ひとつの秩序

 
 
「今年入る新人の女の子、片倉の下に就かせるから」
「おっ初の部下じゃん〜!」

来年度、四月からの組織図が編成され降りて来た時、そう上から言われた。同期の久我の言葉に、そうか初めての部下ができるのか、と思ってじんわりした気持ちがあった。

毎年新卒をとるわけでもなく、取ったところで二、三人。社長が決めているので採用基準は分からないが、どんな子が入ってくるのだろう。いい関係を築けるといいなと思っていた。

「南莉子と言います。よろしくお願いします!」

そう元気に言った彼女は俺の目をまっすぐ見ていて、明るい子が入って来たなぁと思った。緊張している様子の彼女に自己紹介をした。
初めての後輩なんだ、よろしくね。親睦のために久我含む数人でランチに誘い、食事の際にそう言った。

「そうなんですね、よろしくお願いします片倉先輩!」
「うーん眩しすぎる」

隣の席の久我が目を細めて、おどけながら言うのを尻目に、片倉先輩、と屈託のない笑顔を向けられた俺は思わず一瞬固まってしまう。よく笑う子だ。こういう子はきっと何でも吸収していく。きっと俺の言うこともまっすぐに信じて、従ってくれるんだろうな。

きちんと育てなければ。
なんとなく自分の立場にも、彼女にも、責任感が湧いてくる。

彼女は所謂、デザイン系でも建築系でもない大学を出ているようだった。
大学生の時に姉に連れられていった美術館の、その展示にも興味を持ったが、それが飾られているそのものの空間が素敵だと思ったらしい。

「なんていうか、展示室から太陽の光が差し込まれているのも作品の一部みたいな感じがして…!」

そう語る彼女に、素直にセンスがいいな、と思った。
そういう、デザインとは言えない部分の余白を感覚で感じ取っているのはきっと強みになる。

大学までは地元だったという彼女は、まだ垢抜けていない感じがして、都会にも慣れていないようだった。乗り換えの駅の人混みに圧倒されていたのも、芸能人を見たと報告された時も、職場近くのただのカフェのランチにも、素直に感情を出して喜んでいた姿は微笑ましかった。


彼女が初めて提出したデザインに赤を入れた日、修正の数こそ多くないがとても細かかった。新人には厳しいだろうか、躊躇する気持ちはあったものの、だからと言って情けの気持ちを今からかけていてはいけないと思い、返却した。

彼女は黙って聞いて、「分かりました」とだけ言った。
次の日の朝一番に提出されていたデータは、指示したところは勿論、全体が細かく整えられていて、言われたこと以上のことを自分で考えてやれるタイプなんだなと思った。

一年目には、少し難しいであろう指摘の仕方をしたこともあった。
伝わらないかなと思いつつ、抽象的な印象だけ話した。
自分でその意味を噛み砕いて、想像を膨らますことも大事だと思ってのことだったが、彼女はすぐに意味を聞いてくることはせず、自分なりに考えて、俺の思ったより数倍深く思考し、仕上げて来たこともあった。


片倉先輩、片倉先輩、そんなふうに誰かに呼ばれてまっすぐに慕われ、頼られ、当然悪い気はしなかったが、それよりも成長っぷりを見守るのが楽しかった。

自分のように一旦言語化をして掴んでから作業をするタイプではない。
なんとなく。多分彼女は何となく手を動かし、作業しているうちに自分の中で理解を深めていく。感覚で核を掴み取っていく姿は純粋にすごいなと思ったし、自分とは違う進め方に興味もあった。

明るく、ハキハキ、お礼や挨拶もしっかりしていて、一緒に働いていて心地よかった。

彼女も次第に自分に心を許してくれているようで、それも伝わって来ていた。ただ、自分が男の上司というのもあって必要以上に圧を与えないように気をつけていたし、変な誤解をされてはいけないと思っていた。

そうして、実力をつけていく彼女に、任せてもいいかなという仕事は増え、自分の担当範囲もそれに伴って変わっていった。チェックの数も減っていき、修正をほとんどしないことも増えた。

環境は人の意識も変える。
次第に服装も大人っぽくなっていき、ストレートだった髪の毛にはパーマがかかるようになった。顔つきもメイクも、大人っぽくなっていった。久我に憧れていることは丸わかりで、自分と同じように懐いている様子は側から見ても可愛らしい。


言った以上のことを吸収して、自分なりに答えを出して考えて。

水をあげればあげるだけ吸収して咲いていく花みたいだ。

俺が、ここまで育ててきた。

だから、俺がそれを壊すことは許されない。
俺は、これからも、上から水をやっていればいい。

ネオンと、夜と、金曜日の雰囲気に流されてはいけないし、寒そうだなと思った頬に、触れたいなどと思ってはいけない。
 
 

改札から離れて、バス停への道のりを歩く。
俺は、今、なんであんなことをした?

大型ビジョンの光を受けてキラキラと光る瞳が、綺麗だなと思って、

人混みに流されそうになる、自分より低い位置にある手を引き上げてあげたくなって、

やめてくれ、
俺は、自分が勝手に動く瞬間が一番怖い。
ポケットにしまったイヤホンをケースから出し、耳に嵌めた。

そのまま、君は、何も気づかず今まで通り成長していってほしい。

君を汚したくない、君だけには、俺のドロドロした部分を見せたくはない。


 
君は俺の、良心。