花を揺らす風

 それは、突然だった。

「今週末、社交の場に出る」

 朝食の席で、橘颯人がそう言った。

「……社交、ですか」

 思わず聞き返す。

「ああ。お前も来い」

 一瞬、言葉を失った。

(……私が?)

「問題があるか」

「……いえ、大丈夫です」

(ここにいると決めたのは、私だから)

 逃げるわけにはいかない。
 そして迎えた当日。
 用意されたドレスは、美桜がこれまで着てきたものとは比べものにならなかった。
淡い桜色のドレス。
歩くたび、ふわりと揺れる柔らかな布。
光を受けて、静かにきらめく。

(……綺麗)

 鏡の中の自分が、少しだけ違って見える。

(……似合ってる、のかな)

「準備はできたか」

 振り返ると、颯人が立っていた。
 黒のスーツ。整った姿。
 そして――

(……綺麗な人)

 一瞬、そんな言葉が浮かんでしまう。

「……はい」

 小さく頷くと、
 彼は一瞬だけ、美桜を見た。

「……問題ない」

 それだけ言って歩き出す。

(……今の)

 少しだけ、胸が軽くなる。
 会場は、眩しかった。
 煌びやかな照明。
 着飾った人々。
 美桜は、自然と一歩引いていた。

(……場違いだ)

「……美桜?」

 聞き慣れた声。
 振り返ると――

「お義姉さま」

花城美玲が立っていた。
完璧な笑顔。整った姿。

「本当に来たのね」

「……はい」

「そのドレス、似合ってるじゃない」

 一歩、近づく。

「……でも」

 耳元で囁かれる。

「中身が伴ってないと、滑稽よ」

 息が詰まる。

「まあ、いいわ」

 くすりと笑って、顔を上げたその時――
 ふと、美玲の視線が止まった。

「……え」

 一瞬だけ、表情が崩れる。
 その視線の先には――
 橘颯人がいた。

(……っ)

 息を呑むような沈黙。
 美玲の瞳が、わずかに揺れる。

(……こんな方、だったの)

 噂でしか知らなかった男。
 冷酷で、感情のない存在。
 ――そう思っていたのに。
 目の前にいるのは、
 息をのむほど整った、圧倒的な存在だった。

「……橘様」

 すぐに、表情を整える。
 完璧な笑顔。完璧な礼。

「ご挨拶が遅れました。花城美玲と申します」

「ああ」

 短い返事。
 温度のない声。
 それでも――

(……この人が)

 自分が拒んだ相手。
 その事実が、胸の奥に引っかかる。

「……美桜」

 小さく、名前を呼ぶ。
 その声音は、先ほどとは少し違っていた。

「……頑張ってるのね」

 にこりと微笑む。
 けれど、その奥にあるものは隠せない。

「行くぞ」

 颯人が言う。
 そのまま、美桜の隣に立つ。
 自然に距離が近づく。

(……近い)

 人前だからか、わずかに寄せられる距離。
 その温度に、少しだけ安心してしまう。
 ――その瞬間。
 美玲の視線が、鋭くなる。

(……どうして、あなたなの)

 声には出ない感情が、確かにそこにあった。