国を追われましたが、文官令嬢としてセカンドライフを送ります!

 わだかまりもすっかり解消されたロゼッタは、翌朝、晴れやかな気分で目を覚ました。清々しい朝日を浴びながら、うーんと背伸びをしてベッドから降りる。

(さあ、今日から本格的に頑張らないと!)

 身支度を済ませ、鏡の前で寝癖を丁寧に梳かしていると、軽快なノック音が聞こえた。

「ロゼッタさん、もう起きてますかー?」
「あ、ミラベルさん!」

 ロゼッタはぱたぱたと駆け寄って扉を開けた。

「おはようございます。これから食堂へ行くのですが、ご一緒にいかがですか?」
「はい、喜んで!」

 同世代の女性とこんなに気さくに話せるのは、これが初めてだった。レオナールの婚約者になってからというもの、厳しい妃教育に追われる毎日で、友人を作るどころか茶会や舞踏会に顔を出す暇さえなかったのだ。
 ロゼッタは弾んだ足取りで、ミラベルとともに食堂へ向かった。
 他の文官たちに混じって朝食を終え、食後のお茶で一息つく。ロゼッタが驚いたのは、この国では紅茶やコーヒーだけでなく、緑茶と呼ばれるものも広く親しまれていることだった。
 摘みたての茶葉を発酵させず、すぐに熱を加えて仕上げるその茶は、透き通った翡翠色と、雑味のない透明感のある味わいが特徴だ。数年前に王妃が他国から持ち込んだのをきっかけに大きな流行を呼び、今では緑茶専門の店もあるという。

(若葉のような香りがして、ほんのり甘い……)

 心地よい風味に癒やされていると、向かいでブラックコーヒーを啜っていたミラベルが口を開いた。

「こちらを飲み終わったら、今日はまず古書のチェックからいたしましょう」
「チェックですか?」
「はい。どこに何があるか把握しておきませんと。一応サンジェスト様から蔵書リストをいただいていますが、こういうものは直接目で確認するのが一番確実ですから」

 ふたりは食堂を出ると足早に図書室に向かい、奥の隠し部屋へ入った。以前より鍵はエドガーが管理しているが、ロゼッタが自由に出入りできるようにと、日中のみ開けっ放しにすることにしたのだ。
 それに伴い、図書室の入口には見張りの兵士が配置されている。

「さあ、早く済ませてしまいましょう」

 ミラベルが埃っぽさに軽く顔をしかめながら、ランタンを掲げる。その傍らで、ロゼッタは持参したメモ帳に、書架に並ぶ本の数を手早く記していく。

「こうして見ると、ジャンルがかなりバラバラに並んでいますね。この裁縫の本の隣が健康法についての本だったりして、殆ど整理されてないみたいです」
「地震のせいで、ここが発見された時はめちゃくちゃだったらしくて。それで、文官の皆さんが適当に押し込んだそうです」
「道理で……あれ?」

 ある一冊が視界に入った瞬間、ロゼッタのペンが止まった。

「ロゼッタさん、どうかしましたか?」
「あ、いえ、なんでもないです」

 ロゼッタは再び作業に戻る。けれど、どうしても先ほどの本のことが頭から離れない。

(今は仕事に集中。まずは昨日の続きを終わらせないと)

 冊数のチェックを終え、気合を入れ直して本格的に古書の翻訳に取りかかる。それから五日後、ロゼッタは報告のためにエドガーの執務室を訪れた。

「エドガーさん、一冊目が終わりました。内容をこちらに纏めましたので、ご確認ください」
「そ、それ、全部なのかい?」
「すみません。要点だけを絞ろうとしたんですけど、どうしてもこれくらいの量になってしまって……」

 十冊ものノートを抱えて、ロゼッタは申し訳なさそうに眉を下げた。

「怒ってなんかいないよ。ただ、あまりの仕事の速さに驚いただけなんだ。ほら、重いだろうからここに置いて」
「ありがとうございます。それでは失礼して……」

 エドガーが机の書類を端に寄せてスペースを作ると、ロゼッタはそこにノートの束を余裕のある所作で下ろす。かつて大量の書物を抱えて図書室と自室を往復していたロゼッタにとって、この程度の重さは楽勝である。

「そういえば、これは確か料理本のレシピだったかな?」
「はい。『芋百花』というタイトルです」

 そう答えて、一番上にあるノートをエドガーの眼前で開く。

「あらゆる種類の芋を使った料理を載せたもので、飢饉によって小麦が取れず芋が主食になっていた時代に、出版されたようです」

 食べるものさえあれば、飢えを凌ぐことはできる。それでも、同じものしか口にできないという事実は、人に拭いがたいストレスを与えるものだ。
 けれど調理法が増えれば、食事をする楽しみも生まれる。当時の人々にとって芋百花は、胃袋を満たすだけでなく、精神的にも大きな支えになっていたに違いない。

「ちなみに後書きには、芋の栽培方法まで事細かに書かれていました」
「とにかく芋に全力を注いだ一冊というわけか……」

 エドガーが黙々とノートをめくるにつれ、その表情は次第に明るくなっていく。

「善は急げだ、早速作ってみよう!」
「えっ? これからですか?」
「三十分経ったら食堂に来てくれ。それまでに準備を済ませておくよ」

 ノートを数冊手に取り、エドガーが颯爽と執務室を出て行ってしまう。ひとり残されたロゼッタは暫し立ち尽くしていたが、ひとまず三十分後に食堂へ向かう。

(エドガーさんってお料理できるのかな?)

 優雅にフライパンを操るエドガーを想像しながら足を踏み入れると、ひとりの男がロゼッタを待ち構えるように立っていた。

「ユーグさん?」
「ビストロ・ユーグにようこそ」

 白い調理衣に身を包んだユーグが、丁寧にお辞儀をする。その隣には、期待に顔を綻ばせているエドガーの姿があった。

「他の料理人たちの邪魔をするわけにはいかないからね。ここはユーグの腕を借りることにしたんだ」
「光栄です」

 ユーグは小さく頷いてコック帽を被った。端整な顔立ちも相まって、ベテラン料理人のような風格を漂わせている。

「レシピは先ほど、エドガー様にお見せいただいたノートで確認いたしました。まずはその中から、三品ばかりお作りしようと思います」
「よ、よろしくお願いします」

 ロゼッタはとりあえずユーグを見守ることにした。

「失敬。隅の方を少しお借りします」
「どうぞ、ユーグ様」

 料理人に断って厨房に入ると、ユーグは白芋と卵、小麦粉を台の上に並べた。
 まずは白芋をすりおろし、軽く水気を切る。そこへ小麦粉と溶き卵を加え、ヘラでさっくりと混ぜ合わせていく。 熱したフライパンにバターを溶かし、生地を流し入れると、数分後には食欲をそそる芳ばしい匂いが立ち込め始めた。

「いい具合ですね」

 ユーグは事も無げにフライパンを振り、生地をくるりと引っくり返した。両面が綺麗な狐色に焼き上がると、仕上げに作り置きのアップルソースをかけ、ミントの葉を添える。

「完成しました。白芋のパンケーキです」

 ロゼッタの前にことりと皿が置かれる。すると、料理人たちも作業を止めて一斉に集まってきた。

「お口に合えば幸いです。まずはロゼッタ様からどうぞ」
「いいんですか?」
「君が解読してくれたレシピだ。遠慮しなくていいよ」
「それじゃあ、お言葉に甘えまして……」

 ロゼッタはエドガーに促されて、わくわくしながらフォークとナイフを手に取った。一口サイズに切り分け、ぱくんと頬張る。
 舌の上に広がる林檎の香り。その後にやって来たのは、今までに経験したことのない独特の食感だった。

「もっちもちで、すごく美味しいです……!」

 噛み締めるたびに白芋の素朴な味わいがバターのコクを引き立て、林檎の濃厚な甘みと見事に調和していく。その美味しさに、ロゼッタの頬は自然と緩んだ。

「うん、これは大したものだな」

 口に含んだ瞬間、エドガーの顔が和らぎ、満足げに頷いた。後に続いた料理人たちからも、「白芋がここまで化けるとは」と感嘆の声が漏れる。
 一同が舌鼓を打っている間にも、ユーグは手際よく次の料理に取りかかっていた。
 二品目は、白芋より甘みの強い紅芋を使った焼きプリンだ。蒸して柔らかくした紅芋を丁寧に漉し、卵や牛乳を合わせたプリン液に加えてオーブンへと運ぶ。
 さらに三品目。こちらは薄くスライスした白芋を油で揚げるシンプルな調理法である。仕上げに塩胡椒をぱらりとまぶせば、スパイシーな香りが湯気とともに立ち上がった。

「あふっ……こちらも美味しいです」

 はふはふと熱を逃がしながら、ロゼッタは『ポテトチップス』と呼ばれる料理を口に運んだ。
 飴細工のようにパリッと小気味よく砕け、香ばしい油の風味と塩胡椒の刺激が絶妙に混ざり合う。こちらも料理人たちの心をぐっと掴み、山のように積み上がっていたチップスが瞬く間に消えていく。軽い食感ということもあって、一度伸ばした手が止まらないのだ。

(ユーグさんがこれほどの腕前とは……人は見かけによらないわ)

 ポテトチップスをパリリとかじりながら、ロゼッタはフライパンを洗うユーグをぼんやりと眺めていた。