二人で電車に乗って数駅ほど移動をした。
莉子の乗り換えで使う駅は飲食店も決めきれないほどある。
片倉も同棲前まではこの駅を乗り換え駅として使用していただけあって、それなりに店も知っているとのことだった。
片倉が電車の中で素早く店と空き状況を調べて予約をしてくれたおかげで、待つことなくすぐに店には入れた。
「こちらの奥の席にどうぞー」
「…はい」
店員に案内されて通された席は、二人用の個室のような席だった。
自分の後ろの壁のハンガーにコートをかけ、テーブルを挟んで向かい合わせに座る。和食バルのような場所なだけあって、お酒の種類も豊富だったが片倉と一緒なので壁側にお酒のメニューは立てかけておく。
「おでんの種類たくさんあるみたいだよ」
「えっすごい、ロールキャベツのおでんとかある!」
莉子の希望をしっかり聞いてくれたらしい片倉が、莉子にメニューを見せる。おでんだけのメニューが存在している時点で、それなりにこだわりがある店なのだとわかる。
「俺、生麩と茄子とトマトが気になる」
「私もすごい迷います…!」
そんなことを話しながらメニューを選び、料理が来るのを待っていた。
「さっきのやつさ」
「はい」
「南の作るビジュアル、俺はかなり好きなんだよね」
「…ありがとうございます」
「綺麗に見せようとしてるんだけど、ちゃんと生活の匂いみたいなものが残ってる」
「匂い、ですか」
ドリンクが到着し、片倉も莉子も烏龍茶で軽くグラスを合わせた。
そういえばとても喉も乾いていた。思わずごくごくと飲む莉子に、片倉はお疲れ、と優しく言った。
「完璧じゃないっていうか、ちゃんと人が使ってる空気を感じる」
「そう、ですか」
「意識してないでしょ?」
「…はい」
「そこがいいんだよね、だから溶け込む。違和感がない」
「ありがとうございます」
褒められていることが純粋に嬉しい。
自分の作ったものに対して片倉は細かくいつもフィードバックを入れてくれるが、感覚の部分を褒められていることは初めてで、莉子の顔も綻ぶ。
「南、俺が言語化する前に自分でなんとなく掴んでてすごいよ」
「そんなこと…先輩の言語化もすごいです!さっきの、救われる、って表現とか」
「南の作ったイメージから思いついた言葉だからね」
「え、」
「あれが良かったから、俺も捉え方を柔軟にできたっていうか…」
「なんかすごく嬉しいです」
「来週、頑張ろうね」
「はいっ」
その後に、いやクライアントに説明するのは俺だから頑張るのは俺だね、と苦笑いしながら言った。莉子もその指摘に確かに、と思って笑った。いつもと同じ空気、同じ先輩、良かった。莉子は心から安堵し、安心して食事を楽しんだ。
「先輩、バスですか?」
「うーん、ここからなら電車のほうが早いけど…乗り換えあるしバスで帰るよ」
そう言いながら店を出て駅まで歩く。
莉子は断ったが、片倉は店での飲食代を奢ってくれた。
「昨日はわざわざ駅まで一緒に来ていただいてありがとうございました」
「全然大丈夫。バス停あそこのすぐ先だったし」
「そうなんですね…バス通勤なの知らなくて、なんか寂しかったです」
「え?」
「前は結構一緒に駅まで帰ってたなーって思い出して」
前のお家だとここで乗り換えてましたもんね。と莉子は言った。
今日片倉に肩を優しく叩かれたことを思い出した。
新人の時から、今日も、優しく支えてくれていた。帰り道に励ましてもらったことも何度もある。相談に乗ってもらったことのあるお店はあっちの方面だったかな?などと思いを巡らせながら、片倉と歩く。
金曜の夜、二十一時半。
何本も電車が乗り入れている駅だけあって、道は人の姿も多い。
呼び込みと音楽と、立ち止まらない人の流れで埋まっていて、居酒屋の前では笑い声がはじけて、スマホを掲げた観光客が写真を撮っていた。
路地裏から大通りに出ると、人の波がかなりあった。
進行方向を背伸びしながら見ると、どうやらこの先のクラブでイベントをやっていたらしい。進行方向とは逆に流れていく人の波に、片倉は前に立って歩きながら莉子に言った。
「気をつけて」
「はい、先輩盾になってくださいー」
「ふ、いやだよ」
前を歩いている片倉の表情は見えない。けれど笑っていることは分かった。
ざわざわとした雰囲気と大きくなってくる人の声、夜に輝くネオンたちが増えて、駅までが近いことを表していた。大きな交差点が近づき、どこかしらから常に聞こえる信号の音と、大型ビジョンの光。
「こないだ、勘違いしちゃってごめんなさい」
「え?」
聞こえなかったのか片倉は、莉子の方を振り向いた。
会話は人混みに紛れて、途切れ途切れだ。
「なんか変だなって言っちゃって。余計なこと言っちゃいました」
「…いや」
「昨日も予定、間に合いましたか?」
「…南はいいな」
「え?」
「無邪気で」
莉子からはネオンの逆光。
片倉の、センターに分けた目にかかる長さの前髪が邪魔して、表情はよく見えない。
前を向いた片倉の背中は、莉子よりも二十センチ近く高い。黒のロングコートの裾が、片倉の歩きを受けて、はためく。
ぴよぴよ、と進むように可愛らしい音を立てる交差点を、すり抜けるようにして歩いた。
「こっちの路線だったよね」
「は、い」
「…気をつけてね」
「あ、の、さっきの…私、ズケズケ聞いちゃってて」
無邪気、という言葉がマイナスな意味を指していたのだったら申し訳ない。
今は仕事の時間ではない。だからと言ってプライベートなことをなんでも聞いていいというわけではない、ただ、楽しくて、つい、思ったことが口を出てしまっていた。
「違うよ。悪い意味じゃなくて」
そう言った片倉の言葉に安心した。改札近く、券売機の壁のそばで片倉は莉子の方を見ていた。蛍光灯で照らされていても、片倉の表情はいつもと変わらないように見えた。
「最近の南が、可愛くて仕方がないってことだよ」
「え…」
片倉の手がこちらにゆっくりと伸びた。
莉子のワイドバングの前髪をゆっくり沿って動いて、そのまま、こめかみの髪をひとすくいして、耳にかけた。
「あ、の…」
そのまま莉子の耳に指を滑らせ、耳たぶをゆっくり一回、優しく撫でるようにして、そうして離れていった。
「気をつけて帰るんだよ」
「…え、はい…」
おやすみ、と残して先程入ってきた入口を戻っていく片倉を、莉子は目で追っていた。外の冷たい空気に触れられて冷えた指先が、ジンジンとする。
寒いのに、マフラーにこもる自分の息は暖かい。
改札機の電子音が規則的に鳴っていて、常にホームが多い駅の発車案内が途切れることなくアナウンスされていた。
「な、」
やっと声を発した時には、もう片倉の姿は見えなかった。
莉子はそのままゆっくりと改札に向かい、スマホをかざした。
軽い振動と共に、ピッ、と軽やかな音が鳴る。
「何…?」
雑踏の中に消えた声は、莉子の耳だけに残った。
撫でられた耳だけが、冷たい風の中でもずっと熱いままだった。
