なんだか間抜けな返事をしてしまったわ。淑女にあるまじき事ね。
「な、何で協力してくれないの!?あなたの目的はこの世界を平和にすることなんでしょ?神様からお願いされたんじゃないの?大戦とリューリカ革命が無くなるだけですごく平和になるわよ」
いつもはクソほど合理的に考えるヤツなのに、なんで協力しないって言うの?おかしくない?
「アナスタシア様の言う大戦やリューリカ革命が防げれば良いんですけどね。でも、技術は出せません。俺の技術をリューリカに出した後、その技術のコントロールが出来なくなったら世界は大変なことになりますよ。俺の持っている知識はこの世界を何回も滅ぼせるんです。悪意のある独裁者にこの技術を使われてしまったら、それは世界にとって不幸なことです」
う、正論で攻められるとぐうの音も出ないわ 。
「そ、それはそうかも知れないけど、それならお父様を説得して民主化するわ。実際私が皇帝だったときは、シンジローが憲法の草案を作ってくれて立憲君主制でうまくいってたんだから。それならいいでしょ?」
それでもシンジローは難しい顔をしたまま黙ってる。何が問題なのよ!はっきり言って欲しいわ!
「リューリカが帝政か民主主義かを問題にしているんじゃ無いんです。俺はこの時代の民衆をこれっぽっちも信用してないんですよ。例え民主化したとしても平和を求めるとは限らないんです。それは俺の前世で経験済みなんです」
シンジローは前世の異世界の事を話してくれた。世界のほとんどの国は民主主義の国になってたけど、選挙で選ばれた民主的な大統領が暴走して小国を占領したりしたことがあったらしい。
「俺が35歳の時、世界一の超大国が変な言いがかりを付けて小国に戦争を仕掛けたんです。その影響で世界中がエネルギー不足に陥って、それを打開するために世界第二位の超大国が戦争に介入して、ついにお互いに核兵器を撃ち合ってしまったんですよ。東京に空襲警報が鳴り響いて、俺の記憶はそこで終わっています」
「そんな・・・あの悪魔の兵器を・・・・・」
「はい、おそらく何千発も撃ったはずです。100億人いた人類の半分以上は死んだんじゃないですかね。その後は核の冬で何十年も凍った世界になって、人類は衰退しているはずですよ。そんな過ちを二度と犯したくはないんです」
「そんなことが・・・・」
「だから、今の未成熟な人々に俺の技術を渡すわけにはいかないんです」
「う・・・・じゃあ、どうすれば協力してくれるの?協力してくれるんだったら何でもするわ!わ、私の体だって・・・」
「だ・か・らぁ、そんなモノいらないですから」
カチン!
「さっきもだけど私の純潔を“そんなモノ”って非道くない?乙女がここまで覚悟を決めてるのよ!?」
本当ならヨシュアにあげる予定の純潔を、協力してくれるならシンジローに内緒であげても良いって言ってるのよ!乙女にとってどれだけ覚悟がいるかわかってるの!?前世では私にキスしたくせに!!!
「えっと、皇女殿下の話を信じると、中身は100歳だし純潔でもないし子供も3人産んでひ孫が何十人もいるんですよね?それって乙女なんですか?」
あー!絶対に女の子に言っちゃいけないこと言い放ったわ!マジでムカつく!確かに私にはシンジローとの80年以上の友情の記憶があってアンタにはその記憶が無いのかも知れないけど非道すぎる!トモダチにする仕打ちじゃ無いわよ!こんなにもトモダチ想いの無いヤツだとは思わなかった!絶交してやろうかしら!
「とはいえ、俺としてもその大戦やリューリカ革命を防ぎながらリューリカがまともな国になってくれる方がいいので、そのプランを考えてみましょう。一週間ほどお時間をください。それと、リューリカの現状をわかる限りで良いので教えていただけますか?」
「えっ?考えてくれるの?」
「はい、そう言いましたが、別の意味に受け取れましたか?」
なんかいちいちムカつく言い方よね。本当にあのシンジローと同一人物なの?でもとりあえず前向きに考えてくれるらしい。リューリカの現状をまとめるから次の土曜日、授業が終わったあとの午後にシンジローの家を訪問することにした。そこでレオンにも紹介しよう。きっと良い方向に話が行くわ。
◇
土曜日午後
「こちらがラルドゥックス男爵の邸宅なのですか?」
私たちは郊外にあるラルドゥックス男爵家に馬車で到着した。閑静な住宅地と畑に囲まれた200坪ほどの敷地に、木造2階建てのこぢんまりとした家が建っている。レオン以外の護衛を道で待たせておいて、私とレオンは使用人のおばあさんに案内されて門をくぐった。庭はよく手入れがされていて、小さな池に錦鯉が泳いでいる。塀の近くには大きな柿の木があってまだ緑色の実をたくさん付けていた。
「姫様、こちらは別邸でしょうか?何と言うか・・・」
レオン、あなたの言いたいことはよくわかるわ。これが貴族様のお屋敷だって言われても信じられないわよね。私も亡命してヨシュアの家に入ったとき、その小ささにびっくりしたもの。
ノートル院長のご自宅も伯爵様の邸宅としてはかなり小さいのよね。600坪ほどの敷地に地下1階地上2階建ての木造建築だ。女中さんが何人か住み込みで働いているけど、やっぱり西方大陸の貴族と比べると規模が違う。ノートル院長は戦功によって伯爵に叙されて、それで領地を持っていないからそんなものかとレオンも思ってたみたいだけど、ラルドゥックス家は地方領主の分家筋だ。リューリカでは地方領主の分家の男爵がこんな小さな家に住むなんて事はない。
「レオン、よく見ておくのね。リューリカの貴族とイスタニアの貴族との違いを。イスタニアの貴族は名誉称号で特権なんて無いのよ。特権がないから民を虐げるようなことも無い。だから革命は起きない。それに引き替え富を独占し民を虐げたリューリカの貴族は、私の夢見の中では革命によって悉く殺されてしまうわ。わたしも陵辱されたあげくに生きたまま焼かれてしまうのよ。今富を独占し我が世の春を謳歌していても、その人生の途中で無残に殺されてしまうのと、民と一緒に富を分かち合い、苦楽をともにするのとどっちが幸せかしら」
私の問いかけにレオンはこわばった顔をして何も答えない。答えることが出来ないのよね。レオン自身も男爵家の子弟だ。地方にそこそこの領地があって、500人くらいの農民と炭鉱夫を雇って作物や木材、石炭を生産している。贅沢三昧をして没落していく貴族も多い中、レオンの実家はうまくやっているほうだ。まあだから私の護衛に選ばれたんだけどね。父親や兄弟は王都で王宮や政府機関に役人として勤めていて俸禄も受け取っている。王都に屋敷も構えていて、使用人もたしか20人くらいは雇っているはずだ。貴族は土地税(固定資産税)が優遇されてるから大きい邸宅が持てる。今は豊かな生活を送っているけど、革命の炎で全てを焼かれ殺されてしまうことを想像したのだろう。でも、そんな未来が待っているかも知れないと思っても、今の生活水準を下げることが出来ないのも人間なのよね。
私たちは玄関でシンジローの出迎えを受けて簡単な挨拶をした。そして応接間に移動する。畳の部屋にラグを敷いていて、そこにテーブルと椅子が置いてある八畳くらいの部屋だ。ヨシュアの実家もこんな感じだったわね。もうちょっとだけ広かったけど。
「ご家族の方は?」
女中さんはいたけど、他の家族が見当たらないわ。一応挨拶の為に焼き菓子を持ってきたのよ。出来る女をアピールしておかなきゃね。
「父は工廠ですよ。軍人に半ドンなんてないんです。母は実家のお父さんがケガをしたとかで妹を連れて看病に行っています」
「そう、せっかく可愛い妹さんに会えると思ってたんだけどまた今度ね。じゃあまずレオンを紹介するわ。私の騎士、レオン・ヤルジャイエスよ。彼は私に絶対の忠誠を誓っているから、これから話すことを全部共有して欲しいの。私がリューリカに帰って“もしも”の時は一番頼りになる人よ。私と国のためなら何でもしてくれるわ」
私は決意を込めた目でレオンを見る。レオンはちょっと気おされたような表情で頷いて見せた。
「何でも?それはどんな“汚いこと”でもですか?」
“汚いこと”
10歳とは思えない鋭い眼光で私を睨んでくる。真っ黒い瞳はまるでブラックホールのようね。今のシンジローはこの世界に転生してから10年しか経っていないはずなのにどうしてこんな目が出来るの?それは、前世で世界の終末を経験しているから。その惨劇をこの世界で起こしてはならないという覚悟をしているからなのよね。
「便所掃除とか?」
しまった。極度の緊張からついつい面白くも無いことを言ってしまった!ああシンジロー、そんな冷たい目で見ないで!レオンまで呆れた目で見てる。
「じょ、冗談よ。“汚いこと”、いわゆる“濡れ仕事”のことね」
“濡れ仕事”とは非合法活動全般を指す隠語だ。前世ではヨシュアがそういう暗部を指揮していたわね。
「姫様、“濡れ仕事”とはどのような仕事でしょう?」
クソ真面目なレオンがちょっと不安そうな目で私を見てくる。男装をしているけど中身は18歳の女の子だから、濡れ仕事という響きから女の体を使った仕事を想像したのかも。まあ、もちろんそういう仕事の意味も含まれるんだけど。
「“濡れ仕事”っていうのは謀略や暗殺、非合法な活動全般のことよ」
「暗殺・・・・ですか?」
◇
レオンが眉間にシワを寄せて難しい顔をしている。私が“ちょっとクルストを殺してきて”って言ったときも同じような顔をしていたわね。戦争中でもないのに暗殺なんて確かに非常識よ。レオンの言うとおりリューリカは法治国家ですもの。でもね、このままだとそんなきれい事を言っていられない世の中になるの。
「そうです。例えばアナスタシアがリューリカの全ての権力を掌握するために、ニコル皇帝に失政の責任を押しつけて断頭台に送るとかです」
ガタッ
「貴様!例え話であっても皇帝陛下を弑すなど不敬きわまりない!姫様!このようなヤツが本当にリューリカの救世主なのですか!?」
レオンが立ち上がって激昂してしまった。まあ、皇帝に忠誠を誓っている貴族の子弟なら当然よね。ほんとくそ真面目な女ね。大好きよ。
「落ち着いて、レオン。じゃあ、私からも質問するわ。本当にそれを私が必要だと決心して、あなたにお父様、ニコル皇帝を暗殺して欲しいって言ったら実行してくれる?」
この質問は冗談では無く本気だ。もちろんお父様を暗殺なんてしたくはないけど、状況によってはそうならないとも限らない。命を賭けて私たちを守ろうとしてくれたお父様だけど、それでも数千万の国民の命には代えられないのよ。
「そ、そんな・・・姫様まで・・。姫様の夢見だからといって、それは行き過ぎています!どうなされたのですか、姫様!」
確かに夢で見たからお父様を殺すってちょっと頭おかしいって思われそう。まあそれは最悪のケースの一つなんだけど。
「レオン、今から言うことは私の夢見じゃ無いわ。これから起こる“事実”なの。このままだと私にもリューリカ国民にも未来は無いわ。そしてこれから聞くことは私が許可した人間以外には絶対に話してはダメ。いい?」
レオンはゴクリと音が聞こえるくらい息を呑んで私をまっすぐに見ている。そして少し躊躇しながら首をゆっくり縦に振った。
「今から三年後の1914年、エスターライヒの皇太子夫妻が隣国オストマルクの青年に暗殺されちゃうの。それをきっかけにエスターライヒはオストマルクに宣戦布告。そしてこの戦争にリューリカ帝国とガリア共和国、アルビオン王国が参戦するわ。戦争は5年間続いて、西方大陸を中心に軍人1000万人、民間人1300万人が殺されちゃう。後に“第一次”大戦と呼ばれる戦争よ」
「え?1000万人に1300万人・・・・」
レオンはその数字に驚きを隠せていないけど、まだまだこんなものじゃないのよ。
「戦争末期に流行病が大流行し、十分な対応が取れなかったこともあって全世界で5000万人から1億人が死亡ぬの。新しい病気で今までの治癒魔法が効かなかった。大戦がなければ防疫などの対処が出来て、もっと死者が少なかった可能性があるわね」
「1億人・・・?」
「さらに1917年3月、リューリカで反乱が起きて内戦に突入するわ。リューリカ国内だけで800万人から1000万人の市民が殺されちゃうの」
「・・・・・・」
「その反乱の最中にお父様やお母様、マリアお姉様と弟のミンツが殺される。そして、私を助け出すためにレオン、あなたも死んでしまうわ」
「皇帝陛下が・・そんな・・・」
「リューリカの実権を握ったクルストはその後の20年間で弾圧や計画飢餓を実行し、4000万人も虐殺してしまうの」
「クルスト・・・クルストが・・・・それで姫様は暗殺を・・・・」
「私はイスタニアの協力を得て大陸の東の端にリューリカ帝国を再建するわ。逃げてきた人たちを集めて力を蓄えるの。そして最初の大戦から20年後に、エスターライヒが再度世界に対して戦争を始めちゃう。その戦争には一発で大都市を消滅させるほどの新型爆弾が使われて、全世界で一億人の人が死んじゃうわ。でもなんとかリューリカ帝国とイスタニアの連合軍が勝利を収めることが出来るの」
改めて時系列にしてみるとこの数十年間で信じられないくらいの人が犠牲になってるのね。リューリカ国内だけで5000万人以上とか、ちょっと常軌を逸しているわ。まさに狂気の時代ね。
「姫様・・・人間同士の争いでそんな事が本当に起こるのでしょうか?」
レオンが声を震わせながら問いかける。レオンの知っている大きな戦争はイスタニアとの戦争だけだ。激しい戦いが繰り広げられたけど、それでも双方の死者は合計で15万人ほどのはず。民間人の犠牲者はあまり発生していないのよね。それなのにあと3年後に起こる大戦争で何千万人もの人が死ぬなんて想像出来ないでしょう。
「ええ、本当よレオン。人間はその行いが正義だと思えばどんな残酷なことでも出来てしまうわ。このままだと必ず訪れる悲惨な未来なの」
◇
私はレオンに転生のことを包み隠さず話した。私が10歳の誕生日の朝、90年の月日を経験してから目を覚ましたこと。そしてシンジローが異世界から転生してきたことを。
「そうでしたか・・・。そんな歴史が・・・。でも姫様をお守りすることができたのは、ふがいない私ですがそれだけは本懐です」
レオンはぽろぽろと涙をこぼしている。自らの命と引き替えにしてでも私の命を救えたことが嬉しいのだろうか。でもね、私はもうレオンを犠牲にして生き残るなんてしたくないの。絶対みんなを救ってみせるわ。必ずよ!
「では、その悲惨な未来を回避するためにラルドゥックス様がお力添え頂けると言うことなんですね?」
レオンはシンジローの入れてくれた紅茶を飲んで少し落ち着いたみたい。そういえば前世でもシンジローの入れてくれる紅茶ってとってもおいしかったのよね。懐かしいわ。
「同じ男爵家の嫡男ですから“シンジロー”でいいですよ。それに見た目は10歳ですし。具体的な方法はこれから考えますが、かなり厳しい道のりになります。場合によってはリューリカのニコル皇帝を排除する必要があるでしょう」
その言葉を聞いてレオンが敵意のこもった視線をシンジローに向ける。まあそうなるわよね。
「それは、お父様が皇帝でいる限りリューリカ革命は避けられないという事ね」
シンジローは私の目をまっすぐに見て頷いた。私もそれには同意するわ。お父様は家族には優しいけど民衆、特に魔力を持たない平民には厳しいのよね。この時代だからみんなそうなんだけど、選民思想に取り付かれている。あと数年でそれが劇的に変わるとは思えない。今は経済的に安定しているけど、大戦が起こって国民が疲弊したら革命が起こってしまうわ。
「そうです。俺としては未来を知っているアナスタシアに皇帝の座を奪って欲しいんです。そして強権的な専制を以てリューリカ国内の安定と、支配している各民族の独立を実現してください」
「強権的な専制君主ね。それってシンジローが一番嫌いなことなんじゃ無いの?」
「大っ嫌いですよ。でも一番じゃないんです。一番嫌いなのは全体主義なんですよ。だから、アナスタシアが言うようにリューリカ革命によって全体主義化するくらいなら専制君主の方がマシだと思ってます」
シンジローは前世で全体主義の恐ろしさを身をもって経験したらしい。シンジローの世界でも何千万人もの人が全体主義の犠牲になった。全体主義は人間の持つ自由への渇望を踏みつぶしてしまうのよね。全体主義者のしてきたことを知っていれば、そう考えるのも無理は無いわ。
「大戦勃発まであと3年。13歳の私に出来るかしら?」
「アナスタシア、出来るかどうかじゃないんです。やるんです。家族やレオンを死なせたくないのならね。それとも、祖国を見捨てて亡命しますか?それが一番安全ではありますね」
なんて意地悪な言い方だろう。シンジローってこんな奴だったかしら?いえ、違うわね。私の覚悟を聞いているんだわ。シンジローが協力するに値するのかどうかって。
「わかったわ。私は国民を見捨てて逃げることはもうしない。必ずリューリカの実権を握るわ。その過程で何万人殺したとしてもね」
「姫様!なんと言うことを!人を殺してでも権力を手に入れるなど、皇帝陛下や皇后陛下が悲しまれます」
「レオン、あなた、人を殺したことがある?」
「えっ?姫様・・・・」
「人を殺したこと、無いでしょ?私は多くの人を殺してきたわ。ボーラ連邦との戦争で。自国のリューリカ兵数万、ボーラ連邦の市民と兵隊を併せて数百万。その他関係した戦争全てを含めると一億人以上、私はその人たちの死にかかわっている。私が殺したと言っても間違いじゃ無いわ。でも、それでもクルストを倒して国民を解放しなければならなかったの。それに比べたら、国の実権を握るために抵抗する貴族連中を排除すればいいだけなんでしょ?」
「し、しかし姫様が権力を握るということは・・・・・・・皇帝陛下は・・・・」
「そうね。お父様には自主的に退位してもらうのが一番良いのだけれど、もしお父様が反対するようだったら処刑者名簿に一人名前が追加されるだけよ。覚悟は出来ているわ」
「姫様・・・」
レオン、そんなに悲しい顔をしないで。大丈夫。きっとそんな事にはならないわ。だってシンジローがちゃんと考えてくれるもの。
「アナスタシア、あなたの覚悟は受け取りました。アナスタシアがリューリカの実権を握ることが出来るよう、俺も全力でやりましょう。アナスタシアの専制の下なら、リューリカ国民の教育水準が低くても懸念は少ないと思います。俺の持っている知識でリューリカ国民を豊かにしますよ。平行して教育と道徳水準の向上も図りましょう」
シンジローは私の方を向いて笑顔を見せてくれた。今日初めて見る笑顔のような気がする。
「でもそうなったらイスタニアよりリューリカの方が先進国になっちゃうわよ。いいの?」
前世ではシンジローの知識のおかげでイスタニアがダントツ世界一の先進国だったけど、今回はリューリカが世界一の先進国になりそうね。それはちょっと嬉しいかも。
「かまいませんよ。イスタニアでそれを実現しようとしたら少なくとも俺が大人になるまで待たなければならないので。何の後ろ盾もありませんからね。リューリカが安定した豊かな国になってくれて、世界を平和にしてくれるんだったらそれにこしたことはありません。どの国が主導権を握るかなんて些細なことですよ。だってアナスタシアの経験した未来では国境なんて無いんでしょ。ただし、アナスタシアも前世の経験で十分にわかっていると思いますが、悪意のある人間が不相応な力を持つことほど悲惨なことはありません。絶対に権力を失わないようにしてください」
悪意のある人間・・・クルストとかのことね。
「わかったわ、シンジロー。でも、私がその“悪意ある人間”にならないって保証も無いけどいいの?」
「あなたが話してくれた前世の経験が嘘とは思えませんから。そこは信用しますよ。なにより俺たちは“トモダチ”なんでしょ?」
「シンジロー、前世もだけど時々そんなキザな言い方するわよね。嫌いじゃ無いわよ」
私はシンジローと握手を交わした。固い固い握手だ。そしてレオンとシンジローも握手を交わす。とても温かい9月の午後だった。
◇
私はリューリカの現状をまとめた資料と、数年間分のリューリカの新聞を手渡した。現時点でわかる限りの資料だ。シンジローならこの情報からきっと方針を決めてくれるだろう。
「たしか来年の3月頃に、リューリカ帝国東部のクルス川近くの金鉱山で虐殺事件が起こるのよ。これは是非とも防ぎたいわ」
「そうなんですね。鉱山労働者を虐殺?」
「ストライキをした労働者に対して軍が発砲しちゃって数百人が殺されちゃうの。この事件をきっかけにして急速に労働争議が頻発するのよね。覚えている限りの事件の詳細を伝えるから、何か対策を考えて欲しいの。お願い」
来年の3月はまだ私はイスタニアに留学中だわ。でもなんとかして防がないとね。まあ、シンジローが良い方法を考えてくれるわね。きっと。考えることは頭の良いシンジローに任せましょう。
「その・・・シンジロー・・の持っている知識というのはどのようなものなのでしょう?リューリカの民衆を救うことができるほどのものなのでしょうか?」
レオンの疑問も当然ね。シンジローに頼りっぱなしで私が「シンジローはすごいのよ!」って言っても何が出来るのかわからないわよね。
「シンジローの持っている科学技術は、人類を100万回滅ぼすことが出来るわ。この星ですら粉々に破壊することができるの」
「えっ?人類を滅ぼす・・・?星を破壊?」
「そう、使い方によってはね。そして、良い方向に使ったら食料生産を数年で10倍に増やして人類から永遠に飢餓を無くすことが出来るの」
「数年で食料が10倍・・・・・」
「そうよ。そしてあらゆる病気を治すことの出来る薬を作ってみんな90歳から100歳以上生きることが出来るようになるわ。人間は老衰か突然の事故以外で死ぬようなことは無くなるの」
「そんなことが・・」
「遺伝子・・・人間を作るための設計図を書き換えて、霊的に進化した新人類もシンジローなら作ることができるのよ。それに、人間の役に立つ新しい動物や植物も作り出すわ」
「新しい“種”を・・・・」
「そして宇宙船を作って月どころか、光りの速度で何万年もかかる宇宙の果てまで行くことが出来るようになるの。そしてこの星のような別の星を見つけて、そこに移民も始まるわ。どう?シンジローはすごいでしょ?」
※この世界でも月はある
レオンは私とシンジローを交互に見ながら信じられないというような顔をしている。まあ、そんな反応になっちゃうわね。
「そんな事が本当に?姫様、それが本当ならそれは“神”以外の何者でもないと思いますが・・・」
ん?冷静に反芻してみると確かにそうね。地球を破壊したり新しい“種”を生み出したり、新しい星を見つけて人類に与えることができるって、まさに“創世記”の“神”そのものだわ。高度に発達した科学は魔法と区別が付かないってやつね。
「あらレオン、私の言うことを疑うの?」
「アナスタシア、俺の前世ではそこまでは出来てなかったよ。それってアナスタシアの前世の事だろ?」
「でも、これからの90年でそれを成し遂げるわ。それに、転生だって神様からこの世界を救って欲しいって言われたからでしょ。チート能力ももらってるし」
「えっ?姫様、今、何と?神様からのお願いされたのですか?」
「あ、これって言っても良かったのかしら?まあ良いわよね。シンジローは神様によってこの世界に転生したのよ。その時にものすごい記憶力っていうチートを神様からもらってるの」
「神様から・・・・」
レオンは慌ててシンジローに向かって片膝をついた。そして頭(こうべ)を垂れる。
「聖人シンジロー様。数々のご無礼ご容赦ください。神が人類のために使わされた使徒様であったとはつゆ知らず」
あー、そういえばそう言えなくもないのかな。でもね、シンジローの中身は普通のおっさんなのよ。
「レオン、そんな事しなくてもいいわよ。シンジローは人類の科学技術を進歩させて神にも等しい力を手に入れることを目指してるの。そして人類をもっと幸福にするのよ。ね、シンジロー」
「そうですよ。俺はそのうち神様に失業してもらおうと思ってます。人間がちょっと堕落したからって大洪水や硫黄の炎で国ごと滅ぼしたりするのは自分勝手だと思うんですよね。それに、俺のいた世界では100年間の間に2億人以上が戦争や飢饉で死んでるんですよ。それで最後は核戦争で人類絶滅です。これを放置するのって職務放棄じゃないですか?もし意図してやってるんだったらとんだサイコパスですよ。しかも世界の運営をうまく出来なかったから俺を転生させて丸投げですか。だから神様には失業してもらって、余生をどこか静かなところで過ごしてもらうんですよ」
ぷぷ、相変わらずシンジローのイヤミは面白いわね。まあでもこういう考え方ってこの時代の人間には受け入れられないのよね。
「そうですね・・・。姫様の経験された世界では、ご家族は無残に殺されているんですよね。神はそれをお救いにはならなかった・・・・」
あ、真(ま)に受けちゃった。こういう所はホントくそ真面目ね。大好きよ。
「あ、レオン、そんな深刻に受け止めなくて良いわよ。神様はね、人間の自らの力で成長されることを望まれてるの。人間が未成熟だったからリューリカで革命が起きたし何千万人も死んでしまったわ。でもね、神様は私たちを信じて温かく見守ってくれてるんだから、だから私たちの出来ることをしましょう。まずは大戦とリューリカ革命の阻止よ!」
「はい!姫様!」
◇
翌週の日曜日 ラルドゥックス邸
シンジローのお父様とお母様、そしてかわいらしい妹さんに挨拶をした。妹のチェイニーさんとは前世で何回か会ったことがあってとてもかわいらしい方だと思ってたけど、5歳のチェイニーさんのかわいさは異次元ね。妹に欲しくなったわ。シンジローのお父様がチェイニーさんをミンツの嫁になんて言ってたけど、ちょっと本気で考えてみましょうか。
「ではこれを」
シンジローはカバンから大量の紙束を出して机に置いた。そしてその中の一枚を広げ始める。何枚もの紙を貼り合わせていて、縦横1メートルくらいある。
「これは?」
「これからアナスタシアがするべき事をまとめたフローチャートです」
この時代にフローチャートはまだ一般的じゃ無い。私は前世の記憶があるからだいたい理解できるけど、レオンには当然初めてだ。こういうフローチャートもシンジローが普及させたのよね。チャートの読み方をシンジローが丁寧に説明してくれる。シンジローって私のことはぞんざいに扱うことが多いのに、レオンにはわりと親切なのよね。この一週間でなんとなくそう感じてしまった。年上の女が好きなのかしら?だから私に興味を示さなかったのね。本当の私の中身はすっごい熟女なのに。
「アナスタシア、なにかどーでもいいことを考えてませんか?」
う、勘の良い子供は嫌いだわ。
「チャートの事を考えてただけよ。これ以外の選択肢は難しそうってことね?」
「そうです。可能性の低いモノを列挙すれば切りが無いのですが、現実的なのはこの選択しですね」
シンジローの資料には大まかに三つのシナリオが書かれていた。
<シナリオ1>
エスターライヒ皇太子暗殺事件を防いで大戦を起こさせない
ただし、オストマルク民族の不満は爆発寸前であり、暗殺事件を防ぐことは出来ても、同種のテロは必ず起こる。
エスターライヒ皇太子暗殺事件を防いでも、エスターライヒとオストマルクの開戦は避けられない可能性が高い。
→大戦勃発ルート→シナリオ2か3へ
<シナリオ2>
大戦が勃発しても参戦しない
ただし、エスターライヒとオストマルクの戦争にエスターライヒは当然参戦するだろうし、そうすればガリア共和国も普仏戦争の復讐を果たすために参戦する。もしくはガリア共和国が動員をかけた時点でエスターライヒがガリア共和国に宣戦布告する。エスターライヒ・エスターライヒはリューリカへの対応をしなくても良いので、ガリア共和国が敗北する可能性が高い。
<シナリオ3>
第一次大戦に参戦するが、積極的な攻勢に出ない。
史実ではエスターライヒがリューリカに対して宣戦布告するので、防御に徹する。
ただし、この状況になるとエスターライヒに恨みを持っているガリア共和国がリューリカ帝国との条約によってエスターライヒに宣戦布告する。リューリカが消極的だとガリア共和国から信用を無くす。
「シンジローの予想だと、どうやっても大戦を防ぐことは出来ないということね」
「はい、そういう結論に達しました。この地域の緊張はもう限界に達しつつあります。3年前にエスターライヒがオストマルク人の居住地域の一部を強制的に併合した時点で大戦は避けられない状況になっていたと思います。エスターライヒが他民族を支配している状況を平和裏に解消できない限り大戦は起きます」
「そして、他民族の支配を平和裏に解消する方法はないのね」
「その通りです。残念ですが、この世界の人類はまだ未熟なんですよ」
「ということは、大戦は避けられないとして、その状況でリューリカ革命を防ぐという事ね」
「はい、その為に必ずやらないといけないことは・・・」
「「クルストとセンメニウスの排除、それにクルス虐殺事件」」
ここは完全に意見が一致したわね。クルストは私が国に帰ってからすぐに処理しましょう。センメニウスとクルス虐殺事件をなんとかして皇室が国民の信頼を無くさないようにするのが一番ね。
「アナスタシアの話によると、ミンツ皇太子の病気は血友病なんですよね。でも今現在はその解明がされていなくて血が止まらなくなる呪いって言われていると」
「そうなのよ。でもお父様もお母様も呪いだって信じ切ってるから、センメニウスに多額の研究費を渡して呪いを解く魔法を開発させてるの」
私の弟、皇太子のミンツは生まれたときから血友病を患っている。ケガをすると血が止まらなくなる病気だ。でも今現在は原因がわからなくて呪いだと思われてる。そこで奇跡を起こすと噂になっていたセンメニウスをお父様とお母様が王宮に呼んだのよね。そしてお父様とお母様はセンメニウスに依存するようになってしまって、そのことを反皇帝派プロパガンダの材料にされてしまう。
「じゃあ話は簡単ですよ。アナスタシア」
「つまり、薬の力で治すことが出来ればいいということ?」
「その通りです、アナスタシア。薬で治療して、センメニウスの研究は意味が無かったとわからせるんです。そこで、この資料をヨシュアの主治医であるヒィロイ医師に渡してください。血友病の原因と治療薬である血液製剤の作り方を記載しています」
シンジローは封筒の中からリューリカ語とイスタニア語で書かれた論文のようなものを取り出す。結構な分量ね。
「ヨシュアの主治医にだったらシンジローが渡しても良いんじゃない?」
「10歳の俺がですか?一笑に付されますよ。この論文はリューリカの医師が書いたように偽装しています。その医師は反政府活動団体と関わりを疑われてしまったので、この研究が闇に葬られそうになったところを持ち出したって言ってください。ヒィロイ医師は小児科の専門医ですからきっと取り組んでくれますよ」
シンジローが言うには血友病の薬を作るのはそれほど難しくは無いらしい。シンジローの論文の通りに作れば、数ヶ月もあれば完成するそうだ。それに血液製剤が完成する前でも、健康な人の血漿を輸液するだけでもある程度効果が期待できるのね。こんな簡単にミンツの病気が治るなんてすごい。
この時代でも輸血や血漿輸液はもう実用化されているそうだ。私は知らなかったけど。
「ドナーが変な病気を持っていると輸液された人は確実に感染するので、18歳以上、体重50キロ以上の健康で性経験の無い人からだけ血液を採取してください。その後遠心分離機で血漿成分だけ取りだして、血漿をミンツ皇太子に、赤血球をドナーに輸液します」
血液製剤が出来るまでの応急的な対処として、血漿輸液の方法を記した文書をシンジローは渡してくれた。遠心分離機の設計図も入ってる。ありがたいわ。
「これでセンメニウスも用済みね。お母様との醜聞が無くなれば少しは良い方向に行くかも」
ミンツの病気でお母様の心が不安に満たされてしまったときに、あの怪僧を頼りにしてしまったのよね。それで深い仲に・・・・あーいやだわ!実の母親の不貞の事なんて恥ずかしくて考えたくも無い!
「あの、姫様。皇后陛下の醜聞というのは・・・」
あ、レオン、聞いていたのね。まずい。どうしよう。バールのような物で殴ったら忘れてくれるかな?なんとかごまかせないかしら。
「キャサリン皇后はセンメニウスと不貞、つまり男女の仲だという噂が広がるんですよ。そこへ来て、皇后がセンメニウスに宛てたという赤裸々な手紙が同僚の修道士によって暴露されるんです。真偽は不明ですが、これが致命傷になって国民から見放されるんですよね。この内容で合ってましたっけ、アナスタシア」
「まさか・・・、皇后陛下がそんな事を・・・・・・」
「シンジロー!何でそんな事まで言うのよ!ちょっとはデリカシーとか遠慮とか考えなさいよ!」
自分の母親の不貞を目の前でバラされるこっちの身にもなってよ!本当にいたたまれないわ。
「レオンには全ての情報を共有して欲しいって言ったじゃ無いですか?あれ、嘘だったんですか?」
むー、確かにそう言ったわよ。でもね、もうちょっとオブラートに包むとかあるでしょ!
「まあ皇太子の病状が良くなって、センメニウスと距離を置いてくれれば良いんですけどね。アナスタシアの前世での資料によると、かなりセンメニウスに依存していたんですよね。なので、今回は血漿輸液の方法だけ伝えてセンメニウスには触れないでください。センメニウスはアナスタシアが帰国してから断罪しましょう」
「断罪?」
「断罪です」
むかし(前世)“断罪ざまぁ”みたいな小説をたくさん読んだけど、そんな感じかしら。あの手の小説って面白いんだけど悪役皇女がギロチンにかけられるような話が多かったから、そのシーンだけは身につまされるのよね。
「センメニウスがどんな研究をしているのか解りませんが、おそらく資金の私的流用をしているはずです。それに、皇后に取り入って国政に口を出すなんてあり得ないですよ。なので、何かしらの理由を付けて断罪しましょう」
「センメニウスに悪意があるかどうかはわからないけど、これもリューリカの為ね」
◇
私は血漿輸液の方法を典医とお父様に手紙で送った。イスタニアで研究されている方法で、まだ治験中だから公開されてない極秘事項だって伝えたわ。この方法を試してくれればそれでいいし、もしセンメニウスの反対で試さなかったとしたら、私が帰国した後に断罪の理由になるわね。
そしてミッチーにお願いして、主治医のヒィロイ先生とお会いすることが出来た。
「皇女殿下、血友病の薬の作り方があるというのは真(まこと)でしょうか?」
ヒィロイ先生は現在53歳で優しそうな感じのおじいちゃんだ。シンジローの話だとすばらしい小児科医らしい。この優しそうな雰囲気も子供のことが大好きだからよね。でも、53歳とは思えないくらい老けてるわ。
「ええ、この研究は王立大学のビクトル・ザンギエフ教授が手がけていたのですが、学生の一人が反政府活動で逮捕され、その教授も疑われて失職してしまったのです。実はこのレオンの弟が血の止まらなくなる病気で、父上のヤルジャイエス男爵がパトロンになって支援していたのです。その縁で資料だけは持ち出すことに成功したのですが、そこで研究が止まってしまったのです」
レオンに“あなたの弟が血友病で苦しんでいると伝えた”とリューリカ語で言うと、私の言葉に呼応して視線を落とし辛そうな表情をする。弟が血友病で苦しんでいるつもりで辛そうな表情をしてって言っておいたけど、想像以上に良い演技だわ。でもシンジローが作った資料「“さあ筋肉の時間だ!”←ここ大事」とか書いてあるんだけど何の意味かしら。ザンギエフ教授の似顔絵もとても医者には見えないわ。まるで筋肉ダルマのプロレスラーね。上半身裸だしすごい胸毛。確かにリューリカ人は毛深いわよ。私も油断してたら大変なことになっちゃうからね。まあ10歳だからまだ心配ないけど。しかしシンジローってリューリカ人に対して何か偏見があるのかしら?そういえば前世で”リューリカ人の女性って30歳を過ぎるとみんな酒樽みたいになるって思ってたんですけど違ったんですね”とか言われたことがあったわね。今思い返したら信じられないくらい失礼なヤツだわ。
◇
「そうでしたか。リューリカでは完成間近にまで研究が進んでいたんですね。わたしもこの症状の子供を何人か診察しましたが、あれは悲惨な病気です。みんな衰弱して死んでしまいました。呪いの可能性も考慮していたのですが、やはり病気でしたか。ザンギエフ教授も子供たちを救える直前まで研究が進んでいたのに、このような事になってしまい本当に無念だったでしょう」
ヒィロイ先生は何かを思い出すように眉根をちょっとよせて下唇を噛んでいる。未知の病魔に対して無力だった現代医学を悔しく思っているのだろう。私がリューリカを掌握したらシンジローにどんどん知識を出してもらうからもうちょっとの辛抱よ。でも、ザンギエフ教授のことは心配しなくても大丈夫。シンジローの妄想の中の人物だから。
「リューリカでは自由に発言したり研究することが難しいのです。テロ事件も頻繁に起きて社会情勢も不安定ですし。でも、こういった薬がどんどん開発されて国民の健康が少しでも良くなれば、国内も安定していくと思います。薬は病気の人を治すだけで無く、周りの人の負担や悲しみを減らして、ひいては国家の安定と発展に繋がっていく最も重要な国家事業の一つだと思っています」
「皇女殿下、素晴らしいお考えです。国の安定と発展に必要な国家事業ですか。いや、本当に素晴らしい。国の仕事と言えば軍事にばかり目が行きますが、薬の開発が最も重要な国家事業という視点を持てておりませんでした。一応国立の伝染病研究所が我が国にもありますが、十分な研究体制が整っているとはまだまだ言えません。必ず私がこの薬を完成させて見せます。そしてイスタニアとリューリカの発展に少しでも寄与して皇女殿下に恩返しをいたしましょう。この論文によれば乾燥製剤にできるようなので、リューリカへの輸送も問題ないと思います」
シンジローの言ってたとおり素晴らしい人格者だわ。誰よりも子供の健康を思ってくれる人なのね。
「ありがとうございます。先生。そこで、お礼と言っては変なのですが、他にも研究途中の論文があるのでお渡しさせて頂きます。是非とも先生に完成させていただきたい薬があるのです」
私はシンジローから預かっていたリューリカ語とイスタニア語で書かれた資料を取り出した。
「こんなにもたくさんあるのですか。リューリカの医学がこれほど進んでいたとは」
「そうなんですよ。我が国の医学はすごいのですが、社会体制があまり自由じゃ無いので日の目を見ない物が多いのです。えっと目録は・・・あった。先ずは“抗生物質”の作り方ですね」
「“コーセーブッシツ”とは、どのような薬なのでしょう?」
「えっと、私もよくわかってないんですけど、ちょっと待って下さいね。これは“ペニシリン”の作り方ね。細菌感染症の多くに効くみたいです。ブドウ球菌を殺せるみたいですね。あと梅毒は完治出来るみたいですよ」
「えっ?梅毒が完治できるのですか?」
「そうみたいですよ。つぎは“サルファ剤”ね。らい病に効くんですって。こっちは緑膿菌に効くみたい。あとは“ストレプトマイシン”と“イソニアジド”と“リファンピシン”とかの作り方ね。これでほとんどの結核が治るって書いてるわ」
「えっ・・・・・・・・・」
ヒィロイ先生が固まってしまった。目を大きく見開いて私を凝視しているわ。心臓止まっちゃったかな?ちょっと怖いんだけど・・・・。
「皇女殿下・・・結核が・・・結核を治すことが出来るんですか?それは本当ですか!?」
再起動した。ヒィロイ先生、ちょっと興奮しすぎよ。結核なんて普通に薬で治るモノでしょ。よく知らないけど。
「本当に結核を治すことが出来るのでしたら、こんなに嬉しいことはありません。これでイスタニアだけで年間何十万人もの命が救われます!世界中なら何百万人、何千万人もの命が救われる!あなたはイスタニアの救世主だ。いや、人類の救世主です!まさに女神様だ!」
あ、ヒィロイ先生泣き出した。しかも号泣。ちょっと精神が不安定な人かな?大丈夫だろうか?
私はシンジローから預かった資料を全部渡してさっさとお暇(いとま)した。目録を全部読み上げてたら時間がかかりそうだったので押しつけちゃった。ヒィロイ先生ならちゃんと読んでくれるはず。重要な技術は私がリューリカを掌握してから公開するって言ってたから、今回のは風邪薬やサプリメントみたいなモノばっかりよね。経口補水液・ビタミンC・ビタミンB類・インフルエンザワクチンやイスタニア脳炎・破傷風・ポリオ・マラリア・199培地・抗インフルエンザ薬とか書いてたから。これで流行病の大流行にも対応出来るかも。シンジロー、グッジョブだわ。
※結核 この世界でも猛威を振るっていた
◇
「アナスタシアがリューリカに帰ってからはあまり連絡が取れなくなります。なので、あらかじめやるべき事をレクチャーしますね」
私は週末毎にシンジローの家に行って、様々なレクチャーを受けるようになった。先ずは人心掌握術からだ。基本的に王宮には私の味方はレオンしかいない。10歳の幼女なので敵もいないんだけど。
「アナスタシアにはまず“セクト”を作ってもらいます。名称は“誇り高き貴族の勉強会”とでも名付けましょうか。お手本にするのはヒトラーとナベツネです」
「たしかヒトラーってシンジローの前世で大戦争を起こした独裁者じゃなかった?そんなやつがが先生ってなんかいやな感じね。確かに権力を奪取する手腕は悪魔的にすごいんだろうけど。それと“ナベツネ”って誰?」
「ナベツネはイスタニアの大新聞を長期にわたって牛耳ったフィクサーですよ。もともと全体主義者なんですけどね」
「そっちも全体主義者なの?やっぱり全体主義者には碌なヤツがいないのね」
「いかに狡猾かってことですよ。アナスタシアが権力を掌握するためです」
シンジローはプレゼン資料を使いながら丁寧に説明してくれる。まずは若い貴族を集めて、いかに専制君主主義が素晴らしいかという勉強会を開くのね。そしてその専制君主にはすさまじく高い指導力と道徳心と慈愛と苛烈なまでの正義が求められると言うことを教えて、最終的に現皇帝のお父様にはその資質が無いという結論に自ら気付かせる。その中から私への忠誠心の高い者達だけを選抜して私の親衛隊を作っていけばいいと。
「オルグには出来るだけ多くの貴族の子弟を招いてください。そこでノブレス・オブリージュを徹底的にたたき込みます。貧しい平民を率いていくのは神から与えられた貴族だけの崇高な使命です。領民を飢えさせるのは神への裏切りであり貴族の恥だと教育してください。そして、リューリカの民を飢えさせている現皇帝に対する不信感を醸成します。その中から特にアナスタシアに対する忠誠心に篤い者だけを親衛隊にスカウトします。貴族にとって親衛隊にスカウトされることは非常に名誉なことだと噂になりますよ」
「オルグって何?それに親衛隊ってなんだか悪の秘密結社みたいね。なんか変な方向に行ってない?大丈夫なの?」
「あ、オルグは勧誘とか勉強会とかの意味です。周りからは“姫様の軍隊ごっこ”くらいに思われているのがいいでしょう。みんなが警戒しないうちに力を付けます。親衛隊の名前は“帝国の加護・アナスタシア親衛隊”です。あくまで帝国のためという意識付けをして下さい。忠誠心はアナスタシア個人へ向かうように仕向けますが、それはリューリカ帝国国民の為だと思わせるのです。リーダーはもちろんレオンにしてもらいます」
まあレオンならしっかりとやってくれるわよね。ちょっとやり過ぎが心配だけど。
「親衛隊の制服も統一して、行動規範を徹底させます。制服は人々から畏怖と憧憬を集めるようなかっこいいのがいいですね」
「ますます悪の秘密結社みたいね」
「かっこよければ良いんですよ。行動規範は徹底的に浸透させて下さい。行動規範は複数人で歩くときには隊列を乱さないように歩くとか、平民に対して丁寧な言葉遣いを徹底するとか、悪事は絶対に許さないとかですね。あと、敬礼の仕方も統一しましょう。右手を斜め前にまっすぐ挙げるのが簡単で良いのですが、何かと問題になりそうなので別の敬礼を考えますね。リューリカ陸軍の敬礼とは明確に区別できるようにして特別感を出します。週に何回かは街にでて奉仕活動をさせてください。王都の市民を味方に付けるんです。例え地方が反乱を起こしても、首都を掌握していれば持ちこたえることが出来ます」
確かにその通りね。リューリカ革命の時は首都の市民達がまず暴動を起こして、それに軍隊が同調しちゃったのよね。暴動を起こしている市民を殺せってお父様が命令しちゃったせいで。首都の市民を味方に付けておくというのは絶対だわ。
「そして“敵”を作ることも忘れてはいけません」
「ん?敵?」
「敵です。脱税をする貴族や違法な高利貸しや悪徳商人を糾弾するんです。人民の敵としてね。適法な金利の金貸しは人民の生活に貢献していると賞賛して、違法な高利貸しだけ攻撃してください」
「シンジロー、市民じゃ無くて“人民”って言ってるわよ。もしかしてあなた、隠れ全体主義者?」
「あ、市民です。ちょっと言い間違えただけです。俺は全体主義者じゃないですよ。言うなれば全体趣味者です。失礼なこと言わないでください。それと、悪を退治するのは皇帝の責務であることを強調してください。そして、現皇帝はその責務を果たせておらず、それを果たすことが出来るのはアナスタシアだとわからせるのです」
「そうやって人心を掌握するのね」
「そうです。そして親衛隊に集まってきた人たちをよく観察してください。本当に忠誠心で参加している者と、名誉欲や自己の利益の為に参加している者がいるはずです。基本的にはレオンと数人の本当に信頼できる側近を作って、それ以外は全部敵か潜在的な敵だと思ってください。絶対に信用してはいけません。そして、アナスタシアがリューリカを掌握したときに、欲で参加している連中を総括します。そうすることによって、本当に忠誠心の高い者達は、さらに忠誠を誓うでしょう」
「総括?」
「粛清と言った方が良いですかね。ちょっと違いますが、まあ似たようなものです」
なんだかいろいろと恐ろしい計画を聞いたような気がするわ。親衛隊に秘密警察、密告の奨励に粛清かぁ。前世でシンジローが真っ向から否定した事ばかりだけど、短期間で権力を掌握するためには必要な事なのよね。レオンは最初こそちょっと引き気味だったけど“アナスタシアを守れるのはレオンしかいないんだ。リューリカを平和な国にするまで情も涙も捨ててくれ。非情に徹してアナスタシアを守って欲しい”なんてシンジローに肩を叩かれて喜色満面になってたわね。シンジローって天性の人ったらしだわ。恐ろしい子。
◇
ノートル邸
私たちはノートルのお父様とお母様と食事をとったあと、レオンと一緒にお風呂に入った。私一人でも大丈夫なんだけど、毎回レオンがついてくる。レオンって過保護なのよね。“もし転んでしまったらどうするんですか”って。子供じゃ無いんだし転ぶ事なんて無いわよ。
レオンはリューリカから持ってきた最高級の海綿スポンジで私の体を隅々まで洗ってくれる。とっても優しく洗ってくれるので気持ちいいわ。天国にいるみたい。背中にレオンのおっきいお胸が当たってドキドキしちゃう。もしかして私ってどっちもいけるのかしら?
「姫様、シンジロー様は、その、とても恐ろしい方ですね。敵をあえて作ることで団結を促すなど考えもよりませんでした」
呼び捨てにして欲しいって言われてるからシンジローの前じゃ“シンジロー”って呼ぶけど、私の前じゃ様付けなのよね。やっぱり知識も経験もレオンより遥かに上のシンジローのことを尊敬してるのね。
「そうね。それは諸刃の剣でもあるんだろうけど、短期間で権力を掌握するためには仕方のないことなのよね」
極右と極左のやり方は同じってよく言われてたけど、まさに表裏一体なのね。スローガンは“団結”と“正義”、それに“パンと平和と豊かな土地を”だ。まるでというか完全にクルストのスローガンだけど、人々の心に響くのは確かね。実際にやるのは派閥と敵を作って分断することなんだけど。しかも“パンと平和と土地を”ってリューリカ革命の時にクルストが叫んでたスローガンでしょ。私の家族はあのスローガンに追い立てられて殺されたのよ。すごくトラウマがあるんだけど、シンジローに意地悪されてるのかしら?
「印刷所の設立準備も進んでおります。父がとても乗り気なので、来月には営業開始ができそうです」
シンジローの提案でレオンの実家、ヤルジャイエス家の首都邸で新聞を発行することになったのよね。「印刷物は我々の最も鋭く最も強力な武器である」なんて鼻息荒く説明してたけど、これって確かクルストが言った言葉でしょ。私でも覚えてるくらいよ。シンジローのヤツ、実はクルストのこと好きなんじゃないかしら。ちょっと不安になるわ。
編集の方針はシンジローが考えてくれることになった。四コマ漫画もシンジローの担当。現地での取材や執筆はレオンのお兄さんがしてくれるらしい。四コマ漫画の主人公は私。題名は「アナちゃん(仮)」。10歳の愛らしい私が、国民の為に頑張って勉強に励む姿をコミカルに描くのよね。漫画を描く才能がシンジローにあったなんて知らなかったわ。
「四コマ漫画の原稿を見ましたが、姫様がとても愛らしく描かれていましたね。国民的人気キャラクターになりますよ。こうやって姫様が頑張っている姿を国民に見せることが出来るのは素晴らしいことです」
この時代、王都にも文字を読めない人たちが一定数いるから、四コマ漫画や風刺画は効果があるのよね。しかも四コマ漫画なんて今の西方大陸にとっては斬新だわ。ある程度溜まったら、四コマ漫画だけ冊子にして販売するらしい。二次創作もOKにするんだって。私が国民的オカズにされちゃったらどうするつもりかしら?
「そうね、これで少しでも国民が皇室に対するイメージを良くしてくれればいいんだけどね」
「領地で採れる石炭を利用した窒素肥料工場の計画も父の承諾を得ました。来年夏までの稼働を目指していますので、秋蒔き小麦栽培に間に合います。父も兄も姫様の情報にとても感謝しております。ここで得た資金は姫様の親衛隊の増強に使わせていただきます」
ほんと石炭と空気から肥料が作れるなんて驚きよね。シンジローが持ってる技術はまだ出せないって言ってたけど、窒素肥料の合成技術だけは出してくれたのよね。食料生産が増えれば革命の可能性が少しでも減らせるから。それに生産された肥料のうち5000トンくらいは使わずに備蓄しておくようにって。万が一足りなくなったときのためなんだろうけど、爆発には気をつけろってどういうこと?なんで肥料が爆発するのかな?まあ、なんだかんだ言ってもシンジローって良いヤツだわ。人の命を救う技術は出してくれたんだし。それに、電球の製造工場を小規模で良いので作ってくれって。リューリカはまだ電気はほとんど普及してないんだけど、将来を見据えた投資よね。シンジローの協力をもらえるようになってまだ3ヶ月ほどしか経ってないのに、水面下で歴史は大きく動き始めた。本当に世界を動かす力を持ってるのね。ヨシュアとの仲は全然動かないけど。恥ずかしがって話をしてくれないのよね。
「それよりレオン、私が権力を掌握したら、真っ先に貴族の特権を廃止するけど、良いのよね。まだ公には出来ないけど、お父上が反対されるようなことは・・・・」
私にとっての一番の心配事がこの事なのよね。貴族の税制優遇や司法の優遇を完全廃止するから、相当数の貴族が反対すると思うのよ。反対する貴族は“国家反逆”の罪で家長は絞首刑台に上ってもらうつもりだけど、レオンのお父さんが反対勢力に加わった時が心配なのよね。
「姫様、それは心配に及びません。姫様がリューリカ国民の為に王権の簒奪を決心されたように、私も決心はついています。父や兄がもし改革に反対するようなら、もはやそれは斃すべき敵です。遠慮無く絞首刑台に上がってもらいましょう。もっとも、そんな事にはなりませんよ。父や兄は姫様に大変感謝しております。必ずや姫様の改革に賛同してくれます」
ふふ、心強いわ。次にすることはクルス虐殺事件の阻止ね。シンジローが検討中だから、どんな案が出てくるか楽しみだわ。
◇
「立て!国民よ!集え!私の下に!生きるための人民の戦いを神が見捨てることは無い!この過酷な凍える大地を生活の場としながら共に苦悩した同志諸君!私は約束しよう!このリューリカの大地全てを豊穣の地に変えんことを!」
パチパチパチパチ
「だいぶ良くなりましたね。でも、もっと感情を表に出して両手を大きく広げてみましょう。国民に対する“愛”がさらに伝わるようになりますよ。いろんなパターンの演説をマスターしてくださいね」
今日もシンジローの家で勉強会をしている。人心掌握術の仕上げとして、ぶちかまし演説の練習中だ。ミカン箱の上に立って拳を振り上げるのにも慣れてきたわ。それを聴いていたレオンは感涙にむせんでる。かわいい。
「ねぇ、シンジロー。あなたの家でこんな大声出してもいいの?」
イスタニアの家って土壁だけど、襖や障子が多いから声がほとんど筒抜けなのよね。
「リューリカ語だから誰にもわかりませんよ。それに、さすがに塀の外までは聞こえません。家人には学芸会の演劇の出し物の練習って伝えてますから大丈夫です」
演説中の拳の角度や表情や視線まで細かく指導してくる。参考にしているのは演説の大天才、ヒトラーとヒトラーの尻尾の人らしい。ヒトラーはシンジローの前世での独裁者らしいけど、そんなヤツのマネをするのってあんまり気分が良くないわね。それにヒトラーの尻尾ってだれだろう?
「アナスタシア、リューリカを掌握する為には清濁併せのむ覚悟が必要ですよ。ヒトラーやクルストが独裁を実現したことには理由があるんです」
◇
大声で演説の練習をしてたら喉が痛くなってきちゃった。いったん休憩にして、シンジローの入れてくれた紅茶と庭でとれた柿で作った干し柿を楽しむ。前世でも冬になったらよく食べてたんだけど、年をとって歯が無くなってからは食べてなかったのよね。そんな事思い出してたらホントにおばあさんみたい。実際中身はそうなんだけど。
「そういえば、ミンツへの血漿輸液の事だけど、お父様から効果があったって手紙が来たわ。お母様は泣いて喜んでるって」
実施すれば効果があることはわかってたから、そこは良かったんだけど・・・・。
「どうしたんですか?アナスタシア。そんな浮かない顔をして」
「うーん、これでセンメニウスの信用を失墜させることができると思ってたんだけど、どうも私がリューリカを発ってすぐに“皇女殿下がイスタニアに行かれることで、良い事と悪いことの両方が起きます”ってセンメニウスがお母様に言ってたみたいなのよね。だから血漿輸液の件も、センメニウスが予言した“良い事”だって思ってる見たい。それで悪いことが怒るかも知れないから十分に注意しろだって」
「占い師の常套手段ですね。“犯人は10代から20代、もしくは30代か40代、しかし50代以上の可能性もあります“ってやつでよ。あらゆる可能性を言っておけばどれかが的中するものですからね。一筋縄ではいきませんか」
「そうなのよ。これでクルス虐殺事件が発生したら、私がイスタニアに行ったからあんな事件が起きたって思われそうで嫌だわ。そういえば、虐殺事件への対策ってどんな感じ?なんとかなりそう?」
もう年の瀬よ。あと三ヶ月くらいで虐殺事件が発生してしまうから、そろそろ動かないと間に合わなくなるんじゃ無いの?
シンジローは持っていたティーカップをゆっくりとテーブルに置いて険しい顔をしているわ。珍しい表情ね。
「クルス虐殺事件の阻止ですが、なかなか難しいですね。正直良い案が浮かびません」
「シンジローでもだめなの?でも何とかしないと・・・・・」
「リューリカ帝国の鉱山の状況を特集した新聞を見つけることが出来たんですけど、それによると金鉱の労働者は一日15時間以上の労働で酷使され、坑道に入る鉱夫の七割は事故で死亡するか後遺症の残る重傷を負っています。しかも賃金は鉱山会社が経営する商店でのみ使える現地通貨で支払われているんですよ。一応標準通貨でも支払われるようですが、それは帳簿の中だけです。ケガや死亡で途中退職の場合は罰金としてほとんど支給されません。ケガの治療も有料で法外な値段です。商店の商品も輸送にコストがかかるからって理由で市価の4倍の値段で売ってるんですよ。いったいどこのペリカですか?帝愛地下帝国も真っ青ですね。都市労働者の二倍の賃金で募集して連れてきて、結局賃金を払わずに使い潰すんですよ。鉱山を出るときは死体か障害者になってからです。これでおとなしく働くと思う方がどうかしてますよね。中世暗黒時代じゃあるまいし。こんな奴隷労働が許されていいわけないんです。しかも国軍が企業側に立って労働者を射殺するとか、こんな事をして革命が起きない方がおかしいですよね。あなたのお父さんはまともな判断が出来ないんですか?自分の死刑執行書を乱発しているようなものですよ。俺がもしリューリカの鉱山労働者に転生してたら間違いなく人民を扇動して革命を起こしてますね」
むー、そんなに私を責めないでよ。シンジローの言う事も解るけど、前世の10歳の私は何も知らなかったし、知ってても何も出来なかったわ。泣いちゃうわよ。レオンもほっぺたを膨らませて怒ってるし。でも、今までのレオンならこんな事を言われたら激昂するのに、最近のレオンの怒り方ってちょっと可愛いのよね。もしかしてシンジローのこと好きになってるんじゃ無いの?
◇
「そんなに・・・非道い環境なんですね・・・・・」
レオンがほっぺたを膨らませながらもなんとか深刻そうな表情を作ってシンジローを見ている。不思議な表情だわ。ヤルジャイエス家も領地で炭鉱を経営しているから、人ごとじゃ無いのよね。労働者を不当に酷使すると惨いしっぺ返しがくるからね。ちゃんと労働環境を良くするように実家のお父様やお兄様に強く言っておくのよ。
「革命したくなる気持ちも理解できるけど、クルスト達にそれをさせるともっと非道い事になっちゃうからね。それなら本当にシンジローがリューリカに渡って革命する?私と一緒に。全面的に協力するわよ」
「10歳の俺じゃリューリカに渡ってもどうしようも出来ないですよ。俺たちが革命を起こす方向じゃ無くて、革命を抑えつつ現皇帝から権力の移譲を受ける事を第一にしましょう」
「たしかにそうね。平和的に権力を奪取するのが一番良いわ。じゃあ、お父様(ニコル)に手紙を送ってストライキが起きても軍を派遣しないようにお願いするとかはどう?」
「そうですね。できる限り鉱山労働者の不遇を訴えて下さい。でも、それだけだと確実性に欠けます。軍を派遣しなかったとしてもストライキが起きてしまえば流血の事態になる可能性が非常に高いと思いますよ。労働者が蜂起して現地管理者を殺害するとかですね。そうなると鎮圧せざるを得ないのでどっちにしても革命の原因になります」
「じゃあ、ストライキを起こさせないようにするしか無いのね」
「そうです。でもその確実な方法が見つからないんですよ」
「「・・・・・・・・・・・・・」」
ダメだわ。シンジローが思いつかないのに私が思いつくはずも無いのよね。でもこのままクルス虐殺事件が発生したらリューリカの命運は尽きてしまうわ。
「あの、よろしいでしょうか?姫様」
話を聞いていたレオンがおずおずと手を挙げた。何か良いアイデアがあるんだったら是非とも話して欲しいわ。
「ヤルジャイエス家の私兵なら20人ほど動かせます。国軍より早く現地に赴いて、デモ隊と経営者との間に入って仲裁を行うというのはどうでしょう?私も同時に現地に行って陣頭指揮を執ります。これなら、ストライキが起きても最悪の状況を避けることが出来るかもしれません」
確かにそれは有りね。ストライキが起きてしまっても流血事態を避けることが出来れば・・・・・・。
「そうね、レオン、良いアイデアだわ。私も行くわ」
「えっ?姫様、それは危険すぎます。それに3月の大森林はまだ極寒の地ですよ。無理です。不可能です」
確かに極寒で危険なことはわかるんだけど、この虐殺事件を防ぐことが出来なかったら、どっちにしてもリューリカに未来は無い。皇女である私が行けばもしかしたら経営側も妥協してくれるかも知れないし。それに、おじいさまからの夢の啓示があったって言えば、今のお父様なら何かしらの手を打ってくれるかも。
「レオン、寒くて危険なことはわかるけど、この虐殺事件を防がなかったら私にもリューリカにも未来は無いの。だからどうしても行くわ」
「姫様、しかし・・・」
「レオン、あなた、マイナス20度の吹雪の中で雪洞(せつどう)を掘って一夜を過ごしたこと、ある?」
「えっ?そ、それは・・・・」
「私ね、両足の小指が無いの。凍傷で腐って落ちちゃった。あ、これは前世の事なんだけどね。17歳の私はバトラと二人で大森林を東に逃げたわ。次の村まで冬の森を歩いてたら夜になっちゃってね、雪洞を掘ってバトラと二人で夜を明かしたの。そんな事が何回かあったわ。だから、あなたとあなたの私兵20人もいるんだったら大丈夫よね」
「そんな事が・・・」
「だからね、レオン、私とリューリカを守って欲しいの。これはレオンにしか出来ない事なのよ」
こういう言い方をすればレオンは断れないのよね。この半年間でだいたいわかってきたわ。
「姫様、そこまで私を頼りにしてくださっているのですか。不肖このレオン、命に代えましても必ず姫様をお守りいたします!」
よし、計画通り!
「アナスタシア、俺もあなたが行くのが良いと思いますが、あなただけ行かせるのはちょっと不安ですね」
◇
3月23日 クルス鉱山
信じられないくらい遠かった。何回も死ぬかと思った。途中までは大森林横断鉄道だったから良かったけど、そこからを甘く見ていたわ。クルス鉱山まで物資を運ぶために道はあるって聞いてたけど、1100kmの距離を軽便鉄道とソリで3週間なんてあり得ないでしょ。レオン家の私兵が十分な装備を持ってきてなかったら間違いなく死んでた。
私はホームシックにかかった振りをしてお父様に一時帰郷をお願いしたの。そうしたらお手紙じゃ無くて緊急電信で返事が来たわ。留学を切り上げてすぐに帰って来いって。それは断ったけどね。
「ラルドゥックス大尉(シンジローのお父さん)、はるばる大森林の奥地までご同行いただき、感謝に堪えませんわ」
シンジローの同行はお父様に無理矢理お願いして実現した。同行を許してくれないと海に身を投げるって言ったらすぐにOKが出たわ。イスタニア陸軍としても大森林鉄道沿線の情報収集をしたかったので武官を派遣することになったそうだ
3月中旬に入ってからは日中の最高気温が0度を上回る日も出てきたけど、大森林に入ってしばらく夜はマイナス30度、昼でもマイナス10度なのよ。軽便鉄道の区間はすぐに終わって、そこからは幌の無いソリで雪の中を移動よ。野営のテントが天国に思えるくらいだったわ。イスタニアの武官達は最初“これはいい雪中訓練になりますな”とか軽口をたたいてたけど、5日目くらいからは無言になっちゃったもんね。寒さに関してはレオンの家の私兵の方が一日の長があったわね。北方で生まれ育っただけのことはあるわ。
「いえ、皇女殿下、この程度の寒さ、何ほどのものでありましょうか」
シンジローのお父さん、強がってるけど道中死んだような顔をしてたのを知ってるわよ。お顔が遮光器の所を除いて真っ黒に日焼けしててまるで逆パンダね。ふふ、大人になったシンジローによく似ててちょっとドキドキしちゃったのは内緒よ。
私は“お爺さま(ヨーゼフ三世)から夢のお告げがあったと王都のお父様に手紙を書いて、クルス鉱山を目指したの。シンジローのお父さんには”皇帝からの依頼で護衛を頼みたい“って嘘をついてね。外交問題になるかも知れないけど、どーでもいいわ。もちろんシンジローの入れ智慧よ。
クルス鉱山に到着した私たちは早速鉱山事務所を訪問した。さあ勝負の時間よ!
◇
「だーかーらー、この皇帝アナスタシアが労働者の待遇改善をお願いしてるのよ!それが聞けないの!?」
「皇帝?」
「あ、間違えた。まだ皇帝じゃなかったわ。皇女アナスタシアがお願いしてるのよ!」
私はレオンと数人の私兵を連れて鉱山管理事務所に入った。さすがにシンジローたちイスタニア人を管理事務所に入れるわけには行かないので私たちだけだ。一応東の都から先触れの電信を入れていたのだけど、現場では“本当だったの?”って感じで慌ただしく書類の束を抱えて右往左往している。何かを隠そうとしているのかしら?とりあえずこの鉱山の責任者を捕まえて労働環境の改善を直談判してるのだけど、当然そんな事は一筋縄には行かないわよね。
「皇女殿下、我々も手をこまねいているわけでは無いんです。ここで提供される食料は東の都から運ばれる物しか無いんですよ。天候によっては物資も滞りますし。その中でなんとかやりくりしてるんです。しかも、ストライキ中で全く金の採掘が出来ていないにもかかわらず、食糧の供給だけは続けています。賞賛されこそすれ非難される謂われはありません」
「でも、食料の供給を止めたら餓死しちゃうんでしょ?逃げ場所なんて無いんだし。私の大事な国民を殺す気かしら?それに、食料を止めたら確実に暴動が起こって、あなた方も殺されちゃうわね」
「う、たしかにそれはそうなのですが、現状違法なストライキである事に間違いありません!」
この時代、どこの国でもストライキはだいたい違法なんだけど労働者に銃を向けて何百人も殺すのはリューリカくらいなのよね。こんな事を繰り返してたら当然革命だって起きるわ。私が労働者の立場だったら絶対革命してる。シンジローが怒るのも無理はないわね。
私たちがクルス鉱山に到着したときにはもうストライキが起こっていた。本当に悔しいわ。まさか到着までこんなにも時間がかかるとは思わなかった。さすがのシンジローもクルス鉱山までの詳しい交通状況を知らなかったのと、出発をこれ以上前倒ししても気温が低すぎてたどり着けないだろうって判断だったのよね。無理をしてでも出発を早めるべきだったわ。
「そもそも今回の騒動は一日11時間の労働の後、個人の裁量で金(きん)の採取を許していたのを禁止した事に端を発しているんですよ。時間外に見つけた金は会社が別途買い取りますからね。あいつらは給料の出る時間は真面目に働かずに、時間外になったら本気で働いて金を見つけるんですよ。勤務時間内に見つけた金を隠していて、時間外に発見したと嘘をついている疑いもあります」
「それで金の個別買い取りを中止して勤務時間を延ばしたのね。労働者を信じない非道い話だわ。勤務時間中に真面目に働かない労働者が実際に居るのかもしれないけど、それはマネジメントの問題でしょ?あなたたち管理者に問題があるのよ。それに罰金制度って何よ?採掘量が少なかったりケガで仕事が出来ないときに罰金を取るって明らかな違法でしょ。私でもそれくらいの法律は知ってるのよ。これは王都に報告させてもらうわ」
「罰金制度は会社が決めたことなので、私にそれを変える権限はないんです。違法なのかもしれませんが、それは本社に言ってください」
「じゃあ鉱山本社に私自ら抗議を入れるから電信を使わせてね。あと腐った肉や馬の肉を出したんでしょ?しかも会社が経営する食堂で。あり得ないわ」
イスタニア人って馬の肉を食べたりするけど、ほとんどの西方大陸人からするとちょっと信じられないのよね。馬は人間の次くらいに賢い動物でパートナーだと思ってるから。私もイスタニアでは食用の馬がいるって聞いてショックを受けたのよ。
「皇女殿下。たまたまウジの湧いた肉が混ざっていたかのも知れませんが、それはたまたまですよ。我々もわざとしたわけじゃありません。馬の肉については、死んだ馬を現場で解体した可能性もありますが、会社としては未確認です。それに労働者がこのままじゃ無理って言いますが、全然無理じゃないんです。だって今までやってきてたんですよ?無理というのはですね、途中で止めてしまうから無理になるんです。途中で止めなければ無理じゃ無くなるんですよ」
どっかのブラック企業の社長みたいな事を言うのね。本当に労働者をなんだと思ってるのかしら。
私の後ろで身長1.9メートルはあろうかという体躯の私兵がにらみをきかせてるんだけど、ここの責任者はちょっとたじろぐだけで条件的には譲歩をしない。なかなか肝の据わったヤツだわ。
◇
「アナスタシア、どうでした?皇帝からの手紙は来てましたか?」
管理事務所から出てきた私たちにシンジローが駆けよってきた。
「お父様達からはまだ何の連絡も無いそうよ。ただ東の都の師団から国軍を派遣するって連絡があったみたい」
「そうですか・・・。もう国軍は出発してるんですね・・・・・」
シンジローもちょっと厳しい表情をしている。今のところお父様達への手紙は何の効果も無い。残念だわ。
「俺たちが東の都を出たときには、国軍に何の動きもなかったので、ここに到着するまでおそらく一週間から長くても二週間くらいでしょう。その間になんとか労働争議を収めないとならないわけですね」
残された時間はあまりないわ。あと数週間でリューリカの運命が決まってしまうのね。
◇
ストライキ実行委員会
「本当に皇女?」
実行委員会が陣取ってる宿舎は、鉱山事務所から歩いて30分くらいの所にあった。実際に歩くとかなり遠い。道路は多数の轍の形に凍っていてまっすぐ歩けないわ。まだ昼過ぎだけど太陽はもう沈みかけていて本当に寒い。そして私たちが宿舎にたどり着いたとき、待っていたのは労働者達の不審者を見るような視線だった。まあ、突然皇女を名乗る幼女が現れたんだから信じられないわよね。それはともかく、ここはちょっとあり得ないくらい不潔で臭いわ。何ヶ月も体を洗っていない男達の体臭でむせかえってる。しかも目の前の実行委員たちの口臭も瘴気を吐いているのかってくらいね。倒れそう。おそらくビタミンC不足で壊血病になりかけてるんだわ。でもここで不快な顔をしてはダメよ。彼らはこういう環境での生活を強制されてるんだから。
「信じられないのは無理も無いわ。でも本物よ。あなた方がストライキをしてるって聞いて駆けつけてきたのよ。あなたたちの話を聞かせて欲しいの。このストライキを流血無しに終わらせたいのよ」
労働者達の視線が刺さる。特権階級に対する妬みと恨みのこもった視線。前世で何度もあの視線に晒されたもの。
ストライキ実行委員の委員長はこのクレチンスキーという男だそうだ。鉱山労働者とは思えない理知的な雰囲気があるわね。革命主義を勉強しているような気がするわ。
「ストライキを聞いて来た?嘘をつくな!東の都から三週間はかかるんだ。皇女がこんなに早く来るはずが無いだろう!」
あ、しまった。確かにそうね。時系列が合わないわ。それに気付くとは、やっぱり頭は良さそう。こういうインテリタイプの人には、ちゃんと論理的に説明して怒らせないように注意をしなきゃ。
「そ、それは事前に情報を得たのよ。ストライキを計画してるって。だから急いで来たのよ」
事前に情報がもたらされたと説明したら辻褄はあうわよね。それに労働者のみんなのことを心配してるって伝わるはずだわ。
それなのに、何故か実行委員達の視線がさらにキツく刺さる。
「幹部の誰かが裏切って情報を漏らしているのか?」
ヤバイヤバイ!首謀者の男が周りの幹部達を睨みつけているわ。突然粛清とか始まったらどうしましょ。
「今はそんな事どうでも良いでしょ!後でやってよ!とにかく話し合いのテーブルに着いてよ!私はみんなの生活を少しでも改善したいのよ!」
「少しだと?本当に俺たちの現状がわかってるのか?俺たちは生きるか死ぬかの瀬戸際なんだよ!我々の18箇条要求は既に出している。これが全て認められるまでストライキは続ける!」
ああ、何故かさらに怒らせてしまった。もしかして私ってポンコツなのかな?
「じゃ、じゃあ、食事の改善と時間外の採取を復活させたらストライキを中止するとかは?」
「確かにストライキのきっかけは腐った肉と馬肉が入っていたこと、それに時間外採取の禁止だ。だが時間外採取があったからなんとか我慢出来ていただけなんだよ。それが復活したからと言って根本的な解決にはならないんだ。多くの仲間が事故で死んだり大けがをしてるんだよ。命懸けなんだよ!要求が満たされるまで我々は断固としてストライキを続ける!」
◇
「全然埒が開かないわ。どうすればいいのよ!」
私たちは管理棟の近くに天幕を張って野営をする事にした。管理棟の部屋を用意するって言ってたけど、なんだか覗かれるようで不安があったのよね。乙女の直感よ。
双方の話はとりあえず聞いたわ。罰金と社内通貨に関しては明らかに違法行為なのですぐに止めさせるように手配をしたんだけど、それ以外の条件については全く歩み寄りが無いのよね。
「皇族といってもそれほど権力無いんですね。この時代のリューリカについてはあまり知らなかったんですが、もっと専制的なのかと思ってましたよ」
「1905年の憲法発布でかなりの権力を制限されちゃったからね。皇族でも皇太子以外はそれほど権威なんて無いのよ。イスタニアとは比べものにならないわ。特に私は第二皇女で10歳だし。でも、皇族の犯罪は皇帝しか裁くことが出来ないから、いざとなったら私が労働者を扇動して会社の勢力を追い出すっていう手も採れるわ」
「過激ですね、アナスタシア。まあそれは最後の手段にするとして、まだやってないことがたくさんありますよ。ロールプレイングゲームの最初の村の基本です。もっと多くの人に話を聞くんですよ。労働者は本当に一枚岩ですか?執行部の方針に反対しているグループは無いんですか?」
確かにそうね。この鉱山では数万人が働いているんだから、全員が同じ考えとは限らないわね。
「主流派があれば反主流派もあります。主流派に不満を持っている人たちに接触しましょう。そして、アナスタシア、あなたの力で反主流派を形成するんです。そして主流派の切り崩しです。主流派の強硬派についていくよりアナスタシアについた方が得だと思わせるんです」
「それはあなたの前世のナベツネの手法ね」
「そうです。そうやって彼は大新聞の主筆にまで上り詰めましたからね」
◇
私たちは手分けをしていろいろな人から話を聞いた。そして、チャフチンスキー鉱区の労働者達が最後までストライキに反対していたことを突き止めた。
「あなたたちは最後までストライキに反対したって聞いたわ。それは何故?」
今回は、シンジローに従者の一人としてついて来てもらってる。リューリカは多民族国家なので、私と同じ年くらいのアジア人従者がいても無学な労働者は不審に思わないだろうって。
「おれたちゃあいつらの言う革命主義の理想なんてどうだっていいんだよ。働いて飯がくえりゃな。だが、あいつらの“より安全な職場”や“人間的な労働環境”ってのは確かにその通りだ。いけ好かねぇ現場監督に怒鳴られるのもこりごりだしな。だからストライキに賛同することにしたんだ」
確かにこの人の言う通りね。お金は欲しいから働きたいけど安全はやっぱり必要だものね。ここからどうしたものかと思っていたら、シンジローがガリア語で話しかけてきた。労働者に聞かれないようにする為ね。
なるほど。シンジローの方針はわかったわ。さすがね。
「あなたたちの18箇条の要求は読んだわ。でも、あの全てを一度に認めさせるのは絶対に不可能よ。それこそ革命でも起こさない限りね。でもあなた方の追い詰められた状況も理解した。だからね、“順法闘争”よ!」
「順法闘争?」
労働者達は皆訝しげな表情を向けて来る。私だって初めて聞いた単語だわ。法律を守りながら戦うってどういうことって思うわよね。
「そうよ。リューリカにも鉱山労働安全を規定した法律があるわ。最低限の安全を確保するためのね。それを忠実に実行するのよ。こっちが法律を守るんだから会社も文句は無いでしょ。法律をきっちり守ったらどうしても生産性が下がるわ。会社はそれが嫌だから、違法な労働を強いてきてるのよね。もし法律を守ったことに対して難癖を付けてきたらその時こそ交渉のチャンスよ」
「交渉できるのか?」
この鉱区のリーダーらしい男がちょっとだけ私の言葉に興味を示したわ。よし、このまま押し切ってやる。
「出来るかどうかじゃないの!交渉して認めさせるのよ!」
「・・・・・アンタが本当の皇女だったとしても無理だよ。あいつらは金の亡者だ。それに、実行委員会に逆らったら、どんな仕返しをされるかわかったもんじゃねぇ。おれたちゃ実行委員会の方針に従う。なにもしねーよ」
なんでそんなに消極的なのよ!!あー本当にイライラするわ。
「ねぇ、あなたの足の間にあるモノはお飾りなの?経営者や実行委員が怖くて縮み上がってるのね。ちょっとでもあなたたちに期待した私がバカだったわ」
「何だと?このガキ!」
「あら、本当のことを言われたら怒るくらいの気持ちは残ってるのね。じゃあ最後に言ってあげるわ。この負け犬ども。飼い主に言われるままブタの餌でも喰ってやがれ」
「ああっ?クソガキ!言わせておけばつけあがりやがって!」
労働者達が顔をまっ赤にしているわ。さすがにこれだけ言われたら怒るくらいの気力は残ってたのね。後ろではレオンと私兵達が腰のピストルに手をかけたのがわかった。でもダメよ。私は右手でレオンを制してありったけの声量で労働者達を怒鳴りつけた。
「男なら立ってみろやぁ!ウサギ野郎ども!この皇帝アナスタシアがお前らインポの童貞陰キャを“男”にしてやろうって言ってんだよ!私を楽しませてくれる男は一人も居ないのかい!?」
ザワザワと騒いでいた労働者達が静まりかえった。みんな、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔になっちゃったわね。まさか10歳の幼女にそんな事を言われるなんて思ってもみなかったでしょ?でもね、私はリューリカ国民3億人を何十年にもわたって率いてきた皇帝なのよ。舐めてもらっちゃ困るわね。
「ふはは、はーはっはっは、おもしれー嬢ちゃんだ。もう皇帝になったつもりなのか?そこまで言われて勃たないんじゃ男が廃(すた)るってもんだ。わかったぜ、小さな皇帝陛下。俺たちゃアンタに従おう。チャフチンスキー鉱区で労働組合を結成だ!皇帝陛下が委員長でいいんだな?お前らも文句はねぇかぁ!?」
「おう!文句はねぇぜ!」
労働者達は口々に同意を表明する。この鬱屈とした雰囲気をなんとか打破したかったのね。
「いい面構えになったじゃないの。あんた、名前は?」
「俺はイワンだ。よろしくな、皇帝陛下」
◇
「なんとか説得に成功したわね」
チャフチンスキー鉱区の労働者達で労働組合を結成した後、私とレオンとシンジローの三人で天幕に戻ってきた。
「アナスタシア、かっこよかったですよ。本物の皇帝より迫力ありそうですね。俺もちょっと惚れてしまいました。ヨシュアにも見せてあげたかったですね」
「お世辞はいいわよ。ついつい皇帝って間違えちゃうわね。それにヨシュアにあんなはしたない所なんて見せられないわ」
「お世辞じゃないですよ。本当に尊敬しました。レオンのびっくりしてまっ赤になった顔も可愛かったですね。18歳の女の子だと再認識しましたよ」
「そ、シンジロー、そんな事を言わないで欲しい。私は姫様と国家のために女を捨てたのだ」
あら、レオンがまたまっ赤になっちゃった。可愛いって言われて本気で照れてるわ。なんて可愛いのかしら。シンジローって見た目は10歳の男の子なんだけど、私たちだけで話しているときは大人の余裕って言うか落ち着いた感じがあって男らしいのよね。私やリューリカ政府がダメダメなときにはイヤミを言われることもあるんだけど、頑張ったときには良く褒めてくれる。特にレオンの事はすごく褒めるのよね。シンジローもレオンのこと気に入ってるんじゃないかしら?時々ウイットに富んだジョークでレオンを笑わせてるし。実際中身は35歳+10歳の42歳だからね。でも18歳の男装令嬢と10歳の男児の恋愛かぁ。これって“おねショタ”って言うのかしら。まるでUSUIHONのネタね。
「アナスタシア、どうでも良いこと考えてませんか?」
ほんと感のいいおっさんだわ。
◇
チャフチンスキー鉱区の労働者達は、早速作業を再開するためにボイラーに火を入れた。石炭を燃やすからものすごい黒煙がでるのね。肺の中まで真っ黒になりそう。この時期は土が凍っているので、お湯で溶かしながら作業をするらしい。労働者達はずぶ濡れになって作業をして、就業の後は濡れた体のまま寒空を歩いて宿舎まで帰るそうだ。これじゃ体を壊すのも当然ね。この辺りの業務改善もしていきたいわ。
◇
「これがチャフチンスキー鉱区労働組合の要求書よ。労働者を募集したときの約束と法律を守ってくれる限り作業は続けるわ」
私は会社への要求書をシンジローに作ってもらって組合の決議にかけた。そしてチャフチンスキー鉱区全員の同意を受けて管理事務所に持ち込んでいる。
「皇女殿下が組合の委員長?」
「そうよ。文句があって?」
組合が要求した項目は概ね以下の通りだ。
・労働時間 10時間の二交代制(夜勤有)
・夜勤の給与は3割増
・管理者による暴力や粗暴な言動の禁止
・罰金の禁止
・標準通貨での現金支払い(社内通貨の禁止)
・食料の改善
・壊血病予防の為のキャベツやライムの提供
・日曜日と主要な祝日は休める(無休)
・勤務によってケガをした場合、医療費は会社負担とする。
・その他リューリカの法律の遵守
シンジローに要求をまとめてもらったけど、これって今現在のリューリカの法律に書かれている事がほとんどなのよね。ヤルジャイエス家から来た私兵の隊長さんにリューリカの法律書を持参してもらってて正解だったわ。しかしこの程度のことも守れてないって事を肌で実感できて良かった。前世では何不自由の無い宮廷暮らしだったからこんな状況だったなんて知らなかった。革命後の人々の非道い生活は知ってたけど、革命前も十分に非道い。多くの国民を不当に虐げて搾取したお金でのほほんと生活してたんだから、革命は天罰だったのかも。でも、私や皇帝一家がその責任を取らされて殺されてしまうのは百歩譲って仕方が無いとしても、その結果何千万もの国民を殺されることを黙ってみているわけにはいかない。どんなことをしてもそれだけは防いでみせるわ。
鉱山事務所の責任者はこの条件を本社と掛け合ってくれるって約束してくれた。ただし、標準通貨での現金払いは早くても一ヶ月以上先になるらしい。そもそもこの鉱山に現金はほとんど無く、用意するには時間がかかるそうだ。信じられないほどのブラック企業ね。
◇
「「「あ~た~らしい朝が来た、希望のあ~さ~だ、よろこ~びに胸をひ~ろげ~♪♪」」」
「みんな、おはよう!」
「「「おはようございます!皇帝陛下!」」」
毎朝鉱山に響き渡るのはみんなの歌声だ。これを歌った後に体操をして体を暖めるのね。最初はみんな戸惑ってたけど、今では体操で汗ばむくらい全力で取り組むようになったわ。
私は再稼働した鉱山に毎朝と毎夕行くようにしている。それ以外にも時間が許す限り鉱山に赴いて労働者のみんなに声をかけるようにしているわ。あれから一週間ほど経過したけど、大きな事故は無くみんな元気に作業をしている。安全第一で仕事をするように指導したからね。そうしたら現場監督がイライラして“作業を止めるな!もっと動け!”って怒鳴ってきたの。そりゃ安全を確認しながら仕事をするから、傍目には手順ばかり多くなって仕事のペースが落ちているように見えるわよね。でもね、シンジローも言ってたけど事故で作業が止まったり怪我で熟練工が脱落する方がよっぽど損失が大きいのよ。安心安全に働ける職場こそ最終的には最も効率が良くなるの。その為にいろいろなルールを決めたわ。
「そこの足場!1メートル以上の所にはちゃんと手すりを作って!1メートルは一命取る(イチメイトル)のよ!油断しちゃダメよ!」
「それ、一人で持っちゃダメ!30キロ以上の物は必ず二人で持つようにね!重たい物を持ち上げるときにはもっと腰を落としなさい!前屈みになったら腰を痛めるわよ!腰は男の命でしょ!奥さん悲しむわよ!」
「ちゃんと帽子とマスクをして!あご紐もちゃんと締める!イワン!ちょっとこっちに来なさい!通路にこんな物を放置させないで!引っかかって転んだらどうするの!もっとKY(危険予知)活動を徹底させて!不安全行為を徹底的に潰していくのよ!」
こんな感じでシンジローに教えてもらった安全確認を徹底させてる。あと指さし声出し確認もね。「右ヨシ!左ヨシ!安全帽ヨシ!マスクヨシ!ご安全に!」って全員で唱和をさせるのって気持ちが良いわ。始業前の体操ももちろんシンジローの発案よ。
そしてチャフチンスキー鉱区の再稼働を知った他の鉱区のいくつかが同じように再稼働を果たした。この一週間で全鉱山の三割以上が私たちの方針に賛同してくれてる。主流派の切り崩しも順調だわ。さすがシンジロー。あいつってガチガチの反全体義者のくせに革命主義のやり方や労働争議・労働安全にやたらと詳しいのよね。“全体趣味者“だって言ってたけどどこでそんな情報を仕入れてたのかしら?
日が暮れて日勤の作業が終わり夜勤の人たちが坑道に集まり始める。設備の関係もあって夜勤の人数は日勤の半分ほどなんだけど、三割増の夜勤手当が出るから勤務希望者が多いのよね。みんな頑張るのは良いけど無理はしないでね!
「小さい皇帝陛下!今日も激励ご苦労さんです!」
「怪我も無く働けましたよ!皇帝陛下のおかげでさぁ!」
「良かったわ!明日も頑張って安全にね!」
「へいっ!皇帝陛下に応援されたらビンビンですぜ!」
「皇帝陛下がもうちょっと大きくなったらオレっちが喜ばしてさしあげますぜ!」
「それは楽しみね。どれくらいのモノか期待してるわ!私をがっかりさせないでね!」
私が言い間違えたせいで“皇帝陛下”って呼ばれるようになっちゃった。こういうノリって肉体労働現場特有よね。あと下ネタも。あのとき下ネタ全開で啖呵を切っちゃったから、私が幼女でも下ネタOKって思ってる節があるのよね。でもついつい釣られて下ネタで返しちゃうんだけど。
そんな下ネタの掛け合いをやってると時々レオンが「姫様、今のはどういう意味でしょうか?」なんて真顔で聞いてくるから返答に困るわ。そういうときにはシンジローに説明してもらってるけど。あ、ダメよ!シンジロー!もうちょっとオブラートに包んで説明して!そんな卑猥な指の仕草しない!レオンはまだ本当に乙女なのよ!
そんな感じで10日が過ぎたころ、ストライキ実行委員会の執行部が私たちを訪ねてきた。
◇
「皇女殿下、うまく連中を丸め込んだものですね。おかげで本当に労働者の未来を考えている我々の方が悪役みたいですよ」
実行委員長のクレチンスキーが苦虫を噛みつぶしたような渋面で私を見下ろしている。本当に不満たらたらって感じね。自分たちでこの鉱山を乗っ取れるとでも思ってたのかしら?まあ気持ちは解らないでもないけどね。
「丸め込んだなんて人聞きが悪いわね。理解してもらったのよ。無茶なストライキが長引けば執行部のあなたたちは逮捕されちゃうし、間違って流血事件に発展することだって考えられるのよ。私は誰も傷ついて欲しくないの」
「流血事件にだと?はっ!俺たちの血をすすってのうのうと生きていらっしゃる皇族様の言葉とは思えないな!それとも俺たち下級国民の血は吸い飽きたってか?俺たちは血を流すことを恐れちゃいない!それで世界の労働者が団結できるんだったらな!」
なんだか鉱山の労働環境改善って話じゃ無くて世界に飛躍しちゃったわね。委員長のクレチンスキーって男、なんか怪しいのよね。労働者にしてはインテリっぽい感じなのにこんな厳しい鉱山労働に自ら応募したとは思えない。誰かの指示なのかしら?100年の人生が培った私の中の警報が鳴ってるわ。
「もしかして、クルストの一派から極秘指令が来ているのかしら?“強硬な労働争議を起こして国軍に発砲させろ”とか?ここで犠牲者が出ればクルストの思うつぼだものね」
クルストって“クルス川の男”って意味なのよね。クルスト自身はこの名前を10年くらい前から使ってたんだけど、このクルス虐殺事件を利用して“クルスで殺された労働者の事を忘れない。だから私はクルストと名乗ろう!”とか言い出すのよ。この時からクルストは影響力を盛り返してくるわ。もしかしてクルストの名前を売るために労働争議を裏で手引きしてたんじゃ無いかしら。
「な、なぜ同志のことを?」
ん?もしかして図星なの?この執行部連中の動揺を見ると、本当に指示が来ていたのかもね。
「同志ねぇ。何を吹き込まれたのか知らないけど、あの男は労働者や農民の事なんてこれっぽっちも考えちゃいないのよ。自分が権力を握るためだったらどんな側近だって殺すし、意に沿わない労働者や農民を何百万人も虐殺するのよ。あなたはその犠牲者になりたいのかしら?それとも虐殺を楽しむ側になりたいの?どっちにしても幸せにはなれそうにないわね」
よくよく考えたらお父様が虐殺した民衆の人数より、クルストが虐殺した人数の方が1000倍は多いのよね。それでも連中が権力を握り続けることが出来たのは完全に情報を統制したから。そして自分たちに反対してるのは反革命であって民衆の敵だって国民を騙したからよね。全体主義者ってこういうことにだけは天才的だわ。
「お前が同志の何を知ってるって言うんだ!同志はリューリカの労働者のために命をかけてるんだ!」
「ふん、少なくてもあなたよりはよく知ってるわ。あの男の“狂気”をね」
そうよ、あの男の狂気で私たち家族は殺されたのよ。そしてクルストが主導した赤色テロで数百万人の国民が無残に殺されて、その数倍の人々が大森林送りにされてしまったの。こんな事は絶対に許さない。
と、その時だった。私たちのいる建物にストライキ実行委員の一人が駆け込んできた。
「委員長!大変だ!国軍が来て各鉱区のリーダーを逮捕してるぞ!連中、もうすぐここにも来る!逃げた方がいい!」
到着したのは東の都に駐屯していたトレシチェンコフ大尉率いる憲兵隊約200人らしい。全員小銃で武装し、ストライキを実行している労働者の宿舎に押し入り実行委員のメンバーを次々に逮捕していったそうだ。
「連中が来るのを待つ必要は無いわ。こっちから出向いてやりましょう」
私はレオンとシンジローに目配せをしてコートを羽織った。そして逮捕された実行委員が集められている管理事務所前の広場へ向かう。
◇
「そこまでよ!労働者に銃を向けるのは止めなさい!」
艦事務所前の広場には、縄で縛られた実行委員20人ほどが座らされていた。彼らの顔は皆腫れていて、逮捕時にかなり殴打されたのね。可哀想に。
「なんだ?お前達は?」
憲兵隊を率いているトレシチェンコフ大尉が訝しそうに私たちの方を見た。そして私たちに小銃の銃口向けてくる。
「貴様ら!大皇女アナスタシア様に銃を向けるなど不敬であろう!すぐに銃を下ろせ!」
レオンが憲兵に激怒しているわ。そして私の前に歩み出て両手を広げてみせた。
「大皇女アナスタシア様?まさかその荷物のように担がれている“モノ”がか?」
私はレオンとシンジロー、そしてヤルジャイエス家の私兵20人を引き連れて管理事務所へ走り出したんだけどね、10歳の足じゃ全然早く走れないの。私としては全力なんだけど全くついて行けない。そんな状況を見かねた屈強な兵士が私を担いで肩に乗せてくれたのよね。まるで小麦の入った麻袋を担ぐように。だから今は大皇女の威厳もなにも無いのだけれど“モノ”扱いは非道いわね。
私はゆっくりと肩から下ろしてもらい深呼吸をして息を整えた。
「そうよ!この私、大皇女アナスタシアが来たからにはお前達の勝手にはさせないわ!逮捕した労働者のみんなをすぐに解放しなさい!」
「大皇女アナスタシア様だと?そんなボロボロの防寒着を着た小汚い小娘が皇女殿下であるはずがないだろう。ふざけたことを言っていると不敬罪で逮捕するぞ」
レオンを含めてみんな汚れた防寒着を着ているのよね。だって鉱山に入るのに毛皮のコートなんて着てたら、労働者のみんなから白い目で見られちゃうわよ。できるだけ労働者に寄り添う姿勢を見せないとね。
「小汚くて悪かったわね。鉱山事務所に確認してみたら?東の都の政庁から連絡が来ているはずよ。出発の時に聞いていないの?」
指揮官のトレシチェンコフ大尉は副官に確認に行くよう指示する。そうこうしているうちに騒ぎを聞きつけたヨシュア達とチャフチンスキー鉱区のイワン達も駆けつけてきたわ。
「本当に皇女殿下でしたか。どうやら政庁から軍には連絡が無かったようです。知らぬ事とは言えご無礼をいたしました。どうかお許し下さい」
管理事務所から戻ってきた副官が報告をしたら、すんなり自分たちの非を認めて謝罪したわね。さすがに正規軍だから、この辺りの教育はしっかりしているみたい。
「わかったかしら?じゃあ、逮捕している人たちを解放して東の都に帰ってもらえる?」
「それとこれとは別です。我々は王都のベレツキー警察長官から“ストライキ委員会を確実に解散するように”と正式に要請を受けています。皇女殿下といえども司法の筋を曲げることは出来ませんよ」
このトレシチェンコフ大尉ってなんだかとっても神経質そうな顔をしている。命令を杓子定規に解釈して実行するタイプね。こういう官僚的な考えに凝り固まった人間って一番苦手だわ。
「皇女殿下はお疲れの為、少々混乱しているようですな。ここは我々に任せてあちらの馬車でお休み下さい。皇女殿下を丁重にお連れしろ」
トレシチェンコフ大尉の指示を受けた兵隊達数名が私の方に近寄ってきた。ちょっと表情がマジで怖いんですけど!
「姫様に近寄るな!」
斜め後ろに控えていたレオンが私の前に立ちふさがって兵隊に拳銃を向けた。そしてヤルジャイエス家の私兵も憲兵達に小銃を向ける。
そして銃を向けられた憲兵隊の兵隊も小銃を構えてしまった。当然そうなっちゃうわよね。しかしこれはちょっとまずいんじゃ無いの?このまま銃撃戦になったら史実よりもさらに混乱に拍車がかかってしまうわ。もしかしてリューリカの命運より先に私の命運が今日ここで終わっちゃうの?
トレシチェンコフ大尉も憲兵達に銃を下ろすように命令しているけど、端っこの方まで命令が届いていないわ。
「レオン!!銃を下ろしなさ・・・・」
私が左手を伸ばしてレオンを静止しようとしたときだった。私たちの後ろからまるで爆発が起こったかのような怒声が響き渡った。
「俺たちの皇帝陛下に銃を向けるんじゃねぇ!」
「そうだ!アナスタシア皇帝をお守りしろ!」
憲兵隊が私に銃を向けたことでイワン達が激怒してしまった。そして憲兵隊に詰め寄ろうとしている。たったの二週間足らずの間だったけど、同じ釜の飯を喰った仲間なのよね。嬉しいんだけど、ちょっと本気でまずいわ。この混乱で憲兵が発砲してしまったらもう何もかも終わっちゃう!落ち着いてよ!みんな!
私はとっさに辺りを見回した。さっきまで近くに居たはずのシンジローがどこかに行ってしまっている。
わたしはすぐ近くにあった演台に上った。高さ1メートルほどの小さな演台だけどこれで周りを十分に見渡せるし私の声も届くわよね。
「落ち着け!そして全員銃を下ろせ!ここで働いている人々は国家の経済を支える大事な労働者だ!この大皇女アナスタシアが愛する労働者だ!真っ黒になった手は働き者の手だ!私の大好きな労働者だ!それなのに!国家を支える労働者諸君に銃を向けるとは何事だ!非武装の労働者に銃を向けて恥ずかしくないのか!これが誇り高きリューリカ帝国軍人のする事なのか!?」
私の声の届いた近くの人たちは少しだけ落ち着きを取り戻したけど、声の届かない後ろの方はまだ騒いでるわ。もう一押しね。
「みんな!私の話を聞いてっ・えっ!?」
バシッ!!
私は突然頭に激しい衝撃を受けてよろめいてしまった。被っていた帽子が宙を舞う。
「姫様!!!」
レオンが演台に駆け上がってきて私をギリギリのところで支えてくれた。このまま演台から落ちていたらシャレにならなかったかも。良く支えてくれたわ、レオン。でも・・・ああ・・目が回る・・・・。
「姫様!血が!誰か医者を!すぐに医者を呼べ!!!!姫様!姫様!しっかりして下さい!姫様!死んではなりません!!姫さまぁぁぁーーーー!」
私はレオンに抱きかかえられた状態でレオンの顔を見上げている。顔をクシャクシャにして涙を流してるわ。なんだかエカテリンブルクでの事を思い出して私も涙が出てきちゃった。あの時は今のレオンのように私が抱きかかえながら泣いていたのよね。血を流してだんだんと力の抜けていくレオンを抱きかかえて泣いていたわ。ちょうど立場が反対ね。
「大丈夫よ、レオン。たいしたこと無いわ」
私は痛む頭を手のひらで押さえた。額の右側の髪の生え際辺りからどくどくと血があふれ出している。頭の怪我ってものすごく血が出るのよね。でも大丈夫よ。致命傷じゃ無いわ。
私はレオンに支えてもらいながら起き上がった。そして辺りを見渡す。労働者達は驚きのあまり無言で立ち尽くしているわ。憲兵達もまずいって事が解っているのね。みんな銃口を下に向けてるんだけど、トレシチェンコフ大尉が何人もの兵隊を殴りながら「撃ったのは誰だ!お前が撃ったのか!」って怒鳴ってる。
「聞けっ!!」
私は渾身の力を込めてありったけの大声を出した。そして血でまっ赤になった右手をまっすぐ上に突き上げて拳を固く握りしめる。
「見ろ!私のこの血の色は何色だ!私の血は青い血ではない!赤い血だ!諸君ら労働者と同じ赤く熱い血が流れているのだ!」
※青い血(ブルーブラッド) 高貴な血筋という意味
私は周囲を見渡した。額からは血が流れ続けて右の頬をまっ赤に染めている。
「愛する労働者諸君!今こそ団結するときだ!そして非暴力を貫こう!私のために戦おうとしてくれることに感謝する。しかし!今暴動を起こせば諸君らも罰せられてしまう!そうなれば、それは国家として大きな損失になる!それに、何よりこの私が悲しむのだ!この大皇女アナスタシアを悲しませないで欲しい!私は約束しよう!私の魂は常に諸君らと共にある事を!!!」
みんな私の方を見て立ち尽くしてる。誰も口を開く者はいない。風も無く、氷点下の静寂だけがこの空間を満たしていた。
そしてどれくらいこの静寂が続いただろう。実際には10秒ほどなのだろうけど、永遠にも思えるこの静寂は労働者達の魂の叫びで引き裂かれた。
「アナスタシア皇帝万歳!!」
「聖女様だ!俺たちの聖女様だ!!!うおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
「クルスの聖女様万歳!!」
「クルスの聖女様!!クルスの聖女様!!」
「聖女クルシュナ!!!」
「聖女クルシュナ万歳!!!!」
※クルシュナ “クルス川の人”の女性形。クルストと同義
ん???ちょっと待って!クルシュナってなによ!!それってクルストの女性形じゃない!!やめて!!本当にやめて!!!あの悪魔と同じ名前で呼ばないでーーーーー!!!!!
◇
つらい。本当につらい。クルシュナって呼ばれることがこんなにも私にダメージを与えるなんて。私はあまりのショックでただ唇を噛んで涙を流すことしか出来ない。でもそれを見ている労働者達はその涙でさらにヒートアップしているわ。私が感動して涙を流していると勘違いしているのね。
「「「クルシュナ!クルシュナ!クルシュナ!クルシュナ!クルシュナ!クルシュナ!」」」
ああ、何てビッグウェーブなの?ここに集まっている数千人の労働者達が口を揃えてシュプレヒコールを上げてる。前世で見た超人気アイドルのコンサートみたい。今まさに私は彼らのアイドルになってるんだわ。叫んでる名前は非道いけど、労働者達が高揚してるのがわかる。あっちでは氷点下にもかかわらず上半身裸になってレスリングを始めてしまったわ。こっちの連中は踊りで喜びを表しているのね。なんて愛すべきバカな連中なの。
周りの労働者達が雄叫びをあげてるから、ついつい私も調子に乗って足下に落ちていた血のついた帽子を右手で掴んで振り回した。労働者達の興奮は絶頂だわ。
「これは私からの褒美だ!!!」
そう言ってその帽子を労働者の中に投げ入れた。
「「「うおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!」」」
ピラニアの群れのように帽子に向かって労働者達が押し寄せてきた。最初に掴んだ男も誰かに殴られて奪い取られちゃったわ。なんだかカオスな状況になってきたけど、これだけ騒いでいたら憲兵隊への敵意も霧散しちゃうわよね。
「私の下に団結しろ!労働者諸君!そしていっしょ・・・・・・・」
「姫様!姫様!」
◇
「・・・・・ここは?」
「姫様!姫様!良かった・・・姫様・・・・」
「意識を失っていたのね。あなたが運んでくれたの?」
どうやら私は意識を失って管理棟へ運ばれていたようだ。レオンに聞くと20分ほど意識がなかったらしい。
「じゃあ憲兵隊と労働者との流血事態は無かったのね」
「はい、姫様。憲兵隊は街のすぐ外に撤収を始めました。そこに野営地を作るようです」
「労働者達は?」
「はい、広場で姫様のご無事を願って祈祷をしています」
「そうなのね。じゃあもう少し祈祷をしておいてもらおうかしら。その方が静かで良いわ」
私はレオンに温かいお湯をもらって喉を潤した。ダルマストーブが置いてあるこの部屋には、私とレオン以外の人は居ない。カーテンは閉められていて、部屋の周りは私兵達が警備しているらしい。そして私の額には包帯が巻かれていて、もう出血は止まっているようだ。かなりズキズキ痛むけど。
「失礼しますよ、アナスタシア」
そこへシンジローが手カバンを持って入室してきた。
「医者の所に行っていたのですが、ここの医者のレベルがあまりにも低いので治療道具だけ奪ってきました。俺が治療しますね」
シンジローは私の寝ているベッドに近づいてくる。レオンが場所を譲るために席を立ったのだけれど、レオンのシンジローを見る目が険しいわ。
シンジローはそんなレオンの事を全く気にしないで私の傍らに座った。そして包帯をゆっくりと外すと、傷口を丁寧に洗ってから消毒をしてくれた。
「テーピングがあって助かりました。化膿さえしなければ一週間くらいで傷はふさがりますよ。ちょっと痕が残りそうですが」
シンジローって本当に何でも出来るのね。前世も軍人だったって言ってたから、応急手当の方法とか勉強していたのかしら。でも、ここの医者のレベルってそんなに低いの?
「シンジロー、ちょっと話があるんだが隣の部屋でいいか?」
レオンがシンジローを隣の部屋に連れて行こうとしている。平静を装っているけど、明らかに怒気を含んでいるわね。
「レオン、シンジローに話があるんだったらここでしなさい」
「えっ?しかし、姫様・・・・」
「ここで話をしなさい。これは命令よ」
「・・・・・・・」
レオンは少し俯いて逡巡した後、その顔を上げてシンジローを睨む。明らかに怒っているわね。
「シンジロー、君は姫様が襲われたときに何処にいたんだい?」
「・・・・・・・」
シンジローはちょっと困ったような顔をしてレオンを見ている。シンジローって人間同士の機微については結構鈍感で苦手なのよね。本人はコミュ障って言っていたけど、あながち間違いじゃないかも。
「レオン、それについては私から説明するわ。私がシンジローにお願いして、スリングショットで私を撃ってもらったの」
※スリングショット ゴムバンドで玉を飛ばす道具。パチンコ
「えっ?姫様が?」
「そうよ。だからシンジローを責めないで。シンジローは神様からのチート能力で一度見たり経験したものは絶対に忘れないの。だから、スリングショットを経験したらまったく同じ事を再現できる。同じ的に何回でも正確に当てることができるからお願いしたの」
「そんな・・・しかし姫様!万が一と言うこともあります!顔の真ん中に当たってしまったら取り返しのつかないことになったんですよ!姫様のお願いだとしても、シンジロー、なぜ止めてくれなかったんだ!それに・・・姫様・・・なぜ私に言わなかったのですか・・・・」
そうよね。シンジローには言ってレオンに言わなかったことは事実だわ。レオンにとっては受け入れがたいことだろう。シンジローなら信頼できてレオンは信頼できないと言われたようなものだ。
「レオン、勘違いしないで。この話をシンジローにしたときに、シンジローは二つ返事で了承してくれたわ。でもあなたに言ったら反対したんじゃ無いの?」
「当たり前です!姫様のお体を傷つけるようなことを許せるはずはありません!」
「ありがとう、レオン。あなたが私のことを思ってくれる気持ちは嬉しいわ。だからなのよ。例えケガをしてでも衝突を防がなくちゃいけなかったの。だから、レオンには内緒にしていたの。ごめんなさい。あなたにはつらい思いをさせてしまったわ」
「姫様・・・そんな・・・・」
「私たちが歩もうとしている道はね、たぶんレオンが想像している以上に険しい道なの。でも歩かなきゃいけない。その途上でシンジローには内緒にしてレオンにだけお願いすることもあるわ。もちろん、今回のようにその逆もあるの。それを理解した上で私に絶対の忠誠を捧げて欲しい。例え全世界の全てが敵になったとしても、あなただけは私の味方でいてくれる。私はそう信じているわ」
「姫様・・・もったいなきお言葉です。私のこの命、姫様の為だけに捧げます」
「ありがとう、レオン」
◇
私を狙撃したのは労働者に紛れ込んでいた革命主義者だったということにした。実際あの騒ぎの後、クレチンスキーと何人かの委員が姿を消した。おそらくクルストの息のかかった工作員だったのね。そしてやっとお父様からの連絡が届いた。近隣諸国へ外遊に出ていたらしく、手紙を読むのが遅くなったって。
「イワン、後の事は任せたわよ。ちゃんとラジオ体操も欠かさずするのよ」
「へい!聖女クルシュナ様!俺らに任せて下さい!」
イワンに労働組合の委員長を引き継いだ後、鉱山は全ての鉱区で稼働を開始した。そして鉱山への食料や物資の運搬の一部をヤルジャイエス家の会社が担うことも決定した。これで労働者達の生活も良くなることだろう。
そして私は皇帝の命令で王都に帰ることになった。シンジロー達の表敬訪問も留学も中止だ。
東の都駅
「シンジロー、この手紙をノートルのお父様とお母様に渡してくれる?お父様の65歳の誕生日までには必ず一度イスタニアに行くから、絶対に健康でいてねって伝えてよね」
シンジローからノートルのお父様とお母様は今年亡くなられるはずだって聞いてびっくりしてしまった。今のイスタニア国王が崩御されたときに殉死をされるそうだ。でも、そんな悲しいことは絶対に認めないわよ。必ず会いに行くから殉死なんてしないでね。
「ラルドゥックス大尉、ご迷惑をおかけいたしました。大尉のご協力で無事に戻ることができたとお父様にも伝えさせて頂きますわ」
私はシンジローのお父さんにチークキスをする。一応礼儀としてね。
「アナスタシア、俺にはチークキスしてくれないのか?」
シンジローが図々しいことを言ってきたわ。何言ってるのかしら。
私とレオンはみんなに見送られて王都行きの列車に乗った。
そして今、万感の想いを込めて汽笛が鳴る。今、万感の想いを込めて汽車が行く。一つの旅は終わり、また新しい旅立ちが始まる。さよならイスタニア・・・さよなら私の少女の日々・・・
◇
「姫様、こちらをどうぞ」
列車に乗って一息ついたらレオンが新聞を持ってきた。私はそれを受取り広げてみる。
「な、な、な、なによーーーーー!」
その新聞の一面には、聖女クルシュナの神がかり的な活躍が特集されていた。
◇
王都に到着した私を待っていたのは国民の熱狂的な歓迎だった。
「「「聖女クルシュナ!聖女クルシュナ!聖女クルシュナ!聖女クルシュナ!」」」
途中の街々での国民の熱狂もすごかったけど、王都の熱狂はその比じゃないわね。雑踏事故が起きなければいいんだけど。
「姫様、国民の笑顔を見るのは嬉しいことですね。これで皇室への好感度も向上したことでしょう」
「そうね。でも気を抜いちゃダメよ。革命主義者は必ず反撃をしてくるわ。人の心は移ろい易いものよ。今は私たちに笑顔を向けてくれてるけど、政府が失政を繰り返しているとすぐに民心は離れて行ってしまうの。出来るだけ早く私たちが権力を奪取しなければ取り返しのつかないことになるわ」
「はい、姫様」
王宮に到着した私たちはお父様にこっぴどく叱られてしまった。お爺さまの夢見だからといってやり過ぎだって。しかも私の行動を止めなかったって理由でレオンを処分するって言ったときには本気で殺意が湧いてしまったわ。でもお爺さまが夢で告げられた虐殺事件を防ぐことが出来たしイスタニアの皇室とも友誼を結ぶことが出来て、これでリューリカ朝の命運が繋がれたって説明したら渋々許してくれた。まあ、もしお父様がレオンの処分を撤回してくれなかったら、それはそれでお父様の命運がその瞬間に潰えていたんだけどね。命拾いしたわね、お父様。
お母様は私を見たとたん泣きながら抱きついてきた。そして額の傷を見て「こんなに醜い傷が出来ては結婚も出来ないわ。これが先生(センメニウス)の言っていた“悪いこと”だったのね。これならいっそ修道女に・・」なんて言うからマジでブチ切れそうになった。
私を狙撃した犯人はクルストの指示を受けた革命主義者ってことになったので、憲兵部隊への処分はとりあえず保留になっている。事情を確認するために隊長と副官が少し遅れて王都に来るそうだ。そしてこの事件に関してクルストを皇女暗殺未遂で処罰しようとしたんだけど、直前でクルストが何者かに連れ去られたらしい。おそらく革命主義者の協力者が暗躍したのね。これから完全に地下に潜るはずだわ。今まで以上に連中の動向がわからなくなるのはちょっと不気味ね
王都ではレオンの家の新聞が既に発行されていて、駅売りも合わせると15万部も印刷しているらしい。新聞の名前は「ミール」。リューリカ語で「平和」という意味だ。これもシンジローの提案よ。良い名前だわ。
シンジローの書いた“聖女クルシュナ伝説”っていう特集記事を二週間ほど前から掲載しているので、みんな鉱山での出来事を知ってるのよね。シンジローが“情報は鮮度が重要です”なんて言って、クルス鉱山の鉱山事務所からヤルジャイエス家に電信で記事を送ったの。通信費はレンゾロト社に全部払わせたわ。文字数がすごいことになってたからびっくりするような金額よね、きっと。それで王都に到着するまでのあいだに“聖女クルシュナ”の大ブームが起きていたと言うわけよ。
さらに、私が血まみれで右手を挙げている写真も掲載されることになった。写真はどうしてもフィルムが必要だから私たちが到着するまで掲載できないのよね。レオンはそのフィルムを持って印刷所に急いで行ってしまったわ。いつの間にかシンジローが撮影していたの。カメラは映画用35mmフィルムを使ったシンジローの自作だそうだ。小学校の夏休みの工作で作ったことがあるって自慢されたわ。スリングで私を撃ったあとすぐにカメラを構えたみたい。誰にも気付かれずにするなんて器用なヤツだわ。
そして私の額についた傷もアップで新聞に載った。ケガをして一ヶ月くらい経ってるから傷は完全にふさがっているんだけど、髪を上げるとかなり目立ってしまう。労働者を救う為に傷を負ったことは名誉の負傷なので後悔していないってインタビュー記事を掲載したところ、その写真を“聖痕”の写真として市民が取り合いになったって。なので、急遽私の写真集を販売することになったの。宮廷ドレスや軍服・乗馬姿に修道女姿とか。前世のコスプレーヤーを彷彿とさせる撮影になったわ。メイド服も着てみたかったんだけど、それは全力で阻止されちゃった。写真集は印刷では無くて実際の銀塩写真を綴じた冊子だから本当に綺麗にできあがってる。一般的な労働者の半月分の収入ほどもしたんだけど飛ぶように売れたわ。写真集のページを撮影した海賊版とかも出回ってきたから取り締まったところ、革命主義者の下部組織が資金集めのためにやってたって。何やってるの?あなたたち。
そして私たちは頻繁に勉強会を開催するようになった。貴族の子弟達を呼んでリューリカをよりよくするための意見を出し合ったり、過去の歴史を検証して専制主義がうまく機能するための条件を議論した。今のままではリューリカ帝国は危ないと思っている人たちもかなりいて、優秀な人材が多く集まってきたわ。そしてその中から「帝国の加護・アナスタシア親衛隊」を組織した。毎日王都で炊き出しや掃除などの奉仕活動をするので、市民からの評判はすこぶる良い。そして国防の為と言って武器の使い方や戦い方も訓練している。一年ほど経過すると貴族の子弟500人、その他平民7000人が参加する大所帯となった。親衛隊メンバーは自分の仕事をしながらローテーションで参加するので、一日当たりの参加人数は概ね1000人くらいだ。運営資金はヤルジャイエス家と一般からの寄付によって成り立っていて、パトロンになりたいという大企業や貴族からの申し出は後を絶たない。もちろん申し出はありがたく頂くわ。でも、貰えるものは貰って口は一切出させないわよ。
レオンの家で発行している新聞「ミール」の発行部数も順調に拡大して、大都市だけでなくリューリカ西部のほとんどの都市で購入できるようになってきた。そしてその紙面において、人民に課されている人頭税や日用品に課される税金の不合理性を強く訴えた。また、貴族や寺院に認められている税制や司法制度の優遇が堕落と不公平感を生んでいることも指摘した。そして政府や貴族は身を切る改革が必要だと訴えたのよ。そうしたら内務省から検閲の指示が来てしまったわ。まあ、クルストの言ってることとほとんど同じだから政府からすれば放ってはおけないわよね。私が関与しているからお父様も政府もしばらくは検閲で問題のありそうな記事だけを差し止めにするようだ。でも、そろそろ時が満ちてきたようね。
◇
「な、何で協力してくれないの!?あなたの目的はこの世界を平和にすることなんでしょ?神様からお願いされたんじゃないの?大戦とリューリカ革命が無くなるだけですごく平和になるわよ」
いつもはクソほど合理的に考えるヤツなのに、なんで協力しないって言うの?おかしくない?
「アナスタシア様の言う大戦やリューリカ革命が防げれば良いんですけどね。でも、技術は出せません。俺の技術をリューリカに出した後、その技術のコントロールが出来なくなったら世界は大変なことになりますよ。俺の持っている知識はこの世界を何回も滅ぼせるんです。悪意のある独裁者にこの技術を使われてしまったら、それは世界にとって不幸なことです」
う、正論で攻められるとぐうの音も出ないわ 。
「そ、それはそうかも知れないけど、それならお父様を説得して民主化するわ。実際私が皇帝だったときは、シンジローが憲法の草案を作ってくれて立憲君主制でうまくいってたんだから。それならいいでしょ?」
それでもシンジローは難しい顔をしたまま黙ってる。何が問題なのよ!はっきり言って欲しいわ!
「リューリカが帝政か民主主義かを問題にしているんじゃ無いんです。俺はこの時代の民衆をこれっぽっちも信用してないんですよ。例え民主化したとしても平和を求めるとは限らないんです。それは俺の前世で経験済みなんです」
シンジローは前世の異世界の事を話してくれた。世界のほとんどの国は民主主義の国になってたけど、選挙で選ばれた民主的な大統領が暴走して小国を占領したりしたことがあったらしい。
「俺が35歳の時、世界一の超大国が変な言いがかりを付けて小国に戦争を仕掛けたんです。その影響で世界中がエネルギー不足に陥って、それを打開するために世界第二位の超大国が戦争に介入して、ついにお互いに核兵器を撃ち合ってしまったんですよ。東京に空襲警報が鳴り響いて、俺の記憶はそこで終わっています」
「そんな・・・あの悪魔の兵器を・・・・・」
「はい、おそらく何千発も撃ったはずです。100億人いた人類の半分以上は死んだんじゃないですかね。その後は核の冬で何十年も凍った世界になって、人類は衰退しているはずですよ。そんな過ちを二度と犯したくはないんです」
「そんなことが・・・・」
「だから、今の未成熟な人々に俺の技術を渡すわけにはいかないんです」
「う・・・・じゃあ、どうすれば協力してくれるの?協力してくれるんだったら何でもするわ!わ、私の体だって・・・」
「だ・か・らぁ、そんなモノいらないですから」
カチン!
「さっきもだけど私の純潔を“そんなモノ”って非道くない?乙女がここまで覚悟を決めてるのよ!?」
本当ならヨシュアにあげる予定の純潔を、協力してくれるならシンジローに内緒であげても良いって言ってるのよ!乙女にとってどれだけ覚悟がいるかわかってるの!?前世では私にキスしたくせに!!!
「えっと、皇女殿下の話を信じると、中身は100歳だし純潔でもないし子供も3人産んでひ孫が何十人もいるんですよね?それって乙女なんですか?」
あー!絶対に女の子に言っちゃいけないこと言い放ったわ!マジでムカつく!確かに私にはシンジローとの80年以上の友情の記憶があってアンタにはその記憶が無いのかも知れないけど非道すぎる!トモダチにする仕打ちじゃ無いわよ!こんなにもトモダチ想いの無いヤツだとは思わなかった!絶交してやろうかしら!
「とはいえ、俺としてもその大戦やリューリカ革命を防ぎながらリューリカがまともな国になってくれる方がいいので、そのプランを考えてみましょう。一週間ほどお時間をください。それと、リューリカの現状をわかる限りで良いので教えていただけますか?」
「えっ?考えてくれるの?」
「はい、そう言いましたが、別の意味に受け取れましたか?」
なんかいちいちムカつく言い方よね。本当にあのシンジローと同一人物なの?でもとりあえず前向きに考えてくれるらしい。リューリカの現状をまとめるから次の土曜日、授業が終わったあとの午後にシンジローの家を訪問することにした。そこでレオンにも紹介しよう。きっと良い方向に話が行くわ。
◇
土曜日午後
「こちらがラルドゥックス男爵の邸宅なのですか?」
私たちは郊外にあるラルドゥックス男爵家に馬車で到着した。閑静な住宅地と畑に囲まれた200坪ほどの敷地に、木造2階建てのこぢんまりとした家が建っている。レオン以外の護衛を道で待たせておいて、私とレオンは使用人のおばあさんに案内されて門をくぐった。庭はよく手入れがされていて、小さな池に錦鯉が泳いでいる。塀の近くには大きな柿の木があってまだ緑色の実をたくさん付けていた。
「姫様、こちらは別邸でしょうか?何と言うか・・・」
レオン、あなたの言いたいことはよくわかるわ。これが貴族様のお屋敷だって言われても信じられないわよね。私も亡命してヨシュアの家に入ったとき、その小ささにびっくりしたもの。
ノートル院長のご自宅も伯爵様の邸宅としてはかなり小さいのよね。600坪ほどの敷地に地下1階地上2階建ての木造建築だ。女中さんが何人か住み込みで働いているけど、やっぱり西方大陸の貴族と比べると規模が違う。ノートル院長は戦功によって伯爵に叙されて、それで領地を持っていないからそんなものかとレオンも思ってたみたいだけど、ラルドゥックス家は地方領主の分家筋だ。リューリカでは地方領主の分家の男爵がこんな小さな家に住むなんて事はない。
「レオン、よく見ておくのね。リューリカの貴族とイスタニアの貴族との違いを。イスタニアの貴族は名誉称号で特権なんて無いのよ。特権がないから民を虐げるようなことも無い。だから革命は起きない。それに引き替え富を独占し民を虐げたリューリカの貴族は、私の夢見の中では革命によって悉く殺されてしまうわ。わたしも陵辱されたあげくに生きたまま焼かれてしまうのよ。今富を独占し我が世の春を謳歌していても、その人生の途中で無残に殺されてしまうのと、民と一緒に富を分かち合い、苦楽をともにするのとどっちが幸せかしら」
私の問いかけにレオンはこわばった顔をして何も答えない。答えることが出来ないのよね。レオン自身も男爵家の子弟だ。地方にそこそこの領地があって、500人くらいの農民と炭鉱夫を雇って作物や木材、石炭を生産している。贅沢三昧をして没落していく貴族も多い中、レオンの実家はうまくやっているほうだ。まあだから私の護衛に選ばれたんだけどね。父親や兄弟は王都で王宮や政府機関に役人として勤めていて俸禄も受け取っている。王都に屋敷も構えていて、使用人もたしか20人くらいは雇っているはずだ。貴族は土地税(固定資産税)が優遇されてるから大きい邸宅が持てる。今は豊かな生活を送っているけど、革命の炎で全てを焼かれ殺されてしまうことを想像したのだろう。でも、そんな未来が待っているかも知れないと思っても、今の生活水準を下げることが出来ないのも人間なのよね。
私たちは玄関でシンジローの出迎えを受けて簡単な挨拶をした。そして応接間に移動する。畳の部屋にラグを敷いていて、そこにテーブルと椅子が置いてある八畳くらいの部屋だ。ヨシュアの実家もこんな感じだったわね。もうちょっとだけ広かったけど。
「ご家族の方は?」
女中さんはいたけど、他の家族が見当たらないわ。一応挨拶の為に焼き菓子を持ってきたのよ。出来る女をアピールしておかなきゃね。
「父は工廠ですよ。軍人に半ドンなんてないんです。母は実家のお父さんがケガをしたとかで妹を連れて看病に行っています」
「そう、せっかく可愛い妹さんに会えると思ってたんだけどまた今度ね。じゃあまずレオンを紹介するわ。私の騎士、レオン・ヤルジャイエスよ。彼は私に絶対の忠誠を誓っているから、これから話すことを全部共有して欲しいの。私がリューリカに帰って“もしも”の時は一番頼りになる人よ。私と国のためなら何でもしてくれるわ」
私は決意を込めた目でレオンを見る。レオンはちょっと気おされたような表情で頷いて見せた。
「何でも?それはどんな“汚いこと”でもですか?」
“汚いこと”
10歳とは思えない鋭い眼光で私を睨んでくる。真っ黒い瞳はまるでブラックホールのようね。今のシンジローはこの世界に転生してから10年しか経っていないはずなのにどうしてこんな目が出来るの?それは、前世で世界の終末を経験しているから。その惨劇をこの世界で起こしてはならないという覚悟をしているからなのよね。
「便所掃除とか?」
しまった。極度の緊張からついつい面白くも無いことを言ってしまった!ああシンジロー、そんな冷たい目で見ないで!レオンまで呆れた目で見てる。
「じょ、冗談よ。“汚いこと”、いわゆる“濡れ仕事”のことね」
“濡れ仕事”とは非合法活動全般を指す隠語だ。前世ではヨシュアがそういう暗部を指揮していたわね。
「姫様、“濡れ仕事”とはどのような仕事でしょう?」
クソ真面目なレオンがちょっと不安そうな目で私を見てくる。男装をしているけど中身は18歳の女の子だから、濡れ仕事という響きから女の体を使った仕事を想像したのかも。まあ、もちろんそういう仕事の意味も含まれるんだけど。
「“濡れ仕事”っていうのは謀略や暗殺、非合法な活動全般のことよ」
「暗殺・・・・ですか?」
◇
レオンが眉間にシワを寄せて難しい顔をしている。私が“ちょっとクルストを殺してきて”って言ったときも同じような顔をしていたわね。戦争中でもないのに暗殺なんて確かに非常識よ。レオンの言うとおりリューリカは法治国家ですもの。でもね、このままだとそんなきれい事を言っていられない世の中になるの。
「そうです。例えばアナスタシアがリューリカの全ての権力を掌握するために、ニコル皇帝に失政の責任を押しつけて断頭台に送るとかです」
ガタッ
「貴様!例え話であっても皇帝陛下を弑すなど不敬きわまりない!姫様!このようなヤツが本当にリューリカの救世主なのですか!?」
レオンが立ち上がって激昂してしまった。まあ、皇帝に忠誠を誓っている貴族の子弟なら当然よね。ほんとくそ真面目な女ね。大好きよ。
「落ち着いて、レオン。じゃあ、私からも質問するわ。本当にそれを私が必要だと決心して、あなたにお父様、ニコル皇帝を暗殺して欲しいって言ったら実行してくれる?」
この質問は冗談では無く本気だ。もちろんお父様を暗殺なんてしたくはないけど、状況によってはそうならないとも限らない。命を賭けて私たちを守ろうとしてくれたお父様だけど、それでも数千万の国民の命には代えられないのよ。
「そ、そんな・・・姫様まで・・。姫様の夢見だからといって、それは行き過ぎています!どうなされたのですか、姫様!」
確かに夢で見たからお父様を殺すってちょっと頭おかしいって思われそう。まあそれは最悪のケースの一つなんだけど。
「レオン、今から言うことは私の夢見じゃ無いわ。これから起こる“事実”なの。このままだと私にもリューリカ国民にも未来は無いわ。そしてこれから聞くことは私が許可した人間以外には絶対に話してはダメ。いい?」
レオンはゴクリと音が聞こえるくらい息を呑んで私をまっすぐに見ている。そして少し躊躇しながら首をゆっくり縦に振った。
「今から三年後の1914年、エスターライヒの皇太子夫妻が隣国オストマルクの青年に暗殺されちゃうの。それをきっかけにエスターライヒはオストマルクに宣戦布告。そしてこの戦争にリューリカ帝国とガリア共和国、アルビオン王国が参戦するわ。戦争は5年間続いて、西方大陸を中心に軍人1000万人、民間人1300万人が殺されちゃう。後に“第一次”大戦と呼ばれる戦争よ」
「え?1000万人に1300万人・・・・」
レオンはその数字に驚きを隠せていないけど、まだまだこんなものじゃないのよ。
「戦争末期に流行病が大流行し、十分な対応が取れなかったこともあって全世界で5000万人から1億人が死亡ぬの。新しい病気で今までの治癒魔法が効かなかった。大戦がなければ防疫などの対処が出来て、もっと死者が少なかった可能性があるわね」
「1億人・・・?」
「さらに1917年3月、リューリカで反乱が起きて内戦に突入するわ。リューリカ国内だけで800万人から1000万人の市民が殺されちゃうの」
「・・・・・・」
「その反乱の最中にお父様やお母様、マリアお姉様と弟のミンツが殺される。そして、私を助け出すためにレオン、あなたも死んでしまうわ」
「皇帝陛下が・・そんな・・・」
「リューリカの実権を握ったクルストはその後の20年間で弾圧や計画飢餓を実行し、4000万人も虐殺してしまうの」
「クルスト・・・クルストが・・・・それで姫様は暗殺を・・・・」
「私はイスタニアの協力を得て大陸の東の端にリューリカ帝国を再建するわ。逃げてきた人たちを集めて力を蓄えるの。そして最初の大戦から20年後に、エスターライヒが再度世界に対して戦争を始めちゃう。その戦争には一発で大都市を消滅させるほどの新型爆弾が使われて、全世界で一億人の人が死んじゃうわ。でもなんとかリューリカ帝国とイスタニアの連合軍が勝利を収めることが出来るの」
改めて時系列にしてみるとこの数十年間で信じられないくらいの人が犠牲になってるのね。リューリカ国内だけで5000万人以上とか、ちょっと常軌を逸しているわ。まさに狂気の時代ね。
「姫様・・・人間同士の争いでそんな事が本当に起こるのでしょうか?」
レオンが声を震わせながら問いかける。レオンの知っている大きな戦争はイスタニアとの戦争だけだ。激しい戦いが繰り広げられたけど、それでも双方の死者は合計で15万人ほどのはず。民間人の犠牲者はあまり発生していないのよね。それなのにあと3年後に起こる大戦争で何千万人もの人が死ぬなんて想像出来ないでしょう。
「ええ、本当よレオン。人間はその行いが正義だと思えばどんな残酷なことでも出来てしまうわ。このままだと必ず訪れる悲惨な未来なの」
◇
私はレオンに転生のことを包み隠さず話した。私が10歳の誕生日の朝、90年の月日を経験してから目を覚ましたこと。そしてシンジローが異世界から転生してきたことを。
「そうでしたか・・・。そんな歴史が・・・。でも姫様をお守りすることができたのは、ふがいない私ですがそれだけは本懐です」
レオンはぽろぽろと涙をこぼしている。自らの命と引き替えにしてでも私の命を救えたことが嬉しいのだろうか。でもね、私はもうレオンを犠牲にして生き残るなんてしたくないの。絶対みんなを救ってみせるわ。必ずよ!
「では、その悲惨な未来を回避するためにラルドゥックス様がお力添え頂けると言うことなんですね?」
レオンはシンジローの入れてくれた紅茶を飲んで少し落ち着いたみたい。そういえば前世でもシンジローの入れてくれる紅茶ってとってもおいしかったのよね。懐かしいわ。
「同じ男爵家の嫡男ですから“シンジロー”でいいですよ。それに見た目は10歳ですし。具体的な方法はこれから考えますが、かなり厳しい道のりになります。場合によってはリューリカのニコル皇帝を排除する必要があるでしょう」
その言葉を聞いてレオンが敵意のこもった視線をシンジローに向ける。まあそうなるわよね。
「それは、お父様が皇帝でいる限りリューリカ革命は避けられないという事ね」
シンジローは私の目をまっすぐに見て頷いた。私もそれには同意するわ。お父様は家族には優しいけど民衆、特に魔力を持たない平民には厳しいのよね。この時代だからみんなそうなんだけど、選民思想に取り付かれている。あと数年でそれが劇的に変わるとは思えない。今は経済的に安定しているけど、大戦が起こって国民が疲弊したら革命が起こってしまうわ。
「そうです。俺としては未来を知っているアナスタシアに皇帝の座を奪って欲しいんです。そして強権的な専制を以てリューリカ国内の安定と、支配している各民族の独立を実現してください」
「強権的な専制君主ね。それってシンジローが一番嫌いなことなんじゃ無いの?」
「大っ嫌いですよ。でも一番じゃないんです。一番嫌いなのは全体主義なんですよ。だから、アナスタシアが言うようにリューリカ革命によって全体主義化するくらいなら専制君主の方がマシだと思ってます」
シンジローは前世で全体主義の恐ろしさを身をもって経験したらしい。シンジローの世界でも何千万人もの人が全体主義の犠牲になった。全体主義は人間の持つ自由への渇望を踏みつぶしてしまうのよね。全体主義者のしてきたことを知っていれば、そう考えるのも無理は無いわ。
「大戦勃発まであと3年。13歳の私に出来るかしら?」
「アナスタシア、出来るかどうかじゃないんです。やるんです。家族やレオンを死なせたくないのならね。それとも、祖国を見捨てて亡命しますか?それが一番安全ではありますね」
なんて意地悪な言い方だろう。シンジローってこんな奴だったかしら?いえ、違うわね。私の覚悟を聞いているんだわ。シンジローが協力するに値するのかどうかって。
「わかったわ。私は国民を見捨てて逃げることはもうしない。必ずリューリカの実権を握るわ。その過程で何万人殺したとしてもね」
「姫様!なんと言うことを!人を殺してでも権力を手に入れるなど、皇帝陛下や皇后陛下が悲しまれます」
「レオン、あなた、人を殺したことがある?」
「えっ?姫様・・・・」
「人を殺したこと、無いでしょ?私は多くの人を殺してきたわ。ボーラ連邦との戦争で。自国のリューリカ兵数万、ボーラ連邦の市民と兵隊を併せて数百万。その他関係した戦争全てを含めると一億人以上、私はその人たちの死にかかわっている。私が殺したと言っても間違いじゃ無いわ。でも、それでもクルストを倒して国民を解放しなければならなかったの。それに比べたら、国の実権を握るために抵抗する貴族連中を排除すればいいだけなんでしょ?」
「し、しかし姫様が権力を握るということは・・・・・・・皇帝陛下は・・・・」
「そうね。お父様には自主的に退位してもらうのが一番良いのだけれど、もしお父様が反対するようだったら処刑者名簿に一人名前が追加されるだけよ。覚悟は出来ているわ」
「姫様・・・」
レオン、そんなに悲しい顔をしないで。大丈夫。きっとそんな事にはならないわ。だってシンジローがちゃんと考えてくれるもの。
「アナスタシア、あなたの覚悟は受け取りました。アナスタシアがリューリカの実権を握ることが出来るよう、俺も全力でやりましょう。アナスタシアの専制の下なら、リューリカ国民の教育水準が低くても懸念は少ないと思います。俺の持っている知識でリューリカ国民を豊かにしますよ。平行して教育と道徳水準の向上も図りましょう」
シンジローは私の方を向いて笑顔を見せてくれた。今日初めて見る笑顔のような気がする。
「でもそうなったらイスタニアよりリューリカの方が先進国になっちゃうわよ。いいの?」
前世ではシンジローの知識のおかげでイスタニアがダントツ世界一の先進国だったけど、今回はリューリカが世界一の先進国になりそうね。それはちょっと嬉しいかも。
「かまいませんよ。イスタニアでそれを実現しようとしたら少なくとも俺が大人になるまで待たなければならないので。何の後ろ盾もありませんからね。リューリカが安定した豊かな国になってくれて、世界を平和にしてくれるんだったらそれにこしたことはありません。どの国が主導権を握るかなんて些細なことですよ。だってアナスタシアの経験した未来では国境なんて無いんでしょ。ただし、アナスタシアも前世の経験で十分にわかっていると思いますが、悪意のある人間が不相応な力を持つことほど悲惨なことはありません。絶対に権力を失わないようにしてください」
悪意のある人間・・・クルストとかのことね。
「わかったわ、シンジロー。でも、私がその“悪意ある人間”にならないって保証も無いけどいいの?」
「あなたが話してくれた前世の経験が嘘とは思えませんから。そこは信用しますよ。なにより俺たちは“トモダチ”なんでしょ?」
「シンジロー、前世もだけど時々そんなキザな言い方するわよね。嫌いじゃ無いわよ」
私はシンジローと握手を交わした。固い固い握手だ。そしてレオンとシンジローも握手を交わす。とても温かい9月の午後だった。
◇
私はリューリカの現状をまとめた資料と、数年間分のリューリカの新聞を手渡した。現時点でわかる限りの資料だ。シンジローならこの情報からきっと方針を決めてくれるだろう。
「たしか来年の3月頃に、リューリカ帝国東部のクルス川近くの金鉱山で虐殺事件が起こるのよ。これは是非とも防ぎたいわ」
「そうなんですね。鉱山労働者を虐殺?」
「ストライキをした労働者に対して軍が発砲しちゃって数百人が殺されちゃうの。この事件をきっかけにして急速に労働争議が頻発するのよね。覚えている限りの事件の詳細を伝えるから、何か対策を考えて欲しいの。お願い」
来年の3月はまだ私はイスタニアに留学中だわ。でもなんとかして防がないとね。まあ、シンジローが良い方法を考えてくれるわね。きっと。考えることは頭の良いシンジローに任せましょう。
「その・・・シンジロー・・の持っている知識というのはどのようなものなのでしょう?リューリカの民衆を救うことができるほどのものなのでしょうか?」
レオンの疑問も当然ね。シンジローに頼りっぱなしで私が「シンジローはすごいのよ!」って言っても何が出来るのかわからないわよね。
「シンジローの持っている科学技術は、人類を100万回滅ぼすことが出来るわ。この星ですら粉々に破壊することができるの」
「えっ?人類を滅ぼす・・・?星を破壊?」
「そう、使い方によってはね。そして、良い方向に使ったら食料生産を数年で10倍に増やして人類から永遠に飢餓を無くすことが出来るの」
「数年で食料が10倍・・・・・」
「そうよ。そしてあらゆる病気を治すことの出来る薬を作ってみんな90歳から100歳以上生きることが出来るようになるわ。人間は老衰か突然の事故以外で死ぬようなことは無くなるの」
「そんなことが・・」
「遺伝子・・・人間を作るための設計図を書き換えて、霊的に進化した新人類もシンジローなら作ることができるのよ。それに、人間の役に立つ新しい動物や植物も作り出すわ」
「新しい“種”を・・・・」
「そして宇宙船を作って月どころか、光りの速度で何万年もかかる宇宙の果てまで行くことが出来るようになるの。そしてこの星のような別の星を見つけて、そこに移民も始まるわ。どう?シンジローはすごいでしょ?」
※この世界でも月はある
レオンは私とシンジローを交互に見ながら信じられないというような顔をしている。まあ、そんな反応になっちゃうわね。
「そんな事が本当に?姫様、それが本当ならそれは“神”以外の何者でもないと思いますが・・・」
ん?冷静に反芻してみると確かにそうね。地球を破壊したり新しい“種”を生み出したり、新しい星を見つけて人類に与えることができるって、まさに“創世記”の“神”そのものだわ。高度に発達した科学は魔法と区別が付かないってやつね。
「あらレオン、私の言うことを疑うの?」
「アナスタシア、俺の前世ではそこまでは出来てなかったよ。それってアナスタシアの前世の事だろ?」
「でも、これからの90年でそれを成し遂げるわ。それに、転生だって神様からこの世界を救って欲しいって言われたからでしょ。チート能力ももらってるし」
「えっ?姫様、今、何と?神様からのお願いされたのですか?」
「あ、これって言っても良かったのかしら?まあ良いわよね。シンジローは神様によってこの世界に転生したのよ。その時にものすごい記憶力っていうチートを神様からもらってるの」
「神様から・・・・」
レオンは慌ててシンジローに向かって片膝をついた。そして頭(こうべ)を垂れる。
「聖人シンジロー様。数々のご無礼ご容赦ください。神が人類のために使わされた使徒様であったとはつゆ知らず」
あー、そういえばそう言えなくもないのかな。でもね、シンジローの中身は普通のおっさんなのよ。
「レオン、そんな事しなくてもいいわよ。シンジローは人類の科学技術を進歩させて神にも等しい力を手に入れることを目指してるの。そして人類をもっと幸福にするのよ。ね、シンジロー」
「そうですよ。俺はそのうち神様に失業してもらおうと思ってます。人間がちょっと堕落したからって大洪水や硫黄の炎で国ごと滅ぼしたりするのは自分勝手だと思うんですよね。それに、俺のいた世界では100年間の間に2億人以上が戦争や飢饉で死んでるんですよ。それで最後は核戦争で人類絶滅です。これを放置するのって職務放棄じゃないですか?もし意図してやってるんだったらとんだサイコパスですよ。しかも世界の運営をうまく出来なかったから俺を転生させて丸投げですか。だから神様には失業してもらって、余生をどこか静かなところで過ごしてもらうんですよ」
ぷぷ、相変わらずシンジローのイヤミは面白いわね。まあでもこういう考え方ってこの時代の人間には受け入れられないのよね。
「そうですね・・・。姫様の経験された世界では、ご家族は無残に殺されているんですよね。神はそれをお救いにはならなかった・・・・」
あ、真(ま)に受けちゃった。こういう所はホントくそ真面目ね。大好きよ。
「あ、レオン、そんな深刻に受け止めなくて良いわよ。神様はね、人間の自らの力で成長されることを望まれてるの。人間が未成熟だったからリューリカで革命が起きたし何千万人も死んでしまったわ。でもね、神様は私たちを信じて温かく見守ってくれてるんだから、だから私たちの出来ることをしましょう。まずは大戦とリューリカ革命の阻止よ!」
「はい!姫様!」
◇
翌週の日曜日 ラルドゥックス邸
シンジローのお父様とお母様、そしてかわいらしい妹さんに挨拶をした。妹のチェイニーさんとは前世で何回か会ったことがあってとてもかわいらしい方だと思ってたけど、5歳のチェイニーさんのかわいさは異次元ね。妹に欲しくなったわ。シンジローのお父様がチェイニーさんをミンツの嫁になんて言ってたけど、ちょっと本気で考えてみましょうか。
「ではこれを」
シンジローはカバンから大量の紙束を出して机に置いた。そしてその中の一枚を広げ始める。何枚もの紙を貼り合わせていて、縦横1メートルくらいある。
「これは?」
「これからアナスタシアがするべき事をまとめたフローチャートです」
この時代にフローチャートはまだ一般的じゃ無い。私は前世の記憶があるからだいたい理解できるけど、レオンには当然初めてだ。こういうフローチャートもシンジローが普及させたのよね。チャートの読み方をシンジローが丁寧に説明してくれる。シンジローって私のことはぞんざいに扱うことが多いのに、レオンにはわりと親切なのよね。この一週間でなんとなくそう感じてしまった。年上の女が好きなのかしら?だから私に興味を示さなかったのね。本当の私の中身はすっごい熟女なのに。
「アナスタシア、なにかどーでもいいことを考えてませんか?」
う、勘の良い子供は嫌いだわ。
「チャートの事を考えてただけよ。これ以外の選択肢は難しそうってことね?」
「そうです。可能性の低いモノを列挙すれば切りが無いのですが、現実的なのはこの選択しですね」
シンジローの資料には大まかに三つのシナリオが書かれていた。
<シナリオ1>
エスターライヒ皇太子暗殺事件を防いで大戦を起こさせない
ただし、オストマルク民族の不満は爆発寸前であり、暗殺事件を防ぐことは出来ても、同種のテロは必ず起こる。
エスターライヒ皇太子暗殺事件を防いでも、エスターライヒとオストマルクの開戦は避けられない可能性が高い。
→大戦勃発ルート→シナリオ2か3へ
<シナリオ2>
大戦が勃発しても参戦しない
ただし、エスターライヒとオストマルクの戦争にエスターライヒは当然参戦するだろうし、そうすればガリア共和国も普仏戦争の復讐を果たすために参戦する。もしくはガリア共和国が動員をかけた時点でエスターライヒがガリア共和国に宣戦布告する。エスターライヒ・エスターライヒはリューリカへの対応をしなくても良いので、ガリア共和国が敗北する可能性が高い。
<シナリオ3>
第一次大戦に参戦するが、積極的な攻勢に出ない。
史実ではエスターライヒがリューリカに対して宣戦布告するので、防御に徹する。
ただし、この状況になるとエスターライヒに恨みを持っているガリア共和国がリューリカ帝国との条約によってエスターライヒに宣戦布告する。リューリカが消極的だとガリア共和国から信用を無くす。
「シンジローの予想だと、どうやっても大戦を防ぐことは出来ないということね」
「はい、そういう結論に達しました。この地域の緊張はもう限界に達しつつあります。3年前にエスターライヒがオストマルク人の居住地域の一部を強制的に併合した時点で大戦は避けられない状況になっていたと思います。エスターライヒが他民族を支配している状況を平和裏に解消できない限り大戦は起きます」
「そして、他民族の支配を平和裏に解消する方法はないのね」
「その通りです。残念ですが、この世界の人類はまだ未熟なんですよ」
「ということは、大戦は避けられないとして、その状況でリューリカ革命を防ぐという事ね」
「はい、その為に必ずやらないといけないことは・・・」
「「クルストとセンメニウスの排除、それにクルス虐殺事件」」
ここは完全に意見が一致したわね。クルストは私が国に帰ってからすぐに処理しましょう。センメニウスとクルス虐殺事件をなんとかして皇室が国民の信頼を無くさないようにするのが一番ね。
「アナスタシアの話によると、ミンツ皇太子の病気は血友病なんですよね。でも今現在はその解明がされていなくて血が止まらなくなる呪いって言われていると」
「そうなのよ。でもお父様もお母様も呪いだって信じ切ってるから、センメニウスに多額の研究費を渡して呪いを解く魔法を開発させてるの」
私の弟、皇太子のミンツは生まれたときから血友病を患っている。ケガをすると血が止まらなくなる病気だ。でも今現在は原因がわからなくて呪いだと思われてる。そこで奇跡を起こすと噂になっていたセンメニウスをお父様とお母様が王宮に呼んだのよね。そしてお父様とお母様はセンメニウスに依存するようになってしまって、そのことを反皇帝派プロパガンダの材料にされてしまう。
「じゃあ話は簡単ですよ。アナスタシア」
「つまり、薬の力で治すことが出来ればいいということ?」
「その通りです、アナスタシア。薬で治療して、センメニウスの研究は意味が無かったとわからせるんです。そこで、この資料をヨシュアの主治医であるヒィロイ医師に渡してください。血友病の原因と治療薬である血液製剤の作り方を記載しています」
シンジローは封筒の中からリューリカ語とイスタニア語で書かれた論文のようなものを取り出す。結構な分量ね。
「ヨシュアの主治医にだったらシンジローが渡しても良いんじゃない?」
「10歳の俺がですか?一笑に付されますよ。この論文はリューリカの医師が書いたように偽装しています。その医師は反政府活動団体と関わりを疑われてしまったので、この研究が闇に葬られそうになったところを持ち出したって言ってください。ヒィロイ医師は小児科の専門医ですからきっと取り組んでくれますよ」
シンジローが言うには血友病の薬を作るのはそれほど難しくは無いらしい。シンジローの論文の通りに作れば、数ヶ月もあれば完成するそうだ。それに血液製剤が完成する前でも、健康な人の血漿を輸液するだけでもある程度効果が期待できるのね。こんな簡単にミンツの病気が治るなんてすごい。
この時代でも輸血や血漿輸液はもう実用化されているそうだ。私は知らなかったけど。
「ドナーが変な病気を持っていると輸液された人は確実に感染するので、18歳以上、体重50キロ以上の健康で性経験の無い人からだけ血液を採取してください。その後遠心分離機で血漿成分だけ取りだして、血漿をミンツ皇太子に、赤血球をドナーに輸液します」
血液製剤が出来るまでの応急的な対処として、血漿輸液の方法を記した文書をシンジローは渡してくれた。遠心分離機の設計図も入ってる。ありがたいわ。
「これでセンメニウスも用済みね。お母様との醜聞が無くなれば少しは良い方向に行くかも」
ミンツの病気でお母様の心が不安に満たされてしまったときに、あの怪僧を頼りにしてしまったのよね。それで深い仲に・・・・あーいやだわ!実の母親の不貞の事なんて恥ずかしくて考えたくも無い!
「あの、姫様。皇后陛下の醜聞というのは・・・」
あ、レオン、聞いていたのね。まずい。どうしよう。バールのような物で殴ったら忘れてくれるかな?なんとかごまかせないかしら。
「キャサリン皇后はセンメニウスと不貞、つまり男女の仲だという噂が広がるんですよ。そこへ来て、皇后がセンメニウスに宛てたという赤裸々な手紙が同僚の修道士によって暴露されるんです。真偽は不明ですが、これが致命傷になって国民から見放されるんですよね。この内容で合ってましたっけ、アナスタシア」
「まさか・・・、皇后陛下がそんな事を・・・・・・」
「シンジロー!何でそんな事まで言うのよ!ちょっとはデリカシーとか遠慮とか考えなさいよ!」
自分の母親の不貞を目の前でバラされるこっちの身にもなってよ!本当にいたたまれないわ。
「レオンには全ての情報を共有して欲しいって言ったじゃ無いですか?あれ、嘘だったんですか?」
むー、確かにそう言ったわよ。でもね、もうちょっとオブラートに包むとかあるでしょ!
「まあ皇太子の病状が良くなって、センメニウスと距離を置いてくれれば良いんですけどね。アナスタシアの前世での資料によると、かなりセンメニウスに依存していたんですよね。なので、今回は血漿輸液の方法だけ伝えてセンメニウスには触れないでください。センメニウスはアナスタシアが帰国してから断罪しましょう」
「断罪?」
「断罪です」
むかし(前世)“断罪ざまぁ”みたいな小説をたくさん読んだけど、そんな感じかしら。あの手の小説って面白いんだけど悪役皇女がギロチンにかけられるような話が多かったから、そのシーンだけは身につまされるのよね。
「センメニウスがどんな研究をしているのか解りませんが、おそらく資金の私的流用をしているはずです。それに、皇后に取り入って国政に口を出すなんてあり得ないですよ。なので、何かしらの理由を付けて断罪しましょう」
「センメニウスに悪意があるかどうかはわからないけど、これもリューリカの為ね」
◇
私は血漿輸液の方法を典医とお父様に手紙で送った。イスタニアで研究されている方法で、まだ治験中だから公開されてない極秘事項だって伝えたわ。この方法を試してくれればそれでいいし、もしセンメニウスの反対で試さなかったとしたら、私が帰国した後に断罪の理由になるわね。
そしてミッチーにお願いして、主治医のヒィロイ先生とお会いすることが出来た。
「皇女殿下、血友病の薬の作り方があるというのは真(まこと)でしょうか?」
ヒィロイ先生は現在53歳で優しそうな感じのおじいちゃんだ。シンジローの話だとすばらしい小児科医らしい。この優しそうな雰囲気も子供のことが大好きだからよね。でも、53歳とは思えないくらい老けてるわ。
「ええ、この研究は王立大学のビクトル・ザンギエフ教授が手がけていたのですが、学生の一人が反政府活動で逮捕され、その教授も疑われて失職してしまったのです。実はこのレオンの弟が血の止まらなくなる病気で、父上のヤルジャイエス男爵がパトロンになって支援していたのです。その縁で資料だけは持ち出すことに成功したのですが、そこで研究が止まってしまったのです」
レオンに“あなたの弟が血友病で苦しんでいると伝えた”とリューリカ語で言うと、私の言葉に呼応して視線を落とし辛そうな表情をする。弟が血友病で苦しんでいるつもりで辛そうな表情をしてって言っておいたけど、想像以上に良い演技だわ。でもシンジローが作った資料「“さあ筋肉の時間だ!”←ここ大事」とか書いてあるんだけど何の意味かしら。ザンギエフ教授の似顔絵もとても医者には見えないわ。まるで筋肉ダルマのプロレスラーね。上半身裸だしすごい胸毛。確かにリューリカ人は毛深いわよ。私も油断してたら大変なことになっちゃうからね。まあ10歳だからまだ心配ないけど。しかしシンジローってリューリカ人に対して何か偏見があるのかしら?そういえば前世で”リューリカ人の女性って30歳を過ぎるとみんな酒樽みたいになるって思ってたんですけど違ったんですね”とか言われたことがあったわね。今思い返したら信じられないくらい失礼なヤツだわ。
◇
「そうでしたか。リューリカでは完成間近にまで研究が進んでいたんですね。わたしもこの症状の子供を何人か診察しましたが、あれは悲惨な病気です。みんな衰弱して死んでしまいました。呪いの可能性も考慮していたのですが、やはり病気でしたか。ザンギエフ教授も子供たちを救える直前まで研究が進んでいたのに、このような事になってしまい本当に無念だったでしょう」
ヒィロイ先生は何かを思い出すように眉根をちょっとよせて下唇を噛んでいる。未知の病魔に対して無力だった現代医学を悔しく思っているのだろう。私がリューリカを掌握したらシンジローにどんどん知識を出してもらうからもうちょっとの辛抱よ。でも、ザンギエフ教授のことは心配しなくても大丈夫。シンジローの妄想の中の人物だから。
「リューリカでは自由に発言したり研究することが難しいのです。テロ事件も頻繁に起きて社会情勢も不安定ですし。でも、こういった薬がどんどん開発されて国民の健康が少しでも良くなれば、国内も安定していくと思います。薬は病気の人を治すだけで無く、周りの人の負担や悲しみを減らして、ひいては国家の安定と発展に繋がっていく最も重要な国家事業の一つだと思っています」
「皇女殿下、素晴らしいお考えです。国の安定と発展に必要な国家事業ですか。いや、本当に素晴らしい。国の仕事と言えば軍事にばかり目が行きますが、薬の開発が最も重要な国家事業という視点を持てておりませんでした。一応国立の伝染病研究所が我が国にもありますが、十分な研究体制が整っているとはまだまだ言えません。必ず私がこの薬を完成させて見せます。そしてイスタニアとリューリカの発展に少しでも寄与して皇女殿下に恩返しをいたしましょう。この論文によれば乾燥製剤にできるようなので、リューリカへの輸送も問題ないと思います」
シンジローの言ってたとおり素晴らしい人格者だわ。誰よりも子供の健康を思ってくれる人なのね。
「ありがとうございます。先生。そこで、お礼と言っては変なのですが、他にも研究途中の論文があるのでお渡しさせて頂きます。是非とも先生に完成させていただきたい薬があるのです」
私はシンジローから預かっていたリューリカ語とイスタニア語で書かれた資料を取り出した。
「こんなにもたくさんあるのですか。リューリカの医学がこれほど進んでいたとは」
「そうなんですよ。我が国の医学はすごいのですが、社会体制があまり自由じゃ無いので日の目を見ない物が多いのです。えっと目録は・・・あった。先ずは“抗生物質”の作り方ですね」
「“コーセーブッシツ”とは、どのような薬なのでしょう?」
「えっと、私もよくわかってないんですけど、ちょっと待って下さいね。これは“ペニシリン”の作り方ね。細菌感染症の多くに効くみたいです。ブドウ球菌を殺せるみたいですね。あと梅毒は完治出来るみたいですよ」
「えっ?梅毒が完治できるのですか?」
「そうみたいですよ。つぎは“サルファ剤”ね。らい病に効くんですって。こっちは緑膿菌に効くみたい。あとは“ストレプトマイシン”と“イソニアジド”と“リファンピシン”とかの作り方ね。これでほとんどの結核が治るって書いてるわ」
「えっ・・・・・・・・・」
ヒィロイ先生が固まってしまった。目を大きく見開いて私を凝視しているわ。心臓止まっちゃったかな?ちょっと怖いんだけど・・・・。
「皇女殿下・・・結核が・・・結核を治すことが出来るんですか?それは本当ですか!?」
再起動した。ヒィロイ先生、ちょっと興奮しすぎよ。結核なんて普通に薬で治るモノでしょ。よく知らないけど。
「本当に結核を治すことが出来るのでしたら、こんなに嬉しいことはありません。これでイスタニアだけで年間何十万人もの命が救われます!世界中なら何百万人、何千万人もの命が救われる!あなたはイスタニアの救世主だ。いや、人類の救世主です!まさに女神様だ!」
あ、ヒィロイ先生泣き出した。しかも号泣。ちょっと精神が不安定な人かな?大丈夫だろうか?
私はシンジローから預かった資料を全部渡してさっさとお暇(いとま)した。目録を全部読み上げてたら時間がかかりそうだったので押しつけちゃった。ヒィロイ先生ならちゃんと読んでくれるはず。重要な技術は私がリューリカを掌握してから公開するって言ってたから、今回のは風邪薬やサプリメントみたいなモノばっかりよね。経口補水液・ビタミンC・ビタミンB類・インフルエンザワクチンやイスタニア脳炎・破傷風・ポリオ・マラリア・199培地・抗インフルエンザ薬とか書いてたから。これで流行病の大流行にも対応出来るかも。シンジロー、グッジョブだわ。
※結核 この世界でも猛威を振るっていた
◇
「アナスタシアがリューリカに帰ってからはあまり連絡が取れなくなります。なので、あらかじめやるべき事をレクチャーしますね」
私は週末毎にシンジローの家に行って、様々なレクチャーを受けるようになった。先ずは人心掌握術からだ。基本的に王宮には私の味方はレオンしかいない。10歳の幼女なので敵もいないんだけど。
「アナスタシアにはまず“セクト”を作ってもらいます。名称は“誇り高き貴族の勉強会”とでも名付けましょうか。お手本にするのはヒトラーとナベツネです」
「たしかヒトラーってシンジローの前世で大戦争を起こした独裁者じゃなかった?そんなやつがが先生ってなんかいやな感じね。確かに権力を奪取する手腕は悪魔的にすごいんだろうけど。それと“ナベツネ”って誰?」
「ナベツネはイスタニアの大新聞を長期にわたって牛耳ったフィクサーですよ。もともと全体主義者なんですけどね」
「そっちも全体主義者なの?やっぱり全体主義者には碌なヤツがいないのね」
「いかに狡猾かってことですよ。アナスタシアが権力を掌握するためです」
シンジローはプレゼン資料を使いながら丁寧に説明してくれる。まずは若い貴族を集めて、いかに専制君主主義が素晴らしいかという勉強会を開くのね。そしてその専制君主にはすさまじく高い指導力と道徳心と慈愛と苛烈なまでの正義が求められると言うことを教えて、最終的に現皇帝のお父様にはその資質が無いという結論に自ら気付かせる。その中から私への忠誠心の高い者達だけを選抜して私の親衛隊を作っていけばいいと。
「オルグには出来るだけ多くの貴族の子弟を招いてください。そこでノブレス・オブリージュを徹底的にたたき込みます。貧しい平民を率いていくのは神から与えられた貴族だけの崇高な使命です。領民を飢えさせるのは神への裏切りであり貴族の恥だと教育してください。そして、リューリカの民を飢えさせている現皇帝に対する不信感を醸成します。その中から特にアナスタシアに対する忠誠心に篤い者だけを親衛隊にスカウトします。貴族にとって親衛隊にスカウトされることは非常に名誉なことだと噂になりますよ」
「オルグって何?それに親衛隊ってなんだか悪の秘密結社みたいね。なんか変な方向に行ってない?大丈夫なの?」
「あ、オルグは勧誘とか勉強会とかの意味です。周りからは“姫様の軍隊ごっこ”くらいに思われているのがいいでしょう。みんなが警戒しないうちに力を付けます。親衛隊の名前は“帝国の加護・アナスタシア親衛隊”です。あくまで帝国のためという意識付けをして下さい。忠誠心はアナスタシア個人へ向かうように仕向けますが、それはリューリカ帝国国民の為だと思わせるのです。リーダーはもちろんレオンにしてもらいます」
まあレオンならしっかりとやってくれるわよね。ちょっとやり過ぎが心配だけど。
「親衛隊の制服も統一して、行動規範を徹底させます。制服は人々から畏怖と憧憬を集めるようなかっこいいのがいいですね」
「ますます悪の秘密結社みたいね」
「かっこよければ良いんですよ。行動規範は徹底的に浸透させて下さい。行動規範は複数人で歩くときには隊列を乱さないように歩くとか、平民に対して丁寧な言葉遣いを徹底するとか、悪事は絶対に許さないとかですね。あと、敬礼の仕方も統一しましょう。右手を斜め前にまっすぐ挙げるのが簡単で良いのですが、何かと問題になりそうなので別の敬礼を考えますね。リューリカ陸軍の敬礼とは明確に区別できるようにして特別感を出します。週に何回かは街にでて奉仕活動をさせてください。王都の市民を味方に付けるんです。例え地方が反乱を起こしても、首都を掌握していれば持ちこたえることが出来ます」
確かにその通りね。リューリカ革命の時は首都の市民達がまず暴動を起こして、それに軍隊が同調しちゃったのよね。暴動を起こしている市民を殺せってお父様が命令しちゃったせいで。首都の市民を味方に付けておくというのは絶対だわ。
「そして“敵”を作ることも忘れてはいけません」
「ん?敵?」
「敵です。脱税をする貴族や違法な高利貸しや悪徳商人を糾弾するんです。人民の敵としてね。適法な金利の金貸しは人民の生活に貢献していると賞賛して、違法な高利貸しだけ攻撃してください」
「シンジロー、市民じゃ無くて“人民”って言ってるわよ。もしかしてあなた、隠れ全体主義者?」
「あ、市民です。ちょっと言い間違えただけです。俺は全体主義者じゃないですよ。言うなれば全体趣味者です。失礼なこと言わないでください。それと、悪を退治するのは皇帝の責務であることを強調してください。そして、現皇帝はその責務を果たせておらず、それを果たすことが出来るのはアナスタシアだとわからせるのです」
「そうやって人心を掌握するのね」
「そうです。そして親衛隊に集まってきた人たちをよく観察してください。本当に忠誠心で参加している者と、名誉欲や自己の利益の為に参加している者がいるはずです。基本的にはレオンと数人の本当に信頼できる側近を作って、それ以外は全部敵か潜在的な敵だと思ってください。絶対に信用してはいけません。そして、アナスタシアがリューリカを掌握したときに、欲で参加している連中を総括します。そうすることによって、本当に忠誠心の高い者達は、さらに忠誠を誓うでしょう」
「総括?」
「粛清と言った方が良いですかね。ちょっと違いますが、まあ似たようなものです」
なんだかいろいろと恐ろしい計画を聞いたような気がするわ。親衛隊に秘密警察、密告の奨励に粛清かぁ。前世でシンジローが真っ向から否定した事ばかりだけど、短期間で権力を掌握するためには必要な事なのよね。レオンは最初こそちょっと引き気味だったけど“アナスタシアを守れるのはレオンしかいないんだ。リューリカを平和な国にするまで情も涙も捨ててくれ。非情に徹してアナスタシアを守って欲しい”なんてシンジローに肩を叩かれて喜色満面になってたわね。シンジローって天性の人ったらしだわ。恐ろしい子。
◇
ノートル邸
私たちはノートルのお父様とお母様と食事をとったあと、レオンと一緒にお風呂に入った。私一人でも大丈夫なんだけど、毎回レオンがついてくる。レオンって過保護なのよね。“もし転んでしまったらどうするんですか”って。子供じゃ無いんだし転ぶ事なんて無いわよ。
レオンはリューリカから持ってきた最高級の海綿スポンジで私の体を隅々まで洗ってくれる。とっても優しく洗ってくれるので気持ちいいわ。天国にいるみたい。背中にレオンのおっきいお胸が当たってドキドキしちゃう。もしかして私ってどっちもいけるのかしら?
「姫様、シンジロー様は、その、とても恐ろしい方ですね。敵をあえて作ることで団結を促すなど考えもよりませんでした」
呼び捨てにして欲しいって言われてるからシンジローの前じゃ“シンジロー”って呼ぶけど、私の前じゃ様付けなのよね。やっぱり知識も経験もレオンより遥かに上のシンジローのことを尊敬してるのね。
「そうね。それは諸刃の剣でもあるんだろうけど、短期間で権力を掌握するためには仕方のないことなのよね」
極右と極左のやり方は同じってよく言われてたけど、まさに表裏一体なのね。スローガンは“団結”と“正義”、それに“パンと平和と豊かな土地を”だ。まるでというか完全にクルストのスローガンだけど、人々の心に響くのは確かね。実際にやるのは派閥と敵を作って分断することなんだけど。しかも“パンと平和と土地を”ってリューリカ革命の時にクルストが叫んでたスローガンでしょ。私の家族はあのスローガンに追い立てられて殺されたのよ。すごくトラウマがあるんだけど、シンジローに意地悪されてるのかしら?
「印刷所の設立準備も進んでおります。父がとても乗り気なので、来月には営業開始ができそうです」
シンジローの提案でレオンの実家、ヤルジャイエス家の首都邸で新聞を発行することになったのよね。「印刷物は我々の最も鋭く最も強力な武器である」なんて鼻息荒く説明してたけど、これって確かクルストが言った言葉でしょ。私でも覚えてるくらいよ。シンジローのヤツ、実はクルストのこと好きなんじゃないかしら。ちょっと不安になるわ。
編集の方針はシンジローが考えてくれることになった。四コマ漫画もシンジローの担当。現地での取材や執筆はレオンのお兄さんがしてくれるらしい。四コマ漫画の主人公は私。題名は「アナちゃん(仮)」。10歳の愛らしい私が、国民の為に頑張って勉強に励む姿をコミカルに描くのよね。漫画を描く才能がシンジローにあったなんて知らなかったわ。
「四コマ漫画の原稿を見ましたが、姫様がとても愛らしく描かれていましたね。国民的人気キャラクターになりますよ。こうやって姫様が頑張っている姿を国民に見せることが出来るのは素晴らしいことです」
この時代、王都にも文字を読めない人たちが一定数いるから、四コマ漫画や風刺画は効果があるのよね。しかも四コマ漫画なんて今の西方大陸にとっては斬新だわ。ある程度溜まったら、四コマ漫画だけ冊子にして販売するらしい。二次創作もOKにするんだって。私が国民的オカズにされちゃったらどうするつもりかしら?
「そうね、これで少しでも国民が皇室に対するイメージを良くしてくれればいいんだけどね」
「領地で採れる石炭を利用した窒素肥料工場の計画も父の承諾を得ました。来年夏までの稼働を目指していますので、秋蒔き小麦栽培に間に合います。父も兄も姫様の情報にとても感謝しております。ここで得た資金は姫様の親衛隊の増強に使わせていただきます」
ほんと石炭と空気から肥料が作れるなんて驚きよね。シンジローが持ってる技術はまだ出せないって言ってたけど、窒素肥料の合成技術だけは出してくれたのよね。食料生産が増えれば革命の可能性が少しでも減らせるから。それに生産された肥料のうち5000トンくらいは使わずに備蓄しておくようにって。万が一足りなくなったときのためなんだろうけど、爆発には気をつけろってどういうこと?なんで肥料が爆発するのかな?まあ、なんだかんだ言ってもシンジローって良いヤツだわ。人の命を救う技術は出してくれたんだし。それに、電球の製造工場を小規模で良いので作ってくれって。リューリカはまだ電気はほとんど普及してないんだけど、将来を見据えた投資よね。シンジローの協力をもらえるようになってまだ3ヶ月ほどしか経ってないのに、水面下で歴史は大きく動き始めた。本当に世界を動かす力を持ってるのね。ヨシュアとの仲は全然動かないけど。恥ずかしがって話をしてくれないのよね。
「それよりレオン、私が権力を掌握したら、真っ先に貴族の特権を廃止するけど、良いのよね。まだ公には出来ないけど、お父上が反対されるようなことは・・・・」
私にとっての一番の心配事がこの事なのよね。貴族の税制優遇や司法の優遇を完全廃止するから、相当数の貴族が反対すると思うのよ。反対する貴族は“国家反逆”の罪で家長は絞首刑台に上ってもらうつもりだけど、レオンのお父さんが反対勢力に加わった時が心配なのよね。
「姫様、それは心配に及びません。姫様がリューリカ国民の為に王権の簒奪を決心されたように、私も決心はついています。父や兄がもし改革に反対するようなら、もはやそれは斃すべき敵です。遠慮無く絞首刑台に上がってもらいましょう。もっとも、そんな事にはなりませんよ。父や兄は姫様に大変感謝しております。必ずや姫様の改革に賛同してくれます」
ふふ、心強いわ。次にすることはクルス虐殺事件の阻止ね。シンジローが検討中だから、どんな案が出てくるか楽しみだわ。
◇
「立て!国民よ!集え!私の下に!生きるための人民の戦いを神が見捨てることは無い!この過酷な凍える大地を生活の場としながら共に苦悩した同志諸君!私は約束しよう!このリューリカの大地全てを豊穣の地に変えんことを!」
パチパチパチパチ
「だいぶ良くなりましたね。でも、もっと感情を表に出して両手を大きく広げてみましょう。国民に対する“愛”がさらに伝わるようになりますよ。いろんなパターンの演説をマスターしてくださいね」
今日もシンジローの家で勉強会をしている。人心掌握術の仕上げとして、ぶちかまし演説の練習中だ。ミカン箱の上に立って拳を振り上げるのにも慣れてきたわ。それを聴いていたレオンは感涙にむせんでる。かわいい。
「ねぇ、シンジロー。あなたの家でこんな大声出してもいいの?」
イスタニアの家って土壁だけど、襖や障子が多いから声がほとんど筒抜けなのよね。
「リューリカ語だから誰にもわかりませんよ。それに、さすがに塀の外までは聞こえません。家人には学芸会の演劇の出し物の練習って伝えてますから大丈夫です」
演説中の拳の角度や表情や視線まで細かく指導してくる。参考にしているのは演説の大天才、ヒトラーとヒトラーの尻尾の人らしい。ヒトラーはシンジローの前世での独裁者らしいけど、そんなヤツのマネをするのってあんまり気分が良くないわね。それにヒトラーの尻尾ってだれだろう?
「アナスタシア、リューリカを掌握する為には清濁併せのむ覚悟が必要ですよ。ヒトラーやクルストが独裁を実現したことには理由があるんです」
◇
大声で演説の練習をしてたら喉が痛くなってきちゃった。いったん休憩にして、シンジローの入れてくれた紅茶と庭でとれた柿で作った干し柿を楽しむ。前世でも冬になったらよく食べてたんだけど、年をとって歯が無くなってからは食べてなかったのよね。そんな事思い出してたらホントにおばあさんみたい。実際中身はそうなんだけど。
「そういえば、ミンツへの血漿輸液の事だけど、お父様から効果があったって手紙が来たわ。お母様は泣いて喜んでるって」
実施すれば効果があることはわかってたから、そこは良かったんだけど・・・・。
「どうしたんですか?アナスタシア。そんな浮かない顔をして」
「うーん、これでセンメニウスの信用を失墜させることができると思ってたんだけど、どうも私がリューリカを発ってすぐに“皇女殿下がイスタニアに行かれることで、良い事と悪いことの両方が起きます”ってセンメニウスがお母様に言ってたみたいなのよね。だから血漿輸液の件も、センメニウスが予言した“良い事”だって思ってる見たい。それで悪いことが怒るかも知れないから十分に注意しろだって」
「占い師の常套手段ですね。“犯人は10代から20代、もしくは30代か40代、しかし50代以上の可能性もあります“ってやつでよ。あらゆる可能性を言っておけばどれかが的中するものですからね。一筋縄ではいきませんか」
「そうなのよ。これでクルス虐殺事件が発生したら、私がイスタニアに行ったからあんな事件が起きたって思われそうで嫌だわ。そういえば、虐殺事件への対策ってどんな感じ?なんとかなりそう?」
もう年の瀬よ。あと三ヶ月くらいで虐殺事件が発生してしまうから、そろそろ動かないと間に合わなくなるんじゃ無いの?
シンジローは持っていたティーカップをゆっくりとテーブルに置いて険しい顔をしているわ。珍しい表情ね。
「クルス虐殺事件の阻止ですが、なかなか難しいですね。正直良い案が浮かびません」
「シンジローでもだめなの?でも何とかしないと・・・・・」
「リューリカ帝国の鉱山の状況を特集した新聞を見つけることが出来たんですけど、それによると金鉱の労働者は一日15時間以上の労働で酷使され、坑道に入る鉱夫の七割は事故で死亡するか後遺症の残る重傷を負っています。しかも賃金は鉱山会社が経営する商店でのみ使える現地通貨で支払われているんですよ。一応標準通貨でも支払われるようですが、それは帳簿の中だけです。ケガや死亡で途中退職の場合は罰金としてほとんど支給されません。ケガの治療も有料で法外な値段です。商店の商品も輸送にコストがかかるからって理由で市価の4倍の値段で売ってるんですよ。いったいどこのペリカですか?帝愛地下帝国も真っ青ですね。都市労働者の二倍の賃金で募集して連れてきて、結局賃金を払わずに使い潰すんですよ。鉱山を出るときは死体か障害者になってからです。これでおとなしく働くと思う方がどうかしてますよね。中世暗黒時代じゃあるまいし。こんな奴隷労働が許されていいわけないんです。しかも国軍が企業側に立って労働者を射殺するとか、こんな事をして革命が起きない方がおかしいですよね。あなたのお父さんはまともな判断が出来ないんですか?自分の死刑執行書を乱発しているようなものですよ。俺がもしリューリカの鉱山労働者に転生してたら間違いなく人民を扇動して革命を起こしてますね」
むー、そんなに私を責めないでよ。シンジローの言う事も解るけど、前世の10歳の私は何も知らなかったし、知ってても何も出来なかったわ。泣いちゃうわよ。レオンもほっぺたを膨らませて怒ってるし。でも、今までのレオンならこんな事を言われたら激昂するのに、最近のレオンの怒り方ってちょっと可愛いのよね。もしかしてシンジローのこと好きになってるんじゃ無いの?
◇
「そんなに・・・非道い環境なんですね・・・・・」
レオンがほっぺたを膨らませながらもなんとか深刻そうな表情を作ってシンジローを見ている。不思議な表情だわ。ヤルジャイエス家も領地で炭鉱を経営しているから、人ごとじゃ無いのよね。労働者を不当に酷使すると惨いしっぺ返しがくるからね。ちゃんと労働環境を良くするように実家のお父様やお兄様に強く言っておくのよ。
「革命したくなる気持ちも理解できるけど、クルスト達にそれをさせるともっと非道い事になっちゃうからね。それなら本当にシンジローがリューリカに渡って革命する?私と一緒に。全面的に協力するわよ」
「10歳の俺じゃリューリカに渡ってもどうしようも出来ないですよ。俺たちが革命を起こす方向じゃ無くて、革命を抑えつつ現皇帝から権力の移譲を受ける事を第一にしましょう」
「たしかにそうね。平和的に権力を奪取するのが一番良いわ。じゃあ、お父様(ニコル)に手紙を送ってストライキが起きても軍を派遣しないようにお願いするとかはどう?」
「そうですね。できる限り鉱山労働者の不遇を訴えて下さい。でも、それだけだと確実性に欠けます。軍を派遣しなかったとしてもストライキが起きてしまえば流血の事態になる可能性が非常に高いと思いますよ。労働者が蜂起して現地管理者を殺害するとかですね。そうなると鎮圧せざるを得ないのでどっちにしても革命の原因になります」
「じゃあ、ストライキを起こさせないようにするしか無いのね」
「そうです。でもその確実な方法が見つからないんですよ」
「「・・・・・・・・・・・・・」」
ダメだわ。シンジローが思いつかないのに私が思いつくはずも無いのよね。でもこのままクルス虐殺事件が発生したらリューリカの命運は尽きてしまうわ。
「あの、よろしいでしょうか?姫様」
話を聞いていたレオンがおずおずと手を挙げた。何か良いアイデアがあるんだったら是非とも話して欲しいわ。
「ヤルジャイエス家の私兵なら20人ほど動かせます。国軍より早く現地に赴いて、デモ隊と経営者との間に入って仲裁を行うというのはどうでしょう?私も同時に現地に行って陣頭指揮を執ります。これなら、ストライキが起きても最悪の状況を避けることが出来るかもしれません」
確かにそれは有りね。ストライキが起きてしまっても流血事態を避けることが出来れば・・・・・・。
「そうね、レオン、良いアイデアだわ。私も行くわ」
「えっ?姫様、それは危険すぎます。それに3月の大森林はまだ極寒の地ですよ。無理です。不可能です」
確かに極寒で危険なことはわかるんだけど、この虐殺事件を防ぐことが出来なかったら、どっちにしてもリューリカに未来は無い。皇女である私が行けばもしかしたら経営側も妥協してくれるかも知れないし。それに、おじいさまからの夢の啓示があったって言えば、今のお父様なら何かしらの手を打ってくれるかも。
「レオン、寒くて危険なことはわかるけど、この虐殺事件を防がなかったら私にもリューリカにも未来は無いの。だからどうしても行くわ」
「姫様、しかし・・・」
「レオン、あなた、マイナス20度の吹雪の中で雪洞(せつどう)を掘って一夜を過ごしたこと、ある?」
「えっ?そ、それは・・・・」
「私ね、両足の小指が無いの。凍傷で腐って落ちちゃった。あ、これは前世の事なんだけどね。17歳の私はバトラと二人で大森林を東に逃げたわ。次の村まで冬の森を歩いてたら夜になっちゃってね、雪洞を掘ってバトラと二人で夜を明かしたの。そんな事が何回かあったわ。だから、あなたとあなたの私兵20人もいるんだったら大丈夫よね」
「そんな事が・・・」
「だからね、レオン、私とリューリカを守って欲しいの。これはレオンにしか出来ない事なのよ」
こういう言い方をすればレオンは断れないのよね。この半年間でだいたいわかってきたわ。
「姫様、そこまで私を頼りにしてくださっているのですか。不肖このレオン、命に代えましても必ず姫様をお守りいたします!」
よし、計画通り!
「アナスタシア、俺もあなたが行くのが良いと思いますが、あなただけ行かせるのはちょっと不安ですね」
◇
3月23日 クルス鉱山
信じられないくらい遠かった。何回も死ぬかと思った。途中までは大森林横断鉄道だったから良かったけど、そこからを甘く見ていたわ。クルス鉱山まで物資を運ぶために道はあるって聞いてたけど、1100kmの距離を軽便鉄道とソリで3週間なんてあり得ないでしょ。レオン家の私兵が十分な装備を持ってきてなかったら間違いなく死んでた。
私はホームシックにかかった振りをしてお父様に一時帰郷をお願いしたの。そうしたらお手紙じゃ無くて緊急電信で返事が来たわ。留学を切り上げてすぐに帰って来いって。それは断ったけどね。
「ラルドゥックス大尉(シンジローのお父さん)、はるばる大森林の奥地までご同行いただき、感謝に堪えませんわ」
シンジローの同行はお父様に無理矢理お願いして実現した。同行を許してくれないと海に身を投げるって言ったらすぐにOKが出たわ。イスタニア陸軍としても大森林鉄道沿線の情報収集をしたかったので武官を派遣することになったそうだ
3月中旬に入ってからは日中の最高気温が0度を上回る日も出てきたけど、大森林に入ってしばらく夜はマイナス30度、昼でもマイナス10度なのよ。軽便鉄道の区間はすぐに終わって、そこからは幌の無いソリで雪の中を移動よ。野営のテントが天国に思えるくらいだったわ。イスタニアの武官達は最初“これはいい雪中訓練になりますな”とか軽口をたたいてたけど、5日目くらいからは無言になっちゃったもんね。寒さに関してはレオンの家の私兵の方が一日の長があったわね。北方で生まれ育っただけのことはあるわ。
「いえ、皇女殿下、この程度の寒さ、何ほどのものでありましょうか」
シンジローのお父さん、強がってるけど道中死んだような顔をしてたのを知ってるわよ。お顔が遮光器の所を除いて真っ黒に日焼けしててまるで逆パンダね。ふふ、大人になったシンジローによく似ててちょっとドキドキしちゃったのは内緒よ。
私は“お爺さま(ヨーゼフ三世)から夢のお告げがあったと王都のお父様に手紙を書いて、クルス鉱山を目指したの。シンジローのお父さんには”皇帝からの依頼で護衛を頼みたい“って嘘をついてね。外交問題になるかも知れないけど、どーでもいいわ。もちろんシンジローの入れ智慧よ。
クルス鉱山に到着した私たちは早速鉱山事務所を訪問した。さあ勝負の時間よ!
◇
「だーかーらー、この皇帝アナスタシアが労働者の待遇改善をお願いしてるのよ!それが聞けないの!?」
「皇帝?」
「あ、間違えた。まだ皇帝じゃなかったわ。皇女アナスタシアがお願いしてるのよ!」
私はレオンと数人の私兵を連れて鉱山管理事務所に入った。さすがにシンジローたちイスタニア人を管理事務所に入れるわけには行かないので私たちだけだ。一応東の都から先触れの電信を入れていたのだけど、現場では“本当だったの?”って感じで慌ただしく書類の束を抱えて右往左往している。何かを隠そうとしているのかしら?とりあえずこの鉱山の責任者を捕まえて労働環境の改善を直談判してるのだけど、当然そんな事は一筋縄には行かないわよね。
「皇女殿下、我々も手をこまねいているわけでは無いんです。ここで提供される食料は東の都から運ばれる物しか無いんですよ。天候によっては物資も滞りますし。その中でなんとかやりくりしてるんです。しかも、ストライキ中で全く金の採掘が出来ていないにもかかわらず、食糧の供給だけは続けています。賞賛されこそすれ非難される謂われはありません」
「でも、食料の供給を止めたら餓死しちゃうんでしょ?逃げ場所なんて無いんだし。私の大事な国民を殺す気かしら?それに、食料を止めたら確実に暴動が起こって、あなた方も殺されちゃうわね」
「う、たしかにそれはそうなのですが、現状違法なストライキである事に間違いありません!」
この時代、どこの国でもストライキはだいたい違法なんだけど労働者に銃を向けて何百人も殺すのはリューリカくらいなのよね。こんな事を繰り返してたら当然革命だって起きるわ。私が労働者の立場だったら絶対革命してる。シンジローが怒るのも無理はないわね。
私たちがクルス鉱山に到着したときにはもうストライキが起こっていた。本当に悔しいわ。まさか到着までこんなにも時間がかかるとは思わなかった。さすがのシンジローもクルス鉱山までの詳しい交通状況を知らなかったのと、出発をこれ以上前倒ししても気温が低すぎてたどり着けないだろうって判断だったのよね。無理をしてでも出発を早めるべきだったわ。
「そもそも今回の騒動は一日11時間の労働の後、個人の裁量で金(きん)の採取を許していたのを禁止した事に端を発しているんですよ。時間外に見つけた金は会社が別途買い取りますからね。あいつらは給料の出る時間は真面目に働かずに、時間外になったら本気で働いて金を見つけるんですよ。勤務時間内に見つけた金を隠していて、時間外に発見したと嘘をついている疑いもあります」
「それで金の個別買い取りを中止して勤務時間を延ばしたのね。労働者を信じない非道い話だわ。勤務時間中に真面目に働かない労働者が実際に居るのかもしれないけど、それはマネジメントの問題でしょ?あなたたち管理者に問題があるのよ。それに罰金制度って何よ?採掘量が少なかったりケガで仕事が出来ないときに罰金を取るって明らかな違法でしょ。私でもそれくらいの法律は知ってるのよ。これは王都に報告させてもらうわ」
「罰金制度は会社が決めたことなので、私にそれを変える権限はないんです。違法なのかもしれませんが、それは本社に言ってください」
「じゃあ鉱山本社に私自ら抗議を入れるから電信を使わせてね。あと腐った肉や馬の肉を出したんでしょ?しかも会社が経営する食堂で。あり得ないわ」
イスタニア人って馬の肉を食べたりするけど、ほとんどの西方大陸人からするとちょっと信じられないのよね。馬は人間の次くらいに賢い動物でパートナーだと思ってるから。私もイスタニアでは食用の馬がいるって聞いてショックを受けたのよ。
「皇女殿下。たまたまウジの湧いた肉が混ざっていたかのも知れませんが、それはたまたまですよ。我々もわざとしたわけじゃありません。馬の肉については、死んだ馬を現場で解体した可能性もありますが、会社としては未確認です。それに労働者がこのままじゃ無理って言いますが、全然無理じゃないんです。だって今までやってきてたんですよ?無理というのはですね、途中で止めてしまうから無理になるんです。途中で止めなければ無理じゃ無くなるんですよ」
どっかのブラック企業の社長みたいな事を言うのね。本当に労働者をなんだと思ってるのかしら。
私の後ろで身長1.9メートルはあろうかという体躯の私兵がにらみをきかせてるんだけど、ここの責任者はちょっとたじろぐだけで条件的には譲歩をしない。なかなか肝の据わったヤツだわ。
◇
「アナスタシア、どうでした?皇帝からの手紙は来てましたか?」
管理事務所から出てきた私たちにシンジローが駆けよってきた。
「お父様達からはまだ何の連絡も無いそうよ。ただ東の都の師団から国軍を派遣するって連絡があったみたい」
「そうですか・・・。もう国軍は出発してるんですね・・・・・」
シンジローもちょっと厳しい表情をしている。今のところお父様達への手紙は何の効果も無い。残念だわ。
「俺たちが東の都を出たときには、国軍に何の動きもなかったので、ここに到着するまでおそらく一週間から長くても二週間くらいでしょう。その間になんとか労働争議を収めないとならないわけですね」
残された時間はあまりないわ。あと数週間でリューリカの運命が決まってしまうのね。
◇
ストライキ実行委員会
「本当に皇女?」
実行委員会が陣取ってる宿舎は、鉱山事務所から歩いて30分くらいの所にあった。実際に歩くとかなり遠い。道路は多数の轍の形に凍っていてまっすぐ歩けないわ。まだ昼過ぎだけど太陽はもう沈みかけていて本当に寒い。そして私たちが宿舎にたどり着いたとき、待っていたのは労働者達の不審者を見るような視線だった。まあ、突然皇女を名乗る幼女が現れたんだから信じられないわよね。それはともかく、ここはちょっとあり得ないくらい不潔で臭いわ。何ヶ月も体を洗っていない男達の体臭でむせかえってる。しかも目の前の実行委員たちの口臭も瘴気を吐いているのかってくらいね。倒れそう。おそらくビタミンC不足で壊血病になりかけてるんだわ。でもここで不快な顔をしてはダメよ。彼らはこういう環境での生活を強制されてるんだから。
「信じられないのは無理も無いわ。でも本物よ。あなた方がストライキをしてるって聞いて駆けつけてきたのよ。あなたたちの話を聞かせて欲しいの。このストライキを流血無しに終わらせたいのよ」
労働者達の視線が刺さる。特権階級に対する妬みと恨みのこもった視線。前世で何度もあの視線に晒されたもの。
ストライキ実行委員の委員長はこのクレチンスキーという男だそうだ。鉱山労働者とは思えない理知的な雰囲気があるわね。革命主義を勉強しているような気がするわ。
「ストライキを聞いて来た?嘘をつくな!東の都から三週間はかかるんだ。皇女がこんなに早く来るはずが無いだろう!」
あ、しまった。確かにそうね。時系列が合わないわ。それに気付くとは、やっぱり頭は良さそう。こういうインテリタイプの人には、ちゃんと論理的に説明して怒らせないように注意をしなきゃ。
「そ、それは事前に情報を得たのよ。ストライキを計画してるって。だから急いで来たのよ」
事前に情報がもたらされたと説明したら辻褄はあうわよね。それに労働者のみんなのことを心配してるって伝わるはずだわ。
それなのに、何故か実行委員達の視線がさらにキツく刺さる。
「幹部の誰かが裏切って情報を漏らしているのか?」
ヤバイヤバイ!首謀者の男が周りの幹部達を睨みつけているわ。突然粛清とか始まったらどうしましょ。
「今はそんな事どうでも良いでしょ!後でやってよ!とにかく話し合いのテーブルに着いてよ!私はみんなの生活を少しでも改善したいのよ!」
「少しだと?本当に俺たちの現状がわかってるのか?俺たちは生きるか死ぬかの瀬戸際なんだよ!我々の18箇条要求は既に出している。これが全て認められるまでストライキは続ける!」
ああ、何故かさらに怒らせてしまった。もしかして私ってポンコツなのかな?
「じゃ、じゃあ、食事の改善と時間外の採取を復活させたらストライキを中止するとかは?」
「確かにストライキのきっかけは腐った肉と馬肉が入っていたこと、それに時間外採取の禁止だ。だが時間外採取があったからなんとか我慢出来ていただけなんだよ。それが復活したからと言って根本的な解決にはならないんだ。多くの仲間が事故で死んだり大けがをしてるんだよ。命懸けなんだよ!要求が満たされるまで我々は断固としてストライキを続ける!」
◇
「全然埒が開かないわ。どうすればいいのよ!」
私たちは管理棟の近くに天幕を張って野営をする事にした。管理棟の部屋を用意するって言ってたけど、なんだか覗かれるようで不安があったのよね。乙女の直感よ。
双方の話はとりあえず聞いたわ。罰金と社内通貨に関しては明らかに違法行為なのですぐに止めさせるように手配をしたんだけど、それ以外の条件については全く歩み寄りが無いのよね。
「皇族といってもそれほど権力無いんですね。この時代のリューリカについてはあまり知らなかったんですが、もっと専制的なのかと思ってましたよ」
「1905年の憲法発布でかなりの権力を制限されちゃったからね。皇族でも皇太子以外はそれほど権威なんて無いのよ。イスタニアとは比べものにならないわ。特に私は第二皇女で10歳だし。でも、皇族の犯罪は皇帝しか裁くことが出来ないから、いざとなったら私が労働者を扇動して会社の勢力を追い出すっていう手も採れるわ」
「過激ですね、アナスタシア。まあそれは最後の手段にするとして、まだやってないことがたくさんありますよ。ロールプレイングゲームの最初の村の基本です。もっと多くの人に話を聞くんですよ。労働者は本当に一枚岩ですか?執行部の方針に反対しているグループは無いんですか?」
確かにそうね。この鉱山では数万人が働いているんだから、全員が同じ考えとは限らないわね。
「主流派があれば反主流派もあります。主流派に不満を持っている人たちに接触しましょう。そして、アナスタシア、あなたの力で反主流派を形成するんです。そして主流派の切り崩しです。主流派の強硬派についていくよりアナスタシアについた方が得だと思わせるんです」
「それはあなたの前世のナベツネの手法ね」
「そうです。そうやって彼は大新聞の主筆にまで上り詰めましたからね」
◇
私たちは手分けをしていろいろな人から話を聞いた。そして、チャフチンスキー鉱区の労働者達が最後までストライキに反対していたことを突き止めた。
「あなたたちは最後までストライキに反対したって聞いたわ。それは何故?」
今回は、シンジローに従者の一人としてついて来てもらってる。リューリカは多民族国家なので、私と同じ年くらいのアジア人従者がいても無学な労働者は不審に思わないだろうって。
「おれたちゃあいつらの言う革命主義の理想なんてどうだっていいんだよ。働いて飯がくえりゃな。だが、あいつらの“より安全な職場”や“人間的な労働環境”ってのは確かにその通りだ。いけ好かねぇ現場監督に怒鳴られるのもこりごりだしな。だからストライキに賛同することにしたんだ」
確かにこの人の言う通りね。お金は欲しいから働きたいけど安全はやっぱり必要だものね。ここからどうしたものかと思っていたら、シンジローがガリア語で話しかけてきた。労働者に聞かれないようにする為ね。
なるほど。シンジローの方針はわかったわ。さすがね。
「あなたたちの18箇条の要求は読んだわ。でも、あの全てを一度に認めさせるのは絶対に不可能よ。それこそ革命でも起こさない限りね。でもあなた方の追い詰められた状況も理解した。だからね、“順法闘争”よ!」
「順法闘争?」
労働者達は皆訝しげな表情を向けて来る。私だって初めて聞いた単語だわ。法律を守りながら戦うってどういうことって思うわよね。
「そうよ。リューリカにも鉱山労働安全を規定した法律があるわ。最低限の安全を確保するためのね。それを忠実に実行するのよ。こっちが法律を守るんだから会社も文句は無いでしょ。法律をきっちり守ったらどうしても生産性が下がるわ。会社はそれが嫌だから、違法な労働を強いてきてるのよね。もし法律を守ったことに対して難癖を付けてきたらその時こそ交渉のチャンスよ」
「交渉できるのか?」
この鉱区のリーダーらしい男がちょっとだけ私の言葉に興味を示したわ。よし、このまま押し切ってやる。
「出来るかどうかじゃないの!交渉して認めさせるのよ!」
「・・・・・アンタが本当の皇女だったとしても無理だよ。あいつらは金の亡者だ。それに、実行委員会に逆らったら、どんな仕返しをされるかわかったもんじゃねぇ。おれたちゃ実行委員会の方針に従う。なにもしねーよ」
なんでそんなに消極的なのよ!!あー本当にイライラするわ。
「ねぇ、あなたの足の間にあるモノはお飾りなの?経営者や実行委員が怖くて縮み上がってるのね。ちょっとでもあなたたちに期待した私がバカだったわ」
「何だと?このガキ!」
「あら、本当のことを言われたら怒るくらいの気持ちは残ってるのね。じゃあ最後に言ってあげるわ。この負け犬ども。飼い主に言われるままブタの餌でも喰ってやがれ」
「ああっ?クソガキ!言わせておけばつけあがりやがって!」
労働者達が顔をまっ赤にしているわ。さすがにこれだけ言われたら怒るくらいの気力は残ってたのね。後ろではレオンと私兵達が腰のピストルに手をかけたのがわかった。でもダメよ。私は右手でレオンを制してありったけの声量で労働者達を怒鳴りつけた。
「男なら立ってみろやぁ!ウサギ野郎ども!この皇帝アナスタシアがお前らインポの童貞陰キャを“男”にしてやろうって言ってんだよ!私を楽しませてくれる男は一人も居ないのかい!?」
ザワザワと騒いでいた労働者達が静まりかえった。みんな、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔になっちゃったわね。まさか10歳の幼女にそんな事を言われるなんて思ってもみなかったでしょ?でもね、私はリューリカ国民3億人を何十年にもわたって率いてきた皇帝なのよ。舐めてもらっちゃ困るわね。
「ふはは、はーはっはっは、おもしれー嬢ちゃんだ。もう皇帝になったつもりなのか?そこまで言われて勃たないんじゃ男が廃(すた)るってもんだ。わかったぜ、小さな皇帝陛下。俺たちゃアンタに従おう。チャフチンスキー鉱区で労働組合を結成だ!皇帝陛下が委員長でいいんだな?お前らも文句はねぇかぁ!?」
「おう!文句はねぇぜ!」
労働者達は口々に同意を表明する。この鬱屈とした雰囲気をなんとか打破したかったのね。
「いい面構えになったじゃないの。あんた、名前は?」
「俺はイワンだ。よろしくな、皇帝陛下」
◇
「なんとか説得に成功したわね」
チャフチンスキー鉱区の労働者達で労働組合を結成した後、私とレオンとシンジローの三人で天幕に戻ってきた。
「アナスタシア、かっこよかったですよ。本物の皇帝より迫力ありそうですね。俺もちょっと惚れてしまいました。ヨシュアにも見せてあげたかったですね」
「お世辞はいいわよ。ついつい皇帝って間違えちゃうわね。それにヨシュアにあんなはしたない所なんて見せられないわ」
「お世辞じゃないですよ。本当に尊敬しました。レオンのびっくりしてまっ赤になった顔も可愛かったですね。18歳の女の子だと再認識しましたよ」
「そ、シンジロー、そんな事を言わないで欲しい。私は姫様と国家のために女を捨てたのだ」
あら、レオンがまたまっ赤になっちゃった。可愛いって言われて本気で照れてるわ。なんて可愛いのかしら。シンジローって見た目は10歳の男の子なんだけど、私たちだけで話しているときは大人の余裕って言うか落ち着いた感じがあって男らしいのよね。私やリューリカ政府がダメダメなときにはイヤミを言われることもあるんだけど、頑張ったときには良く褒めてくれる。特にレオンの事はすごく褒めるのよね。シンジローもレオンのこと気に入ってるんじゃないかしら?時々ウイットに富んだジョークでレオンを笑わせてるし。実際中身は35歳+10歳の42歳だからね。でも18歳の男装令嬢と10歳の男児の恋愛かぁ。これって“おねショタ”って言うのかしら。まるでUSUIHONのネタね。
「アナスタシア、どうでも良いこと考えてませんか?」
ほんと感のいいおっさんだわ。
◇
チャフチンスキー鉱区の労働者達は、早速作業を再開するためにボイラーに火を入れた。石炭を燃やすからものすごい黒煙がでるのね。肺の中まで真っ黒になりそう。この時期は土が凍っているので、お湯で溶かしながら作業をするらしい。労働者達はずぶ濡れになって作業をして、就業の後は濡れた体のまま寒空を歩いて宿舎まで帰るそうだ。これじゃ体を壊すのも当然ね。この辺りの業務改善もしていきたいわ。
◇
「これがチャフチンスキー鉱区労働組合の要求書よ。労働者を募集したときの約束と法律を守ってくれる限り作業は続けるわ」
私は会社への要求書をシンジローに作ってもらって組合の決議にかけた。そしてチャフチンスキー鉱区全員の同意を受けて管理事務所に持ち込んでいる。
「皇女殿下が組合の委員長?」
「そうよ。文句があって?」
組合が要求した項目は概ね以下の通りだ。
・労働時間 10時間の二交代制(夜勤有)
・夜勤の給与は3割増
・管理者による暴力や粗暴な言動の禁止
・罰金の禁止
・標準通貨での現金支払い(社内通貨の禁止)
・食料の改善
・壊血病予防の為のキャベツやライムの提供
・日曜日と主要な祝日は休める(無休)
・勤務によってケガをした場合、医療費は会社負担とする。
・その他リューリカの法律の遵守
シンジローに要求をまとめてもらったけど、これって今現在のリューリカの法律に書かれている事がほとんどなのよね。ヤルジャイエス家から来た私兵の隊長さんにリューリカの法律書を持参してもらってて正解だったわ。しかしこの程度のことも守れてないって事を肌で実感できて良かった。前世では何不自由の無い宮廷暮らしだったからこんな状況だったなんて知らなかった。革命後の人々の非道い生活は知ってたけど、革命前も十分に非道い。多くの国民を不当に虐げて搾取したお金でのほほんと生活してたんだから、革命は天罰だったのかも。でも、私や皇帝一家がその責任を取らされて殺されてしまうのは百歩譲って仕方が無いとしても、その結果何千万もの国民を殺されることを黙ってみているわけにはいかない。どんなことをしてもそれだけは防いでみせるわ。
鉱山事務所の責任者はこの条件を本社と掛け合ってくれるって約束してくれた。ただし、標準通貨での現金払いは早くても一ヶ月以上先になるらしい。そもそもこの鉱山に現金はほとんど無く、用意するには時間がかかるそうだ。信じられないほどのブラック企業ね。
◇
「「「あ~た~らしい朝が来た、希望のあ~さ~だ、よろこ~びに胸をひ~ろげ~♪♪」」」
「みんな、おはよう!」
「「「おはようございます!皇帝陛下!」」」
毎朝鉱山に響き渡るのはみんなの歌声だ。これを歌った後に体操をして体を暖めるのね。最初はみんな戸惑ってたけど、今では体操で汗ばむくらい全力で取り組むようになったわ。
私は再稼働した鉱山に毎朝と毎夕行くようにしている。それ以外にも時間が許す限り鉱山に赴いて労働者のみんなに声をかけるようにしているわ。あれから一週間ほど経過したけど、大きな事故は無くみんな元気に作業をしている。安全第一で仕事をするように指導したからね。そうしたら現場監督がイライラして“作業を止めるな!もっと動け!”って怒鳴ってきたの。そりゃ安全を確認しながら仕事をするから、傍目には手順ばかり多くなって仕事のペースが落ちているように見えるわよね。でもね、シンジローも言ってたけど事故で作業が止まったり怪我で熟練工が脱落する方がよっぽど損失が大きいのよ。安心安全に働ける職場こそ最終的には最も効率が良くなるの。その為にいろいろなルールを決めたわ。
「そこの足場!1メートル以上の所にはちゃんと手すりを作って!1メートルは一命取る(イチメイトル)のよ!油断しちゃダメよ!」
「それ、一人で持っちゃダメ!30キロ以上の物は必ず二人で持つようにね!重たい物を持ち上げるときにはもっと腰を落としなさい!前屈みになったら腰を痛めるわよ!腰は男の命でしょ!奥さん悲しむわよ!」
「ちゃんと帽子とマスクをして!あご紐もちゃんと締める!イワン!ちょっとこっちに来なさい!通路にこんな物を放置させないで!引っかかって転んだらどうするの!もっとKY(危険予知)活動を徹底させて!不安全行為を徹底的に潰していくのよ!」
こんな感じでシンジローに教えてもらった安全確認を徹底させてる。あと指さし声出し確認もね。「右ヨシ!左ヨシ!安全帽ヨシ!マスクヨシ!ご安全に!」って全員で唱和をさせるのって気持ちが良いわ。始業前の体操ももちろんシンジローの発案よ。
そしてチャフチンスキー鉱区の再稼働を知った他の鉱区のいくつかが同じように再稼働を果たした。この一週間で全鉱山の三割以上が私たちの方針に賛同してくれてる。主流派の切り崩しも順調だわ。さすがシンジロー。あいつってガチガチの反全体義者のくせに革命主義のやり方や労働争議・労働安全にやたらと詳しいのよね。“全体趣味者“だって言ってたけどどこでそんな情報を仕入れてたのかしら?
日が暮れて日勤の作業が終わり夜勤の人たちが坑道に集まり始める。設備の関係もあって夜勤の人数は日勤の半分ほどなんだけど、三割増の夜勤手当が出るから勤務希望者が多いのよね。みんな頑張るのは良いけど無理はしないでね!
「小さい皇帝陛下!今日も激励ご苦労さんです!」
「怪我も無く働けましたよ!皇帝陛下のおかげでさぁ!」
「良かったわ!明日も頑張って安全にね!」
「へいっ!皇帝陛下に応援されたらビンビンですぜ!」
「皇帝陛下がもうちょっと大きくなったらオレっちが喜ばしてさしあげますぜ!」
「それは楽しみね。どれくらいのモノか期待してるわ!私をがっかりさせないでね!」
私が言い間違えたせいで“皇帝陛下”って呼ばれるようになっちゃった。こういうノリって肉体労働現場特有よね。あと下ネタも。あのとき下ネタ全開で啖呵を切っちゃったから、私が幼女でも下ネタOKって思ってる節があるのよね。でもついつい釣られて下ネタで返しちゃうんだけど。
そんな下ネタの掛け合いをやってると時々レオンが「姫様、今のはどういう意味でしょうか?」なんて真顔で聞いてくるから返答に困るわ。そういうときにはシンジローに説明してもらってるけど。あ、ダメよ!シンジロー!もうちょっとオブラートに包んで説明して!そんな卑猥な指の仕草しない!レオンはまだ本当に乙女なのよ!
そんな感じで10日が過ぎたころ、ストライキ実行委員会の執行部が私たちを訪ねてきた。
◇
「皇女殿下、うまく連中を丸め込んだものですね。おかげで本当に労働者の未来を考えている我々の方が悪役みたいですよ」
実行委員長のクレチンスキーが苦虫を噛みつぶしたような渋面で私を見下ろしている。本当に不満たらたらって感じね。自分たちでこの鉱山を乗っ取れるとでも思ってたのかしら?まあ気持ちは解らないでもないけどね。
「丸め込んだなんて人聞きが悪いわね。理解してもらったのよ。無茶なストライキが長引けば執行部のあなたたちは逮捕されちゃうし、間違って流血事件に発展することだって考えられるのよ。私は誰も傷ついて欲しくないの」
「流血事件にだと?はっ!俺たちの血をすすってのうのうと生きていらっしゃる皇族様の言葉とは思えないな!それとも俺たち下級国民の血は吸い飽きたってか?俺たちは血を流すことを恐れちゃいない!それで世界の労働者が団結できるんだったらな!」
なんだか鉱山の労働環境改善って話じゃ無くて世界に飛躍しちゃったわね。委員長のクレチンスキーって男、なんか怪しいのよね。労働者にしてはインテリっぽい感じなのにこんな厳しい鉱山労働に自ら応募したとは思えない。誰かの指示なのかしら?100年の人生が培った私の中の警報が鳴ってるわ。
「もしかして、クルストの一派から極秘指令が来ているのかしら?“強硬な労働争議を起こして国軍に発砲させろ”とか?ここで犠牲者が出ればクルストの思うつぼだものね」
クルストって“クルス川の男”って意味なのよね。クルスト自身はこの名前を10年くらい前から使ってたんだけど、このクルス虐殺事件を利用して“クルスで殺された労働者の事を忘れない。だから私はクルストと名乗ろう!”とか言い出すのよ。この時からクルストは影響力を盛り返してくるわ。もしかしてクルストの名前を売るために労働争議を裏で手引きしてたんじゃ無いかしら。
「な、なぜ同志のことを?」
ん?もしかして図星なの?この執行部連中の動揺を見ると、本当に指示が来ていたのかもね。
「同志ねぇ。何を吹き込まれたのか知らないけど、あの男は労働者や農民の事なんてこれっぽっちも考えちゃいないのよ。自分が権力を握るためだったらどんな側近だって殺すし、意に沿わない労働者や農民を何百万人も虐殺するのよ。あなたはその犠牲者になりたいのかしら?それとも虐殺を楽しむ側になりたいの?どっちにしても幸せにはなれそうにないわね」
よくよく考えたらお父様が虐殺した民衆の人数より、クルストが虐殺した人数の方が1000倍は多いのよね。それでも連中が権力を握り続けることが出来たのは完全に情報を統制したから。そして自分たちに反対してるのは反革命であって民衆の敵だって国民を騙したからよね。全体主義者ってこういうことにだけは天才的だわ。
「お前が同志の何を知ってるって言うんだ!同志はリューリカの労働者のために命をかけてるんだ!」
「ふん、少なくてもあなたよりはよく知ってるわ。あの男の“狂気”をね」
そうよ、あの男の狂気で私たち家族は殺されたのよ。そしてクルストが主導した赤色テロで数百万人の国民が無残に殺されて、その数倍の人々が大森林送りにされてしまったの。こんな事は絶対に許さない。
と、その時だった。私たちのいる建物にストライキ実行委員の一人が駆け込んできた。
「委員長!大変だ!国軍が来て各鉱区のリーダーを逮捕してるぞ!連中、もうすぐここにも来る!逃げた方がいい!」
到着したのは東の都に駐屯していたトレシチェンコフ大尉率いる憲兵隊約200人らしい。全員小銃で武装し、ストライキを実行している労働者の宿舎に押し入り実行委員のメンバーを次々に逮捕していったそうだ。
「連中が来るのを待つ必要は無いわ。こっちから出向いてやりましょう」
私はレオンとシンジローに目配せをしてコートを羽織った。そして逮捕された実行委員が集められている管理事務所前の広場へ向かう。
◇
「そこまでよ!労働者に銃を向けるのは止めなさい!」
艦事務所前の広場には、縄で縛られた実行委員20人ほどが座らされていた。彼らの顔は皆腫れていて、逮捕時にかなり殴打されたのね。可哀想に。
「なんだ?お前達は?」
憲兵隊を率いているトレシチェンコフ大尉が訝しそうに私たちの方を見た。そして私たちに小銃の銃口向けてくる。
「貴様ら!大皇女アナスタシア様に銃を向けるなど不敬であろう!すぐに銃を下ろせ!」
レオンが憲兵に激怒しているわ。そして私の前に歩み出て両手を広げてみせた。
「大皇女アナスタシア様?まさかその荷物のように担がれている“モノ”がか?」
私はレオンとシンジロー、そしてヤルジャイエス家の私兵20人を引き連れて管理事務所へ走り出したんだけどね、10歳の足じゃ全然早く走れないの。私としては全力なんだけど全くついて行けない。そんな状況を見かねた屈強な兵士が私を担いで肩に乗せてくれたのよね。まるで小麦の入った麻袋を担ぐように。だから今は大皇女の威厳もなにも無いのだけれど“モノ”扱いは非道いわね。
私はゆっくりと肩から下ろしてもらい深呼吸をして息を整えた。
「そうよ!この私、大皇女アナスタシアが来たからにはお前達の勝手にはさせないわ!逮捕した労働者のみんなをすぐに解放しなさい!」
「大皇女アナスタシア様だと?そんなボロボロの防寒着を着た小汚い小娘が皇女殿下であるはずがないだろう。ふざけたことを言っていると不敬罪で逮捕するぞ」
レオンを含めてみんな汚れた防寒着を着ているのよね。だって鉱山に入るのに毛皮のコートなんて着てたら、労働者のみんなから白い目で見られちゃうわよ。できるだけ労働者に寄り添う姿勢を見せないとね。
「小汚くて悪かったわね。鉱山事務所に確認してみたら?東の都の政庁から連絡が来ているはずよ。出発の時に聞いていないの?」
指揮官のトレシチェンコフ大尉は副官に確認に行くよう指示する。そうこうしているうちに騒ぎを聞きつけたヨシュア達とチャフチンスキー鉱区のイワン達も駆けつけてきたわ。
「本当に皇女殿下でしたか。どうやら政庁から軍には連絡が無かったようです。知らぬ事とは言えご無礼をいたしました。どうかお許し下さい」
管理事務所から戻ってきた副官が報告をしたら、すんなり自分たちの非を認めて謝罪したわね。さすがに正規軍だから、この辺りの教育はしっかりしているみたい。
「わかったかしら?じゃあ、逮捕している人たちを解放して東の都に帰ってもらえる?」
「それとこれとは別です。我々は王都のベレツキー警察長官から“ストライキ委員会を確実に解散するように”と正式に要請を受けています。皇女殿下といえども司法の筋を曲げることは出来ませんよ」
このトレシチェンコフ大尉ってなんだかとっても神経質そうな顔をしている。命令を杓子定規に解釈して実行するタイプね。こういう官僚的な考えに凝り固まった人間って一番苦手だわ。
「皇女殿下はお疲れの為、少々混乱しているようですな。ここは我々に任せてあちらの馬車でお休み下さい。皇女殿下を丁重にお連れしろ」
トレシチェンコフ大尉の指示を受けた兵隊達数名が私の方に近寄ってきた。ちょっと表情がマジで怖いんですけど!
「姫様に近寄るな!」
斜め後ろに控えていたレオンが私の前に立ちふさがって兵隊に拳銃を向けた。そしてヤルジャイエス家の私兵も憲兵達に小銃を向ける。
そして銃を向けられた憲兵隊の兵隊も小銃を構えてしまった。当然そうなっちゃうわよね。しかしこれはちょっとまずいんじゃ無いの?このまま銃撃戦になったら史実よりもさらに混乱に拍車がかかってしまうわ。もしかしてリューリカの命運より先に私の命運が今日ここで終わっちゃうの?
トレシチェンコフ大尉も憲兵達に銃を下ろすように命令しているけど、端っこの方まで命令が届いていないわ。
「レオン!!銃を下ろしなさ・・・・」
私が左手を伸ばしてレオンを静止しようとしたときだった。私たちの後ろからまるで爆発が起こったかのような怒声が響き渡った。
「俺たちの皇帝陛下に銃を向けるんじゃねぇ!」
「そうだ!アナスタシア皇帝をお守りしろ!」
憲兵隊が私に銃を向けたことでイワン達が激怒してしまった。そして憲兵隊に詰め寄ろうとしている。たったの二週間足らずの間だったけど、同じ釜の飯を喰った仲間なのよね。嬉しいんだけど、ちょっと本気でまずいわ。この混乱で憲兵が発砲してしまったらもう何もかも終わっちゃう!落ち着いてよ!みんな!
私はとっさに辺りを見回した。さっきまで近くに居たはずのシンジローがどこかに行ってしまっている。
わたしはすぐ近くにあった演台に上った。高さ1メートルほどの小さな演台だけどこれで周りを十分に見渡せるし私の声も届くわよね。
「落ち着け!そして全員銃を下ろせ!ここで働いている人々は国家の経済を支える大事な労働者だ!この大皇女アナスタシアが愛する労働者だ!真っ黒になった手は働き者の手だ!私の大好きな労働者だ!それなのに!国家を支える労働者諸君に銃を向けるとは何事だ!非武装の労働者に銃を向けて恥ずかしくないのか!これが誇り高きリューリカ帝国軍人のする事なのか!?」
私の声の届いた近くの人たちは少しだけ落ち着きを取り戻したけど、声の届かない後ろの方はまだ騒いでるわ。もう一押しね。
「みんな!私の話を聞いてっ・えっ!?」
バシッ!!
私は突然頭に激しい衝撃を受けてよろめいてしまった。被っていた帽子が宙を舞う。
「姫様!!!」
レオンが演台に駆け上がってきて私をギリギリのところで支えてくれた。このまま演台から落ちていたらシャレにならなかったかも。良く支えてくれたわ、レオン。でも・・・ああ・・目が回る・・・・。
「姫様!血が!誰か医者を!すぐに医者を呼べ!!!!姫様!姫様!しっかりして下さい!姫様!死んではなりません!!姫さまぁぁぁーーーー!」
私はレオンに抱きかかえられた状態でレオンの顔を見上げている。顔をクシャクシャにして涙を流してるわ。なんだかエカテリンブルクでの事を思い出して私も涙が出てきちゃった。あの時は今のレオンのように私が抱きかかえながら泣いていたのよね。血を流してだんだんと力の抜けていくレオンを抱きかかえて泣いていたわ。ちょうど立場が反対ね。
「大丈夫よ、レオン。たいしたこと無いわ」
私は痛む頭を手のひらで押さえた。額の右側の髪の生え際辺りからどくどくと血があふれ出している。頭の怪我ってものすごく血が出るのよね。でも大丈夫よ。致命傷じゃ無いわ。
私はレオンに支えてもらいながら起き上がった。そして辺りを見渡す。労働者達は驚きのあまり無言で立ち尽くしているわ。憲兵達もまずいって事が解っているのね。みんな銃口を下に向けてるんだけど、トレシチェンコフ大尉が何人もの兵隊を殴りながら「撃ったのは誰だ!お前が撃ったのか!」って怒鳴ってる。
「聞けっ!!」
私は渾身の力を込めてありったけの大声を出した。そして血でまっ赤になった右手をまっすぐ上に突き上げて拳を固く握りしめる。
「見ろ!私のこの血の色は何色だ!私の血は青い血ではない!赤い血だ!諸君ら労働者と同じ赤く熱い血が流れているのだ!」
※青い血(ブルーブラッド) 高貴な血筋という意味
私は周囲を見渡した。額からは血が流れ続けて右の頬をまっ赤に染めている。
「愛する労働者諸君!今こそ団結するときだ!そして非暴力を貫こう!私のために戦おうとしてくれることに感謝する。しかし!今暴動を起こせば諸君らも罰せられてしまう!そうなれば、それは国家として大きな損失になる!それに、何よりこの私が悲しむのだ!この大皇女アナスタシアを悲しませないで欲しい!私は約束しよう!私の魂は常に諸君らと共にある事を!!!」
みんな私の方を見て立ち尽くしてる。誰も口を開く者はいない。風も無く、氷点下の静寂だけがこの空間を満たしていた。
そしてどれくらいこの静寂が続いただろう。実際には10秒ほどなのだろうけど、永遠にも思えるこの静寂は労働者達の魂の叫びで引き裂かれた。
「アナスタシア皇帝万歳!!」
「聖女様だ!俺たちの聖女様だ!!!うおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
「クルスの聖女様万歳!!」
「クルスの聖女様!!クルスの聖女様!!」
「聖女クルシュナ!!!」
「聖女クルシュナ万歳!!!!」
※クルシュナ “クルス川の人”の女性形。クルストと同義
ん???ちょっと待って!クルシュナってなによ!!それってクルストの女性形じゃない!!やめて!!本当にやめて!!!あの悪魔と同じ名前で呼ばないでーーーーー!!!!!
◇
つらい。本当につらい。クルシュナって呼ばれることがこんなにも私にダメージを与えるなんて。私はあまりのショックでただ唇を噛んで涙を流すことしか出来ない。でもそれを見ている労働者達はその涙でさらにヒートアップしているわ。私が感動して涙を流していると勘違いしているのね。
「「「クルシュナ!クルシュナ!クルシュナ!クルシュナ!クルシュナ!クルシュナ!」」」
ああ、何てビッグウェーブなの?ここに集まっている数千人の労働者達が口を揃えてシュプレヒコールを上げてる。前世で見た超人気アイドルのコンサートみたい。今まさに私は彼らのアイドルになってるんだわ。叫んでる名前は非道いけど、労働者達が高揚してるのがわかる。あっちでは氷点下にもかかわらず上半身裸になってレスリングを始めてしまったわ。こっちの連中は踊りで喜びを表しているのね。なんて愛すべきバカな連中なの。
周りの労働者達が雄叫びをあげてるから、ついつい私も調子に乗って足下に落ちていた血のついた帽子を右手で掴んで振り回した。労働者達の興奮は絶頂だわ。
「これは私からの褒美だ!!!」
そう言ってその帽子を労働者の中に投げ入れた。
「「「うおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!」」」
ピラニアの群れのように帽子に向かって労働者達が押し寄せてきた。最初に掴んだ男も誰かに殴られて奪い取られちゃったわ。なんだかカオスな状況になってきたけど、これだけ騒いでいたら憲兵隊への敵意も霧散しちゃうわよね。
「私の下に団結しろ!労働者諸君!そしていっしょ・・・・・・・」
「姫様!姫様!」
◇
「・・・・・ここは?」
「姫様!姫様!良かった・・・姫様・・・・」
「意識を失っていたのね。あなたが運んでくれたの?」
どうやら私は意識を失って管理棟へ運ばれていたようだ。レオンに聞くと20分ほど意識がなかったらしい。
「じゃあ憲兵隊と労働者との流血事態は無かったのね」
「はい、姫様。憲兵隊は街のすぐ外に撤収を始めました。そこに野営地を作るようです」
「労働者達は?」
「はい、広場で姫様のご無事を願って祈祷をしています」
「そうなのね。じゃあもう少し祈祷をしておいてもらおうかしら。その方が静かで良いわ」
私はレオンに温かいお湯をもらって喉を潤した。ダルマストーブが置いてあるこの部屋には、私とレオン以外の人は居ない。カーテンは閉められていて、部屋の周りは私兵達が警備しているらしい。そして私の額には包帯が巻かれていて、もう出血は止まっているようだ。かなりズキズキ痛むけど。
「失礼しますよ、アナスタシア」
そこへシンジローが手カバンを持って入室してきた。
「医者の所に行っていたのですが、ここの医者のレベルがあまりにも低いので治療道具だけ奪ってきました。俺が治療しますね」
シンジローは私の寝ているベッドに近づいてくる。レオンが場所を譲るために席を立ったのだけれど、レオンのシンジローを見る目が険しいわ。
シンジローはそんなレオンの事を全く気にしないで私の傍らに座った。そして包帯をゆっくりと外すと、傷口を丁寧に洗ってから消毒をしてくれた。
「テーピングがあって助かりました。化膿さえしなければ一週間くらいで傷はふさがりますよ。ちょっと痕が残りそうですが」
シンジローって本当に何でも出来るのね。前世も軍人だったって言ってたから、応急手当の方法とか勉強していたのかしら。でも、ここの医者のレベルってそんなに低いの?
「シンジロー、ちょっと話があるんだが隣の部屋でいいか?」
レオンがシンジローを隣の部屋に連れて行こうとしている。平静を装っているけど、明らかに怒気を含んでいるわね。
「レオン、シンジローに話があるんだったらここでしなさい」
「えっ?しかし、姫様・・・・」
「ここで話をしなさい。これは命令よ」
「・・・・・・・」
レオンは少し俯いて逡巡した後、その顔を上げてシンジローを睨む。明らかに怒っているわね。
「シンジロー、君は姫様が襲われたときに何処にいたんだい?」
「・・・・・・・」
シンジローはちょっと困ったような顔をしてレオンを見ている。シンジローって人間同士の機微については結構鈍感で苦手なのよね。本人はコミュ障って言っていたけど、あながち間違いじゃないかも。
「レオン、それについては私から説明するわ。私がシンジローにお願いして、スリングショットで私を撃ってもらったの」
※スリングショット ゴムバンドで玉を飛ばす道具。パチンコ
「えっ?姫様が?」
「そうよ。だからシンジローを責めないで。シンジローは神様からのチート能力で一度見たり経験したものは絶対に忘れないの。だから、スリングショットを経験したらまったく同じ事を再現できる。同じ的に何回でも正確に当てることができるからお願いしたの」
「そんな・・・しかし姫様!万が一と言うこともあります!顔の真ん中に当たってしまったら取り返しのつかないことになったんですよ!姫様のお願いだとしても、シンジロー、なぜ止めてくれなかったんだ!それに・・・姫様・・・なぜ私に言わなかったのですか・・・・」
そうよね。シンジローには言ってレオンに言わなかったことは事実だわ。レオンにとっては受け入れがたいことだろう。シンジローなら信頼できてレオンは信頼できないと言われたようなものだ。
「レオン、勘違いしないで。この話をシンジローにしたときに、シンジローは二つ返事で了承してくれたわ。でもあなたに言ったら反対したんじゃ無いの?」
「当たり前です!姫様のお体を傷つけるようなことを許せるはずはありません!」
「ありがとう、レオン。あなたが私のことを思ってくれる気持ちは嬉しいわ。だからなのよ。例えケガをしてでも衝突を防がなくちゃいけなかったの。だから、レオンには内緒にしていたの。ごめんなさい。あなたにはつらい思いをさせてしまったわ」
「姫様・・・そんな・・・・」
「私たちが歩もうとしている道はね、たぶんレオンが想像している以上に険しい道なの。でも歩かなきゃいけない。その途上でシンジローには内緒にしてレオンにだけお願いすることもあるわ。もちろん、今回のようにその逆もあるの。それを理解した上で私に絶対の忠誠を捧げて欲しい。例え全世界の全てが敵になったとしても、あなただけは私の味方でいてくれる。私はそう信じているわ」
「姫様・・・もったいなきお言葉です。私のこの命、姫様の為だけに捧げます」
「ありがとう、レオン」
◇
私を狙撃したのは労働者に紛れ込んでいた革命主義者だったということにした。実際あの騒ぎの後、クレチンスキーと何人かの委員が姿を消した。おそらくクルストの息のかかった工作員だったのね。そしてやっとお父様からの連絡が届いた。近隣諸国へ外遊に出ていたらしく、手紙を読むのが遅くなったって。
「イワン、後の事は任せたわよ。ちゃんとラジオ体操も欠かさずするのよ」
「へい!聖女クルシュナ様!俺らに任せて下さい!」
イワンに労働組合の委員長を引き継いだ後、鉱山は全ての鉱区で稼働を開始した。そして鉱山への食料や物資の運搬の一部をヤルジャイエス家の会社が担うことも決定した。これで労働者達の生活も良くなることだろう。
そして私は皇帝の命令で王都に帰ることになった。シンジロー達の表敬訪問も留学も中止だ。
東の都駅
「シンジロー、この手紙をノートルのお父様とお母様に渡してくれる?お父様の65歳の誕生日までには必ず一度イスタニアに行くから、絶対に健康でいてねって伝えてよね」
シンジローからノートルのお父様とお母様は今年亡くなられるはずだって聞いてびっくりしてしまった。今のイスタニア国王が崩御されたときに殉死をされるそうだ。でも、そんな悲しいことは絶対に認めないわよ。必ず会いに行くから殉死なんてしないでね。
「ラルドゥックス大尉、ご迷惑をおかけいたしました。大尉のご協力で無事に戻ることができたとお父様にも伝えさせて頂きますわ」
私はシンジローのお父さんにチークキスをする。一応礼儀としてね。
「アナスタシア、俺にはチークキスしてくれないのか?」
シンジローが図々しいことを言ってきたわ。何言ってるのかしら。
私とレオンはみんなに見送られて王都行きの列車に乗った。
そして今、万感の想いを込めて汽笛が鳴る。今、万感の想いを込めて汽車が行く。一つの旅は終わり、また新しい旅立ちが始まる。さよならイスタニア・・・さよなら私の少女の日々・・・
◇
「姫様、こちらをどうぞ」
列車に乗って一息ついたらレオンが新聞を持ってきた。私はそれを受取り広げてみる。
「な、な、な、なによーーーーー!」
その新聞の一面には、聖女クルシュナの神がかり的な活躍が特集されていた。
◇
王都に到着した私を待っていたのは国民の熱狂的な歓迎だった。
「「「聖女クルシュナ!聖女クルシュナ!聖女クルシュナ!聖女クルシュナ!」」」
途中の街々での国民の熱狂もすごかったけど、王都の熱狂はその比じゃないわね。雑踏事故が起きなければいいんだけど。
「姫様、国民の笑顔を見るのは嬉しいことですね。これで皇室への好感度も向上したことでしょう」
「そうね。でも気を抜いちゃダメよ。革命主義者は必ず反撃をしてくるわ。人の心は移ろい易いものよ。今は私たちに笑顔を向けてくれてるけど、政府が失政を繰り返しているとすぐに民心は離れて行ってしまうの。出来るだけ早く私たちが権力を奪取しなければ取り返しのつかないことになるわ」
「はい、姫様」
王宮に到着した私たちはお父様にこっぴどく叱られてしまった。お爺さまの夢見だからといってやり過ぎだって。しかも私の行動を止めなかったって理由でレオンを処分するって言ったときには本気で殺意が湧いてしまったわ。でもお爺さまが夢で告げられた虐殺事件を防ぐことが出来たしイスタニアの皇室とも友誼を結ぶことが出来て、これでリューリカ朝の命運が繋がれたって説明したら渋々許してくれた。まあ、もしお父様がレオンの処分を撤回してくれなかったら、それはそれでお父様の命運がその瞬間に潰えていたんだけどね。命拾いしたわね、お父様。
お母様は私を見たとたん泣きながら抱きついてきた。そして額の傷を見て「こんなに醜い傷が出来ては結婚も出来ないわ。これが先生(センメニウス)の言っていた“悪いこと”だったのね。これならいっそ修道女に・・」なんて言うからマジでブチ切れそうになった。
私を狙撃した犯人はクルストの指示を受けた革命主義者ってことになったので、憲兵部隊への処分はとりあえず保留になっている。事情を確認するために隊長と副官が少し遅れて王都に来るそうだ。そしてこの事件に関してクルストを皇女暗殺未遂で処罰しようとしたんだけど、直前でクルストが何者かに連れ去られたらしい。おそらく革命主義者の協力者が暗躍したのね。これから完全に地下に潜るはずだわ。今まで以上に連中の動向がわからなくなるのはちょっと不気味ね
王都ではレオンの家の新聞が既に発行されていて、駅売りも合わせると15万部も印刷しているらしい。新聞の名前は「ミール」。リューリカ語で「平和」という意味だ。これもシンジローの提案よ。良い名前だわ。
シンジローの書いた“聖女クルシュナ伝説”っていう特集記事を二週間ほど前から掲載しているので、みんな鉱山での出来事を知ってるのよね。シンジローが“情報は鮮度が重要です”なんて言って、クルス鉱山の鉱山事務所からヤルジャイエス家に電信で記事を送ったの。通信費はレンゾロト社に全部払わせたわ。文字数がすごいことになってたからびっくりするような金額よね、きっと。それで王都に到着するまでのあいだに“聖女クルシュナ”の大ブームが起きていたと言うわけよ。
さらに、私が血まみれで右手を挙げている写真も掲載されることになった。写真はどうしてもフィルムが必要だから私たちが到着するまで掲載できないのよね。レオンはそのフィルムを持って印刷所に急いで行ってしまったわ。いつの間にかシンジローが撮影していたの。カメラは映画用35mmフィルムを使ったシンジローの自作だそうだ。小学校の夏休みの工作で作ったことがあるって自慢されたわ。スリングで私を撃ったあとすぐにカメラを構えたみたい。誰にも気付かれずにするなんて器用なヤツだわ。
そして私の額についた傷もアップで新聞に載った。ケガをして一ヶ月くらい経ってるから傷は完全にふさがっているんだけど、髪を上げるとかなり目立ってしまう。労働者を救う為に傷を負ったことは名誉の負傷なので後悔していないってインタビュー記事を掲載したところ、その写真を“聖痕”の写真として市民が取り合いになったって。なので、急遽私の写真集を販売することになったの。宮廷ドレスや軍服・乗馬姿に修道女姿とか。前世のコスプレーヤーを彷彿とさせる撮影になったわ。メイド服も着てみたかったんだけど、それは全力で阻止されちゃった。写真集は印刷では無くて実際の銀塩写真を綴じた冊子だから本当に綺麗にできあがってる。一般的な労働者の半月分の収入ほどもしたんだけど飛ぶように売れたわ。写真集のページを撮影した海賊版とかも出回ってきたから取り締まったところ、革命主義者の下部組織が資金集めのためにやってたって。何やってるの?あなたたち。
そして私たちは頻繁に勉強会を開催するようになった。貴族の子弟達を呼んでリューリカをよりよくするための意見を出し合ったり、過去の歴史を検証して専制主義がうまく機能するための条件を議論した。今のままではリューリカ帝国は危ないと思っている人たちもかなりいて、優秀な人材が多く集まってきたわ。そしてその中から「帝国の加護・アナスタシア親衛隊」を組織した。毎日王都で炊き出しや掃除などの奉仕活動をするので、市民からの評判はすこぶる良い。そして国防の為と言って武器の使い方や戦い方も訓練している。一年ほど経過すると貴族の子弟500人、その他平民7000人が参加する大所帯となった。親衛隊メンバーは自分の仕事をしながらローテーションで参加するので、一日当たりの参加人数は概ね1000人くらいだ。運営資金はヤルジャイエス家と一般からの寄付によって成り立っていて、パトロンになりたいという大企業や貴族からの申し出は後を絶たない。もちろん申し出はありがたく頂くわ。でも、貰えるものは貰って口は一切出させないわよ。
レオンの家で発行している新聞「ミール」の発行部数も順調に拡大して、大都市だけでなくリューリカ西部のほとんどの都市で購入できるようになってきた。そしてその紙面において、人民に課されている人頭税や日用品に課される税金の不合理性を強く訴えた。また、貴族や寺院に認められている税制や司法制度の優遇が堕落と不公平感を生んでいることも指摘した。そして政府や貴族は身を切る改革が必要だと訴えたのよ。そうしたら内務省から検閲の指示が来てしまったわ。まあ、クルストの言ってることとほとんど同じだから政府からすれば放ってはおけないわよね。私が関与しているからお父様も政府もしばらくは検閲で問題のありそうな記事だけを差し止めにするようだ。でも、そろそろ時が満ちてきたようね。
◇

