ひとつの秩序

 
 
 
「結婚式ぶりー!」
「お疲れー!」

先に席について莉子に手を振っていたのは、高校の同級生の七菜香だ。
服飾関係の仕事をしており地元に住んでいるのだが、本社が東京にあるので定期的に出張に来るらしい。平日だったが時間が空くのでランチしない?と誘われ、恵比寿のカフェに来ていた。

「莉子、仕事は大丈夫なの?」
「うん、このあとは夕方に会議入ってるだけだから」
「そっかー、ありがとうね融通してくれて」
「全然、うち昼ちょっと長くなっても何も言われないから」

そっかそっか、と七菜香は言いながらメニューを莉子に手渡した。
店に先に入っていたので、もう決めたらしい。

「私このハーブチキンのグリルにしようかな」
「オッケー、じゃあ店員さん呼ぶね」

七菜香が手を挙げて店員に声をかけた。
莉子はお礼を言いながら辺りをあらためて見渡す。

平日の昼でも人が多く、スーツ姿の人や、資料を広げたまま食事をしているグループが目立つ。ガラス張りの入口から見える白い店内と、奥に続くテラスの緑が太陽を受けて光る。

注文を済ませ、ドリンク片手に七菜香は莉子に言った。

「結婚式の時も思ったけど、莉子綺麗になったよねぇ」
「えー!ありがとう嬉しい」
「すっかり東京の女って感じ」
「ふ、何それ」
「彼氏はいないんだっけ?」
「いないよぉ」

七菜香とは高校時代に知り合い、四人グループではあったが一番仲が良かった。一年生の時に席が近かったので仲良くなり、選択授業も全て一緒にしたので三年間同じクラスだった。

「だって前言ってた先輩には彼女ができたんでしょ」
「そうだけど、だからって毎日会うのに、いきなり好きじゃないですとはならないじゃん」
「彼女とは仲良しそうな感じなの?」
「うーん…微妙?」

何それ、詳しく聞かせて。そう言った七菜香の目は輝いている。
七菜香は、こういう人の事情に首を突っ込むのが好きなんだよな昔から…そういえば静さんに似てるな。そんなことを思いながら莉子は先日の片倉との話をした。

「何それ、耳触られるって何?」
「なんか…わかんないけど」
「やばいじゃん」
「別に何もなってないよ」

そう、本当に、何かが起きたわけじゃない。
莉子も初めは少し意識することもあったものの、あまりに片倉が普通なのでもう考えることもほとんどなくなっていた。

「警戒してる?」
「警戒…はしてない」
「彼女いて、上手くいってなくて、優しくて、仕事できて、で後輩に距離バグってんでしょ?」
「…言い方がさぁ」
「いつもなら警戒するじゃん、こういう男」
「…いやでも、私がどうこうする話じゃないし、本当にいつも通りだよ先輩も」
「まぁ。気の迷い?」
「そうだと思ってるけど…そんなことするタイプじゃないし」
「わかんないよ?」

分かってないなー、と言いながら七菜香は言う。
恋愛遍歴は莉子と似たり寄ったりなはずだが、それなりにモテてきてもいる七菜香だ。彼女の中だけで見えているものがあるのだろうか。

「片倉先輩への気持ちはさ、めちゃくちゃ綺麗じゃん」
「え?」
「憧れてて、優しくて、仕事ができて、そこからの好きって気持ちな訳だからさ、健全っていうか、いいところしかない恋じゃん」
「…」
「でもその先輩だって恋愛モードになったらきっと、優しいだけじゃないよ?」
「どう言うこと」
「そんなことするタイプかもしれないってことー。莉子が知らないだけ」

莉子はドリンクしか置かれていない机に突っ伏すようにして、顔を手で覆った。なんなんだ、なんでみんな私が忘れよう、気にしないでいようって思っていることを掘り起こしてくるんだ。しかも迷わせる方向で。

「…みんなして私の思考を掻き乱さないでよ」
「みんなって誰、もしかして他の男?」

長年の友人は嗅覚も鋭い。言葉尻からバレてしまう。莉子は先日の加瀬とのやりとりも簡潔に話した。同じクラスだった加瀬のこともよく知っている七菜香には、何となく加瀬とのことは積極的には話したくなかった。

話ながらも、何となく目線は外へと向ける。
窓際の席ガラス越しに手入れされた庭が見えた。完全な屋外ではない分、冬の冷たさは和らいでいるが、光はどこか乾いている。

「なるほど?」
「でも加瀬ともいつも通りだし何も変わらないし、いいの、終わり!」
「ふーん?」

話している途中でランチが運ばれてきたが、話は続いた。
白いテーブルに、カトラリーの影が薄く落ちる。

「ふーんって」
「だって終わりって言ったから」
「…まぁ」

七菜香が頼んだレモンクリームパスタが、七菜香のフォークによってくるくる巻かれていく様子を何となく見つめる。莉子のことを昔から知っているだけあって、何も話さなくても、むしろ話さない方が見透かされる気がしてしまう。

「加瀬はさぁ」
「…うん」
「優しいよね」
「…うん」
「ね」
「何が言いたいの…」
「え?ただの感想ー」

話してスッキリするかと思ったのに、モヤモヤが少し増した気がする。
グラスに入った水が、ほんの少し揺れている。
これ以上何も考えなくていい。今のままでいいんだ。そう言い聞かせて、違う話題を出した。日々のくだらない話と聞いてほしい話をひたすら笑いながら消化していくだけの時間はとても楽しく、お互い時間がギリギリになってしまい、慌てて駅に向かった。

バイバイと手を振り、七菜香と別れ、改札を抜けた。
さっきまでの話が、急に現実味を帯びる。考えないつもりだったのに、足だけが少し重かった。