な人だなーと素直に思う。
エロいがどうかは知らないが、冷たい表情が美しい男って確かに色気がある。
でもこれが珍しいと言うのなら、今までの世海はどういう風に撮られていたのだろう。海帆は初めて、世海のこれまでのことが気になり始めたのだった。
