その日、ロゼッタは王城の自室で、窓から差し込む陽の光を浴びながら歴史書のページをめくっていた。
城の図書室から借りてきたばかりの、お気に入りの一冊。執務の合間にこうして読書に耽る時間は、ロゼッタにとって数少ない楽しみのひとつだった。
そんな穏やかなひとときは、控えめなノックの音によって破られた。
「どうぞ、お入りください」
「失礼いたします」
顔を上げて返事をすると、世話役の侍女が扉を開けて入ってきた。
彼女の顔色は見るからに悪く、表情も硬く強張っている。ただならぬ様子を感じ取り、ロゼッタは不吉な予感を覚えた。
「ロゼッタ様……先ほど、国王陛下が崩御あそばされました。至急陛下の寝所へ参るようにと、宰相様が仰せです」
「……っ!」
突然の知らせに心臓が激しく波打ち、一瞬言葉を失ってしまう。ロゼッタは小さく深呼吸をして、必死に自分を落ち着かせた。
「わかりました。すぐに伺います」
姿見で手早く身なりを整えて部屋を出ると、城内は騒然とした空気に包まれていた。文官たちが血相を変えて行き交い、廊下の隅では侍女たちがひそひそと囁き合っている。
(これだけ騒がしいのも、無理はないわね)
国王が心臓の病で倒れたのはつい先月のこと。
それ以来、体調が思わしくないと聞いてはいたが、まさかこれほど早く最期の時が訪れるとは、誰が想像しただろうか。
国王の部屋に辿り着き、ロゼッタは重厚な扉を軽くノックした。
「ロゼッタです」
間を置かず、中から入るようにと宰相の声が聞こえる。扉を開けて中に入ると、悲痛な泣き声が耳に飛び込んできた。
「嫌よ……お願い、目を開けて陛下! 私を独りになさらないで!」
ベッドに横たわる国王の亡骸に縋りつく王妃と、沈痛な面持ちでその様子を見守る高官たち。そして少し離れた場所には、呆然と立ち尽くす青年の姿があった。
ロゼッタの婚約者、レオナール。エリアン王国の王太子である。
「レオナール殿下……殿下?」
気遣うように声をかけてみたものの、一点を見つめたまま、ぴくりとも動かない。生気を失って抜け殻同然となった婚約者を前に、ロゼッタは焦りを感じていた。
(まずいわ。これじゃあ使い物にならない)
レオナールは今、自分がどのような状況に置かれているのか理解しているのだろうか。このまま立ち直れなければ、この国そのものが危うい。
「殿下、お気を確かに!」
物言わぬ彫刻と化したレオナールの両肩を、宰相が力任せに揺さぶった。芯の抜けた人形のように、細い体ががくがくと大きく前後する。
「陛下亡き今、あなた様こそが新たな君主となるのです! 悲しんでいる暇はありませんぞ!」
「しかし、私には心の準備がまだ……」
「何を仰るのですかっ!」
俯いて弱音を吐く王太子に、宰相の喝が飛ぶ。
「よいですか? その類まれなる聡明さと、民を魅了する気品あるお姿。あなた様よりもこの国の王に相応しい者はおりませんっ!」
「ほ、本当か?」
「私があなたに一度でも嘘をついたことがありますか?」
宰相が真剣な眼差しで問いかける。
(現在進行形でついてますよね)
ロゼッタは無表情で、ふたりのやり取りを見守っていた。
陽光に透ける金髪に、青空を閉じ込めたかのようなサファイアブルー。そして諸外国でも評判になるほどの甘い顔立ち。
確かに魅力溢れる容姿の持ち主だが、聡明かと問われれば、ロゼッタは迷わず首を横に振るだろう。
とはいえ、宰相の甘い言葉は効果てきめんだったようだ。
「さあ、レオナール殿下。お顔をお上げください」
「ああ……わかっている」
前を向いたレオナールの表情には、先ほどまでの陰りは微塵もなかった。それどころか、隠しきれない歓喜がサファイアブルーの瞳をらんらんと輝かせている。
レオナールは力強い足取りで王妃へ歩み寄り、ハンカチをそっと差し出した。
「母上、涙をお拭きください。これからは私が、この国を導いていきます。父上も、きっとそれを望んでおられるでしょう」
「レオナール……っ」
息子の頼もしい言葉に、王妃の瞳から安堵の涙が零れ落ちる。
「皆も、私を信じてついてきて欲しい。エリアン王国の輝かしい未来のために!」
高官たちをぐるりと見渡し、レオナールは声高らかに呼びかけた。宰相の力強い後押しで覚醒した婚約者を、ロゼッタは乾いた目で見つめる。
(やる気を出してくれたなら、まあいいか……)
レオナールの妻として彼を支え、この国を守っていく。それが自らの務めなのだと、ロゼッタは冷静に割り切っていた。
城の図書室から借りてきたばかりの、お気に入りの一冊。執務の合間にこうして読書に耽る時間は、ロゼッタにとって数少ない楽しみのひとつだった。
そんな穏やかなひとときは、控えめなノックの音によって破られた。
「どうぞ、お入りください」
「失礼いたします」
顔を上げて返事をすると、世話役の侍女が扉を開けて入ってきた。
彼女の顔色は見るからに悪く、表情も硬く強張っている。ただならぬ様子を感じ取り、ロゼッタは不吉な予感を覚えた。
「ロゼッタ様……先ほど、国王陛下が崩御あそばされました。至急陛下の寝所へ参るようにと、宰相様が仰せです」
「……っ!」
突然の知らせに心臓が激しく波打ち、一瞬言葉を失ってしまう。ロゼッタは小さく深呼吸をして、必死に自分を落ち着かせた。
「わかりました。すぐに伺います」
姿見で手早く身なりを整えて部屋を出ると、城内は騒然とした空気に包まれていた。文官たちが血相を変えて行き交い、廊下の隅では侍女たちがひそひそと囁き合っている。
(これだけ騒がしいのも、無理はないわね)
国王が心臓の病で倒れたのはつい先月のこと。
それ以来、体調が思わしくないと聞いてはいたが、まさかこれほど早く最期の時が訪れるとは、誰が想像しただろうか。
国王の部屋に辿り着き、ロゼッタは重厚な扉を軽くノックした。
「ロゼッタです」
間を置かず、中から入るようにと宰相の声が聞こえる。扉を開けて中に入ると、悲痛な泣き声が耳に飛び込んできた。
「嫌よ……お願い、目を開けて陛下! 私を独りになさらないで!」
ベッドに横たわる国王の亡骸に縋りつく王妃と、沈痛な面持ちでその様子を見守る高官たち。そして少し離れた場所には、呆然と立ち尽くす青年の姿があった。
ロゼッタの婚約者、レオナール。エリアン王国の王太子である。
「レオナール殿下……殿下?」
気遣うように声をかけてみたものの、一点を見つめたまま、ぴくりとも動かない。生気を失って抜け殻同然となった婚約者を前に、ロゼッタは焦りを感じていた。
(まずいわ。これじゃあ使い物にならない)
レオナールは今、自分がどのような状況に置かれているのか理解しているのだろうか。このまま立ち直れなければ、この国そのものが危うい。
「殿下、お気を確かに!」
物言わぬ彫刻と化したレオナールの両肩を、宰相が力任せに揺さぶった。芯の抜けた人形のように、細い体ががくがくと大きく前後する。
「陛下亡き今、あなた様こそが新たな君主となるのです! 悲しんでいる暇はありませんぞ!」
「しかし、私には心の準備がまだ……」
「何を仰るのですかっ!」
俯いて弱音を吐く王太子に、宰相の喝が飛ぶ。
「よいですか? その類まれなる聡明さと、民を魅了する気品あるお姿。あなた様よりもこの国の王に相応しい者はおりませんっ!」
「ほ、本当か?」
「私があなたに一度でも嘘をついたことがありますか?」
宰相が真剣な眼差しで問いかける。
(現在進行形でついてますよね)
ロゼッタは無表情で、ふたりのやり取りを見守っていた。
陽光に透ける金髪に、青空を閉じ込めたかのようなサファイアブルー。そして諸外国でも評判になるほどの甘い顔立ち。
確かに魅力溢れる容姿の持ち主だが、聡明かと問われれば、ロゼッタは迷わず首を横に振るだろう。
とはいえ、宰相の甘い言葉は効果てきめんだったようだ。
「さあ、レオナール殿下。お顔をお上げください」
「ああ……わかっている」
前を向いたレオナールの表情には、先ほどまでの陰りは微塵もなかった。それどころか、隠しきれない歓喜がサファイアブルーの瞳をらんらんと輝かせている。
レオナールは力強い足取りで王妃へ歩み寄り、ハンカチをそっと差し出した。
「母上、涙をお拭きください。これからは私が、この国を導いていきます。父上も、きっとそれを望んでおられるでしょう」
「レオナール……っ」
息子の頼もしい言葉に、王妃の瞳から安堵の涙が零れ落ちる。
「皆も、私を信じてついてきて欲しい。エリアン王国の輝かしい未来のために!」
高官たちをぐるりと見渡し、レオナールは声高らかに呼びかけた。宰相の力強い後押しで覚醒した婚約者を、ロゼッタは乾いた目で見つめる。
(やる気を出してくれたなら、まあいいか……)
レオナールの妻として彼を支え、この国を守っていく。それが自らの務めなのだと、ロゼッタは冷静に割り切っていた。
