ひとつの秩序

 
 
彼女との出会いは、俺にとって、とても強烈だった。
 
 
『初めまして、白石(しらいし)望実(のぞみ)と言います』
『かた、くらです』
『なんで苗字だけなんですか、下のお名前も教えてください』
『あっすいません、洋太です』

片倉洋太、今年二十九歳になる年。建築学科卒業。
誕生日は三月なので、まだ二十八歳。
何となくインストールしたマッチングアプリで、流されるようにマッチして、メッセージのやり取りをして、会うことになった。そのうちの一人だった。

待ち合わせた駅の、地上の四番出口。
コンクリート調の壁を背に立っている望実は、白に近い生成りのノースリーブトップスに、淡いベージュのパンツ。肩にライトグレーのジャケットをかけていて、手元には、控えめな時計と細い指輪が並び、どれも主張はしない。

鎖骨あたりで揺れる長さの髪の毛。前髪は目にかかるかかからないかのところで切り揃えられていて、風に動くたび、視線が一瞬だけ隠れる。化粧は濃くなく、けれど肌の質感や唇の色がきちんと整えられているせいで、手を抜いている印象はない。

率直に言えば、美人。
こんな美人もアプリなんか登録しているんだなというのが最初の感想だった。

『洋太さん。お店、予約してくださってるんでしたよね』
『そうです、こちらです』

立ち居振る舞いから、仕事ができそうな女性だ。
何となくクライアントを案内しているような気分になり、自分の言葉が丁寧になってしまっていることが分かる。

女性が好きそうなところを予約しておいたが、そんな考え方で適当に決めた店で喜んでくれるような人だろうか。
そんな思いを抱えつつも、会話をそれなりに繋いで店へ向かい、窓際の席に案内される。

東京駅から少し歩いたところにあるビルの一階。
天井が高く、自然光が奥まで入り込んでいて、夕方の時間帯でも照明をほとんど感じさせない。コンクリートと木材、そこにグリーンが無造作に配置されていて、都会の真ん中なのに、どこか余白がある。

好きな空間だった。女性ウケもしそうだなと思って選んだが、正解だっただろうか。

『おしゃれなところですね』
『気に入ってもらえて良かったです』

望実とは、アプリの他の女性と違って、あまりメッセージを重ねなかった。
とりあえず会ってお話ししませんか?と提案をしてきたのも彼女の方からだ。
珍しいな、と思いながらも承諾し、彼女の予定に合わせて、少し早めの十七時からの待ち合わせだった。

『予定があったのに、ありがとうございました』
『いえいえ!むしろ合わせて頂いちゃって』
『全然大丈夫ですよ、コース頼んであるので、ドリンクだけ何飲みますか?』

わぁ、と喜んだ表情を見せながらドリンクメニューからソフトドリンクをチョイスした彼女に合わせ、片倉もソフトドリンクを頼んだ。

『お酒は飲まれないんですか?』
『帰ってからちょっと仕事をしなきゃいけなくて』
『そうだったんですね、何されてるんですか?』

あまりメッセージを重ねなかったから、彼女のことはあまり知らない。
アプリでは顔写真も曖昧にしか載せてなかったので、これといった印象は特になかった。会おうと言われたので承諾した、ただそれだけの日だったはずだった。

『コンサルみたいなことを、ちょっと』
『すごいですね、俺はちなみに建築系で働いてます』
『知ってます、プロフィールに書いてありましたもんね』

あ、しまったな。と思ったが望実が気を悪くした様子はない。
にこやかな笑みを浮かべながら、まっすぐ、目を逸らしたりすることなく自分の方を見て喋る彼女はとても堂々としていて綺麗だった。

『あまりメッセージのやり取りしなかったから、望実さんのことほとんど知らないですね』
『本当ですよね、…あの、良かったら敬語なしでお話ししませんか?その方が仲良くなれそうです』
『望実さんが、いいなら』
『もちろん!私の方が一つ上だけど、仲良くしましょ』

少しブラウンがかった、薄いピンク色のリップが似合っている。
笑いかけると、少しぽてっとした唇が弧を描いていく。

『何ですぐに会おうって言ってくれたの?』
『メッセージをあまり頻繁に見られないっていうのもあるけど、どんなにメッセージを重ねても、実際に会わないと恋愛も始まらないでしょ』
『…確かに』
『会って直接お話ししたほうが人柄も分かるし、その方が有意義かなって思ったの』
『女性で、珍しいね』
『と言っても、なかなかアプリも開いていられなくって、洋太さんが初めて会う人なの』
『そうなんだ、緊張するね』

育ちの良さや迷いのなさ。
自分の立ち位置を疑わずに生きてきた人間特有の、揺れない輪郭が、全身から滲んでいる。今まで、会ったことのないタイプの女性だ。


自分であまり言葉にしたことがないが、それなりにモテてきた人生だった。
中学、高校とそれなりに彼女もいたし、長く続いた子もいた。
大学の時は課題も忙しくて彼女は作らなかったが、他の大学の子や、流れで、それなりの関係も持ったことはあったし、あまり困ったことはない。

女の子が相手に何を求めているかは何となく察することができたし、それをしてあげることも苦ではなかった。
元々自分の意思が強いタイプでもなく、場が平和に過ぎていくならそれで良かったし、こうして欲しいんだろうな、それをその通りにしていくだけで喜んでくれる子が多かった。

望実の前に会った子も、同じようにしたし、また会いたいとのメッセージも貰っている。

彼女は、なんてこともないかのように、自分の話をしてくれた。
鎌倉に実家があること、幼稚園からずっと都内で、大学は外に出たくなったからとエスカレーターの大学を選ばず、受験した。

新卒で誰もが知る外資系のコンサルに勤め、転職してキャリアアップをしているそうだ。海外に一人で行くこともあって、今はトルコにまた行きたいと思っているらしい。

その後に自分のことを話すのは気が引けたが、かいつまんで言いたいことだけを伝えた。望実は、相手の話を聞くときは、きちんと目を見る。
でもじっと見つめ続けるわけではなく、一拍置いてから、自然に視線を戻す。

「それで?」と促す声は柔らかいのに、主導権は渡さない。
相槌は多くないが、必要なところでは必ず頷く。

知性があって、自信があって、感情で動かなさそう。
自立していて、相手は相手だと割り切っている。尊重するけど、迎合はしない。


察してほしい女の子、ではない。

眩しい。
きっと望実は、バックボーンが恵まれていなかったとしても、自分の力で人生を掴み取っていくタイプに違いない。



キラキラしていて、太陽みたいだ。


『また望実さんと会いたい』

帰り際に、直接は言うつもりのなかった言葉が口から漏れた。
望実は、少し目を見開いて、その後、目尻を下げてニコッと笑った。

『嬉しい!私も洋太くんとまた会いたい!』






どうしても、彼女の隣に並んでみたくなった。

思考が知りたくて、何が好きで何が嫌で、どうして欲しいと思っているのか、自分から掴みたくなって、それが合ってるのか間違っているのかすらわからない。
俺が何をしようと、きっと彼女の人生に大した影響は起きない。

自分で何もかも掴み取っていく彼女の隣に、立ってみたくて、何も考えずに、気持ちがするりと口から溢れたのは、二回目で、

『っ同棲、しない?』

三回目のデートで告白して、付き合えて、付き合ったら少しは並べるかと思ったけどそうでもなくて、会うたび魅力を感じて、誠実で、輪郭がはっきりしていて、なのに甘え下手で、

『してみたい!洋太くんと一緒に住みたい!』

隣に並べたと、思った。

太陽みたいな彼女の隣に並んだら、その掴めない輪郭が、気持ちが、分かるだろうか。その澄んでいる空気を、俺は掴めるだろうか。そう思った。

そう、思った。