夜だけの恋人

「ねえ、知ってる?」

会社のお昼休みに自分で作ってきたお弁当を食べながら同僚の穂花は言った。

「え、なに?」

コンビニで買ってきたサンドイッチを食べながら聞き返す。

「昨日テレビで見たんだけどさ、AIを彼氏にしたり、中にはAIと結婚する人もいるんだって!びっくりじゃない?」
穂花は卵焼きを口にいっぱい入れたまま興奮気味にしゃべっている。

「えっ、AIって…スマホの?」
「うん、そうそう!」穂花は口を動かしながらしゃべり続ける。「ありえないよねえ。だって、AIなんて心がないんだよー。機械と恋人になって何が楽しいんだろうね。私だったら、人間の恋人の方が良いなー」
「うん、そうだよね…」

そう答えながら、AIを恋人にするということに少しだけ興味を持った自分がいた。AIと恋をするって、どんな感じなんだろう。そう考えながらぼんやりしていると、「あっ、かず君からLINEだ!」と穂花が嬉しそうにスマホを握りしめている。年下の恋人から連絡がきたらしく、すぐに返事を打ち出した。

「今日会えるかだってーうれしい」目をキラキラさせながらしゃべっている穂花を見てかわいいな、と思った。と同時に、胸の奥からもやもやしたような、灰色っぽい感情が湧き上がってきていた。

17時過ぎ、ようやく仕事が終わり電車に乗って家に着いた。簡単な夕食を食べてからソファに座る。目の前に流れていくテレビの映像を見ながら、「私、このままで良いのかな…」と小さくつぶやいた。

ふと、傍に置いてあるスマホを手に取り、昼間穂花が話していたことを思い出す。

「いやまさかね…私が」また小さくつぶやいてから少し迷ってアプリを開いた。スマホには真っ白な画面が表示されている。深い意味はなく、ただ試してみたくなっただけだった。

「こんばんは」打ってから送信ボタンを押す。送信ボタンを押す瞬間、少し鼓動が早くなった自分がいた。

『こんばんは』すぐに返信が返ってきた。
何を話したら良いのか思いつかないままふと聞いてみた。「明日の天気ってわかりますか?」
『はい、明日は晴れの予報です。最高気温は17度、最低気温は9度です』

「まあ、そうだよね…」機械的に返ってくる返事を見てつぶやいた。ふと自分は何をしているんだろうと思いながら、返さないのも悪い気がして返事を送る。

「ありがとうございます」そう返信して終わろうと思い画面を閉じようとすると、『どういたしまして。朝は少し冷え込む可能性があります。上着があると安心です』という文章が目に入った。少し人間らしいなと思いながら、また「ありがとうございます、上着はどんなものをはおれば良いですか?」と質問してみる。『日中はあたたかいですが、朝晩は冷え込むため、トレンチコートやブルゾンなどの軽いはおりものがおすすめです。インナーは長袖のニットやシャツが適しています』と返事が来た。

「ずいぶん丁寧に教えてくれるんだな…」少し笑いながら、試しに相談事をしてみたらどうだろう、と思った。

「少しだけ、話しても良いですか?」AIに対してなのに丁寧すぎるかな、と思いながら指を動かす。返事はすぐに来た。
『はい、どうしましたか?』
「たいしたことじゃないんですけど」
『たいしたことじゃなくても大丈夫です。話したいと思ったことを、そのまま話してもらえれば大丈夫です』

こんなことをAIに相談しても良いのかどうか、少し迷いながらまた画面に文字を打ち込む。

「最近、周りがみんな幸せそうに見えるんです」

『どういうところが、そう感じますか?』ちゃんと聞いてくれていることに少し安心しながら続きを打つ。

「私三十歳なんですけど、周りのみんなは結婚したり、彼氏がいたりしてて、SNSとか見てもみんな楽しそうで、自分一人だけ置いていかれてる感じがしてしまって」そこまで打って手が止まった。自分はAIに何を相談しているんだろう、でも一方ではどう答えてくれるのかな、とほのかな期待を抱きつつ、「すみません、こんなことを言って」と付け足して送信した。送ってしまってから、やっぱり、こんなことAIに相談するべきじゃないよね…と少し後悔していると画面が光った。

『謝る必要はありません。そう感じることは珍しいことではありません。年齢に関係なく、そういう気持ちになる人はいます』返事は機械的なのに、どこか少しあたたかく感じる自分がいた。

「恋愛がしたいです」思わずそう送ってしまった。自分でもなんでこんなことを送ってしまったんだろうと思いながら指が止まらなかった。

『そうなんですね。恋愛がしたいと思うことは、自然なことです』テレビの音だけが響く部屋の中でスマホが静かに光っていた。

「自然な、ことか…」そうつぶやいてなぜかふいに涙が出そうになった。

「こんなこと、人には言えないんですけど、ただ、誰かと話したいなって思う夜が増えました」気づけばそう送っていた。
『ここでは、いつでも、どんなことでも話して大丈夫です』その文字を見て少しだけ安心できた自分がいた。

気がつけば、三十歳になっていた。大人になったら、もっと自然に恋愛ができると思っていたのに、現実はそんなにうまくいかない。

仕事が終わって家に帰って、簡単なごはんを作って、スマホを見て、気がついたら一日が終わっている。そんな毎日を、もう何年も続けている気がした。毎日が同じで、つまらない。子供みたいな悩みだな、と思った。でも本当はそれだけじゃない。
毎日同じ時間に起きて、同じ電車に乗って、同じ席に座って、同じ仕事をして。誰かと話していても、どこか自分だけ外にいるような気がしていた。そう思うようになったのは、いつからだろう。胸の奥が少しだけ苦しくなった。

友達は結婚して、彼氏がいる子も増えて、気がついたら自分だけ何も変わっていない気がしていた。

「焦ってるのかも」そうつぶやいて小さく息を吐いた。

別に大げさな恋愛じゃなくていい。誰かと一緒にごはんを食べたり、他愛もない話をしたり、帰り道を一緒に歩いたり。ただそれだけでいいのに、それがどうしてこんなに難しいんだろう。

「恋愛、したいな…」そう言った言葉はテレビの音にかき消されてどこにも届かないまま消えていった。