それから数日後、国を挙げての葬儀が王城の大広間で厳かに執り行われた。
式場を埋め尽くすのは、漆黒の喪服に身を包んだ貴族たちだ。吹き抜けの天井からは黒い布が垂らされ、祭壇の中央に金細工の装飾が施された棺が安置されている。
(レオナール殿下の即位に合わせて、結婚も前倒しになるでしょうね。後で周りの国に書状を出しておかないと)
会場が啜り泣く声に包まれる中、ロゼッタは今後について考えを巡らせる。威勢よく「国を導く」と宣言したレオナールだが、今のところ具体的な行動は何ひとつ起こしておらず、新たな王となる自分に酔いしれてばかりだ。
(現にさっきのスピーチの原稿だって、私に丸投げだったもの)
当の本人は凛とした表情でそれを読み上げただけ。
先が思いやられると内心で頭を抱えるロゼッタの下へ、憔悴しきった様子の王妃がやって来る。
「ロゼッタ……レオナールは私たちに心配をかけさせまいと気丈に振る舞っているだけなの。息子を支えてあげてちょうだい。あなたが傍にいてくれたら、あの子はきっと立派な王になれるわ」
王妃はロゼッタの手を取り、縋るような眼差しを向けた。黒いヴェールの奥で、息子と同じ青い瞳が涙で濡れている。
彼女に対して深い親愛を抱いているわけではない。それでも、今にも崩れ落ちそうな姿を見ていると、胸の奥がちくりと痛んだ。
「ええ、もちろんですわ。私のできることは、すべてさせていただきま──」
ロゼッタが慎ましく頭を下げようとした瞬間、重苦しい空気を引き裂くように大広間の扉が勢いよく開け放たれた。
「レオナール様っ!」
場違いなほど高い声が、式場に響き渡る。
小走りで駆け込んできたストロベリーブロンドの美少女は、脇目も振らずレオナールの下へと突き進む。そしてエメラルドグリーンの瞳を潤ませながら、彼の胸へと飛び込んでいった。
レオナールもまた、細くて華奢な体をしっかりと抱きとめる。
「遅くなってごめんなさい、レオナール様。馬車の手配に手間取ってしまって」
「構わないよ。来てくれてありがとう」
レオナールが緩くウェーブのかかった髪を優しく撫でると、少女は子猫のようにうっとりと目を細めた。
いったい、何を見せられているのか。
突然睦み始めたふたりに、一同はただ唖然としていた。
凍りつく式場の中で、誰よりも困惑していたのはロゼッタだった。
(ちょっと待って。あれ、シャロンよね?)
それもそのはず。
衆目の前で王太子に甘えているのは、他ならぬ実妹なのだから。
「レ、レオナール?」
王妃の涙は一瞬で蒸発していた。目を丸くして息子たちを凝視する彼女を横目に、ロゼッタはすかさずふたりのもとへ駆け寄った。
「レオナール殿下、これはどういうことでしょう。本日の葬儀に参列を許されているのは王族とその伴侶の父母のみ。他は国王と親しい親族だけのはず。いかなる理由で私の妹がこの場に来ているのですか?」
「ロゼッタ……見ればわかるだろう」
語気を強めて尋ねると、氷のように冷徹な視線が返ってきた。
「悪いが、今日限りで君との婚約は解消させてもらう。葬儀が終わった後に、正式に発表するつもりだ」
「……はい?」
「聞こえなかったのかい? 私はシャロンという輝く星を見つけたんだ。王命で決められた婚姻関係に、これ以上縛られるつもりはない」
レオナールは悪びれる様子もなく、シャロンの肩を抱き寄せて得意げに言い放った。
(冗談ってわけではなさそうね)
もはや葬儀どころではなく、式場は大きなどよめきに包まれていた。
誰もが耳を疑う中、レオナールの腕に収まっていたシャロンが愛らしい笑みを浮かべて口を開く。
「ごめんなさいね、お姉様。以前からレオナール様と約束していたの。陛下が亡くなられたらお姉様との縁を切って、わたくしと結婚してくださるって」
「シャロン、あなた……」
「たとえ王命に阻まれて結婚できなくても、心だけは永遠にわたくしのものだって誓ってくださったのよ。だから、お願い。わたくしたちの邪魔をしないで。それに愛のない結婚なんて、お姉様にとっても不幸なだけですもの。レオナール様は必ずわたくしが幸せにして差し上げますわ。どうぞお姉様はご自由にお好きなところへ行かれて結構ですのよ?」
自分勝手な言い分を並べ立て、シャロンは可憐に首を傾げた。
(陛下の棺の前で、よくもしゃあしゃあと)
これほどの暴挙を平然と働ける人間も、そうそういない。もはや呆れを通り越し、ロゼッタは感心すらしていた。
「安心したまえ。君の両親も、既にこの件は承諾している」
レオナールがわざとらしく穏やかな声で、追い打ちをかける。
「彼らもロゼッタより、シャロンこそが妃に相応しいと頷いてくれたよ。もちろん、君への慰謝料も不要とのことだ。これほど理解のある義両親を持てて、私は本当に幸せ者だよ。これで君も、余計な心配をせずに身を引けるだろう?」
「…………」
ロゼッタは無言で参列者席へと視線を向けた。
両親であるレイファール伯爵夫妻と目が合ったが、ふたりは気まずげな素振りも見せず、澄ました顔でこの状況を傍観していた。
周囲で険しい顔をしている貴族たちが、何人もいることに気づいていないのだろうか。
(呑気に眺めていないで、ふたりの暴走を止めなさいよ)
ロゼッタは真顔のまま、胸のうちで指摘した。
「な、なんてこと……」
背後から地を這うような低い声が聞こえる。ロゼッタが振り返ると、憤怒の形相を浮かべた王妃が息子たちを睨みつけている。
「正気に戻りなさい、レオナール! そんなはしたない小娘との婚姻など、断じて認めません!」
王妃の怒号に、ざわついていた大広間が水を打ったように静まり返る。面と向かって罵倒されたシャロンは悲しげに目を伏せた。
「はしたないなんて……酷いですわ、王妃様! わたくしたちはただ愛し合っているだけですのに……っ!」
悲痛な声を漏らしながら、両手で顔を覆う。妹の演技力の高さだけは健在のようだと、ロゼッタはどこか冷めた目つきでその光景を眺めていた。
「母上、今のは聞き捨てなりません。私の愛する人を愚弄するのはやめていただけますか?」
泣きじゃくるシャロンをいっそう強く抱き締め、レオナールは毅然とした表情で王妃を見据えた。
「ふざけないでちょうだい! 王妃の座には、それ相応の知性と品格が求められるのです! ロゼッタ以外との結婚は……」
「先日も申し上げたように、これからは私が国王です! 誰の指図も受けないし、私の恋路に口出しすることも許さない! たとえ母上であってもだ!」
レオナールは王妃の言葉を遮るように威勢よく啖呵を切った。顔を上げたシャロンがほんのりと頬を染めている。
「ああっ……」
夫の死に加えて、息子の乱心。衝撃の連続に耐え切れず王妃が体をふらつかせると、宰相と数人の文官が慌てて駆け寄った。
「しっかりなさってください、王妃陛下!」
王妃に気遣わしげな声をかけつつも、意図的にロゼッタから視線を逸らしている。
(さては以前からふたりの関係を知ってたわね?)
けれど、彼らを追及したところで事態が好転するとは思えない。それよりも今は、一刻も早くこの場を収めるのが先決だ。いつまでも王家と我が家の恥を晒し続けるわけにはいかない。
「レオナール殿下、ひとつよろしいですか?」
ロゼッタは一歩進み出て、静かな声で尋ねた。
「ああ、わかっている。君には申し訳ないが、二、三日中に荷物を纏めて、この城を出ていってほしい」
どうやら、ロゼッタがいつまでに立ち去ればよいのか身の振り方を尋ねてくるものと、勝手に勘違いしたらしい。レオナールはさも申し訳なさそうに、眉を下げて告げた。
「いえ、今日中に出ていきますのでご心配なく。そんなことより、今読みかけの本があるのですが、あちらはいただいてもよろしいでしょうか?」
「は?」
レオナールが拍子抜けした声を出す。
「こんな時でも君は本のことしか考えていないのか。まったく呆れたものだ。シャロンと違って、君には温かみの欠片もない。こんな女性を王妃にするなど、この国に大きな汚点を残すところだったよ」
一冊くらい譲り受けても罰は当たらないだろうと思ったが、この男と話すのは時間の無駄だ。ロゼッタはさっさと話を切り上げることにした。
「お気に障ったのでしたら、どうぞお忘れください。失礼いたしました」
そう言って、まずは王妃に視線を移す。
「王妃様、お体にお気をつけください。宰相様、これからお忙しくなるかと思いますが、どうぞこの国のためにご尽力くださいませ。……そして殿下、シャロン。どうか末永くお幸せに」
一通りの挨拶を済ませると、ロゼッタは神妙な面持ちで、完璧なカーテシーを披露した。指先まで洗練された動きに、参列者たちの視線が釘づけとなる。
「それでは皆様、ごきげんよう」
最後に周囲をゆったりと見渡すと、ロゼッタは静寂に満ちた大広間を後にした。
(自由得たり……)
扉を閉めながら、深く息を吐き出す。
(ありがとうシャロン。あなたに初めて感謝したかもしれないわ!)
緩みそうになる口元を必死に引き締め、ロゼッタは足早に自室へと向かう。その脳裏にはこれまでの日々が浮かんでいた。
式場を埋め尽くすのは、漆黒の喪服に身を包んだ貴族たちだ。吹き抜けの天井からは黒い布が垂らされ、祭壇の中央に金細工の装飾が施された棺が安置されている。
(レオナール殿下の即位に合わせて、結婚も前倒しになるでしょうね。後で周りの国に書状を出しておかないと)
会場が啜り泣く声に包まれる中、ロゼッタは今後について考えを巡らせる。威勢よく「国を導く」と宣言したレオナールだが、今のところ具体的な行動は何ひとつ起こしておらず、新たな王となる自分に酔いしれてばかりだ。
(現にさっきのスピーチの原稿だって、私に丸投げだったもの)
当の本人は凛とした表情でそれを読み上げただけ。
先が思いやられると内心で頭を抱えるロゼッタの下へ、憔悴しきった様子の王妃がやって来る。
「ロゼッタ……レオナールは私たちに心配をかけさせまいと気丈に振る舞っているだけなの。息子を支えてあげてちょうだい。あなたが傍にいてくれたら、あの子はきっと立派な王になれるわ」
王妃はロゼッタの手を取り、縋るような眼差しを向けた。黒いヴェールの奥で、息子と同じ青い瞳が涙で濡れている。
彼女に対して深い親愛を抱いているわけではない。それでも、今にも崩れ落ちそうな姿を見ていると、胸の奥がちくりと痛んだ。
「ええ、もちろんですわ。私のできることは、すべてさせていただきま──」
ロゼッタが慎ましく頭を下げようとした瞬間、重苦しい空気を引き裂くように大広間の扉が勢いよく開け放たれた。
「レオナール様っ!」
場違いなほど高い声が、式場に響き渡る。
小走りで駆け込んできたストロベリーブロンドの美少女は、脇目も振らずレオナールの下へと突き進む。そしてエメラルドグリーンの瞳を潤ませながら、彼の胸へと飛び込んでいった。
レオナールもまた、細くて華奢な体をしっかりと抱きとめる。
「遅くなってごめんなさい、レオナール様。馬車の手配に手間取ってしまって」
「構わないよ。来てくれてありがとう」
レオナールが緩くウェーブのかかった髪を優しく撫でると、少女は子猫のようにうっとりと目を細めた。
いったい、何を見せられているのか。
突然睦み始めたふたりに、一同はただ唖然としていた。
凍りつく式場の中で、誰よりも困惑していたのはロゼッタだった。
(ちょっと待って。あれ、シャロンよね?)
それもそのはず。
衆目の前で王太子に甘えているのは、他ならぬ実妹なのだから。
「レ、レオナール?」
王妃の涙は一瞬で蒸発していた。目を丸くして息子たちを凝視する彼女を横目に、ロゼッタはすかさずふたりのもとへ駆け寄った。
「レオナール殿下、これはどういうことでしょう。本日の葬儀に参列を許されているのは王族とその伴侶の父母のみ。他は国王と親しい親族だけのはず。いかなる理由で私の妹がこの場に来ているのですか?」
「ロゼッタ……見ればわかるだろう」
語気を強めて尋ねると、氷のように冷徹な視線が返ってきた。
「悪いが、今日限りで君との婚約は解消させてもらう。葬儀が終わった後に、正式に発表するつもりだ」
「……はい?」
「聞こえなかったのかい? 私はシャロンという輝く星を見つけたんだ。王命で決められた婚姻関係に、これ以上縛られるつもりはない」
レオナールは悪びれる様子もなく、シャロンの肩を抱き寄せて得意げに言い放った。
(冗談ってわけではなさそうね)
もはや葬儀どころではなく、式場は大きなどよめきに包まれていた。
誰もが耳を疑う中、レオナールの腕に収まっていたシャロンが愛らしい笑みを浮かべて口を開く。
「ごめんなさいね、お姉様。以前からレオナール様と約束していたの。陛下が亡くなられたらお姉様との縁を切って、わたくしと結婚してくださるって」
「シャロン、あなた……」
「たとえ王命に阻まれて結婚できなくても、心だけは永遠にわたくしのものだって誓ってくださったのよ。だから、お願い。わたくしたちの邪魔をしないで。それに愛のない結婚なんて、お姉様にとっても不幸なだけですもの。レオナール様は必ずわたくしが幸せにして差し上げますわ。どうぞお姉様はご自由にお好きなところへ行かれて結構ですのよ?」
自分勝手な言い分を並べ立て、シャロンは可憐に首を傾げた。
(陛下の棺の前で、よくもしゃあしゃあと)
これほどの暴挙を平然と働ける人間も、そうそういない。もはや呆れを通り越し、ロゼッタは感心すらしていた。
「安心したまえ。君の両親も、既にこの件は承諾している」
レオナールがわざとらしく穏やかな声で、追い打ちをかける。
「彼らもロゼッタより、シャロンこそが妃に相応しいと頷いてくれたよ。もちろん、君への慰謝料も不要とのことだ。これほど理解のある義両親を持てて、私は本当に幸せ者だよ。これで君も、余計な心配をせずに身を引けるだろう?」
「…………」
ロゼッタは無言で参列者席へと視線を向けた。
両親であるレイファール伯爵夫妻と目が合ったが、ふたりは気まずげな素振りも見せず、澄ました顔でこの状況を傍観していた。
周囲で険しい顔をしている貴族たちが、何人もいることに気づいていないのだろうか。
(呑気に眺めていないで、ふたりの暴走を止めなさいよ)
ロゼッタは真顔のまま、胸のうちで指摘した。
「な、なんてこと……」
背後から地を這うような低い声が聞こえる。ロゼッタが振り返ると、憤怒の形相を浮かべた王妃が息子たちを睨みつけている。
「正気に戻りなさい、レオナール! そんなはしたない小娘との婚姻など、断じて認めません!」
王妃の怒号に、ざわついていた大広間が水を打ったように静まり返る。面と向かって罵倒されたシャロンは悲しげに目を伏せた。
「はしたないなんて……酷いですわ、王妃様! わたくしたちはただ愛し合っているだけですのに……っ!」
悲痛な声を漏らしながら、両手で顔を覆う。妹の演技力の高さだけは健在のようだと、ロゼッタはどこか冷めた目つきでその光景を眺めていた。
「母上、今のは聞き捨てなりません。私の愛する人を愚弄するのはやめていただけますか?」
泣きじゃくるシャロンをいっそう強く抱き締め、レオナールは毅然とした表情で王妃を見据えた。
「ふざけないでちょうだい! 王妃の座には、それ相応の知性と品格が求められるのです! ロゼッタ以外との結婚は……」
「先日も申し上げたように、これからは私が国王です! 誰の指図も受けないし、私の恋路に口出しすることも許さない! たとえ母上であってもだ!」
レオナールは王妃の言葉を遮るように威勢よく啖呵を切った。顔を上げたシャロンがほんのりと頬を染めている。
「ああっ……」
夫の死に加えて、息子の乱心。衝撃の連続に耐え切れず王妃が体をふらつかせると、宰相と数人の文官が慌てて駆け寄った。
「しっかりなさってください、王妃陛下!」
王妃に気遣わしげな声をかけつつも、意図的にロゼッタから視線を逸らしている。
(さては以前からふたりの関係を知ってたわね?)
けれど、彼らを追及したところで事態が好転するとは思えない。それよりも今は、一刻も早くこの場を収めるのが先決だ。いつまでも王家と我が家の恥を晒し続けるわけにはいかない。
「レオナール殿下、ひとつよろしいですか?」
ロゼッタは一歩進み出て、静かな声で尋ねた。
「ああ、わかっている。君には申し訳ないが、二、三日中に荷物を纏めて、この城を出ていってほしい」
どうやら、ロゼッタがいつまでに立ち去ればよいのか身の振り方を尋ねてくるものと、勝手に勘違いしたらしい。レオナールはさも申し訳なさそうに、眉を下げて告げた。
「いえ、今日中に出ていきますのでご心配なく。そんなことより、今読みかけの本があるのですが、あちらはいただいてもよろしいでしょうか?」
「は?」
レオナールが拍子抜けした声を出す。
「こんな時でも君は本のことしか考えていないのか。まったく呆れたものだ。シャロンと違って、君には温かみの欠片もない。こんな女性を王妃にするなど、この国に大きな汚点を残すところだったよ」
一冊くらい譲り受けても罰は当たらないだろうと思ったが、この男と話すのは時間の無駄だ。ロゼッタはさっさと話を切り上げることにした。
「お気に障ったのでしたら、どうぞお忘れください。失礼いたしました」
そう言って、まずは王妃に視線を移す。
「王妃様、お体にお気をつけください。宰相様、これからお忙しくなるかと思いますが、どうぞこの国のためにご尽力くださいませ。……そして殿下、シャロン。どうか末永くお幸せに」
一通りの挨拶を済ませると、ロゼッタは神妙な面持ちで、完璧なカーテシーを披露した。指先まで洗練された動きに、参列者たちの視線が釘づけとなる。
「それでは皆様、ごきげんよう」
最後に周囲をゆったりと見渡すと、ロゼッタは静寂に満ちた大広間を後にした。
(自由得たり……)
扉を閉めながら、深く息を吐き出す。
(ありがとうシャロン。あなたに初めて感謝したかもしれないわ!)
緩みそうになる口元を必死に引き締め、ロゼッタは足早に自室へと向かう。その脳裏にはこれまでの日々が浮かんでいた。
