恋愛百景

第1話「邂逅のはじまり」

春の柔らかな風が校舎の廊下を通り抜けていく。窓際の席に座る星矢は、ぼんやりとグラウンドを眺めていた。新しいクラス、新しい日常。どこか落ち着かないはずなのに、不思議と心は静かだった。

「そこ、いい?」

ふいに声をかけられ、星矢は顔を上げる。そこに立っていたのは、見覚えのない女子生徒だった。長い髪が春風に揺れ、どこか柔らかい雰囲気をまとっている。

「…ああ、いいよ」

少しだけ間を置いて答えると、彼女は小さく微笑んで隣の席に座った。

「ありがとう。私、昭恵っていうの」

「星矢。よろしく」

それだけのやり取りだった。それなのに、不思議と会話は途切れなかった。好きな科目や、苦手な授業、どうでもいいような話を少しずつ重ねていく。その時間が、思っていた以上に心地よかった。

授業中、ふと視線が合うことが増えていく。休み時間も、気づけば自然と隣にいるようになっていた。

放課後、昇降口で靴を履き替えていると、昭恵が声をかけてきた。

「星矢、帰る方向ってどっち?」

「駅の方だけど」

「あ、同じだ。じゃあ、一緒に帰らない?」

その言葉に、星矢は一瞬だけ驚いたが、すぐに頷いた。

夕焼けに染まる道を並んで歩く。特別な話をしているわけじゃない。それでも、隣に昭恵がいるだけで、いつもより少しだけ景色が鮮やかに見えた。

「なんかさ、不思議だね」

昭恵がぽつりと呟く。

「何が?」

「今日初めてちゃんと話したのに、こんな普通に一緒に帰ってるの」

星矢は少しだけ笑った。

「確かに。でも、嫌じゃないだろ?」

「うん、全然」

そう言って笑う昭恵の横顔を見たとき、胸の奥がわずかに熱くなるのを感じた。

それから二人は、毎日のように一緒に過ごすようになった。教室でも、帰り道でも、気づけば隣にいるのが当たり前になっていく。

そしてある日の帰り道。少しだけ空気が違っていた。

「昭恵」

星矢が立ち止まる。昭恵も足を止め、振り返る。

「…俺と、付き合ってほしい」

まっすぐに向けられた言葉に、昭恵は目を見開いた。けれど次の瞬間、ふっと柔らかく笑う。

「うん、いいよ」

その返事を聞いた瞬間、胸の奥にあった不安が一気にほどけていく。

夕焼けの中、二人の距離はほんの少しだけ近づいた。

あの日の二人はまだ知らない。この穏やかな時間が、やがてすれ違いによって終わりを迎えることを。

それでも確かに――あの春の日。
星矢と昭恵は、互いの世界に静かに入り込んだのだった。