「…あのさ。」
夕食のあと。
洗い物を終え、一息ついたタイミングで私はクロスケに声をかけた。
クロスケはソファの上で、不思議だと言うように珍しそうにテレビを見ながら膝を抱えるように座っている。
尻尾はパーカーの中に収まっているはいるが、もぞもぞ動いているのがわかる。
「なに。」
「今さらなんだけど。」
「うん。」
テレビから視線を外し、ちらりとこちらを見る金色の瞳。昨日拾って、今日人間になって。
もう一緒にごはんを食べている。
冷静に考えるとよくわからない関係性だ。
「…自己紹介、してなかったなって。」
「…じこしょうかい?」
「名前とか、そういうの。」
「名前なら知ってる。」
「それはそうなんだけど!」
思わずツッコミを入れる。
確かにクロスケは私がつけた名前をちゃんと覚えている。
でも、それだけじゃない。
「私はちゃんと名乗ってないでしょ?」
「…あ」
少しだけ黙ったあと、クロスケは納得したように頷いた。
「知らない。」
「でしょ?」
なんだか少しだけ照れくさい。
同居してるのに名前も知らないって、どういう状況なんだろう。
でも、こういう“普通のこと”をちゃんとやりたいと思った。
私は姿勢を正座に正して、軽く咳払いをする。
「えっと…改めて。」
クロスケの目をまっすぐ見て。
「春日井有紗です。」
少しだけ、丁寧に。
まるで初対面みたいに名乗ると、クロスケはじっとこちらを見つめた。
「…ありさ」
ぽつりと、名前をなぞるように呼ばれる。
それだけで、胸の奥がほんの少しだけくすぐったくなった。
「うん、有紗。」
「ありさ。」
「2回言ったね?」
「なんか、言いやすい。」
「そう?」
「うん。」
こくりと頷くクロスケ。
その仕草が妙に素直で思わず笑ってしまう。
「クロスケは?」
「え、クロスケ。」
「いやそれは知ってるよ。」
私が本当の名前を聞けば気まずそうに答えた。
「それしか、ない。」
「え」
少しだけ首を傾げる。
「元々の名前とかないの?」
「…わかんない。」
「わかんない…?」
「気づいたら、あそこにいたから。」
「あそこって…ゴミ置き場?」
「たぶん。」
あまりにもあっさりした答えに、言葉を失う。
過去の記憶がないのか、それとも気にしていないのか。
どちらにしても、少しだけ胸が痛んだ。
「…そっか。」
「ありさは?」
「え?」
「どこから来たの」
「いや普通に日本で生まれて育ってきたけど!?」
「ふーん。」
「聞いたくせに…さては興味ないなぁ?」
くすっと笑うと、クロスケは少しだけ頬を赤くした。
「…別に。」
「別にじゃないでしょ。」
そのままソファの隣に座る。
距離は、昨日より少しだけ自然に近くなっていた。
「有紗って呼んでいいよ。」
「もう呼んでる。」
「それもそうだね。」
「じゃあ、ありさも。」
「ん?」
「クロスケって呼んで。」
「私ももう呼んでる。」
「ちゃんと。」
「ちゃんととは…?」
意味がわからなくて笑ってしまう。
でもクロスケは、少しだけ真面目な顔をしていた。
「…呼ばれると、わかるから。」
「何が?」
「ここに、いていいって…。」
胸のあたりを、指でとんと叩く。
その仕草に言葉が詰まる。
――ああ、この子は。
まだ、不安なんだ。ここにいていいのか。
捨てられないか。
そんなことを、どこかでずっと考えている。
「…クロスケ。」
ゆっくりと名前を呼ぶ。
クロスケは、ぴくりと耳を動かした。
「ここにいていいんだよ。」
「……」
「だって、家族なんでしょ?」
昨日、自分で言った言葉。
勢いだったけど、嘘にはしたくなかった。
クロスケはしばらく黙っていたけど、やがて小さく頷いた。
「…うん。」
そして、少しだけ近づいてくる。
気づけば、肩が触れる距離。
「ちょ、近いってば。」
「ありさがいいって言った。」
「言ったけど距離の話じゃないの!」
慌てる私をよそに、クロスケは満足そうに目を細める。…ほんと、猫みたい。
いや、だから猫なんだけど。
「ありさ」
「なに?」
「呼んだだけ。」
「それやめてちょっとドキッとするから!」
「なんで?」
「なんでも!」
顔が熱くなるのを誤魔化すように立ち上がる。
なんだこれ、昨日までただの一人暮らしだったのに。知らない男の子と同居して、名前呼ばれてドキドキしてるとか、意味がわからない。
「…ありさ。」
「また!?」
「呼びたい。」
「そんな軽率に呼ばないで!」
「なんで。」
「なんでって…!」
言い返せなくて、ぐっと言葉を飲み込む。
クロスケはそんな私を見て少しだけ笑った。
ほんのわずかに口元が緩んだ。
その表情、初めて見たかもしれない。
「…ありさ。」
「…なに?」
「ここ、好き」
「…っ」
不意打ちだった。
部屋のことなのか、私のことなのか。
たぶん、いや確実に前者なのに、なぜか変に意識してしまう。
「…そ、そっか。」
それだけ返すのが精一杯だった。
クロスケは満足そうに、また少しだけ近づいてくる。
結局初めと距離は全然変わってない。
むしろ――
昨日より、確実に近くなっている気がした。
夕食のあと。
洗い物を終え、一息ついたタイミングで私はクロスケに声をかけた。
クロスケはソファの上で、不思議だと言うように珍しそうにテレビを見ながら膝を抱えるように座っている。
尻尾はパーカーの中に収まっているはいるが、もぞもぞ動いているのがわかる。
「なに。」
「今さらなんだけど。」
「うん。」
テレビから視線を外し、ちらりとこちらを見る金色の瞳。昨日拾って、今日人間になって。
もう一緒にごはんを食べている。
冷静に考えるとよくわからない関係性だ。
「…自己紹介、してなかったなって。」
「…じこしょうかい?」
「名前とか、そういうの。」
「名前なら知ってる。」
「それはそうなんだけど!」
思わずツッコミを入れる。
確かにクロスケは私がつけた名前をちゃんと覚えている。
でも、それだけじゃない。
「私はちゃんと名乗ってないでしょ?」
「…あ」
少しだけ黙ったあと、クロスケは納得したように頷いた。
「知らない。」
「でしょ?」
なんだか少しだけ照れくさい。
同居してるのに名前も知らないって、どういう状況なんだろう。
でも、こういう“普通のこと”をちゃんとやりたいと思った。
私は姿勢を正座に正して、軽く咳払いをする。
「えっと…改めて。」
クロスケの目をまっすぐ見て。
「春日井有紗です。」
少しだけ、丁寧に。
まるで初対面みたいに名乗ると、クロスケはじっとこちらを見つめた。
「…ありさ」
ぽつりと、名前をなぞるように呼ばれる。
それだけで、胸の奥がほんの少しだけくすぐったくなった。
「うん、有紗。」
「ありさ。」
「2回言ったね?」
「なんか、言いやすい。」
「そう?」
「うん。」
こくりと頷くクロスケ。
その仕草が妙に素直で思わず笑ってしまう。
「クロスケは?」
「え、クロスケ。」
「いやそれは知ってるよ。」
私が本当の名前を聞けば気まずそうに答えた。
「それしか、ない。」
「え」
少しだけ首を傾げる。
「元々の名前とかないの?」
「…わかんない。」
「わかんない…?」
「気づいたら、あそこにいたから。」
「あそこって…ゴミ置き場?」
「たぶん。」
あまりにもあっさりした答えに、言葉を失う。
過去の記憶がないのか、それとも気にしていないのか。
どちらにしても、少しだけ胸が痛んだ。
「…そっか。」
「ありさは?」
「え?」
「どこから来たの」
「いや普通に日本で生まれて育ってきたけど!?」
「ふーん。」
「聞いたくせに…さては興味ないなぁ?」
くすっと笑うと、クロスケは少しだけ頬を赤くした。
「…別に。」
「別にじゃないでしょ。」
そのままソファの隣に座る。
距離は、昨日より少しだけ自然に近くなっていた。
「有紗って呼んでいいよ。」
「もう呼んでる。」
「それもそうだね。」
「じゃあ、ありさも。」
「ん?」
「クロスケって呼んで。」
「私ももう呼んでる。」
「ちゃんと。」
「ちゃんととは…?」
意味がわからなくて笑ってしまう。
でもクロスケは、少しだけ真面目な顔をしていた。
「…呼ばれると、わかるから。」
「何が?」
「ここに、いていいって…。」
胸のあたりを、指でとんと叩く。
その仕草に言葉が詰まる。
――ああ、この子は。
まだ、不安なんだ。ここにいていいのか。
捨てられないか。
そんなことを、どこかでずっと考えている。
「…クロスケ。」
ゆっくりと名前を呼ぶ。
クロスケは、ぴくりと耳を動かした。
「ここにいていいんだよ。」
「……」
「だって、家族なんでしょ?」
昨日、自分で言った言葉。
勢いだったけど、嘘にはしたくなかった。
クロスケはしばらく黙っていたけど、やがて小さく頷いた。
「…うん。」
そして、少しだけ近づいてくる。
気づけば、肩が触れる距離。
「ちょ、近いってば。」
「ありさがいいって言った。」
「言ったけど距離の話じゃないの!」
慌てる私をよそに、クロスケは満足そうに目を細める。…ほんと、猫みたい。
いや、だから猫なんだけど。
「ありさ」
「なに?」
「呼んだだけ。」
「それやめてちょっとドキッとするから!」
「なんで?」
「なんでも!」
顔が熱くなるのを誤魔化すように立ち上がる。
なんだこれ、昨日までただの一人暮らしだったのに。知らない男の子と同居して、名前呼ばれてドキドキしてるとか、意味がわからない。
「…ありさ。」
「また!?」
「呼びたい。」
「そんな軽率に呼ばないで!」
「なんで。」
「なんでって…!」
言い返せなくて、ぐっと言葉を飲み込む。
クロスケはそんな私を見て少しだけ笑った。
ほんのわずかに口元が緩んだ。
その表情、初めて見たかもしれない。
「…ありさ。」
「…なに?」
「ここ、好き」
「…っ」
不意打ちだった。
部屋のことなのか、私のことなのか。
たぶん、いや確実に前者なのに、なぜか変に意識してしまう。
「…そ、そっか。」
それだけ返すのが精一杯だった。
クロスケは満足そうに、また少しだけ近づいてくる。
結局初めと距離は全然変わってない。
むしろ――
昨日より、確実に近くなっている気がした。
