ひとつの秩序

 
 
 
「南、漆器の案件だけど、あれで進めようってなったから」
「ありがとうございます!」
「先方の反応も良かったよ、ちなみに何でああいう感じにしたの?」

今日の莉子の隣にいるのは静だ。
片倉は一日打ち合わせなどで社内にほとんどいなく、バタバタしているらしい。
静と進めることも多く、莉子は今日は場所を移動して静と話しながら仕事をしている。

「百貨店の中をたまたま通る人に目を向けていただくには、完璧な憧れより既視感かなって思いまして、生活の中に置かれている一瞬の感じを意識してみました」
「そう、いい判断だと思う」
「ありがとうございます!」
「南はあの案件に関しては、ほぼ終わり。残りは巻き取っておくからね」
「承知しました!」

静はパソコンに向けていた目を莉子に向けた。
緩やかに微笑んだ顔は褒めてくれているんだと伝わって嬉しくなり、莉子も嬉しくなる。

「それで、今日話したいのは二つあって、アパレルブランドの短期ポップアップの話と企業LPの話ね」
「はい」

静は莉子に資料を送って、開いて。と短く言いながら次の話をし出す。
莉子も頭を切り替え、背筋を伸ばして画面を見つめた。
 
「今回は両方ともそんなに人数組まれてないチームだから、私の下に南ね。細かいこと色々振ると思うからよろしく」
「はい!」 

莉子の会社は建築デザイン会社なので、図面を引いて設計するわけではなく、空間をデザインすることがメインだ。
空間のコンセプト、レイアウトや什器、SNS用のビジュアルや写真、施工会社や百貨店などとの調整などが主な仕事になる。

部署がかっちりと決められているわけではなく、空間デザインチーム、グラフィックデジタルチーム、ディレクションチーム、バックオフィスくらいにしか分かれていない。その中でディレクションチームから降りてきた案件で、適宜チームが組まれて仕事が割り振られてくる。
 
莉子は一応チームとしては空間デザインチームなのだが、まだまだ下っぱなので、色々な雑務が降ってくる。他のチームに応援に呼ばれてひたすら画像を作成するなどと仕事は多岐に渡る。




莉子のいる会社は、創立二十年ほどで、全員合わせて社員は五十人ほど。
社長はもともと現場で図面を引いていたような建築家だ。
一般にはあまり名前は出てこないが、業界ではかなり名の通った人物で、建てて来た建築物は相当な数だ。

社長室は作られていなく、社長は気が向いた時にふらりと現れていつの間にか去っていく。経営などに基本専念しているが、たまにどうしてもと頼まれた時は自分でまだ図面を引いたり設計したりとするらしい。それ用の個人オフィスも持っているので、基本はそちらにいることが多いと聞く。

「私は社長案件がちょこっと入って来てるから、こっちはあんまり手伝えなくて、南一人で行けるとこまで行ってくれる?」
「分かりました!」

社長の個人オフィスは数人しかいないので、大型案件が入ると追いきれないものはこちらに回ってくるらしい。莉子はまだまだそこに携われることはなく、静や片倉でも数回だけあるくらいというのだから、よほどの人材でなければ任されないのだろう。

「あ、そういえば社長が、午後顔出すかもって」

静はひそりと顔を莉子に近づけて言った。莉子もそのボリュームに合わせて驚く。
緊張する?と聞かれ、莉子は頷いた。

「もう本当に恐縮っていうか、緊張します…」
「わかるー、そんな感じに見えないから余計ね」
「いまだに何で自分がここに受かったのか分かんないですもん」
「採用基準は本当に謎なんだよね、いろんな経歴の人がいるからさ、珍しいよ」

莉子が建築系に興味を持ったきっかけは、大学生の時に姉に連れていってもらった美術館だ。
一つ上の姉は芸大に通っていて、チケット取っちゃったからと半ば無理やり連れて行かれた展覧会だったが、莉子は展覧会の展示物というよりも、その空間と、空気、高い天井に、余白のあるその造りに興味を持った。その空間を作ったのが、莉子の会社の社長だ。

それから、莉子の大学は建築とは関係のない学科だったが自分なりに美術館や博物館、図書館など、気になるデザインの場所は見に行ったり勉強したりした。
就活の際に、一番はこの業界を目指すきっかけになった建築家が設立した事務所に、とダメもとで応募したのだが、まさかの採用だった。泣いて喜んだのを今でも覚えている。

建築学科でもない自分が、図面など引いたことないが大丈夫だろうか、と緊張でガチガチに入社した莉子だったが、静が今言った通り、色々な経歴の人がいる。

片倉は建築学科だが、静のように芸大出身で最初は彫刻をやっていました、みたいな人もいて、純粋に建築デザインだけを大学で学んできましたという人の方が珍しい。

「またどっかの図書館を任されるかもらしい」
「凄すぎる…ていうか静さん何で知ってるんですか?」
「私、向こうの会社の一人と知り合いなのよ」
「こっちの会社から選ばれたっていう初期メンですか?」
「そう、用事を理由に向こうに顔出した時にちょっと」
「さすがすぎます」

社長の話など莉子の耳には到底届いてこない。もちろんファンでもあるのでチェックはしているのだが、メディアへの情報公開と同じタイミングで知ることも多いくらい、莉子にとって社長は雲の上の人だ。
 
午後の社長襲来に向けて背筋の緊張は何となく解けないまま、一日静と過ごしたが、結局社長は静と会議室に篭っている時にフラッと来てすぐ帰ったらしい。

社長が座っていた席の近くを通るだけで、まだピリッとした緊張感が残っている気がして、なんとなく、遭遇しなくてほっとしたような残念な気持ちで午後を終えた。


何となく緊張していたのもあって、何だか気疲れした莉子は、退社をしようかまだ残って数件だけ仕事をこなしてしまおうか迷っていたが、スマホが震え、パソコンから一旦目も離れる。

【知ってる?これ】

そのメッセージと共に送られてきたのは、百貨店で開催される英国展のお知らせが記されたスクリーンショットだった。楽しみにしてると言っていたのを覚えていてくれていたらしい。そういえば最近忙しくて全然そういうの調べていなかったなぁと思い、サイトを調べてアクセスする。

【知らなかった、教えてくれてありがと】
【行けそうなん?】
【うん、気になってたスコーンのお店が出店してるし絶対行く】
【一人で?】
【うん、加瀬も一緒に行く?】
【俺がスコーン沼にもハマったらどうすんの】
【ようこそ】
【まだ歓迎すんな。とりあえず行く】
【行くんだ。沼に自ら入りに来てるよ】
【この写真が美味そうすぎて悪い】

どうやらたまたま見かけた広告で思い出して送って来たようだが、そもそも自分も行きたくなったようだ。スポーツマンみたいな男がスイーツ好きなの、本当に似合わないんだよなぁ。

莉子は加瀬と行く日の約束を取り付け、パソコンも閉じた。もう今日は終わりにしよう。英国展に行くなら、帰りに紅茶屋さんに寄って新しい茶葉でも買ってみようかな。そう思いながら、一人でオフィスを出た。足取りは心なしか少し軽かった。