そこに座っていたのは、四日間を共に過ごしたはずのあの青年だった。仕立ての良いシックなジャケットに身を包み、これまでに一度も見せたことのない真剣な表情でロゼッタを見据えている。
(なぜ、この人がここに?)
ユーグの件といい、次々と起こる想定外の出来事。あまりに目まぐるしい展開に、ロゼッタの頭の中は真っ白になった。「お座りください」と他の面接官に促され、はっと我に返り着席した。
「ロゼッタ・ブランド―ルだな? これより第二次試験を開始する」
静まり返った室内に、エドガーの落ち着いた声が響く。その手には、面接の質問事項が記されていると思しき書類が握られている。
「はい」
今は試験に集中しなければならない。状況が飲み込めないながらも、ロゼッタは表情を引き締めた。
「まずは最初の質問だが……」
そう言いかけ、エドガーは書類など必要ないとばかりに机に置く。そして両手の指を組んで口元を隠し、鋭い眼差しでロゼッタに問いかけた。
「『時の剣と星降る世界』の三巻において、銀星将軍ルリジールはクロノを討つ好機にありながら、あえてそれを見逃した。なぜ、彼女は帝国に仇なす敵を救ったのか。その時の心情を答えよ」
「……え?」
「君の見解で構わない。君がどう感じたか、ありのままを口にするように」
なぜこの場で冒険譚の話が始まるのか。理解の追いつかないロゼッタだったが、ひとまず喉元まで出かかった数多の疑問を飲み込んで、エドガーの言葉に従うことにした。
「……ルリジールはかつて、部下でもあった弟を戦乱で亡くしています。正義感の強いクロノを、無意識に弟と重ねていたのかもしれません。何より、彼女はこの時点で帝国の不条理さに気づき始めていたはずです。だからこそ、クロノが世界の混乱を止める鍵になり得ると、希望を託したのではないでしょうか」
「よろしい」
エドガーは表情を変えることなく頷いた。
「次の質問だ。『時の剣』六巻において、闇騎士セスが初代継承者であったという衝撃の事実が明かされた。彼は自らの呪縛を解くことよりも、弟子のクロノを導く道を選んだ。その自己犠牲的な決断に至った理由を、君はどう分析する?」
「私が思うに、セスは決して自己犠牲的な男ではありません。悲劇も喜劇も等しく愛するような特異な精神性の持ち主です。ゆえに永遠の命から解放されて救われるよりも、クロノが切り拓く未知の未来に楽しさを見出したのだと思います」
「素晴らしい。彼の本質をよく理解した答えだ。では、三問目。『時の剣』七巻において……」
その後も同じような問いがいくつも投げかけられ、ロゼッタは淀みなく答えていく。どんな答えを求められているのかではなく、自分の思ったことを口にする。
エドガーとのやり取りは、昨日までの四日間を自然と思い出させ、次第にロゼッタの頬が緩んでいく。
「では、次の質問は……」
「エドガー様」
永遠に続くかと思われた会話のラリーを、短い呼びかけが遮る。ロゼッタが振り返ると、いつの間にか背後にユーグが立っていた。
「わっ」
気配すら一切感じられなかった。ぎくりと体を硬直させるロゼッタをよそに、ユーグは諌めるようにエドガーを睨みつける。
「もうよろしいのでは? あなたが楽しむための時間ではありませんよ」
その言葉が何を意味するものかわからず、ロゼッタは首を傾げた。ふと周囲を見渡せば、他の面接官たちも呆れたように溜息をついている。先ほどまでの重苦しい空気はすっかり霧散していた。
そしてロゼッタの正面には、仰々しく両手を組んだまま、肩を小さく揺らして笑うエドガーの姿があった。
「悪いな。つい調子に乗ってしまった」
ユーグに一言謝ると、エドガーは穏やかな表情でロゼッタに視線を戻した。
「というわけで、ロゼッタ・ブランド―ル。君を採用とする。今日からこの王城が君の職場だ」
「……えっ」
あまりにも唐突に告げられ、ロゼッタはワンテンポ遅れて声を上げた。
(普通、面接ってもっと志望動機とか色々聞くものじゃないの? ただオタクトークで盛り上がっていただけのような……)
困惑が強すぎて喜びに浸るどころの話ではない。目を丸くするロゼッタに、エドガーは姿勢を崩してある事実を明かした。
「そもそも、最初から面接なんて予定にないんだよ」
「ど、どういうことですか?」
「今回の試験で満点を取ったのはロゼッタ、君だけだったんだ。ところが、文官たちから不正を疑う声が上がり始めてね。そこで君のその頭脳が本物かどうか見極めるために、責任者の僕が自ら近づいたというわけだ」
淡々とした口調で事の顛末を明かすと、すかさずユーグが茶々を入れる。
「本来は実務担当の者が当たる予定でしたが、エドガー様が『私がやる』と言って聞かず、半ば強引に有給をもぎ取って赴いたのです」
「もう少し言葉を選んで欲しいものだな。僕はただ、この目で彼女の実力を確かめたかっただけだ」
心外とばかりにエドガーが溜め息をつきながら反論する。
「責任者……エドガーさんがですか?」
「ああ、隠していてすまなかったね」
黒髪の青年はロゼッタに涼やかな笑みを向けた。
「僕の名はエドガー・サンジェスト。こう見えても、ルミナリア王国の宰相を務めている。そして今日から君の上司だ」
「さっ……」
「ついでに言うとね。彼も文官で、僕の大事な片腕なんだ。ご覧の通り愛想は悪いが、仕事に関しては誰よりも頼りになる男だよ」
エドガーの紹介に合わせて、ユーグは無言で一礼した。
(そうか、だからあんなに注目されてたんだ。一国の宰相が図書館やカフェにいたら、みんな驚くはずだもの)
すべての点が繋がり、ロゼッタはようやく合点がいった。 ――けれど同時に、小さな棘が胸の奥をちくりと柔らかく刺す。
「詳しい仕事の内容は明日説明する。今日は疲れただろうから、ゆっくり休むといい。ユーグ、彼女を部屋に案内してあげてくれ」
「かしこまりました。ロゼッタ様、こちらへ」
ユーグに連れられて面接会場を後にし、案内されたのは今日から寝泊まりする一室だった。他の文官と同じ内装らしく、簡素ながらも上質な調度品で整えられている。テーブルにはネモフィラの花が飾られており、清らかな青が室内に澄んだ彩りを与えていた。
「食事は後ほどご用意いたします。何かありましたら、近くの者にお申し付けください」
「はい、ありがとうございます」
ユーグが部屋を後にし、扉が閉まると、ロゼッタは脱力しきったようにベッドに座り込む。トランクの荷物を整理しなければならないのに、この状況に対していまだに実感が湧かずにいる。
何はともあれ、念願の職を手に入れた。本来なら、諸手を上げて喜ぶべきことなのはわかっている。
(……だけど)
目を閉じれば、エドガーと過ごした四日間が蘇る。ロゼッタにとって満ち足りた数日間も、彼にとっては単なる試験の一環でしかなかったのだ。
(レクティオ語について、あんなに熱心に聞いていたのも……)
じわじわと寂しさが込み上げ、心の奥が冷えていく。彼との日々は都合のいい夢だったのだと、ロゼッタは無理やり自分を納得させた。
(なぜ、この人がここに?)
ユーグの件といい、次々と起こる想定外の出来事。あまりに目まぐるしい展開に、ロゼッタの頭の中は真っ白になった。「お座りください」と他の面接官に促され、はっと我に返り着席した。
「ロゼッタ・ブランド―ルだな? これより第二次試験を開始する」
静まり返った室内に、エドガーの落ち着いた声が響く。その手には、面接の質問事項が記されていると思しき書類が握られている。
「はい」
今は試験に集中しなければならない。状況が飲み込めないながらも、ロゼッタは表情を引き締めた。
「まずは最初の質問だが……」
そう言いかけ、エドガーは書類など必要ないとばかりに机に置く。そして両手の指を組んで口元を隠し、鋭い眼差しでロゼッタに問いかけた。
「『時の剣と星降る世界』の三巻において、銀星将軍ルリジールはクロノを討つ好機にありながら、あえてそれを見逃した。なぜ、彼女は帝国に仇なす敵を救ったのか。その時の心情を答えよ」
「……え?」
「君の見解で構わない。君がどう感じたか、ありのままを口にするように」
なぜこの場で冒険譚の話が始まるのか。理解の追いつかないロゼッタだったが、ひとまず喉元まで出かかった数多の疑問を飲み込んで、エドガーの言葉に従うことにした。
「……ルリジールはかつて、部下でもあった弟を戦乱で亡くしています。正義感の強いクロノを、無意識に弟と重ねていたのかもしれません。何より、彼女はこの時点で帝国の不条理さに気づき始めていたはずです。だからこそ、クロノが世界の混乱を止める鍵になり得ると、希望を託したのではないでしょうか」
「よろしい」
エドガーは表情を変えることなく頷いた。
「次の質問だ。『時の剣』六巻において、闇騎士セスが初代継承者であったという衝撃の事実が明かされた。彼は自らの呪縛を解くことよりも、弟子のクロノを導く道を選んだ。その自己犠牲的な決断に至った理由を、君はどう分析する?」
「私が思うに、セスは決して自己犠牲的な男ではありません。悲劇も喜劇も等しく愛するような特異な精神性の持ち主です。ゆえに永遠の命から解放されて救われるよりも、クロノが切り拓く未知の未来に楽しさを見出したのだと思います」
「素晴らしい。彼の本質をよく理解した答えだ。では、三問目。『時の剣』七巻において……」
その後も同じような問いがいくつも投げかけられ、ロゼッタは淀みなく答えていく。どんな答えを求められているのかではなく、自分の思ったことを口にする。
エドガーとのやり取りは、昨日までの四日間を自然と思い出させ、次第にロゼッタの頬が緩んでいく。
「では、次の質問は……」
「エドガー様」
永遠に続くかと思われた会話のラリーを、短い呼びかけが遮る。ロゼッタが振り返ると、いつの間にか背後にユーグが立っていた。
「わっ」
気配すら一切感じられなかった。ぎくりと体を硬直させるロゼッタをよそに、ユーグは諌めるようにエドガーを睨みつける。
「もうよろしいのでは? あなたが楽しむための時間ではありませんよ」
その言葉が何を意味するものかわからず、ロゼッタは首を傾げた。ふと周囲を見渡せば、他の面接官たちも呆れたように溜息をついている。先ほどまでの重苦しい空気はすっかり霧散していた。
そしてロゼッタの正面には、仰々しく両手を組んだまま、肩を小さく揺らして笑うエドガーの姿があった。
「悪いな。つい調子に乗ってしまった」
ユーグに一言謝ると、エドガーは穏やかな表情でロゼッタに視線を戻した。
「というわけで、ロゼッタ・ブランド―ル。君を採用とする。今日からこの王城が君の職場だ」
「……えっ」
あまりにも唐突に告げられ、ロゼッタはワンテンポ遅れて声を上げた。
(普通、面接ってもっと志望動機とか色々聞くものじゃないの? ただオタクトークで盛り上がっていただけのような……)
困惑が強すぎて喜びに浸るどころの話ではない。目を丸くするロゼッタに、エドガーは姿勢を崩してある事実を明かした。
「そもそも、最初から面接なんて予定にないんだよ」
「ど、どういうことですか?」
「今回の試験で満点を取ったのはロゼッタ、君だけだったんだ。ところが、文官たちから不正を疑う声が上がり始めてね。そこで君のその頭脳が本物かどうか見極めるために、責任者の僕が自ら近づいたというわけだ」
淡々とした口調で事の顛末を明かすと、すかさずユーグが茶々を入れる。
「本来は実務担当の者が当たる予定でしたが、エドガー様が『私がやる』と言って聞かず、半ば強引に有給をもぎ取って赴いたのです」
「もう少し言葉を選んで欲しいものだな。僕はただ、この目で彼女の実力を確かめたかっただけだ」
心外とばかりにエドガーが溜め息をつきながら反論する。
「責任者……エドガーさんがですか?」
「ああ、隠していてすまなかったね」
黒髪の青年はロゼッタに涼やかな笑みを向けた。
「僕の名はエドガー・サンジェスト。こう見えても、ルミナリア王国の宰相を務めている。そして今日から君の上司だ」
「さっ……」
「ついでに言うとね。彼も文官で、僕の大事な片腕なんだ。ご覧の通り愛想は悪いが、仕事に関しては誰よりも頼りになる男だよ」
エドガーの紹介に合わせて、ユーグは無言で一礼した。
(そうか、だからあんなに注目されてたんだ。一国の宰相が図書館やカフェにいたら、みんな驚くはずだもの)
すべての点が繋がり、ロゼッタはようやく合点がいった。 ――けれど同時に、小さな棘が胸の奥をちくりと柔らかく刺す。
「詳しい仕事の内容は明日説明する。今日は疲れただろうから、ゆっくり休むといい。ユーグ、彼女を部屋に案内してあげてくれ」
「かしこまりました。ロゼッタ様、こちらへ」
ユーグに連れられて面接会場を後にし、案内されたのは今日から寝泊まりする一室だった。他の文官と同じ内装らしく、簡素ながらも上質な調度品で整えられている。テーブルにはネモフィラの花が飾られており、清らかな青が室内に澄んだ彩りを与えていた。
「食事は後ほどご用意いたします。何かありましたら、近くの者にお申し付けください」
「はい、ありがとうございます」
ユーグが部屋を後にし、扉が閉まると、ロゼッタは脱力しきったようにベッドに座り込む。トランクの荷物を整理しなければならないのに、この状況に対していまだに実感が湧かずにいる。
何はともあれ、念願の職を手に入れた。本来なら、諸手を上げて喜ぶべきことなのはわかっている。
(……だけど)
目を閉じれば、エドガーと過ごした四日間が蘇る。ロゼッタにとって満ち足りた数日間も、彼にとっては単なる試験の一環でしかなかったのだ。
(レクティオ語について、あんなに熱心に聞いていたのも……)
じわじわと寂しさが込み上げ、心の奥が冷えていく。彼との日々は都合のいい夢だったのだと、ロゼッタは無理やり自分を納得させた。
