国を追われましたが、文官令嬢としてセカンドライフを送ります!

「その本って……!」
「おっと」

 ぐいっと顔を近づけて詰め寄るロゼッタに、エドガーはたじろいで一歩後ろに下がった。

「ひょっとして、このシリーズ好きなの?」
「好きも何も、小さい頃はこればっかり夢中で読んでました。うわぁ、懐かしい……!」

 ロゼッタは感慨深げに溜め息を漏らす。
『時の剣と星降る世界』。
 物語の舞台は、遥かなる太古の時代。
 突如として天から降り注いだ流星の欠片は、人々に異能の力を授けた。強大な力は争いを呼び起こし、国同士の戦いは世界を暗闇に包み込んでいく。
 そんな絶望的な状況の中、記憶を失った少年クロノは、偶然にも時間を操る剣を引き抜いてしまう。
 戦乱を止めるため。流星の謎を解き明かすため。そして自分が何者なのか知るために、少年の旅は幕を開ける。
 壮大なスケールで描かれている物語。
 幾度となく訪れる仲間との出会いと別れ。
 完結から三十年経った今でも、冒険譚の金字塔として多くの読者に愛される名作である。

(おじい様が亡くなった後、お父様にすべて売り飛ばされてしまったのだけど……)

 忙しさに追われる日々の中で、すっかり忘れてしまっていた大切な思い出。それが今、鮮やかに蘇り、ロゼッタの胸は楽しげに躍っていた。

「ほら、こっちに続きがあるよ」

 エドガーに案内された棚には、年季の入った背表紙がずらりと並んでいた。金箔と銀箔を散らしたタイトルの文字が、太陽の光を吸い込んで星のようにきらめいている。
 ロゼッタは興奮に震える指先で、タイトルをそっとなぞった。エドガーも思わず口元を綻ばせ、どこか嬉しそうに目を細める。

「僕もこの物語の大ファンで、何度も読み返してるんだ。読むたびに新しい発見があって、全然飽きないんだよね」
「それすっごくわかります。読み返すと『あ、これがあの伏線だったんだ!』って気づくことがありますよね。キャラの印象もガラッと変わったりして」

 作品への情熱を抑えきれず、ロゼッタは真剣な面持ちでエドガーの言葉に力強く頷く。すると、館内に正午を告げる鐘の音が鳴り響いた。

「もうこんな時間か。……そうだ、隣のカフェで食事でもどうかな? 本の話の続きをしながら」
「はい、是非!」

 すっかり意気投合したエドガーとともに、ロゼッタは図書館に隣接するカフェにやって来た。
 カフェ・ド・リス。
 ルミナリア王妃が経営する有名なチェーン店である。昼時とあって多くの客で賑わっている。手頃な値段設定のおかげか、店内には銅貨を握りしめた子供たちの姿も目立つ。

「八巻のラストでクロノが迷わず時の剣を振り下ろしたからこそ、月界王も人類の味方をする気になったんだと思うんです!」
「その通り。彼ひとりなら平穏な暮らしに戻る選択肢もあったはずだ。けれど、彼は仲間の未来を優先した。その素朴な善性が、月界王の目には何よりも美しく映ったんだろうね」

 食事が運ばれてきても、ふたりは互いの解釈を熱く語り合っていた。
 祖父以外と同じ熱量で本の話題を共有できる。そんな初めての経験が、ロゼッタには楽しくて仕方なかった。

(……ん?)

 ふと視線を感じて、ロゼッタは周囲を見回した。周りの客たちが驚いたような表情でこちらを見つめている。

「すみません。私、つい大きな声を出してしまったみたいで」

 本のことになると周りが見えなくなるのは、昔からの悪い癖だ。注目を受けていると気づいて小さくなるロゼッタに、エドガーは声を立てて笑った。

「そんなことないよ。むしろ、こんなに楽しい時間は久しぶりだ。ユーグには本の話題を振っても、いつも逃げられてばかりだから」

 少し不満そうに唇を尖らせる。けれど、遠慮のない物言いからは、彼らが気心の知れた間柄であることが伝わってきた。



 食事を終えて図書館に戻ると、ふたりは示し合わせたように『時の剣』シリーズを手に取った。ひたすらページをめくっていき、星屑をちりばめたような輝きと躍動感に満ちた物語に没頭する。
 気がつけば、閉館を告げる時刻が間近に迫っていた。

「今日は本当に楽しかったよ。僕に付き合ってくれてありがとう、ロゼッタ」
「いえ、私の方こそ素敵な時間をありがとうございました」
「だったら、明日もまた図書館に来てくれるかい? 君と話したいことがたくさんあるんだ」

 エドガーがロゼッタの顔を覗き込むようにして尋ねる。

「はい、もちろんです!」

 迷うまでもない。ロゼッタは明るい笑顔で返事をした。

(試験の結果が気になるけど……)

 悩んで時間を無駄にするよりも、今はエドガーとの楽しい時間を満喫したい。
 それから三日間、ふたりは『時の剣』シリーズだけではなく、あらゆる本を片っ端から読み漁った。

「このシリーズは、王位継承を争う七人の王太子たちが、証となる秘宝を探して旅をする物語でね。面白いところは七人それぞれの視点で進む群像劇ってことで、誰を主人公として読むかは読者に委ねられているんだ。ああ、これは一年ほど前に始まったばかりの最新作で……」

 どうやらエドガーは、特に冒険譚に目がないらしい。各国の物語に対する造詣の深さはロゼッタも顔負けで、一度語り始めると延々と話が続いた。

(そりゃユーグさんも逃げるわけだわ)

 親近感を抱きつつ、エドガーの話に耳を傾ける。その最中も、他の利用者から好奇の視線を向けられ、ロゼッタは多少居心地の悪さを感じていた。
 エドガーの声は決して大きくないし、談笑する利用者たちは他にもいる。

(ということは、私が注目されてる?)

 もしや、自分の素性が知れ渡っているのでは。
 最悪なシナリオが頭をよぎって、冷や汗が流れる。それと同時に、近くの女性たちが何やらひそひそと話をしているのか聞こえた。

「ねえ、あそこにいるのって……」
「やっぱり、そうだよね……」

 意味深な会話に、ひゅっと喉が鳴る。

(絶対私のことだ!)

 続きを聞きたいような、聞きたくないような。ロゼッタは彼女たちの声に全神経を集中させていた。

「はい、館内ではお静かにね」

 ロゼッタと顔馴染みの司書が、彼女たちに声をかける。やんわりと私語を注意され、ふたりは気まずそうに席を立った。

「あなたもですからね。楽しいのは結構ですけど、じっくり話したいなら、カフェでどうぞ」
「……失敬、以後気をつけるよ」

 我に返ったようで、エドガーが目を逸らしてこほんと咳払いをする。親に叱られた子供のような表情に、ロゼッタは小さく吹き出した。

「彼ね、この図書館で有名なんだよね。ほら、イケメンでしょ」

 司書がロゼッタに向かってウインクをする。
 ロゼッタは笑顔で相槌を打ちながら、内心では「私でなくてよかった……!」と安堵の息を漏らした。