国を追われましたが、文官令嬢としてセカンドライフを送ります!

 王都を出発して四日後。ロゼッタが辿り着いたのはブランド―ル辺境伯領だった。
 この領は国境に接する要害でありながら、諸国の文化が混じり合う華やかな地域でもある。その活気溢れる賑わいは、王都や公爵領にも決して引けを取らない。
 ちょうどこの日は、市街地で盛大なパレードが開かれていた。楽団が奏でる陽気な旋律に合わせ、鮮やかな装束を纏った踊り子たちが通りを練り歩く。

(あれってワイホール共和国の弦楽器じゃない! 本物を見るのは初めて……!)

 他にも見慣れない楽器がいくつもあって、ロゼッタは食い入るように窓の外を眺める。
 けれど、この地に来たのはパレードを見物するためではない。ロゼッタを乗せた馬車は市街地を通り抜け、人気のない郊外へと向かう。
 しばらく進んでいくと、前方に重厚な構えの屋敷が見えてきた。この領地を治めるブランドール辺境伯の邸宅である。
 正門で馬車を降りたロゼッタは、大きく深呼吸してから玄関の呼び鈴を鳴らした。程なくしてメイドが現れる。

「ようこそお出でくださいました。恐れ入りますが、お名前とご用件を伺ってもよろしいでしょうか?」
「ロゼッタ・レイファールと申します。ブランド―ル伯にお取次ぎをお願いできますか?」

 落ち着いた声で告げると、メイドは大きく目を見張った。王太子の元婚約者が単身で辺境までやって来たのだ。驚くのも無理はない。

「かしこまりました。こちらへどうぞ」

 そう促され、応接室へと案内された。四日間の馬車旅で悲鳴を上げていたお尻を、柔らかなソファが優しく受け止めてくれる。

(本当にお尻の肉が取れるかと思ったわ……)

 誰にも見られていないのをいいことに、ソファに深く体を預けて手足を伸ばそうとした時だった。

「ロゼッタ!」

 一息つく暇もなく、白い髭をたくわえた老人が勢いよく扉を開けて入ってくる。ロゼッタは妙な体勢からなんとか立ち上がることに成功した。

「ご無沙汰しております、ジョセフおじ様。お元気そうで何よりですわ」
「うむ。そなたこそ息災で……とは言えんようだな」

 老人は表情を曇らせ、ロゼッタの向かい側にどっしりと腰を下ろした。
 ジョセフ・ブランド―ル。この領地の現当主である彼は、祖父オーヴァンの無二の親友だった。かつては月に何度もレイファール邸を訪れるほど親交を深めており、ロゼッタにとっては親戚も同然の親しい存在である。

『何か困ったことがあったらジョセフを頼れ。あやつなら、必ずお前の力になってくれるはずじゃ』

 生前、祖父が繰り返し口にしていたその言葉を、ロゼッタは忘れることなく胸に刻んでいた。

「ふたりの婚約を新聞で見た時は、危うく気絶するところだったわい。父親の葬儀の最中に婚約解消を突きつけ、すぐさまその妹と婚約。おまけに記事はそなたのことなど無視だ。戻る場所のないそなたがどこで何をしているのかと気が気ではなかった」
「おじ様……」
「無事な顔を見て安心はしたが、納得がいったわけではないぞ。どうだ、そなたが望むなら今すぐ騎士団を引き連れて王都に殴り込んでやろうか?」

 流石は辺境伯、怒りの火力が高い。

「いえ、お気持ちだけで十分です」

 自分のせいで内戦が勃発してしまう。ロゼッタは即座にブランド―ル伯の申し出を断った。

「それに私としては、レオナール殿下には無関心でいてくださる方が好都合なのです。その方が、自由に動けますから」
「ほお……その口振りだと、王都からただ逃げてきたわけではなさそうだな」

 ブランド―ル伯が白髭を撫でながら、ロゼッタの顔を覗き込む。

「はい、隣国のルミナリア王国へ行こうと思っています」
「ルミナリア王国?」
「あちらの国立図書館で働きたいのです。以前、王宮の文官が『あそこは常に人手不足で求人が絶えない』と話しているのを耳にいたしました。世界最大の蔵書数を誇る知の宝物庫で働けるのは、本好きにとって夢のまた夢。古書の香りに包まれて仕事ができるなんて、考えただけで最高に贅沢な……」
「もうよい、わかった。わかったから」

 手に胸を当てて熱弁するロゼッタを、ブランド―ル伯は圧倒されたように片手を挙げて制した。

「オーヴァンにそっくりだな。あいつも一度本のことを語り出すと止まらなんだ。まさかこんなところまで似るとは……」
「血は争えないということでしょうね」

 ロゼッタがさらりと受け流し、くすくすと笑い声を漏らすと、ブランド―ル伯もつられたように目を細めて口角を上げた。

「しかし隣国で暮らすとなれば、それなりに物入りだろう。金はあるのか? 私が工面してもよいのだが」
「おじい様からいただいた軍資金がありますので、ご心配には及びません。ですが、ひとつ問題がありまして」

 ここからが本題である。ロゼッタは真剣な眼差しでブランド―ル伯を見据えた。

「ルミナリア王国では、私の素性をなんとしてでも隠しておきたいのです」

 あの王太子の元婚約者であったことは、忌まわしい黒歴史でしかない。新天地では、まっさらなロゼッタとして人生をやり直したかった。

「なるほど。そういうことなら、少し待っていなさい」

 ブランド―ル伯が立ち上がり、応接室から出ていく。数分後、再び戻ってきた彼の手には小さな木箱が握られていた。

「これを持って行くといい」

 箱を開けると、中には銀色のネックレスが収められていた。中心には花の形にカットされたピンクトルマリンが、鮮やかな輝きを放っている。

「こちらは……ブランド―ル家の紋章ですか?」
「いかにも。ひとりで異国に赴くとなれば、様々な危険がついて回る。だが、貴族の身分というものは、時には強固な盾となる。そなたは今日から、ブランド―ル家の縁者と名乗りなさい」

 ネックレスを受け取ると、手のひらにひんやりとした温度が伝わる。ロゼッタはそっと握り締めて深々と頭を下げた。

「ありがとうございます、おじ様。このご恩は一生忘れません」
「オーヴァンには散々世話になったのだ。この程度の助力はさせてくれ。……さて、ルミナリア王国には我が家の馬車で送り届けよう。国境の検問は何かと口うるさいからな」
「はい!」

 オーヴァンが築いた縁が、今の自分を支えてくれている。祖父への感謝を胸に、ロゼッタは馬車に乗り込んだ。一般の馬車とは比べものにならないほど座席はふかふかで、その心地よさに浸っていると未来への足取りがふわりと軽くなった気がした。

(大丈夫! 道はおのずと開けるはず!)

 まだ見ぬ日々に期待を募らせているうちに、馬車は難なく国境を越えていく。
 そして数日間の快適すぎる旅路を経て、ルミナリア王国の王都に到着したのだった。