クロスケと呼ぶには

昨晩の猫戻り事件の翌日、私はスマホをカメラモードにしながらずっと構え続けていた。
もちろん理由はただひとつ。

「今日こそ撮る。」
「なにを…?」
「クロスケの“猫の写真”に決まってる。」

びしっと宣言するが、クロスケは何も気にしていないように気怠げにソファの上で首を傾げた。

「…また?」
「またじゃない!これは私の社会的信用にかかってるんだから!」
「しゃかいてき…?」
「会社で“猫飼ってる人”として認識されてるって言ったでしょ?」
「ありさ、猫飼ってるよ。」
「間違ってないけど間違ってるの!」

本来であれば彼の言う通りなのだが…。
バカな誤魔化しをしたせいで、今の私は猫耳としっぽの生えた異様な人間と住んでることになってしまっている。
職場の人は私に恋人などいないことは把握済みだ。だから絶対に猫の写真を撮らねばならない。
しかし、悩んでいるばかりではない。
今日はちゃんと作戦がある。

「覚えてる?昨日分かったこと。」
「うん…。」
「クロスケは“猫に戻ることがある”。でもタイミングがわからない。」
「…うん。」
「だから――」

先程と同じようにさっとスマホを構える。

「“猫に戻った瞬間を狙って撮る”」
「なるほど…?」
「そのために今日は張り込みです!」
「はりこみ?」

クロスケは聞いたことない単語に首を傾げる。

「そう、いつ戻ってもいいようにずっと見てるってことです。」
「……やだ。」
「なんで!」
「落ち着かないし…。」
「こっちも落ち着かないです!」

でもやるしかない。
自分で撒いた種ではあるが、私の職場での信用度を下げるわけにはいかない!



数分後───

「……。」
「……。」
 
沈黙が流れる。スマホを構えてる有紗と構えられてるクロスケは、テーブル越しにじっと見つめ合う。
どれくらい経っただろうか。

「…ありさ。」
「なに。」
「まだ…?」
「まだ!」
「…暇なんだけど。」
「我慢!」

クロスケに何を言われようと私はスマホを構えたまま、ひたすら待つ。

20分後───

「……ならない。」
「ならないね…。」

当然である。狙って戻れるわけじゃない。
それは分かっていたことだ。

「なんか条件あるのかな〜?」
「条件…?」
「お腹すいたとき…は違ったのか。じゃあ眠いときとか!」

おそらく同じような状況になるだろうが、限界を迎えそうな私は何かと思いついたことを口にする他なかった。

「……今、眠い。」
「ほんと!?」
「うそ。」
「やめて!?」

完全に遊ばれている。
悩んでる私を面白いものでも見るように楽しんでるに違いない。
少し考えてからある提案をしてみた。

「じゃあ、お風呂行く?」
「やだ。」
「即答じゃん…。」
「また変になる。」

前回のことがトラウマになりつつあるようだ。

「じゃあ、抱っこする?」
「……!」

私がそう言った途端、クロスケの耳が少しだけぴくっと動いた。

「…いい。」
「あ、いいんだ。」

私は少しだけ笑いながら、そっと近づく。
両腕を広げてみる。
年下にこんなことして、私大丈夫かな。
そんなことを思いながら「おいで」と一言言えば、クロスケは軽く返事をし素直に近づいてくる。 そして私は軽く抱きしめた。

「……ありさ。」
「なに?居心地悪かった?」
「近い。」
「おいでとは言ったけどそっちから来たんでしょ!?」

でも、クロスケを抱きしめていると思うことがあった。なんとなく、昨日と似ている。
猫だったときの感覚と。

(…もしかして!)

その瞬間だった。
突如腕の中の重さが大きく変わった。
ふわっと軽くなり見下ろすと、昨晩の光景が広がっていた。

「にゃあ」
「きたぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

黒猫クロスケ、出現。
しかし───

「ちょっと待って逃げないで!」

私は慌ててスマホを構える。
だが、クロスケは簡単に腕の中からするりと抜け出してしまった。

「待ってクロスケ!じっとして!」
「にゃ!」

逃げる、めちゃくちゃ逃げる。

「なんで今に限って元気なの!?」

ソファの上、テーブルの下、カーテンの裏。
あちこち逃げ回るクロスケと追いかけ回す私の姿は完全に鬼ごっこのようだ。

「お願い一枚だけ!一枚だけでいいから!」

訴えながら必死に追いかけていると、クロスケが奇跡的にぴたりと止まった。

「今…!」

パシャッ───

リビングにシャッター音が響いた。

「撮れた…?」

恐る恐る画面を見るとそこに映っていたのは、ちょっとぶれてるが、確かに黒い猫の姿があった。

「撮れた…!」

その瞬間、「ありさ」と聞こえ顔を上げたら、いつの間にかクロスケはまた人間に戻っていた。

「…成功した?」
「たぶん成功、かな…!」

思わずガッツポーズをしてしまう。

「やった〜!これで会社乗り切れる…!」

たった1枚の写真に踊らされる私はどうかしていると思う。
けれど、それだけこの瞬間を待っていたのだ。
私が喜びに浸っているとクロスケが何か言いたげだった。

「ありさ、さっきの抱っこ…またやってよ。」

思わず笑ってしまう。
以前も似たような発言があったが、ではなぜ逃げたんだ…?

「まあ、いいけど。」
「ほんと?」
「その代わり、次はちゃんとじっとしててね?」
「…がんばる。」

ドタバタだったけど、少しだけ。
ほんとに少しだけ。
この“めちゃくちゃな日常”が、楽しいと思ってしまっていた。