翌朝、ロゼッタを眠りから覚ましたのは、窓の外から聞こえる小鳥たちのさえずりだった。のろのろとベッドから這い出て、寝ぼけまなこで身支度を整える。
昨日までの鬱々とした気持ちを振り払うように、ロゼッタは両頬をぺちんと叩いた。
「……よしっ」
小さく頷いたところでノックの音が響き、侍女が朝食を運んできてくれた。ふんわりと半熟に仕上げられたスクランブルエッグに、パセリの緑とクリームの白が美しいニンジンのポタージュ。スライスされたパンからは香ばしい匂いが立ちのぼり、デザートには新鮮なイチゴが小皿に盛られている。
ロゼッタが朝食を終えて一息ついた頃、エドガーが部屋にやって来た。
「おはよう。昨日はよく眠れたかい?」
「はい。お気遣いありがとうございます、エドガー様」
ロゼッタが恭しく返事をすると、なぜかエドガーは困ったように眉を寄せた。
「あの、どうかなさいましたか?」
「いや、なんでもないよ。仕事の説明の前に、まずは城内を案内しよう。本来なら最初に国王夫妻へ挨拶に伺いたいところだが、あいにく数日前から他国へ出向かれていてね。戻られるのは今日の夕方になるそうだ」
まずふたりが向かったのは食堂だった。多くの文官や使用人たちが束の間の食事を楽しんでいたが、エドガーに気がつくと、一斉に椅子を引いて立ち上がり深く頭を下げた。
「ここは好きな時間に利用していい。午後になれば、菓子も出してくれるよ」
「はい。楽しみがひとつ増えました」
その後も色とりどりの花が咲き誇る庭園や、巨大なシャンデリアが煌めく大広間、最新の設備が整った医務室など、広大な城内をくまなく案内された。
そして最後に辿り着いたのは、天井まで届くほどの書架がずらりと並ぶ図書室だった。
「ここが君の作業場だ」
「ずいぶんと立派なところですね……」
「国立図書館には遠く及ばないけどね。でも、質では負けていないつもりだよ」
目を輝かせて室内を見渡すロゼッタに、エドガーは満足げに口元を綻ばせた。
(エリアン王城の図書室も大きかったけど、ここは本の保存状態も格段にいいわ。背表紙の傷みも殆どない)
一通り見て回ったところで、エドガーが足を止めて説明を始める。
「君の仕事は、主に傷んだ古書の複製だ。具体的には欠落したり判読不能になった記述を、前後の文脈から解読してもらうことになるかな」
「え? 先ほど拝見した限りでは、こちらに傷んでいる本はあまりなかったような……」
それに、レクティオ語に関する仕事だと思っていたのだが、棚に並んでいるのはほんの数冊程度。いったい何のための試験だったのかと、ロゼッタは訝しんだ。
「その通り。君に任せたいのはこっちなんだ」
エドガーは頷くと、戸惑うロゼッタを連れて図書室の奥に向かった。まだ日中だというのに、なぜか司書からランタンを借り受けて。
「……あれ?」
ロゼッタはふと違和感を覚える。
「どうかしたのかい、ロゼッタ?」
「あそこの棚だけ、少し高さがある気がするんですけど……」
よく目を凝らすと、右端の書架にだけ小さなキャスターが取りつけられていた。さらに、その横には書架ひとつ分ほどの不自然なスペースがある。
「よく見つけたね。ここは秘密の入り口なんだ」
エドガーは楽しげに目を細めると、その書架に歩み寄った。屈み込んでカチャンと金具を外し、少しずつ横にスライドさせていく。
書架が去った場所に現れたのは、古めかしい木製の扉だった。
「……隠し部屋?」
「その通り。そして、その鍵はここにある」
エドガーは得意げに口角を上げ、ジャケットのポケットからやや錆びた鍵を取り出すと、鍵穴に差し込んで解錠した。扉が引き攣れるような音を立てて開かれると、暗闇の向こうからかび臭い匂いと冷たい空気が一気に押し寄せてくる。エドガーが物ともせず中に入っていくので、ロゼッタも置いて行かれないようにその背中を追った。
「二ヶ月くらい前だったかな。ルミナリア王国に大きな地震があってね。その際に本棚が倒れて、偶然この部屋が発見されたんだ」
ランタンの灯りだけが頼りの暗がりに、エドガーの声が反響する。
冷気に混じって、古書特有の枯れ草のような匂いが漂ってくる。期待と興奮でロゼッタの心音は徐々に速まっていた。
「そして中を調べた結果、こんなものが見つかった」
エドガーが足を止めてランタンを高く掲げる。
ぼう……とオレンジ色の温かな光に照らし出されたのは、壁一面を埋め尽くす書架と、そこに整然と収納された膨大な数の書物だった。
昨日までの鬱々とした気持ちを振り払うように、ロゼッタは両頬をぺちんと叩いた。
「……よしっ」
小さく頷いたところでノックの音が響き、侍女が朝食を運んできてくれた。ふんわりと半熟に仕上げられたスクランブルエッグに、パセリの緑とクリームの白が美しいニンジンのポタージュ。スライスされたパンからは香ばしい匂いが立ちのぼり、デザートには新鮮なイチゴが小皿に盛られている。
ロゼッタが朝食を終えて一息ついた頃、エドガーが部屋にやって来た。
「おはよう。昨日はよく眠れたかい?」
「はい。お気遣いありがとうございます、エドガー様」
ロゼッタが恭しく返事をすると、なぜかエドガーは困ったように眉を寄せた。
「あの、どうかなさいましたか?」
「いや、なんでもないよ。仕事の説明の前に、まずは城内を案内しよう。本来なら最初に国王夫妻へ挨拶に伺いたいところだが、あいにく数日前から他国へ出向かれていてね。戻られるのは今日の夕方になるそうだ」
まずふたりが向かったのは食堂だった。多くの文官や使用人たちが束の間の食事を楽しんでいたが、エドガーに気がつくと、一斉に椅子を引いて立ち上がり深く頭を下げた。
「ここは好きな時間に利用していい。午後になれば、菓子も出してくれるよ」
「はい。楽しみがひとつ増えました」
その後も色とりどりの花が咲き誇る庭園や、巨大なシャンデリアが煌めく大広間、最新の設備が整った医務室など、広大な城内をくまなく案内された。
そして最後に辿り着いたのは、天井まで届くほどの書架がずらりと並ぶ図書室だった。
「ここが君の作業場だ」
「ずいぶんと立派なところですね……」
「国立図書館には遠く及ばないけどね。でも、質では負けていないつもりだよ」
目を輝かせて室内を見渡すロゼッタに、エドガーは満足げに口元を綻ばせた。
(エリアン王城の図書室も大きかったけど、ここは本の保存状態も格段にいいわ。背表紙の傷みも殆どない)
一通り見て回ったところで、エドガーが足を止めて説明を始める。
「君の仕事は、主に傷んだ古書の複製だ。具体的には欠落したり判読不能になった記述を、前後の文脈から解読してもらうことになるかな」
「え? 先ほど拝見した限りでは、こちらに傷んでいる本はあまりなかったような……」
それに、レクティオ語に関する仕事だと思っていたのだが、棚に並んでいるのはほんの数冊程度。いったい何のための試験だったのかと、ロゼッタは訝しんだ。
「その通り。君に任せたいのはこっちなんだ」
エドガーは頷くと、戸惑うロゼッタを連れて図書室の奥に向かった。まだ日中だというのに、なぜか司書からランタンを借り受けて。
「……あれ?」
ロゼッタはふと違和感を覚える。
「どうかしたのかい、ロゼッタ?」
「あそこの棚だけ、少し高さがある気がするんですけど……」
よく目を凝らすと、右端の書架にだけ小さなキャスターが取りつけられていた。さらに、その横には書架ひとつ分ほどの不自然なスペースがある。
「よく見つけたね。ここは秘密の入り口なんだ」
エドガーは楽しげに目を細めると、その書架に歩み寄った。屈み込んでカチャンと金具を外し、少しずつ横にスライドさせていく。
書架が去った場所に現れたのは、古めかしい木製の扉だった。
「……隠し部屋?」
「その通り。そして、その鍵はここにある」
エドガーは得意げに口角を上げ、ジャケットのポケットからやや錆びた鍵を取り出すと、鍵穴に差し込んで解錠した。扉が引き攣れるような音を立てて開かれると、暗闇の向こうからかび臭い匂いと冷たい空気が一気に押し寄せてくる。エドガーが物ともせず中に入っていくので、ロゼッタも置いて行かれないようにその背中を追った。
「二ヶ月くらい前だったかな。ルミナリア王国に大きな地震があってね。その際に本棚が倒れて、偶然この部屋が発見されたんだ」
ランタンの灯りだけが頼りの暗がりに、エドガーの声が反響する。
冷気に混じって、古書特有の枯れ草のような匂いが漂ってくる。期待と興奮でロゼッタの心音は徐々に速まっていた。
「そして中を調べた結果、こんなものが見つかった」
エドガーが足を止めてランタンを高く掲げる。
ぼう……とオレンジ色の温かな光に照らし出されたのは、壁一面を埋め尽くす書架と、そこに整然と収納された膨大な数の書物だった。
