気高き皇女アナスタシアの優しい物語 ~ 或いはアナスタシアは如何にして平和への努力を止めて大殺戮を引き起こすに至ったか ~

気高き皇女アナスタシアの優しい物語 ~ 或いはアナスタシアは如何にして平和への努力を止めて大殺戮を引き起こすに至ったか ~


聖歴1917年2月

「速く逃げろ!ここは私とキャサリンで食い止める!!」

「お父様!お母様!」

「心配しないで、愛しいマリア、アナスタシア、ミンツ。反逆者達はここで必ず食い止めます。私も皇帝陛下もすぐに後を追いかけるから、あなたたちだけで先に逃げて」

石造りの薄暗い廊下を、一見して高貴な生まれとわかる男女5人が必死に駆けていた。反逆者達の怒声はだんだんと近くから聞こえるようになってきて、この廊下の空気を振るわせている。

この大陸で最大の国リューリカ帝国。1400年の長き歴史を持ち、代々の皇帝は強力な魔法によって国を治めてきた。しかし、その帝国の歴史が今まさに終焉を迎えようとしていた。

この大陸のほぼ全ての国を巻き込んで始まった大戦は、3年を経過した今でも終戦の気配は無く、あらゆる国々は疲弊し国内では餓死者が溢れるようになっていた。そしてついに、このリューリカ帝国で民衆による反乱が起こってしまったのだ。

「でも、でもお父様!お母様!離ればなれになるのは嫌です!私も氷魔法が使えます!ここで戦わせて下さい!」

一緒に走っていた何人かの護衛は、追いついてくる反乱者を食い止めるための盾となってみんな死んでしまった。革命家クルストに率いられた民衆達がこの王城になだれ込んできたのだ。当初は魔法の使えない平民が猟銃や鎌を持っての暴動だった。この暴動に対して皇帝は鎮圧を命じたが、その命令を受けた王都防衛隊が民衆に合流して反乱に加わってしまったのだ。魔法の使える王族や貴族が平民を支配していた世界。しかし、100年前の産業革命を経て鉄の時代が始まり、今では魔法を凌駕する銃や大砲が戦いの主役となっている。力は貴族だけの特権ではなくなったのだ。そしてもはやこの流れを止めることは誰にも出来ない。王城を守っていた貴族出身の近衛兵達は持てる限りの魔法を駆使して戦ったが、鉄と数の暴力にあらがえず悉く打ち倒されていた。そして今、王城の奥深くにまで皇帝一家が追い詰められている。

「マリア、あなたはもう18才よ。妹のアナスタシアと弟のミンツのことをよろしく頼みます。さあ、立ち上がって。後ろを振り向かずに走るのです。心配には及びません。私も皇帝陛下も強い魔法剣士なのですよ」

皇后のキャサリンは、マリアの少し乱れたプラチナブロンドヘアを優しくなでてから頬にチークキスをした。そしてアナスタシアとミンツにも。

「嫌だ!母様(かあさま)!ぼくも残るよ!」

「私も嫌です!」

11才のミンツ皇太子と16才のアナスタシア皇女が母親のキャサリンにしがみついた。病弱で女の子のような容貌のミンツは顔をクシャクシャにして泣いている。シルクのようなプラチナ色の髪も透き通るような真っ白な肌もホコリで薄汚れてしまっていてその輝きを失っていた。生来血が止まらなくなる呪いにかかっているミンツは、少し大きなケガをしただけで命にかかわってしまう。そんな彼が両親の庇護を無くして生きていけるはずなどなかった。

「ミンツ、アナスタシア、お父様とお母様を困らせてはダメよ。私たちが近くに居たら、お父様とお母様は思いっきり戦うことは出来ないわ。私が手を引いてあげるから行きましょう」

長女のマリアがミンツを後ろから抱いて母と引き離した。アナスタシアも諦めたのか母を抱いている手を緩めて一歩後ろに下がる。アナスタシアは三人姉弟の中で一番おてんばで活発な子供だった。幼い頃は母親によく似たプラチナブロンドの髪を振り乱して、仲の良い貴族の子供たちと鬼ごっこをしてケガをしたりもした。そんなおてんば娘も15才になったくらいからお淑やかさを身につけて、“リューリカ帝国の至宝“と讃えられるほどの美少女に育った。しかし、貴族の子弟からの求婚が絶えなかった日々も今は昔。帝国は崩壊し、命を繋ぐことができるかどうかという事態だ。そんな彼女は下唇を強くかみしめ生き残るための意志を両親に示したように見えた。それは少しでも両親を安心させたいという願いの表れだったのかも知れない。

涙をポロポロと流している三人にキャサリンは優しい微笑みを向けた。そして三人とも理解したのだ。これが最後に見る母の笑顔なのだと。

「お父様、お母様。アナスタシアとミンツを連れて先に逃げます。必ず、必ず来て下さい」

「ああ、わかった。護衛の者が応援を呼びに行っている。そろそろ東の楼閣の隠し通路まで来ている頃だ。そこまで逃げろ。なんとしてもな」



「キャサリン、全力で魔法を使うのは30年ぶりくらいか?ドルク戦役以来だな」

「はい、皇帝陛下。あのときは二人で敵の大部隊に切り込んで行きましたわね。楽しかったですわ」

「なあキャサリン、もうこれで最後だ。昔のように呼んでくれないか?」

「ふふ、あなたは強がりのくせに甘えん坊ですものね。ニコル、私たち二人で子供たちを必ず守り抜くわ!行くわよ!」



「もう少しよ!アナスタシア、ミンツ、頑張って!」

マリアがミンツの手を引きながら走って、アナスタシアがそれに続いていた。そして東の楼閣に続く地下通路の入り口に到着する。

地下通路は皇族が脱出するために作られた通路だ。その扉の鍵を開けることが出来るのは専用の鍵を持った皇族だけ。マリアは皇帝から受け取った鍵を差し込もうとしたが手が震えてなかなか入らない。

「そこまでですよ、皇女殿下」

「えっ?」

マリア達が後ろを振り向くと、白いローブを纏った長身の男が立っていた。その男はゆっくりと歩み出て、両手に持っていた“何か”を放り投げる。

サッカーボールほどのそれはゴロゴロと転がってマリア達の足下で止まった。マリアはおそるおそる転がってきた物を凝視する。それは、つい先ほど別れたばかりの父と母の頭だった。

「お、お父様!お母様!!!!!きさまぁ!!!」

マリアの周りに小さな魔法陣がいくつも展開して、辺りにはキラキラと光るスターダストが現れた。そして魔法陣から何本もの氷のナイフがすさまじい勢いでローブの男に向かっていく。

パリン!

しかしその氷のナイフは男の直前で全て粉々に砕けてしまった。魔法を中和する僧侶系の術式だ。マリアの知る限り、これほど完全に魔法を防ぐことのできる魔導師は一人しか知らない。

「まさか、マークス大公・・・・」

ローブの男は血に染まった手でゆっくりとフードをめくる。そこには父の皇帝ニコルにそっくりな顔があった。父の弟、エーリヒ・マークス大公だ。

「ああそうさ。国民を顧みず戦争に明け暮れた兄を諫めたのだがな、どうしても解って貰えなかったから殺さざるを得なかったのだよ。悲しいことだがね、これも国民の為なんだ」

マークス大公はニヤニヤとした邪悪な笑みを浮かべてマリアを睥睨していた。マリアには、国民の為だとは露ほども思っていない顔に思えた。

「嘘をつくな!皇位継承に敗れて逆恨みしてのことだろう!お父様が叔父上のことをどれほど気にかけていたか・・・」

「おいおい、マークス同志をそんな風に言うものじゃ無い。やはり特権階級の長たる皇族には国民の苦しみなんかわからないんだろうな。マークス同志は国民のことを思って我々に賛同してくれたんだよ」

マークス大公の後ろから30才くらいの男が現れた。汚れた白いワイシャツに所々破れた上着を羽織っている。特徴的なところは一つも無く、どこにでもいる労働者風の普通の男だ。

「俺がクルストだ。この革命の指導者だよ。虐げられている国民を救うために決起したのさ、お姫様」

テロリストとして指名手配されていた男だ。マリア達も名前くらいは知っていた。そしてこの反乱を主導したことも知っている。

「く、反逆者が何を言う!」

「反逆とは非道い言われようだな。これは革命だよ。世界初の労働者革命なんだ。俺たちが求めているのは“パンと平和と土地”さ。人間にとって必要な事だよ。さあ、時間がもったいないな。皆殺しにしろ。撃て」

クルストの後ろから10人くらいの男達が現れてライフル銃を構えた。魔法の使えない平民の武器。弱者の武器と蔑まれていた銃は、今では射程でも威力でも魔法を上回るようになっていた。

「アナスタシア!ミンツ!私の後ろに隠れて!」

マリアはありったけの魔力を使って物理防御結界を展開した。次の瞬間、目の前の男達は引き金を引いて銃撃を開始する。

放たれた銃弾はマリアの物理防御に阻まれて、音を立てて床に落ちた。しかし、結界にヒビが入っていて何度も持ちこたえることは出来ないだろう。

「ほう、さすが皇女だな。これだけの銃撃に耐えることができるのか。ではこれはどうかな?」

クルスト達は少し後ずさった。そして幾つかの丸い玉をマリア達に向かって投げつけた。

「爆弾!?アナスタシア!ミンツ!伏せて!」

マリアは最後の魔力を振り絞って防御結界を張る。その直後、通路にすさまじい爆音が響き渡った。

目の前で起こった爆発で三人は通路の扉に激しく打ち付けられた。扉はその勢いに耐えきれず外れて倒れる。さらにその衝撃で天井が崩れて大量のがれきが落ちてきた。そしてマリア達とクルスト達の間を埋めてしまう。

「くそっ!崩れすぎだ!お前達、瓦礫をどかせて通路を作れ!」



「アナスタシア・・ミンツ・・・・だ・・大丈夫?」

「お姉様・・・・」

倒れていたアナスタシアは何とか膝立ちになり辺りを見回した。あの爆発で天井の一部が崩れてしまったようで、幸いにもクルスト達との間を埋めている。通路の照明が消えていたのでアナスタシアは光り魔法を使って辺りを照らした。

「!!お姉様・・・ミンツ・・・そんな・・・・」

そこには顔の半分を失ったミンツと、下半身を失ったマリアの姿があった。

「お姉様・・ミンツは・・・もう・・・」

マリアはアナスタシアの言葉に唇を強くかみしめた。そして自分自身の状態にも気付く。

「ごめんなさい・・・アナスタシア。ミンツを守ることが出来なかった・・・。あなただけでも・・・逃げて・・・」

「嫌よ!お姉様を見捨てない!私が背負っていく!」

アナスタシアはマリアの体を強く抱きしめた。大好きなお姉様。いつも優しいお姉様。アナスタシアは治癒魔法をかけたが部位欠損まで修復できるわけではない。せいぜい止血程度なのだが、大動脈が切れていて完全には血が止まらない。

「・・・・逃げて・・・そうじゃないと・・・私の命が・・無駄になっ・・・ちゃ・・・・」

「お姉様!マリアお姉様!」



一人残されたアナスタシアはゆっくりと立ち上がり東の楼閣の方を見る。かすかだが男達の争う声がしている。おそらく、自分たちを助けに来た騎士だろう。

「ごめんなさい、お姉様、ミンツ」

アナスタシアは涙を拭いて楼閣の方へ歩み出した。東の楼閣にたどり着いたとしても助かる保証なんて無い。でも、マリアお姉様は私を助けるために命を捨てたのだ。だから、お姉様の気持ちを無駄にしてはいけない。その思いだけで重たい足を何とか動かしていた。

そして何分歩いただろう。実際には5分くらいなのだろうが、アナスタシアにはそれは永遠の様に思われた。

東の楼閣に近づくにつれて、男達の怒声が大きく聞こえてきた。でも、その中に一人だけ他の男達とは違う声色がある。

「レオン?」

「姫様!姫様ですか!」

それはアナスタシアの専属騎士、レオン・ヤルジャイエスだった。アナスタシアが10歳の時、専属の護衛となった騎士だ。アナスタシアはレオンからいろいろなことを教えてもらった。魔法や馬の乗り方や剣術も。一番大好きで一番頼りになるアナスタシアだけの騎士。日頃は男性で通しているが皇女の護衛ということも有り実際には女性で、肩まで伸びたクセのある金髪と吸い込まれるくらい深い碧色の瞳をしている美しい人。身長は170センチ近くあり、魔法や剣術でも男性に劣ることは無い。

「姫様!ご無事でしたか。皇帝陛下は?他のご家族は?」

「う・・・みんな・・・みんな死んじゃった・・・殺されちゃった・・・」

「そんな・・・・そうですか・・・解りました。姫様だけは必ずお守りします。私から離れないでください。姫様を連れて脱出する!全員着いてこい!」



「やっと通れたか」

その頃楼閣へ続く通路では、瓦礫をどかせたクルスト達がマリアとミンツの死体を確認していた。

「アナスタシアの死体が無い。逃げたか。絶対に逃がすな!必ず革命を完遂するんだ!」



「うおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」

咆哮を上げてレオンが斬りかかる。魔力もほとんど使い果たしてしまって、あとほんの少しだけ身体強化が使える程度しか残っていない。一緒に着いてきた護衛達ももう数名しかいなかった。

数多の銃弾を避けながらレオンは敵を斬り伏せていく。その背中からでも伝わってくる殺気はまさに鬼神のごとくであった。

「さあ、姫様、お急ぎください」

 レオンたちは馬車を隠してある林にたどり着いた。そこには大きめの二頭立て馬車と馬が一頭控えていた。そしてレオンとアナスタシア以外の者たちは馬車に乗り走り出す。

 レオンはアナスタシアを馬に乗せてから、自身も馬に跨がる。

 皇帝一家を救出出来た場合、皇帝を馬に乗せそれ以外の家族を馬車に乗せる予定だった。最悪、皇帝だけでも助けるつもりだったのだ。しかし、救出できたのはアナスタシア一人。レオンは馬車をおとりに使い、アナスタシアだけ足の速い馬で逃がすことにした。

「姫様、腕にケガを負われていますが大丈夫ですか?」

「え?本当だ。全然気付かなかったわ。ちょっと熱い感じがするけど、大丈夫よ。気付かなかったくらいだし。レオンこそ大丈夫?」

「はい、姫様。私は姫様の騎士なのです。無敵ですよ」

 夜道なのでそれほどの速度を出すことは出来ないが、どうやら追っ手は馬車の方についていったようだ。そして、10kmほど離れた廃屋にたどり着く。

「ヤルジャイエス殿!良かった!」

 廃屋の中から一人の老人が出てきた。皇帝の侍従を長く務めていた、アントニン・バトラだ。

「バトラ殿、アナスタシア様をお連れした」

「・・・それでは、他の方々は・・・・」

「ああ、すまない。間に合わなかった」

「そうでしたか・・・・」

「話は後だ。馬車に乗り換える。夜明けまでに、例の隠れ家にたどり着くぞ」

 レオンたちは馬車に乗り換え、隠れ家に向かう。御者はバトラが勤めてレオンとアナスタシアが客室に座った。

「姫様、申し訳ありませんでした。もっと早く救出できていれば・・・」

「いいのよ、レオン、急な襲撃だったもの。仕方が無いわ。それに、お父様の命令で東の楼閣を確保してくれてたんでしょ。そのおかげで生き残ることが出来たのよ」

「はい・・。これほど急に状況が悪化するとは・・・・・・・くっ・・・」

「レオン、どうしたの?レオン?」

 アナスタシアはレオンを抱き寄せる。光り魔法でレオンを照らすと、レオンの腹部と背中に血があふれている事に気がついた。

「レオン、あなた・・・、バトラ!馬車を止めて!」

 バトラは手綱を引いて馬車を止めた。そして客室に入る。

「ヤルジャイエス殿・・・」

「バトラ殿、馬車を止めるな・・。夜明けまでに何としても姫様を隠れ家に・・・、私の事は気にかけるな」

 息が荒く苦しそうにするレオン。それでも弱々しい声をなんとか振り絞ってレオンは続ける。

「姫様、最後の最後で・・・失敗を・・・してしまいました。もう、私は、姫様のお役に立てそうもありません・・・。お許しください・・・。私の旅は、ここで終わりのようです・・・」

「嫌よ・・レオン・・・・嫌だ・・・おねがい・・・・」

 レオンは血に濡れた手でアナスタシアの手を握る。その手にもう力は無い。

「姫様・・・国は疲弊しております・・・・。革命勢力は、おそらく反対する者達の多くを殺してしまうでしょう。・・・姫様・・・国を救えるのは姫様だけです・・・。どうか姫様・・・国を、故郷をお救いください・・・」

「レオン!目を開けて!お願い!これは命令よ!レオン!レオーーーーン!」



「さあ、アナスタシア様、行きましょう。大森林を抜けて海を越えればイスタニアです。イスタニアならおそらく亡命を受け入れてくれるでしょう。犠牲になったご家族のためにも生き延びなければなりません。そして、必ず国を取り戻しましょう」

アナスタシアとバトラはレオンの亡骸を埋葬して立ち上がる。

「そうね、バトラ。立ち止まることは許されないわ。みんなの為にも、レオンのためにも」



「ここは?」

ぼんやりとした意識の中で私は重いまぶたをゆっくりと開いた。私はベッドに寝かされていて温かく清潔な布団が掛けられている。首を動かそうとしたけどとても重くてそれすらままならない。もうそんな体力も残されていないのね。

私は温かい日差しを感じてなんとかその方向に少しだけ顔を向けた。カーテンは開けられていて、窓からは帝都の光景が目に入ってくる。300メートルを超える摩天楼が林立し、その向こうには軌道エレベーターの勇姿が遠くに見える。

「目を覚まされましたか?アナスタシア皇帝」

窓の反対側から、優しく温かい声が聞こえてきた。しばらく聞いていなかったけど、忘れることの無い声だ。

「シンジロー、来てくれたの?確か、隣の銀河系に行っていたのでは無くて?」

シンジローは私が頭を動かす体力すら残っていないのを察して、窓の方に移動してくれた。そして、懐かしいその顔が視界に入ってくる。シンジローは今年で101才になるおじいさんだ。私と同い年。もうそんなに刻が経ってしまったのね。

「はい、アナスタシア皇帝。本日未明に戻ってきました。有意義な旅でしたよ」

この銀河系のほとんどを制覇した人類は、5年前に隣の銀河系に調査船団を派遣していた。シンジローはその船団に同行していて今日戻ってきたらしい。

「そうなのね。シンジロー、昔のようにアナスタシアって呼んでくれないかしら。ここには誰も居ないし。その方が嬉しいわ。私ね、あの頃の夢を見たの。とても悲しくてつらい夢・・・・、でもあなたが私を、リューリカを救ってくれた。夢を見たのはあなたが帰ってくる知らせだったのかもね」

私が国を追われた後、リューリカの実権を握ったクルストはボーラ連邦を建国した。ボーラ連邦は国を立て直すという名目で、逮捕した貴族や平均以上の収入のある普通の人たちを悉く農地や大森林の開拓に追いやった。そして女子供老人を含めてその多くを虐殺してしまったのだ。クルストの革命に手を貸したマークス大公の一家も血族も全て殺された。クルストが支配した20年間で虐殺された人数は4000万人。国民の40パーセントが殺された。私は国民が殺され続けているのを、ただ指をくわえて見ていることしか出来なかった。そしてそれを止めることが出来たのは私の夫となったヨシュアとこのシンジローのおかげ。

私は革命後1年かけて大森林を横断し、革命軍の手を逃れてイスタニアに亡命することが出来た。それは本当に奇跡と言って良い。私はイスタニアの第二王子ヨシュアとその側近シンジローと一緒にリューリカ亡命政府を樹立し、脱出に成功したリューリカ人を集めて国を作った。イスタニアと協力して国力と軍備を蓄え、20年の歳月を経て二度目の世界大戦に挑んだのだ。その大戦は世界中の国々を巻き込んだ大戦争に拡大してしまった。科学技術の進歩によって、たったの一発で大都市を消滅させるほどの悪魔の兵器が使われてしまう。それでも一度始まった戦争は相手を完全に屈服させるまで終わることは無く、幾つかの国が地図から完全に消滅してしまった。4年の歳月と一億以上の尊い人命を失って、大戦争は私たちの勝利に終わった。その結果、私は6000万人のリューリカ国民を解放することが出来たのだ。一億人もの犠牲と汚染されて人の住めなくなった広大な土地を残して。それが本当に正しい選択だったのかどうか、それは今でも私の心をさいなんでいる。

「でも、大きすぎる代償を支払いました。それに一人で出来たわけじゃありませんよ。いま世界が平和に発展しているのはヨシュアと、そしてアナスタシア、あなたと出会えた奇跡が私を自由に飛べるようにしてくれたからなんです」

「ふふ、シンジローが好きって言う歌の歌詞ね。ねぇ、あなたの秘密、教えて頂けないのかしら?」

シンジローはたぶん人に言えない秘密を持っている。天才技術者、常勝の軍師、いくつもの二つ名を持つシンジローはこの世界にとって異質そのものだった。二回目の大戦が終わった後、シンジローは持っている技術を全て公開した。そして科学技術は急速に発展し、魔法文明に完全な終止符を打ったのだ。今では他の星系への移民も始まっているくらいだ。たったの数十年では考えられない人類の進歩。もう戦争や貧困や飢餓は歴史上の年表でしか知ることは出来ない。ほとんどの病気は征服されて、人は寿命か事故でしか死ぬことがなくなった。そんなユートピアを実現したのが今目の前に座っているシンジローなのだから。

「・・・私は、この世界とよく似た別の世界から来ました。この世界を平和にして欲しいと言われて」

「神様に?」

「たぶん」

「それでそんなに頭がいいのね」

「転生したとき、向こうでは35才の技術者でしたからね。記憶力が良いのは神様にもらったチート能力ですよ。見た物や聴いた物を完全に記憶することが出来るんです。どんな些細なことでも今目の前で見ているように。前世の記憶を含めてね」

「すごいのね。その事を話したのは初めて?」

「いいえ、あなたの夫、ヨシュアには話しました」

「まあ、そうなのね。ぜんぜん言ってくれなかったわ。そんな秘密を言わないまま先に逝ってしまうなんて非道い夫(おっと)ね」

「許してあげてください」

「そうね、許してあげるわ。他には無いの?」

「アナスタシア、死んだら何処に行きたいですか?」

「そうね。天国って言いたいけど、私は多くの人を殺してしまったわ。夫の所には行けないかもね」

「それならヨシュアも同じですよ」

「そうね、じゃあ、夫の所へ行きたいわ。例えそれが地獄だったとしても」

「わかりました」

「あ、でもシンジローは死んだあと、あなたの魂は何処にいくの?故郷にもどれるのかしら?」

「どうでしょうね」

「ねぇ、もう一つわがままを言っても良い?」

「はい、何でしょう」

「もし生まれ変わって、生まれ変わったヨシュアと会う前にあなたに会ったら、あなたに、シンジローに恋をしてもいいかしら?」

「・・・・・・・・」

「あら、ごめんなさい、迷惑だった?」

「いえ、そんな事はありませんよ。私に恋をするなら・・・今、してください」

「私、こんなおばあさんよ」

「あなたの魂はあのときのまま光り輝いています。眩しいくらいにね」

「おじいさんになっても相変わらずキザなのね」

私がゆっくり目を閉じると、シンジローは優しく私に口づけをしてくれた。

「人生で初めて浮気をしちゃったわ」

「これが、私があなたにしてあげられる最後の魔法です。きっとあなたの魂は行きたいところに行けますよ」

「ありが・・・とう・・・・シンジ・・・・・・」



コンコン

美しい装飾のされた大きなドアからノック音がする。窓のカーテンは朝日を浴びていて、間接照明のように部屋の中を暖かな光りに包んでいた。

「皇女殿下、10才のお誕生日おめでとうございます。朝食のお時間です。今日は皇帝陛下もご一緒されるそうですよ」

部屋に入ってきた侍女がカーテンを開けると、朝の気持ちよい日差しが私を明るく照らした。でももうちょっとだけ寝ていたい。

「ん・・・・おはよう、エミーリヤ。そっか、今日、私の誕生日なのね。あのね、すごくすごーく長い夢を見たのよ。悲しいことがあって、でも、たくさんの友達もできて大切な人とも出会えて、そしてみんなと一緒に世界を救うの」

「世界を救うのは素晴らしい英雄譚ですね。でも今は急がないと皇帝陛下が雷帝になられますよ」



「おはようございます。お父様」

「おはよう、アナスタシア。そして誕生日おめでとう。お前も10才になったから教育係兼護衛を付けようと思ってな。ヤルジャイエス家の四男のレオンだ。きっと仲良くなれるぞ」

「・・・・・?」

あれ?レオンって聞いたことがあるわ。どこでかしら?もしかして夢の中?

「どうした?アナスタシア。そんな変な顔をして」

「いえ、何でもありませんわ、お父様」

 朝食を食べ終わってお父様と一緒に謁見の間に移動したのだけれど、このシチュエーション、どうにも既視感があるのよね。侍従のバトラが入り口の扉を開くと、そこに最敬礼をしているレオンが立っていて・・・

「お初にお目にかかります。アナスタシア皇女殿下。本日より殿下の教育と護衛の任を賜りました、レオン・ヤルジャイエスです。何なりとお申し付けください」

 軍装をしたレオンはアナスタシアの前に歩み出て片膝をついた。そしてアナスタシアからの言葉を待っている。

「?」

 しかし、いつまで待ってもアナスタシアからの言葉が無い。その状況におそるおそるレオンは顔を上げた。

「え?皇女殿下!いかがなされましたか!?」

 そこには、無言で大粒の涙を流しているアナスタシアの姿があった。

「皇女殿下!な、何か無礼をいたしましたでしょうか!?申し訳ございません!」

 目の前のレオンは本当に慌てていて、何か謝罪とフォローの言葉を続けようとしている。だけれど口がパクパク動くだけでまるで震えているようだった。この状況に父の皇帝ニコルも動揺している。アナスタシアとレオンは初対面のはずだ。それなのに、何故にアナスタシアは泣いているのかと。

「レオン、本当にレオンなのね?夢じゃ無いのよね?」

 アナスタシアは片膝をついているレオンに近づき、両手できつく抱きしめた。そして、昨夜見た夢の内容がはっきりと記憶によみがえってくる。

 あれは夢じゃ無い・・・・

 そうだ。あれは夢じゃ無い。私はあのとき病室で天寿を全うしたはず。そしてシンジローに魔法をかけられて・・・・・。

この瞬間が私の行きたかった魂の場所?



 私は涙を流しながらレオンをきつく抱きしめた。そしてレオンの両方の頬にチークキスをする。通常、皇族が臣下に対してチークキスをすることなど無いのだけれど、どうにもこの衝動を抑えることが出来ない。頬と頬を当てるだけでは無く、私はレオンの頬に唇を当てて親愛の情をこれでもかというくらいに伝えた。レオンの唇の端っこにもキスしちゃったわ。

「こ、皇女殿下!わ、私は臣下であり男です!皇女殿下がそのようなことをされてはなりません!」

 レオンは顔をまっ赤にして私を押し返そうとするけど、本気で力を入れている訳ではなさそう。ああ、なんて可愛いのかしら。

 今のレオンは17歳でもうすぐ18歳のはず。深い海のような碧い瞳にちょっとクセのある金髪で、誰が見てもとんでもない美少年に見える。その金髪を肩より少しだけ長く伸ばしていて貴公子然としたその姿はとても凜々しい。

 抗議するレオンを無視して私はさらに強く抱きしめた。レオンの体はとても鍛えられていてはいるのだけど、どうしても隠しようのない皮下脂肪の柔らかさが伝わってくる。100歳のロリババアを舐めるなよ。

「レオン、あなた、おかしなことを言うのね。あなたが女性だってことは解ってるのよ」

 レオンは私の言葉を聞いて体を一瞬こわばらせた。レオンが女性であるという事実は、現時点でヤルジャイエス家の人間とお父様とお母様しか知らないはずなのだ。

 私の斜め後ろでお父様がため息を吐くのが聞こえた。おそらくお母様が内緒で私に伝えたとでも思っているのだろう。この時期の私はとってもおてんばでお父様やお母様を困らせていたはずだから、レオンを抱きしめて頬にキスをするくらいは大丈夫よね。

「レオン、今日からあなたは私の騎士よ。あなたの命を私とリューリカ国民に捧げると誓いなさい。いいわね。あ、それと皇女殿下は堅苦しいわ。そうね、姫と呼んでくださるかしら」

 私は跪いたままのレオンの両肩をしっかりと掴んで、まっすぐにその瞳を見た。吸い込まれそうなくらいの深碧の瞳が私を見返している。様々な想い出をよみがえらせる瞳だ。私を守る為に命を落としたレオン。もう二度と会うことは出来ないと思っていたのだけれど。

「はい、姫様。私のこの命、皇帝陛下と姫様と、リューリカ国民の為に捧げることをお誓いいたします」

 “姫様”

 懐かしい呼び名だわ。確かレオンが皇女殿下ではなく姫様と呼んでくれるようになるまで一年くらいかかったのよね。

「アナスタシア、レオンのことを知っていたのか。まあ彼は“光速の貴公子”と呼ばれていて淑女の耳目を集めるくらいだから、お前が彼のファンだったとしてもおかしいことでは無いのかな?バトラ。これからのことをアナスタシアとレオンに説明してやってくれ」

 お父様が侍従のバトラに指示を出した。私はバトラとレオンとともに謁見の間から出て、学習室へ移動する。ここはお姉様や私が家庭教師から勉強を教えてもらっている部屋だ。南向きに窓があり、温かい日差しが入ってきている。壁にはたくさんの本棚があって、様々な書物が並べてあった。

 バトラから今後のことについて説明を聞いた後、私はレオンと二人になった。

「姫様、先ほど涙をお流しになったのは何故でしょう?失礼なことをしてしまいましたでしょうか?」

 レオンが不安そうに私を見つめてくる。その瞳はちょっと涙で潤んでいた。バトラから今後について説明を受けていたときは普通に接してくれていたけど、二人きりになるとやっぱり気になっちゃうよね。ああ、もう一度ハグしたい。

「私ね、実は・・・・」

 レオンなら全てを話しても安全よね。だって私に忠誠を捧げてくれているのだもの・・・でも、その忠誠ってこれから数年間の生活の中で培われたのかしら?そうすると今全てを明かしてしまうのは危険?

「私ね、夢で何度もあなたのことを見たの。光速の貴公子って呼ばれるレオンに憧れていたのね。だから突然あなたに会えて本当に感激したのよ」

 予知能力のある魔法は無いのだけれど、科学文明が未発達なこの時代なら多分信じて貰えるはず。皇帝の血を引く私が夢で見ていたと言えば、そういうこともあるのかと受けいれられるはずよ。案の定、レオンは少し照れたように笑顔を作って“光栄にございます”と頭を下げた。

 明日以降のスケジュールを確認して今日はレオンを下がらせる。護衛と言っても王宮の建物の中では必要無い。離宮に移動したときや、奉仕活動で街に出たときの為の護衛だ。

 とりあえず一人になれたから、これからのことを考えましょう。そういえば、シンジローは転生したときに神様から記憶力のチートスキルをもらったって言ってたわ。ということは、私にもそんなスキルがあるのかしら?

 そんな事を思い出して、私は自分の記憶を呼び起こしてみる。シンジローはどんな些細な記憶でも今目の前で見ているように思い出すことが出来ると言っていた。転生のスキルなら私にも出来るはず。

「・・・・・・・・・」

 だめだ・・・全然思い出せない。

 もちろん印象に残っていることや大事なことは思い出せるのだけれど、目の前で見ているように鮮明には思い出せない。やっぱり神様に会うとかじゃ無いと無理なのね。じゃあ、

「ステータス・オープン!」

 何も起こらない。そりゃそうよね。

 一人になって落ち着くと、これからヨシュアとシンジローに保護されるまでの事を思い出してきた。そして私は青ざめる。

「まずい!まずいわよ!このままだと3年後には大戦が勃発してしまう。そしてその3年後にリューリカ革命が起こってお父様やみんなが殺されてしまうわ!どうしよう?落ち着け、私!まだ時間はあるのよ。そうだ!ヨシュアとシンジローに連絡を取って助けてもらえばいいのよ!」

 ヨシュア・・・

 私が天寿を全うする20年前にヨシュアは天国に召されていた。私が革命軍から逃れて海を渡るとき、国際法を犯してでも私を助けてくれたヨシュア。ヨシュアに逢えなくなって20年も一人で生きてきたのよ。本当に寂しかった。何度自分からヨシュアの元へ行こうとしたことか。しかし、今この時代なら生きているヨシュアに逢える。しかもまだ10歳!

 やばい!どうしましょ?10歳のヨシュアなんて、想像しただけでよだれが出そう。じゃない!だめよ!10歳の男の子に手を着けたら間違いなく犯罪よ!あ、でも私も10歳だから良いのかしら?違う違う!そんな事を考えている場合じゃ無いわ!

 私はなんとか自分を落ち着かせてペンと紙を取り出した。そしてシンジロー宛てに手紙を書く。本当はヨシュアにも書きたいのだけれど、何も事情を知らないヨシュアに突然“あなたの妻よ”なんて送ったらドン引きされちゃうわね。

あ、でもあのとき私、シンジローとキスしちゃった。どうしよう・・・これって浮気よね。ああ、ふしだらな私をお許しください!神様!

 翌日

昨日の夜はマリアお姉様と弟のミンツを襲って体中を触りまくっちゃった。お姉様の下半身もちゃんとあったしミンツもかわいらしい顔だったわ。この世界が夢の続きじゃ無いってわかって本当に良かった。泣きながら抱きついてくる私のことを本気で怖がっていたのにはちょっとショックを受けちゃったけど。

「レオン、この手紙をイスタニアの王立学校初等科に通っているラルドゥックス男爵の嫡男に送って欲しいの。名前はシンジロー様よ」

「イスタニアの貴族にですか?」

 レオンは手紙を受け取ってあからさまに困った顔をしている。そりゃそうよね。ずっと宮殿で育ってきた私がイスタニアの男の子の事を知ってるなんて不自然すぎるわ。

「そうよ。このシンジロー様もあなたと同じように夢で会ってるの。だから内緒で送ってくれないかしら?」

 この時代でも既に国際郵便は普及している。100年前に起こった産業革命によって急速に科学技術が進歩して、魔法を過去の物に追いやりつつあるのが現在なのよね。海底ケーブルでリューリカとイスタニアは繋がれているので電信もつかえないことは無いのだけど、それこそ秘匿性は皆無ね。それに、電信代金はとても高いので、私が個人で使うことなんか出来ない。時間はかかってしまうけど国際郵便しか無いわね。イスタニアとは第二次友好通商協約が結ばれていて国交に問題はない。6年前に国境問題で戦争をしちゃったけど、その後の国際情勢の変化で今では友好国と言っても良いくらいになっている。間違いなく届くはず。

 皇女からの信書なので検閲はされないとは思うけど、万が一を考えてシンジローなら解る、シンジローにしか解らない内容で認(したた)めた。

『年齢+35才のシンジロー様へ』

 内容は概ね以下の通りだ。
 ・血が止まらなくなる病気の治療法を教えて欲しい
・今後大陸で起こるかもしれない大戦争を回避するために、シンジローの知識を借りたい
 ・国民を豊かにするために力を貸して欲しい
 ・近いうちにどこかで会うことは出来ないか?

 私の弟、リューリカ帝国皇太子のミンツは血が止まらなくなる病気を発症している。その治療法が無いため、お父様とお母様は神秘主義に傾倒してしまって国政を誤ったのよね。この病気を治すことの出来る魔法を作るためにセンメニウスっていう魔導師を呼んで研究をさせたの。そして信じられないくらい多額の国家予算をつぎ込んだ。それが国民へのしわ寄せって形になって、国民の心が皇室から遠ざかってしまったのよね。実際には呪いじゃ無くて血友病っていう遺伝性の病気ってことが後世になってから解ったんだけど。

 そういえばセンメニウスとお母様が不貞を働いているって新聞が書き立てたのよね。当時の私は知らなくて後世になってから知ったんだけど。あのセンメニウスとお母様って本当にヤッてたのかしら?革命の時に身を挺して私たちを守ってくれたお母様がそんな事をするなんてちょっと信じられないのだけれど。まあでも私もヨシュアのことを心から愛してるけど、人生の最後にシンジローに唇を許しちゃったし。女ならそういうこともあるのかしら。

 センメニウスのアレは33センチもあったらしい。そんな事を書いてある文献を読んだことがあるのだけど、それをお母様が・・・・

 うぇーーー

 気色悪いことを想像してしまった。ちょっと酸っぱいモノがのど元まで登ってきてしまったわ。

 それに比べればヨシュアのはささやかだったわね。いやいや、そんな事はどうでも良い事よ。イスタニアに郵便が届くまで約二週間。そこから返信が来るとしても早くて二週間。一ヶ月は先の話ね。その間にリューリカの現状を調べないと。

 レオンに命じて現状のリューリカの状況を調べさせた。前世ではこの時期は当然子供だったので何も知らなかったし、大人になってからある程度学習したけど残っている文献からしか情報を得ることは出来ない。つまり、表面的なことしか知らないのだ。しかし、今なら生の情報が手に入るはず。シンジローの助力をもらう前でも出来ることはあるはずよ。

「姫様。ご指示のあったクルストの現状が解りましたので報告いたします」

 二週間ほど経過して、レオンが調査してくれたことを報告に来た。

「クルストは銀行強盗に協力した罪で、先週まで流刑に服しておりました。今は南部地方に移送されて当局の監視下に置かれています」

「えっ?流刑?身柄を確保しているのね」

 クルストが何回か逮捕されていたことは知っていたけど、この時期は流刑にされていたのね。それは好都合だわ。

「レオン、あなたにお願いがあるの。ちょっとこのクルストを殺して来てくれないかしら?」

 あの悪魔が政府の管理下にあるのなら話が早いわね。今殺してしまえば後顧の憂いがかなり減るわ。ヨシュアとシンジローはクルストの暗殺を実行しようとしたけど、大国のリーダーを殺すのは無理だったって言っていたわね。でも今ならただの人よ。今すぐ殺しましょう。そうしましょう!

 リューリカ国民を何千万も殺した悪魔を未然に処分できるだなんて素晴らしいわ。ついつい頬が緩んじゃう。うふ、今日は何てすてきな日なのかしら。

「姫様・・・裁判も終わっておりますし、素直に服役している囚人を殺害するという発言はお控え願えませんでしょうか?我が国は憲法もある近代的な法治国家です。姫様がそのような事をおっしゃられては国民の気持ちが離れてしまうかも知れません」

 えっ?まさかレオンにそんな事を言われるなんて思ってもみなかったわ。お父様やお姉様を殺し、あなたまで殺す予定の大悪党なのよ。そんな危険なやつの芽は早い内に摘んでおくに限るわ。

 そんな事を思いながらレオンに目を向けると・・・・ドン引きしてる。何か恐ろしいモノを見るような目で私を見ている。瞳のハイライトも消えているわ。まずい!今私への忠誠にヒビが入ってしまうと取り返しがつかないことになる!

「ごごごごごめんなさい!だってこの人、テロリストで銀行強盗までしてるんでしょ?それで何十人も死なせてるけど直接指示した証拠が無いだけで、非道い人間よ。だから、被害者の家族の事を思うと、つい・・・・」

 ちょっと顎を引いて上目遣いでレオンを見てみる。本当に失言だったという雰囲気を最大限出してみた。どう?私の100年にもおよぶ人生で培った演技力は。

「姫様。姫様は10歳とは思えないほど聡明で思慮深くて政治や社会のことにも精通されております。正に神童と言っても過言ではありません。正義感と慈愛に満ちた素晴らしい姫君だと思います。それでも、法は法です。法によって人は裁かれ命を奪われることもあります。つまり、法は人の命よりも重たいのですよ。それを為政者側である姫様が軽んじてはなりません」

 レオンは私をまっすぐに見ていてちょっときつい目をしている。確かに正論よ。レオンの言っていることは正しいわ。でもね、こいつのせいで何千万人も死ぬのよ。これは予防的措置なの。

 とはいえ、10歳の子供がいくら言ってもたしなめられるだけだわ。ここはとりあえず情報収集をしながらシンジローからの返答を待ちましょうか。

 シンジローに手紙を出してから一ヶ月

「姫様。イスタニアのラルドゥックス男爵のご令息から返事が返って参りました」

 朝食を終えて自室に戻ったところ、レオンが一通の封書を持ってやってきた。シンジローからの返信だ。

「よかった!返事が来たのね!」

 在イスタニア・リューリカ大使館経由で王立学校にシンジローが在籍していることは確認していたのだけど、やっぱり返信があるまでは不安だったのよね。

 私はレオンの手から奪い取るように手紙を受け取りその場で封を引きちぎった。本当はペーパーナイフを使った方が上品なんだろうけど、そんな時間ももったいない。

「姫様。お行儀が悪すぎます。まずは椅子に座ってください」

 レオンが私を椅子へ促した。そして丁寧に椅子を引いてくれる。ここまでしてくれたら、座らないわけにはいかないわね。

 私は封筒の中の便箋を広げた。こんなにドキドキするのは転生してからは初めてかも知れない。シンジローの協力さえ得られれば、革命を防ぎリューリカの近代化が出来る。私にとってシンジローは希望の光りなのよ。

『拝啓 皇女殿下』

 皇女殿下なんてなんだか他人行儀よね。いっつも“アナスタシア”って呼び捨てにしてくれてたのに、って、この世界じゃまだ知り合ってもいないんだから仕方がないのね。

 そんな事をちょっと不満に思いつつ読み進めていく。

 だんだん読み進めていくに従って、私の両手に入る力が強くなりワナワナと震えてきた。そして頭に血が上って顔が熱くなってくる。

 そして最後まで手紙を読んだ私はそれを両手でくしゃくしゃに丸めて床に投げつけた。

「姫様、どのような内容か解りかねますがお行儀が悪すぎます。皇族たる者、いかなる事があっても心を乱したり乱暴な態度を見せてはなりません」

 レオンはいつも私のことを思って正しいことを言ってくれる。それはそれでありがたいのだけれど、今日はちょっとイラッとくるわね。

「あのクソ野郎!私が聞きたいこと全部に“そんな事は知りません。思い込みでしょう”って返してきたのよ!私がこんなに困って助けを求めてるのに!私とシンジローは“トモダチ”じゃ無かったって言うの!!」

 大戦まであと3年しか無いのよ。大戦が始まったらリューリカ革命までまっしぐらだわ。それなのにシンジローは私からの願いを無碍に断ってくるなんて非道すぎる。

 そしてシンジローの助力を得ることが出来ない未来を想像して、私はいい知れない恐怖と絶望に体中が震えてきた。歴史を知っていたとしても私一人でなんとか出来る様なことじゃない。このままじゃ家族がみんな殺されて、国民が何千万人も死んでしまうわ。 

「う・う・う・うわあぁぁーーーーん!シンジローのバカーーーー!人でなし!私がこんなに困って助けを求めてるのにぃーーー!もうアンタなんかトモダチじゃ無いわ!絶交よ!!」

 声を出して泣いてしまった。本気でガン泣きするなんてヨシュアが旅立った時以来かしら。あのときもだいぶ泣いたけど、絶望で泣いたわけじゃないからちょっと違うかも。きっと革命の時にレオンが死んでしまったとき以来だわ。レオンが私の手を握って息絶えたときの事を思い出したらさらに泣けてきた。どうもこの10歳の体に精神が引っ張られているような気がする。感情は脳で分泌される神経伝達物質の影響を受けるから、若い体だと感情の起伏が激しいようね。

「姫様。絶交と言っても、そのシンジロー様とお友達だったのですか?夢の中での話しであって、交流があったとは伺っておりませんが・・・」

 私がこんなに打ちひしがれてるのに正論パンチを繰り出すなんて何を考えてるの?本当に私に忠誠を誓ってるの?でもまあちょっと冷静になって考えるとレオンの指摘はもっともよね。交流も無いのに絶交なんて論理的に破綻しているわ。でもそんな事はわかってるの。それでもね、シンジローはトモダチなの。私がトモダチだって思ってるんだからトモダチなのよ!

 でも今現在見ず知らずの私から“異世界の知識を教えて”って突然言われても“はい解りました”とは言えないわよね。当然警戒するはず。

「決めたわ。私、イスタニアに行く。王立学校に留学するわ!そうすればシンジローだって無視は出来ないでしょ。それに、10歳のヨシュアにも逢えるのよ。そ、それはちょっとそそるわね」

 これは名案だわ!大戦が起こるまであと3年。1年間イスタニアに留学してもまだ2年ある。イスタニアでシンジローの力を発揮するのは年齢や政治体制の問題で無理かもしれない。だけれど、私がリューリカの実権を握ることができればシンジローをリューリカに招いて私の庇護下で力を発揮してもらえるかも。そうよ!前世でリューリカはイスタニアに助けてもらったけど、今世ではリューリカがイスタニアを助けてあげれば良いのよ!100年の経験は伊達じゃ無かったわね!

「姫様、突然留学と言っても皇帝陛下がお許しになるとは思えません。それに姫様、本当に大丈夫ですか?一度お医者様に見てもらった方がよろしいかと・・・」

 レオンがものすごく心配そうに私を見てくる。ああ、そんなおかしな人を見るような目で見ないで。ちょっと辛いわ。

 私はその日のうちにお父様へ謁見を申し出た。そして謁見が許可され、お父様の待つ執務室へ向かう。

「姫様、何とぞご再考をお願いいたします。姫様がイスタニアのような野蛮人の国へ赴かれるなど皇帝陛下がお許しになるはずがありません。今では通商条約を結んでおりますが、たった6年前まで戦争をしていたのです。危険すぎます」

 今なんて言った?イスタニア人が野蛮?イスタニア人が野蛮ってことは、ヨシュアやシンジローも野蛮だってことよね。前世では命を捨てて私を助けてくれたレオンだけど、ヨシュアを野蛮って言ったことは許せないわ!

 私は足を止めてレオンを振り返る。急に止まったのでレオンは止まりきれずに私にぶつかってきた。今の私は身長135センチほどで、レオンは170センチ近くもある。見上げるほど大きいレオンとぶつかってしまい、私はよろけて倒れそうになった。

「姫様!」

 レオンはとっさに私を抱きかかえて倒れないように支えてくれた。そして両腕に力を入れて私をぎゅっと抱きしめてくる。

 温かい

 レオンに抱きしめられるととても温かく安心する。ついついレオンを抱き返す。女性だと解っていてもドキドキしちゃうわね。

 ダメダメ!乙女のようにちょっとドキドキしちゃったけど、私は100歳超えのロリババアなのよ。こんなことでほだされちゃダメよ!

「レオン!それは聞き捨てならないわね。確かに6年前の戦争では多くの兵士が亡くなったわ。でもね、イスタニアの捕虜になったリューリカ兵も国際条約に従ってちゃんとみんな帰ってきたのよ。それのどこか野蛮なの!あなたでも言って良いことと悪いことがあるわ!」

「申し訳ありません、姫様。しかし、そのような事をよくご存じですね。それでもやはりイスタニアは遠すぎます。何とぞご再考を」

 お父様の執務室へ行く廊下でも、なんとか私を翻意させようとレオンが必死で説得してくる。この時代、西方大陸の国以外は全て後進国か植民地だ。だからイスタニアはサルがちょっとだけ進化した国で未開で野蛮な国家というのが西方大陸での一般的な認識だった。6年前の戦争もイスタニアではイスタニアの勝利という認識なんだけど、リューリカ国内では海軍は大損害を受けたけど陸ではリューリカが圧倒的に優勢で、実質引き分けだと思ってる人が多数だ。実際賠償金も払ってないしね。直接戦争に参加していない兵士や民衆はみんなそう思ってる。

 お父様の執務室の前では侍従のバトラが私を待っていた。そして私とレオンを確認してからドアをノックする。室内からの返事を待ってからゆっくりとドアを開けてくれた。

「お父様、急な拝謁を許可して頂き誠にありがとうございます」

 実の親子とは言えリューリカ皇帝に拝謁を願い出て許可されたのだ。そのことに最大限の感謝を表して完璧なカーテシーを決めて見せた。どうよ!

「アナスタシア、そんなに堅苦しくしなくても良いぞ。いつものように駆けよって抱きついてくれた方が嬉しいな」

 あれ?10歳のころの私ってそんなに礼儀がなってなかったかしら?ちょっと恥ずかしいわね。

「お父様、実はお父様にお願いしたいことがあります」

 私の左後ろでレオンが青ざめているのがひしひしと伝わってくるわ。それでもダメよ。これだけは必ず押し通してみせる。

「私をイスタニアの王立学校に留学させてください。イスタニアの王族や貴族の通う学校です。何とぞお許しをお願いいたします」

 そう言って私はお父様の目をまっすぐに見据えた。これが実現できなければリューリカ革命が起こってお父様もレオンもバトラも死んでしまう。正に決死の覚悟というヤツだ。伝われ!お父様に私の覚悟が伝わって!

「・・・・・・・・イスタニアへ留学だと?そんな事が許されるとでも思っているのか?」

 お父様はたっぷり時間を掛けて私の言った言葉を理解したようだ。私の言葉がおそらく予想の斜め上すぎたのね。そしてお父様の表情はとたんに不機嫌となって私を睨んできた。

「6年前にあの国と戦争したことを知らないのか?多くの兵が殺されたのだぞ。あんな野蛮な猿の国に何故行きたがるのだ?10歳になってからのお前は少しおかしくなったのでは無いのか?」

 そう言ってお父様は私の斜め後ろに控えるレオンを睨んだ。10歳になってから変わったことと言えばレオンが護衛兼教育係として赴任したことくらいなのだから、お父様がレオンを疑うのは無理も無いわね。

「お父様。お父様は30年前の皇太子時代にイスタニアに行ったとき、そこで現地妻を所望されて駐在武官を困らせましたよね?さらに右腕にイスタニア竜のタトゥーまでされて上機嫌であったと聞きました。不幸にも戦争になってしまいましたが、今では友好通商協約も結んでおります。それなのにイスタニア全てを野蛮な猿と言うのは思慮深いお父様とは思えません。いささか短慮に過ぎます」

 ガタッ

 お父様は顔をまっ赤にして椅子から立ち上がった。憤怒の形相というのが正にぴったりね。

「アナスタシア!お、お前は何故そんな事を知っているんだ!!それに皇帝の私に向かって短慮だと!!」

 お父様の怒りにバトラもレオンも顔から汗をだらだらと流している。顔色は蒼白を通り越して石膏像のように真っ白だ。心臓が止まってるんじゃ無いの?これ以上お父様を怒らせたら本当にどうなるか解らないけど、ヨシュアのことを“猿”呼ばわりしたことはもう許せないわ。革命を待つまでも無くこの手で血祭りにあげてやろうかしら。

「お父様、そういうところが短慮だと申し上げております。10歳になってから私に大きな変化が起こりました。それは、おじいさまのヨーゼフ三世陛下が毎晩私の夢に出てきて語るのです。お父様が小さかった頃、女のようになよなよしていて心配したとか、魔導の勉強は熱心では無く授業中に鼻くそをほじって注意されたとか、お母様との結婚に反対してバレリーナの女を愛人にあてがってしまったことは間違いだったとか、時に笑い、時に泣きながら私に語りかけます。それは正におじいさまの告解だと思えるのです」

 私はお父様の目をまっすぐに見据えて力強く堂々と語って見せた。

 お父様はただ震えながら呆然と私の前に立っている。先ほどまで怒りに満ちていた眼は、今は驚きのあまり落ち着きが無く私に視線を合わせることが出来ていない。たかだか五十前の若造がこの私に太刀打ちできると思うなよ。

「おじいさまはこれから起こることも私に告げられました。それは、今から数年後にリューリカで革命が起こり、お父様を筆頭に皇族全てが無残に処刑されてしまうという未来です。私やお母様お姉様は何百人もの暴徒から辱めを受けた後に生きたまま焼かれ、お父様やミンツは民衆の前で縛り首にされ吊されてしまいます。これを変えるためには今すぐ私をイスタニアに送って協力者を得るしかないと涙ながらにおっしゃられるのです」

 ちょっと脚色を入れたけどこれくらい良いわよね。この時点での私が絶対に知らないはずの事も言ったからおそらく私の夢を信じるはず。

 お父様の顔色は真っ白になり今にも倒れてしまいそうだ。それでもガタガタと音を鳴らす顎を自分の両手でなんとか押さえた。そして震える声で聞き返してくる。

「アナスタシア・・・本当なのか?先帝陛下が夢に出てきて本当にそう言ったのだな?」

 よし!信じてくれた!

「はい、お父様。その通りです。そうで無ければお父様の小さい頃の失敗談や愛人の話を私が知り得ることはありません。このような話は、バトラもレオンも“お母様”も知らない事ばかりです」

 お父様は立っていられなくなったのか、ドスンと椅子に腰を落とした。エゴサじゃないけど、お父様の伝記や過去の資料を読みあさっておいて良かったわ。

「いや、しかし、10歳のお前をイスタニアにやるわけにはいかぬ。せめて14、いや15歳になるまで待てないのか?」

 待てるわけないでしょ!あと3年で大戦が始まるのよ!今すぐって言ったでしょ?死にたいの?

「お父様、本当に残念です。おじいさまは今すぐイスタニアに行けとおっしゃられています。そうで無ければ待ち受けているのは変えようのない悲惨な運命なのですよ」

 私はそう言って懐に忍ばせてあったダガーを取り出す。そしてその刃を自分の方に向けて両手で握り、まっすぐに高く突き上げた。

「私は死ぬことは怖くありません。国民の信を裏切った天罰ですから甘んじて受け入れましょう。しかし、下郎どもにこの体を辱められることだけは許せないのです」

 私は目をつむって思いっきりダガーを自分の胸に向けて振り下ろした。

「姫様!」

 レオンがとっさに体をぶつけてきて、私が握っているダガーの刃の部分を掴んだ。そして私の胸のギリギリのところで刃の先端をなんとか止めることが出来た。

「レオン・・・・・」

 レオンはまっすぐに私の方を見て、唇を強くかみしめている。その目からはぼたぼたと涙が止めどなくこぼれていた。

 “あなたならきっと刃を握ってでも止めてくれると想っていたわ。その忠誠を利用してごめんなさい”

「姫様・・・いけません・・・自らのお命を・・・もっと・・・大切に・・・」

 刃を掴んでいるレオンの右手の白い手袋がじわじわと赤く染まってくる。そしてそれはダガーの刃を伝って私のドレスも赤く染めていった。

「陛下、皇女殿下の御身は私が命に変えてでも必ずお守りいたします。何とぞ、何とぞ皇女殿下の望みを叶えて頂きたくお願い申し上げます」

 声を震わせながらレオンはお父様に向き直った。皇帝に対して直接意見を具申することなど相当勇気のいることだ。

 慌てたバトラはまっ赤に染まったレオンの手からダガーを受け取った。私も力を抜いて抵抗はしない。その間も、仇(かたき)を見るような目つきでお父様を睨み続けた。ここまでやってお父様が留学を許可してくれなければ私自らクーデターを起こし、お父様を殺してでもリューリカを乗っ取らなければならない。それくらいの覚悟はある。みすみす革命を起こさせて、何千万人もの国民を死なせるわけにはいかない。数千万の国民の命は、お父様の命より遥かに重たい。

 その思いを改めて覚悟をすると、私の目からも涙が溢れてきてしまった。国民の為にクーデターを起こし、失政の責任を全てお父様に押しつけて公開処刑にする光景を想像してしまったのだ。実の父親をこの手で処刑するなど、神はきっとお許しにならないだろう。それでも、例え悪魔に魂を売ったとしても国民を救わなければならない。でも、でも・・・

「わかった、アナスタシア。お前の覚悟、しかと見届けた。そこまでするのであれば先帝陛下の夢の話も嘘ではあるまい。このままでは数年後に革命によって私や皇族はことごとく処刑されてしまうのだな。それを防ぐ為にはお前をイスタニアに留学させねばならぬということか」

「はい、お父様。その通りでございます」

「そうか。お前はイスタニアで協力者を募れ。確かイスタニアの皇太子はお前より3才年上のはずだな。先帝陛下はお前をイスタニアの皇室に嫁がせたいのかもしれぬな。そうすれば、イスタニアと協力して革命を阻止できるかもしれぬ。イスタニアに行くのであれば覚悟を決めろ。かならずお前はその男と結婚し、イスタニアの皇后になるのだ。その覚悟が出来るのであれば行かせてやろう」

 ん?イスタニア皇太子の后(きさき)?皇太子ってヨシュアのお兄様よね。私が結婚したいのは弟のヨシュアなんだけど。話が変な方向に行っているような気もするけどまあいいわ。イスタニアに行ってしまえばこっちのものよ。そんな些細なことよりレオンの手当をしないといけないわ。

 そして一ヶ月後 王都中央駅

 皇族専用のお召し列車が0番ホームにとまっている。私はレオンに案内され、専用の入り口からそのホームに向かった。

「アナスタシア、本当に行っちゃうのね。イスタニアの皇太子と結婚するってホントなの?」

 お父様は来ては居ないが、お母様とマリアお姉様が見送りに来てくれている。お母様は心配そうにしているのだけど、マリアお姉様は好奇心に溢れた顔をしている。

「マリアお姉様。それはデマです。そんな目的で行くわけじゃないのよ」

マリアが興味津々という顔で手を握ってきた。13歳のこの姉は、私がイスタニアの皇太子と恋仲になる事をワクワクしながら期待しているのよね。ちょうど色気づくお年頃だけどウザいわ。

「アナスタシア、気をつけてね。無事に戻ってくるのよ。レオン、アナスタシアをよろしくね」

 お母様も心配そうにチークキスをしてきた。私もぎゅっとお母様を抱きしめる。

「お母様、心配しないで。これは国のためにも必要なことなのよ」

 お母様には私の夢見のことは話していない。革命が起こってみんな殺されてしまうと聞かされたら、おそらく平常心では居られないだろう。だから、イスタニアの皇室と友誼を結ぶためと説明してあるのよね。

「イスタニアは野蛮な国だから何かあるんじゃないか心配なの。やっぱり行くのを止めない?」

 お母様が心配なさるのは理解できるのだけれど、これはどうしても行かなきゃならないのよ。それがお母様や国民の為でもあるわ。

 そしてお母様達との別れを済ませて列車に乗り込む。

「姫様。多くの国民が見送りに来ておりますよ」

 駅のホームには近衛兵や王宮関係者しか入れないが、その規制線の向こうには多くの市民が見物に来ていた。皆手を振っていて笑顔だ。

 私はその人たちに笑顔で手を振り返す。でも私は知っている。この笑顔の人たちは数年後、私たちに憎悪と怒りと銃口を向けて来ることを。

 しっかりしなきゃだめね。人は豊かになればそれを壊すような革命や戦争をしなくなる。現状の生活と革命の混乱とその後の生活を天秤にかけて、現状の方が良いと思えば人は革命など起こさない。それが“合理的思考”。シンジローの言ってた通りね。この人達は今の生活に概ね満足している。だから革命なんて起こそうと思わない。でも、戦争によって疲弊して、明日食べるパンすら無くなってしまったら革命に身を投じても仕方がないのよね。

「姫様、お辛そうな顔をされていますが、やはりイスタニアに行くのは不安でしょうか?先帝陛下の夢見とはいえ、10歳で留学するのはやはり私も心配でございます」

 レオンが少し顔を曇らせて私の手を引いてくれる。私のことを心配してくれるのは心からありがたい。

「ううん、大丈夫よ。イスタニアに行くのが不安なんじゃなくて、今私たちに笑顔を向けてくれている人たちも、本当に疲弊して食べるパンすら無くなったら私たちに牙を剥いてくるのよ」

 レオンはハッとした表情を浮かべて民衆の方を見た。そして何かを感じたのか大きく息を飲み込む。

「この者達が牙を・・・・」

「そうよ。だから、国を安定させ民を豊かにすることこそ私たちの使命なの。その為にイスタニアに行って、協力を取り付けなければならないわ」

「それが、ラルドゥックス男爵のご令息ということでしょうか?」

「そうよ。あのクソ野郎の首根っこをひっ捕まえて無理矢理にでも私の“トモダチ”にしてみせるわ!」

 手紙じゃ重要な事を書けないことは理解できるけど、あんな冷たい手紙は無いわ!あいつ、革命が起こって私の家族が死んだ方が良いって思ってるのかしら?

「首根っこを押さえつけて友情がはぐくまれるものなのでしょうか?」

 ああ、レオン。そんな残念な人を見るような目で見ないで。涙が出ちゃう。

「姫様。そういえば数日前にお手紙を出されていましたが、ラルドゥックス様への先触れでしょうか?」

「ええ、とっても大事な内容を送っておいたから、これで私のことを無視なんか出来ないわ。ククク」

「姫様、悪い笑みを浮かべてますよ」

 シンジローからの返事があまりにも素っ気なくて腹が立ったからもう一度手紙を送ってやったわ。“お前の秘密をバラされたくなかったら私の言うことを聞け”ってね。これを開封したときのシンジローの顔を想像するとちょっと楽しくなって来ちゃった。

 そして出発の時間になった。列車は大きな汽笛を鳴らしてゆっくりと走り出す。私はイスタニアに着くまでの行程を頭の中で思い浮かべた。もうすぐヨシュアに逢えるのね。胸が高鳴ってしまうわ。列車は大森林横断鉄道を通って東の都まで行って、そこから巡洋艦に乗り換えてイスタニアに入るのよね。合計21日間の旅。私の体調を考慮して余裕を持った旅程とはいえ長すぎるわ。私が死ぬ直前の2000年には航空機で半日程度しかかからなかったのに。宇宙だと一日あれば隣の星系まで往復できるのよ。やっぱり科学の進歩は重要ね。何としてもシンジローの協力を取りつけないと。

 王都を出て3日後

 大森林横断鉄道は長すぎる。この鉄道を人力で作ったなんて信じられない。重機を使ってもかなりの年月がかかるでしょうに。そういえば、大森林横断鉄道の建設には罪人や政治犯が大量に投入されたんだっけ。後世の資料でも正確な動員数や犠牲者数は解らないってされてたけど、どの文献でも最低で数万人から数十万人以上の死者が出たのは間違いないって書いてたかしら?死体をバラストに混ぜてレールの下に捨てたなんて文献もあったわね。良く覚えてないけど。全く非道い事をする国もあったものだわ。あ、それ私の国か。

 この時代の列強はほとんどそうなんだけど、特にリューリカは非道いのよね。東の都あたりの沿海州地方もシバ帝国からぶんどった挙げ句、そこに住んでたシバ人達を追い出したり殺したりしてたし。リューリカの歴史を学んでちょっと自己嫌悪になってた時期があったかしら。その時決意したのよね。リューリカを世界から尊敬される国にしようって。

「ねぇ、レオン。どうしてリューリカはこんなに大きな国になったのだと思う?」

 私は車窓から森林を見ながらなんとなくレオンに聞いてみた。

「はい、姫様。歴代の皇帝陛下がその王道を世界に広め、民の安寧を願ったからでございます。蛮族によって支配されている弱き民を解放し、皇帝陛下が教化なされることで発展してきました。これは神のご意志と言っても良いでしょう」

 リューリカ貴族の子弟としては満点の答えよね。でも現実はそうじゃ無い。

「神のご意志ね・・。じゃあレオン。もし私が夢で見たようにリューリカで革命が起こって、私たち皇族が皆殺しにされたとしたら、それも神のご意志なのかしら?」

「そ、それは・・・・」

 18歳のレオンにはちょっと意地悪な質問かしら?でもレオンには現実を知って欲しいの。リューリカが大きくなったのは、無慈悲に侵略をしたから。暴力で他民族を屈服させて労働力と生産物を奪って軍事力を大きくしたから。そこには暴力で奪うリューリカと、奪われ殺される他民族がいただけ。現実社会ではどんなに善行を積んだとしても、どんなに神に祈ったとしても凶悪な暴力の前では何にもならないのよ。それは私たち皇族も同じ。強い者が弱い者から奪うことを許される野蛮な世界。これが今の世界なの。

「レオン、神様はこの世界をお作りになったわ。でもね、人間一人一人を助けてくれるわけじゃ無いの。だから人間は自分の役割をよく認識して、よりよい自分や社会を作っていかなくちゃならないのよ。それが神様のお望みだと思うわ。そして常に、自分が本当に正しいのか?これが本当に正義なのか省みなきゃいけないの。人間は正義の為にやることだって思ったときに、最も残酷になれるのよ」

「正義のため・・・」

「そうよ。昔の大学の実験なんだけどね、女の人が男の人を殴る映像を見せられたら、ほとんどの人は嫌悪感を覚えるの。人間には暴力を忌避する自然な気持ちがあるのね。でもその映像の前に、殴られる男が他の女と浮気をしている映像を見せてからだとみんな拍手喝采するのよ。正義のためなら暴力を肯定してしまう、これが人間の恐ろしさでもあるわ」

 この世界の人たちはまだ大戦を経験していない。国民の全てが動員されて、敵国の兵士だけでなく、普通に街で暮らしている人たちが攻撃目標にされて虐殺されてしまうことなんて想像も出来ないのだろう。平時なら人を一人殺すのだって精神的ハードルはかなり高い。でも、上からの命令でそれが正義だと信じていれば女子供を何万人も平気で殺せてしまう。そんな事は絶対に許さない。必ずこの私が止めてみせるわ。

 そしてこのリューリカを世界から尊敬される国にするの。前世では第二次大戦が終わった後、国がある程度復興してきてからは惜しみなく海外援助をしたのよね。発展途上国に学校をたくさん作って教師の育成を進めたり、病院を建てて医師を派遣したり。決定権は内閣にあるけど、リューリカの憲法では皇帝が内閣に対して意見を述べることが許されてたからどんどん意見を言ったわ。採用するかどうかは内閣次第なんだけどね。それでも2032年までの知識チートを持ってるシンジローの意見は助かったわ。援助をするにしても、そのやり方次第では逆に恨まれることもあるって教えてもらったし。だからね、今回も必ずシンジローを味方に付けなきゃダメなのよ。

 その為にも、ちゃんと現在の世界情勢を理解しておかなくちゃ。シンジローから“助けるに値しない”って思われたら最悪よ。でもまあ、その時はシンジローの秘密を全部バラしてやろう。お互い様よね。イスタニアに居られなくなったらリューリカに逃げてくるかも知れないし。その時はイヤミの十や二十言った後に受け入れてやろうかしら?

「そんな実験があったのですね。姫様は本当に10歳なのですか?」

 レオンって最近なんだか私のことを疑っているような気がするのよね。見た目通りの年齢じゃ無いってうすうす気付いているのかしら?それとも加齢臭でもしてるのかな?自分じゃなかなか気付かないのよね。

 私は何も言わずレオンに笑みを返す。イスタニアに着いたら本当のことを言おう。そして、私と一緒にリューリカ国民を守ってもらう。レオンならきっと大丈夫。なんたって私の騎士様なんだから。

 私は勉強のために数年間分のリューリカの新聞と近隣諸国の新聞を持ち込んだ。お父様の目がないから遠慮無く他国の文献も大量に持ち込んだわ。旅の間それをレオンと一緒に読んで勉強している。リューリカの新聞は、この時代だから当然帝政に都合の悪い事はあまり書いていないのだけれど、それでも同じ事件を扱った他国の新聞と読み比べるといろいろなことが見えてきた。私が諸外国語を使えることにレオンは驚いていたわ。ふふふ。前世でイスタニアに渡った後、イスタニア語とその他幾つかの言語もマスターしたのよ。懐かしいわ。ヨシュアの家でイスタニアの文化とイスタニア語を教えてもらったのよね。ヨシュアったらちょっと私が体を近づけて肩が当たると顔をまっ赤にして照れていたわね。ああ、なんて可愛いのかしら。10歳のヨシュアはもっともっと可愛いわよね。いろいろなことを教えてあげないと。うふふ、会えるのが楽しみだわ。

 だめだ。すぐにヨシュアとの事を妄想してしまう。イスタニアに着くまでにできるだけ社会情勢を把握しておかなくちゃ。




 ◇

 イスタニア海

 東の都を出港した三隻のリューリカ巡洋艦が津軽海峡に向けて航行していた。

「うええええええええぇぇぇぇぇーーーーーーーーー」

「姫様、大丈夫ですか?」

 これが船酔いなの?こんなの無理よ。イスタニアに着く前に絶対死んじゃう。軍艦のくせになんでこんなに揺れるの?そういや前世で乗った軍艦って割と大きいのばかりだったから気にならなかったけど、船酔いってこんなにキツいのね。

「レオン、無理、死んじゃう。お願い、ヘリを呼んで・・・・」

 出港してからずっとトイレに籠もりっぱなしだ。同行している魔術師が治癒魔法をかけてくれたんだけど全然効かない。そりゃそうよね。病気やケガじゃ無いんだし。レオンが心配そうに背中をさすってくれるけど、もうはき出すモノなんか全然なくて、黄色い液体しか出てこない。これは本当に死ぬかも。

「姫様、“ヘリ”とは何でしょう?軍医のだれかでしょうか?」

 ああ、なんでヘリコプターも知らないの?やっぱり科学を急速に進歩させなきゃね。魔法に頼ってばかりだから進歩が無いのよ。今の時代にも“乗り物酔い止め”の薬があったら、世界が平和になるかも知れないし。

 数日後

 三隻のリューリカ海軍の巡洋艦がイスタニア湾入り口に入ってきた。

「姫様。もうすぐイスタニア湾に入ります。そうすれば波も小さくなりますよ」

 東の都を出発しイスタニア湾に到着するまでずっと船酔いに襲われていた。でもね、我慢したよ。耐えたよ。王都でレオンに救出されて、バトラと二人で逃亡をした事を思えばたいしたことないね。あの時代を生き抜いた私を舐めるなよ、船酔い!

 そういえば、イスタニア湾の入り口からは不死山が見えるんじゃなかったかしら?そんな事を思って見回してみると、見えた!

「見て!レオン!あそこ!不死山が見えるわ!」

 今の季節は夏なので雪は全くなく、青い空の下、真っ黒な不死山が遠くに見える。

「見えました!姫様!あれが不死山ですか。写真や絵画とは違って山頂が白くないんですね」

「今は夏だからね。冬や春の不死山は半分から上だけ真っ白でそれはすごく美しいのよ。イスタニアの中心からも見えるから、今から冬が楽しみね」

イスタニアの最高峰で独立峰の不死山はどの方角から見ても美しく見応えがある。ただし、山にはアンデッドの魔物がたくさん住んでいて近寄れないんだけど。

 今回の留学期間は1年と定められていて来年の初夏まではイスタニアに居る予定だから、冬にはヨシュアとスキーに行くのも良いわね。多分まだヨシュアはスキーをしたことがないはずだから、手取り足取り教えてあげるわよ。あとスノーモービルに二人乗りをして雪原を疾走するのもいいわねって、この時代、スノーモービルってあるのかしら?まあいいわ。一日ゲレンデで楽しんだあとは、ディナーに私が手料理を作ってあげようかしら?少しワインを飲んでほろ酔いになるの。そしてロッジの暖炉の前で1枚の毛布に包まって暖め合うのよ。見つめ合う二人。そして時計の長い針と短い針が真上でキスをする時に私たちもゆっくりと唇を近づけて・・・

「いやぁー!はずかしー!」

「どうなされました?姫様?」

「な、何でもないわよ、レオン」

「しかし、姫様は不死山のことをよくご存じですね。それも夢見ですか?」

「え、えっと、それは・・・駐露イスタニア大使に聞いたのよ。写真も見せてもらったから印象に残ってるのよ」

 あんまり夢見のせいにしていると、さすがに怪しまれるかも。まあいいけど。

「姫様、前方にイスタニアの艦隊が見えますね。先頭にいるのが戦艦ラ・サカミで、戦艦ラ・シシマ、戦艦ラ・サミガ、巡洋艦ル・カオキだそうです」

 前方に整然と並んだイスタニア海軍の戦艦が見えてきた。事前に概要を知らされていたのだけれど、間近で見ると迫力があるわね。私の歓迎のためって言ってたけど明らかな示威行為よね。私と一緒に表敬訪問するリューリカ軍人に見せつける意図がありありと伝わってくるわ。

 ドーン!ドーン!

 イスタニア海軍の戦艦は次々に空砲を撃ってアナスタシアを歓迎する。

「イスタニア海海戦でリューリカ艦隊に大打撃を与えた艦ばかりですね。それにラ・サミガは6年前の戦争でイスタニアに強奪された艦ですよ。我々への嫌がらせでしょう」

「いいじゃない。戦艦なんてもうただの鉄の置物よ。近代海戦では何の役にも立たなくなるわ。旧世界の遺物よ」

「そうなのですか?アルビオン王国ではドレイク級戦艦が就役して世界に敵無しと言われていますが」

「レオン、あなた、もっと勉強した方が良いわ。戦艦なんてせいぜい時速50キロほどしか出ないのよ。主砲の届く範囲も30キロ程度ね。それに比べて航空機は時速500キロも出て1000キロの範囲を飛べるようになるのよ。航空機に爆弾や魚雷を載せて攻撃させれば戦艦なんて石のタヌキよ、ってシンジローなら言うと思うわ。シンジローはすごいのよ」

「そうなのですね。ガリア共和国から展示飛行に来ていた飛行機を見ましたが、その時は時速50キロくらいと言っていました。でも本当はすごいのですね」

 う、なんだか最近のレオンは胡乱な目をする事が多くなったような気がする。まあ、今の時代の人に音速を超える航空機があと20年ちょっとで出現するって言っても信じてもらえないわよね。でもシンジローに直接会えばレオンも理解するわ。科学技術こそ正義なのよ!

「い、今は多分ゆっくりしか飛べないと思うけど、すぐに音速を超える航空機が出来るのよ。それもシンジローが作るの。あいつ、ツンデレな所があるけど味方に付ければ心強いわ」

「ツンデレ・・・とは?」

 ああ、まだこの時代じゃ“ツンデレ”や“テヘペロ”や“オタク”や“ロリコン”って世界共通語じゃ無いのね。そういやこういう言葉って全部シンジローが流行らせたのよね。

「う、とにかくリューリカも戦艦なんか作るんじゃなくて、その人員と予算を航空機開発に回す方がいいに決まってるの」

 万が一シンジローの協力を得ることが出来なかったとしても、大戦までに航空機と戦車の開発に力を入れていたら戦局を有利に運べて国内の疲弊も少なくて革命が起こらないかも・・・。

 いやいや、それは危険すぎるわ。技術開発を早めた挙げ句に革命が起こったりしたら、その技術を持ったクルストがもっと非道い事をするかもしれない。シンジローはそういうことを心配しているのよね。

 “つまり、私がリューリカの実権を握って強固な国家体勢を築くしかないということ”

 今リューリカではストリンプス首相が改革を行っている最中よね。「まずは平静を、しかる後に改革を」をスローガンにしているけど、革命主義者だけでなく、労働争議を主導しただけで革命テロのレッテルを貼ってどんどん死刑にしているのよね。その割にクルストには生ぬるい刑しか与えないってちぐはぐだわ。革命主義者の弾圧は良いとしても、それ以上に国民を豊かにしないといつか足下をすくわれるわね。

 ん?

 そういえば、ストリンプスって暗殺されるんじゃなかったかしら。それこそ今年か来年あたりのはずよ。お父様に暗殺の危機があるとおじいさまが夢で言っていたって手紙に書いておこう。

 リューリカ革命は大戦で国民が疲弊したから民衆と軍が皇帝を見限ったのよ。よし、基本方針は決まったわ。

 絶対に大戦には参戦させない

 その為にまずはシンジローとトモダチになって知識チートをもらえるようにする。そして私が権限を行使できるような強固な支配体制を築く。私の管理下でシンジローの知識を使って農村や工場労働者の生活を劇的に向上させる。こうすれば革命主義者は絶滅するだろうし、世界平和にも貢献できるはずよ。そして大戦が勃発してもリューリカを参戦させない。その為にはやっぱりお父様から王権を取り上げないといけないかしら。あとは、大戦のきっかけとなったエスターライヒ皇太子暗殺事件も未然に防ぎたいわね。あれって確か1914年の初夏よね。

 基本方針が決まったらなんだか光明が見えてきた気がするわ。うふふ。きっとなんとかなるわよね。

「姫様、なんだか嬉しそうですね」

「ええ、レオン!イスタニアに無事に着いたからリューリカの未来が拓(ひら)けるわ!後は夢の中でおじいさまが導いてくださるはずよ」

 港に上陸した私たちはリューリカ大使のマレフスキーと合流した。そしてイスタニア政府の簡単な歓待式典を受けたあと専用列車でイスタニアの中央駅に向かう。そしてリューリカ大使館に到着した。

「やっと着いたー!20日以上かかるなんて本当に世界の裏側って感じね」

「無事に到着できて何よりです。皇女殿下。今日はゆっくりお休みください。明日はイスタニア国王への挨拶と夜は晩餐会の予定です」

 翌日

 イスタニア王城

 リューリカ大使館から馬車に乗って王城の正門へ向かった。沿道には多くの人が集まって手を振ってくれている。私はその人たちに手を振って笑顔で返した。6年前に戦争をしていた相手国の皇女なのに、こんなにも歓迎してくれるなんて予想外だわ。例え殺し合った相手でも和解することが出来るのね。

 ◇

 イスタニア王城

「国王陛下、この度は私の留学をお許し頂き誠にありがとうございます。微力ながら両国の友好のために尽くしたいと思っております」

 私はイスタニア国王の前に歩み出て、西方大陸式の完璧なカーテシーで挨拶をした。しかも流ちょうなイスタニア語で。ふふふ、みんなの視線が集まるのがわかるわ。10歳の愛らしいリューリカ幼女がイスタニア語で挨拶をするなんて思ってもいなかったでしょ?

「はるばるこの極東の地までよく来てくれた。歓迎するぞ、皇女殿下。しかし、これほどイスタニア語が上手とは」

 玉座のイスタニア国王が立ち上がって、柔らかい笑みを浮かべてくれる。軍服を着ているけど、優しそうなおじいちゃんだ。年齢は55歳のはずだけど、それよりかなりお年を召されているように見える。40年前にこの国で起こった内戦に勝利してイスタニアを列強国に押し上げたのよね。その後もシバ帝国との戦争とリューリカ帝国の戦争を戦った年輪が刻まれているのね。

「はい、陛下。先の戦争は不幸な出来事ではございましたが、子供ながらにイスタニア人の勇敢さにとても強く感銘を受けました。その時からイスタニア語を勉強していたのです。そして10歳になったのを機に、恋い焦がれたイスタニアに来ることが出来ました」

 不思議な感じよね。戦争で殺し合った国の王族がこうやってにこやかに挨拶を交わしているなんて。前世で私のリューリカ帝国はボーラ連邦としか戦争をしていないのだけれど、ボーラの首脳とにこやかに挨拶なんかちょっと考えられない。もっとも、ボーラの幹部はほとんど死刑にしてやったから会うことも無かったんだけどね。

「そうであったか。あの戦争は本当に不幸な出来事であった。これからは友邦として未来永劫平和でありたいものだ」

「はい、陛下。“よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ”・・・このような詩(うた)を二度と詠まなくても良い世界を一緒に創ってまいりましょう。リューリカとイスタニアが手を取り合えば、かならず実現できます」

 私の言葉に列席しているイスタニアの貴族や軍人・政治家が一瞬ざわっとした。みんな息を呑んで私の方に強い視線を送ってくる。

 この詩はイスタニア国王が対リューリカ戦争開戦に際して詠んだ詩だ。前世でヨシュアから何度も聞かされたのよね。イスタニア国王はこんな詩を詠まれるくらい、露日戦争には反対していたって。

 “世界中の全てが兄弟であると思っているのに、なぜこんな諍いが起きてしまうのだろう”

 これは戦争になることを嘆かれた詩。つまり、平和であればこんな詩を詠む必要も無いのよね。

「皇女アナスタシア、あなたは・・・あなたは本当に朕の心を理解してくれているのだな」

 イスタニア国王はまっすぐに私の方を見て前に歩み出した。玉座は二段ほど高くなっているのだけど、その階段をゆっくりと歩みを進めて降りてくる。その目に涙を溜めているように見えた。

「恐れ多いことでございます。ただ私は、世界中の人々が誰一人戦争や餓えで死ぬようなことが無く、自分の未来を自分の手で掴むことのできる世の中にしたいと心より願っております。私はその為に、その為だけにイスタニアに来ました。陛下、何とぞ世界平和のために一緒に戦って頂きたく存じます」

 目の前まで来たイスタニア国王に私はチークキスをした。身長差があるのでちょっとつま先立ちになってよろけちゃったけど、イスタニア国王は私の腰に優しく手を添えて支えてくれた。とても紳士的な方だ。封建主義の国から民主主義色の強い立憲君主制へ変革を成し遂げた中心人物。まさに傑物よね。お父様にもこれくらいのカリスマと決断力があったら、あんな無残な最後を迎えなくてよかったのかも。

「戦争や餓えで誰一人死ぬようなことの無い世界か。イスタニアとリューリカが協力すればそれが実現できるというのだな?」

「はい、陛下。今のリューリカはまだ覇道によるところが大きいのも事実です。しかし、必ずや世界を徳によって良くしていく“王道”の国にかえていきます」

「そうか、とても10歳とは思えぬ。リューリカ皇帝の申し出は本気だと言うことだな。朕の長男、ミハイルとの婚姻を考えて欲しいと親書が届いたのだ。その気持ち確かに受け取った。もちろん当人同士が気に入ればの話だがな。これは楽しみが一つ増えたぞ。朕も長生きをしなければならんな」

 ん?何?親書?ミハイルと結婚?お父様!なにやらかしてくれてるの!?
 ミハイルとの結婚話はお父様が暴走してるけど、絶対にそれは出来ない理由があるのよね。だってお母様の家系は血が止まらなくなる病気の遺伝子持ちだから、それを伝えたら間違っても后になんて事にはならないもの。現在は病気の原因がわかってなくて、血脈による呪いってされてるんだけどね。前世では革命でみんな死んじゃってその事が表に出ることが無かったからヨシュアと結婚できたのよ。それを隠して后を送り込もうとしたってバレたらちょっと問題になりそうね。

 その後晩餐会が開かれ、先の戦争の英雄ノートル将軍や元老の方々とも挨拶をした。みんなおいしそうにお酒を飲んでたから私も飲みたくなるわよね。こっそり飲もうとしたら見つかって全力で止められちゃった。やっぱり10歳の体は不便ね。

「皇女殿下、先の戦争で戦ったステイブル将軍が現在も収監されているとのこと、誠に残念に思っております。彼ほど国と兵士の事を考えていた将軍は他におりません。将軍の名誉が回復されることを強く願っております」

 マルコ・ノートル将軍。先の戦争でステイブル将軍率いるリューリカ陸軍を降伏に追い込んだ勇将よね。今は王立学校の院長先生をしている。ものすごいおじいちゃんに見えるけど、確かまだ60歳のはず。この時代の人って本当に老けるのが早いわ。

 ステイブル将軍は旅順攻防戦で敗退し、イスタニア軍に降伏したのよね。戦後、降伏したことが罪に問われて死刑判決を受けたけど、今は減刑されて懲役10年になって服役中のはず。イスタニア軍に降伏したのは確かだけど、総指揮官にはその権限が与えられているんだから罰するのはおかしな話だと私も思うわ。私はお父様に減刑の嘆願書を書くことをノートル将軍に約束した。

「ノートル将軍。一つ私からも願い事があるのですが何とぞ叶えて頂けないでしょうか?」

 お酒が入ってちょっと頬が赤くなっている今なら受け入れてくれるかな?

「何でしょう?皇女殿下。小生に出来ることでしたら何でも大丈夫ですよ。あ、それともう将軍ではないので院長とお呼びください」

 よし!言質はとった!

「ありがとうございます、ノートル院長先生。それではお言葉に甘えさせていただきます。留学中、院長先生のご自宅に住まわせて頂けますでしょうか?そしてその間、私を実の娘だと思って頂きたいのです」

 ノートル院長としては正直複雑な話だろう。息子二人をリューリカ軍に殺されているのだ。息子の仇ともいえるリューリカ皇帝の娘を、ホームステイとして受け入れて欲しいと迫っている。でも、だからこそなのよ。リューリカとイスタニアの和解と友情の証として、是非とも受け入れて欲しいの。

 私は渾身の目力を込めてノートル院長の目をまっすぐに見た。この目を見てもらえれば嘘偽りの無いことが解るはず。私は本気よ。

 ノートル院長は一瞬時が止まったかのように私の目を見て固まってしまった。おそらく様々な思いが駆け巡っているのだろう。

「それは・・もちろん大歓迎でございます。家内も喜ぶでしょう。子供4人を全て失ってからふさぎ込むことが多くなっておりました。皇女殿下のようなかわいらしい方をお迎えできるのは望外の喜びです」

 私はその返答を聞いて優しくほほえんだ。

「ありがとうございます、お父様」

 ◇

「姫様!聞いておりません!大使館ではなくイスタニア人の家で生活するなど皇族としてあってはならぬ事です!」

「あーうるさい!レオン!もう決めてきたのよ!ノートル院長は人格者で立派な方よ!イスタニアとの友好のためにも絶対に必要なの!」

 大使館に戻ってノートル院長の家にホームステイすると伝えたところレオンが激怒してしまった。晩餐会でも部屋の隅で控えていたのだけど、私がイスタニア語で話しているから内容を理解していなかったみたい。もちろんそれを狙ったんだけどね。

「姫様!警護はどうなさるおつもりですか!?送り迎えは大使館の馬車を派遣しますが、家の中の安全が担保できません!」

「家の中で何かあるわけないじゃない!そんなに心配ならレオンも一緒に来てよ!院長には話を通すわ!あなたも軍人ならノートル将軍に教えを請うと良いわ!本当に立派な方なのよ!」

「えっ?私もですか?」

「そうよ!男同士お風呂で背中を流し合ったら?イスタニアのお風呂はゆっくり浸かれて気持ちが良いのよ」

「な、な、な、何をおっしゃるのですか!姫様!」

 レオンが顔をまっ赤にして抗議してる。恥ずかしいのか怒ってるのか微妙ね。公式には男で通してるんだから最後まで男を通しなさいよって言ったらちょっと意地悪すぎるかな?でもクソ真面目なレオンをからかうのもちょっと面白いかも。

 こうして私とレオンはノートル院長の家でお世話になることになった。ノートル院長の奥方のメラニーさんと初めて挨拶をしたときにはちょっとよそよそしかったけど、すぐに打ち解けて笑顔を見せてくれるようになってほっとしたわ。レオンが実は女性だって事も伝えたらものすごく驚いてた。でも他の人には内緒にしておいてね。

 そして私とレオンはお座敷の祭壇に飾ってある息子さん二人の遺影に手を合わせた。なかなかに凜々しい青年だわ。こんな若い人たちが何万人も死んでしまったなんて本当に悲しい。

 ノートル夫妻は二人の男児を戦争で亡くしていると聞いていたけど、それ以外に二人生まれてすぐに亡くなっていたのね。4人生まれてなんとか育った二人を戦争で亡くすなんて、ものすごく辛い思いをされたのでしょう。イスタニアに居る間だけでも、本当のお母様だと思って孝行しなきゃね。

 そして初登校日。もう二学期が始まって10日ほど経ってるので中途入学ね。この日はノートル院長と一緒に馬車に乗って王立学校に向かうことになった。

 私はこの日のためにしつらえた、濃いえんじ色の袴に桜色のイスタニアの民族衣装の着物を纏って気合いを入れる。

「アナスタシア、とても可愛いわ。まるでお人形さんのよう」

 ノートル院長の奥方のメラニーさんが目を細めて私を見ている。生まれてすぐに亡くなった娘さんと重ねているのかしら。そんな事を想いながら私は“お母様”に抱きついた。

「ありがとうございます。お母様。お父様お母様に恥じぬよう、立派に勉強して参ります」

 イスタニア人は“恥”を極端に嫌うのよね。まあ恥をかくことが好きな民族なんていないのだけれど、イスタニア人は特に”恥“には敏感だ。だから、お父様お母様に恥をかかせないようにしなきゃね。

 教員の方々とは事前に挨拶をして、王立学校でのルールとかは聞いている。前世でヨシュアからイスタニアの文化や風習を教えてもらっているので特に戸惑うようなことはないかな?でも、トイレだけは私専用のトイレを作ってもらったよ。リューリカ式の座るやつ。王立学校(男子部)は教員にも女性がいないので女子専用トイレが無いのよね。もっともこの時代、イスタニアの公共機関のトイレは男女共用がほとんどだからそういうものなんだけど。欲を言えば水洗とウォシュレットが欲しかったなぁ。リューリカに帰ったら真っ先に作らせよう。

 講堂で全校生徒を前にして私の受け入れの式典が簡素に執り行われた。そこでノートル院長から全校生徒に紹介され、簡単な挨拶をする。全校生徒は500人以上いるそうで、ヨシュアを見つけることは出来なかった。だんだんとドキドキしてきたわ。

 そしてノートル院長に連れられて、みんなの待つ教室に向かった。私の席はヨシュアの隣らしい。ドキドキするわ。ヨシュアはこの国の第二王子だから出来るだけ友好を深める狙いがあるのよね。

 10歳の頃のみんなの姿は集合写真で見たことがあるけど、すぐ解るかしら。ああ、楽しみだわ。

 心臓がドキドキしてくる。ヤバイ、どうしよう。喉がカラカラになってきた。100年以上生きてきてこんなに緊張するのって、80年前にヨシュアに告白したとき以来じゃ無いかしら?

 ガラッ

 引き戸を開いてノートル院長が教室に入る。そして私も続いて入ろうとするのだけど、どうしても足が前に出ないわ。何で?こんなことってあるの?リューリカ国民三億人を何十年にもわたって率いてきたこの私が足を出すことが出来ないなんて!それほどまでにこの教室からはすさまじいオーラがあふれ出してきている・・・ような気がする。勘違いかも知れないけど。

 私は深く深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。大丈夫。笑顔でみんなに、ヨシュアに挨拶しよう。ヨシュアは私のことをまだ知らないから、いきなり抱きついてキスしたらまずいわよね。ちゃんとその辺りはわきまえないとね。

 私はなんとか足を前に出して教室に入った。そして、全員の視線が私に突き刺さるのを感じる。私は座っているみんなを見渡した。

 居たわ!

 すぐにわかったわよ!真ん中一番前の席にヨシュアが座ってこっちを見てる。ああ、なんて可愛いのかしら。スキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキ!

「どうなされました?アナスタシア様」

 ノートル院長にちょっと心配したような口調で声を掛けられた。私はヨシュアをガン見してボロボロと涙を流してしまっていたのだ。20年前に死に別れた最愛の人。下唇を噛んで、嗚咽が漏れないようにするので必死だ。いきなり抱きしめて押し倒さなかった私を褒めてあげたい。

 ガン見されたヨシュアは顔をまっ赤にしておろおろしている。明らかに自分が見られていることがわかったわよね。普通にただの一目惚れだって思ってくれるかな?

「すみません、院長先生。あこがれのイスタニアの学校に来ることが出来た喜びで泣いてしまいました」

 シンジローを除くクラスメイトはみんな10歳なのでまあ大丈夫かな。ノートル院長には私がイスタニアを恋い焦がれていたと何回も伝えてあるから、感情豊かな子供くらいに思ってくれるとありがたいのだけど。

「そうでしたか。それほどまでに・・・・。皆も知っての通り、リューリカ皇帝の第二皇女アナスタシア様だ。6年前の戦争では戦った相手だが“昨日の敵は今日の友”という言葉もある。今日から皆と一緒に勉学に励まれる。両国の友好のためにも仲良くするように」

「初めまして、アナスタシア・ニコル・リューリカです。憧れていたイスタニアに来ることが出来てとても嬉しく思っています。みなさん、仲良くしてくださいね」

 私は涙を流しながらもニッコリと微笑んで西方大陸風カーテシーをした。イスタニア式なら頭を下げるのだろうけど、ここはみんなが見たことの無い西方大陸の挨拶がいいわよね。

 教室を見回すと、ヨシュアのすぐ後ろにシンジローが座ってる。あ、シンジローと目が合っちゃった。前世の最後にキスしたからかなり恥ずかしいわ。どうしよう。学園についてすぐ三角関係が始まっちゃうのかしら?ドキドキしちゃう。

 あんまりジロジロ見たらちょっと失礼かもしれないので、出来るだけみんなを見回すようにして笑顔を振りまいたわよ。クラスを代表してヨシュアが挨拶をしてくれた。聡明そうなお子様ね。育ちが良いのがわかるわよ。ああ、スキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキ

「はじめまして、ヨシュア殿下。わからないことがたくさんあると思うから、いろいろと助けてね」

ついにヨシュアに声をかけてしまったわ。どうしましょう。顔が火照ってきた。女の子の大事な所がムズムズしてきたような気がするわ。ダメよ!私!こんな10才の男の子に欲情するなんてヘンタイよ!

ヨシュアはモジモジする私にちょっと戸惑ったような顔を向けて「こちらこそよろしくお願いします。皇女殿下」と言って顔をまっ赤にしている。かわいい。信じられないくらいかわいい。このまま連れて帰ってしまいたい。リューリカ帝国の力でなんとか出来ないかしら?

 その後みんなと一緒に授業を受けた。先生から何回か答えを求められたから完璧に返答してやったわよ。みんなの驚く視線が気持ちいいわ。ふふん。

 授業の合間の“業間”って言うのかしら?その間、誰も話しかけてくれない・・・。ヨシュアもミッチーもガチガチに緊張しているのがわかるわ。私が視線を向けるとみんな顔を背(そむ)けるのよね。イスタニア人の男の子ってちょっと奥ゆかしすぎない?

 授業中、ヨシュアが消しゴムを落としてそれが私の足下に転がってきた。それに気付いた私は優雅な所作で拾い上げてヨシュアの方を見る。そして消しゴムについたホコリをフッと息をかけて払ってからヨシュアの席に置いてニッコリと笑みを送った。子供って好きな異性の気を引くためにわざと消しゴムを落としたりする事があるけど、そうなのかしら?もう私の魅力にメロメロなのね。顔をまっ赤にしているわ。かわいい。

 みんなが緊張している中でシンジローだけは違った。私がシンジローを見ると、きっちり視線を合わせてニコッと笑みを返してくれる。やっぱり中身は10歳じゃないわね。よかったわ。ここまで来てシンジローがただの10歳の子供だったらどうしようかと思ってた。見た目は子供、頭脳は大人で安心したわよ。

 そして私はリューリカ語でシンジローに話しかけた。

「ちょっとシンジロー、あなたに話があるんだけど」

「なんでしょう?お嬢さん」

シンジローは子供の頃からリューリカ語を含めて5カ国語を使えてたのよね。ずっとすごい天才って思ってたけど、それも転生チートの能力の一つよね。間違いなくこのシンジローは転生者だわ。

「放課後、講堂の裏に来てくれないかしら?誰にも聞かれたくない話があるの。このままリューリカ語で大丈夫?」

「大丈夫ですよ。話とは、あの脅迫文のことですか?」

「ヤー」

 私はニヤッとした笑みを返して前を向いた。リューリカ語を理解できない周りのみんなはちょっと不思議そうな表情で私とシンジローを見てる。

 ああ、ヨシュア、これは浮気じゃ無いからね。勘違いしないでよね。

 放課後

 私はレオンに“職員室に行ってくるから門の前で待ってて”と伝えて講堂の裏に急いだ。やっとシンジローの協力を得ることが出来るわ。これで家族もリューリカ国民も救えるはず。

「待たせたわね、シンジロー。ここなら誰も聞いていないわ。率直に言うわよ。あなたの知識を使ってリューリカを助けて欲しいの」

 シンジローはちょっと口をへの字に曲げて私を見ている。なんだかムカつく表情ね。

「俺の知識と言っても10歳の知識で何か出来るとは思えませんが?まあ、成績は常にトップですけどね」

 何か嫌みなやつね。シンジローってこんなやつだったかしら。ちょっと不安になってきた。

「何言ってるの?あなたが異世界から転生して来たことは知ってるのよ!ここなら誰も聞いてないんだから隠す必要は無いわ。私も90年後から転生したの。天寿を全うしたときにあなたからキ・・・・じゃない、魔法をかけられて魂がこの時代に戻っちゃったのよ」

 それなのに、シンジローはキョトンとした表情で私を見ている。そして何か頭の中で考えを巡らせているような難しい表情をした。

「それがあの“脅迫”の中身ですか?ちょっと妄想が甚だしすぎますよ。そんな事が現実に起こるはずはないでしょう?」

 え?嘘でしょ?なんでそこまで隠すのよ。

「じゃ、じゃあなんでそんなにリューリカ語が出来るのよ?10歳でリューリカ語の出来るイスタニア人なんて存在しないわ!」

「俺は自分で言うのも変なのですが、いわゆる天才なんですよ。リューリカ語は先の戦争のころ捕虜収容所からリューリカ軍士官の方をお呼びして教えてもらったんです。父が技術士官だったので、リューリカの技術を学ぶためにね。それに、アルビオン語とガリア語シバ帝国もできますよ。皇女殿下だって多言語が出来るって挨拶で言ってたじゃないですか。いっしょですよ」

「わ、私は転生したからよ。10歳で多言語を使えるなんて普通は無い。ねぇ、ここには私とシンジローしか居ないのよ。隠す必要なんて無いわ。お願い、異世界の記憶があるって言って」

「申し訳ありません。何度も申しますが俺には何を言われているのかわからないのです」

 私は言いようのない不安に襲われる。胃がキリキリと痛み出して吐き気がしてきた。体中に冷たい汗をかいているのがわかる。

「ねぇ、嘘って言って。“ごめん、アナスタシア。ちょっと意地悪をしただけなんだ”って。それとも、記憶が封印されてるの?何かをすれば思い出すの?バールのような物で殴るとか・・」

「何言ってるんですか。おそらく、アナスタシア様が知っているシンジローと俺とは別人だと思います。それに、手紙の通り西方大陸で戦争が起きたりリューリカで騒乱が起きたりしても俺やイスタニアとは関わりの無いことです」

 関わりが無い?自分たちだけが安全ならそれで良いってこと?前世のシンジローなら絶対にそんな事は言わない。本当に別人なの?

「なんで・・・そんなに他人事なの?みんな死んじゃうんだよ!何千万もの人が殺されるのよ!目の前で家族みんな殺されたことがあるの!?野犬に喰われてる赤ちゃんと母親の死体を見たことがあるの!?皮と骨だけになって餓死した死体の山を見たことがあるの!?このままじゃ、みんな殺されるのよ!お姉様達も・・・・たくさんの国民も・・・・・・ううう・・・・お願い・・・・助けて・・・・ねぇシンジロー・・・・あなたにはその力があるんでしょ?リューリカを助けてくれるんだったら、私の命だってあげる・・・・・・、お願い、シンジロー、お願いだから助けて・・・・・」

 本当に転生者じゃないのかもしれない。転生していたとしても前世の記憶が無いのかもしれない。それでも一縷の望みを信じてシンジローにすがりつく。両手でシンジローの制服を掴んで強く揺さぶった。だって私にはシンジローしか頼れる人が居ないのよ。シンジローが異世界の記憶を持って無いんだったら、みんな、みんな殺されちゃうのよ。

「みんな死んじゃうの!私の目の前で殺されて、レオンは私を守る為に命を捨てて・・・・そんなの嫌!絶対に嫌!なんとかみんなを助けたいの。だから・・・お願いします・・・シンジロー様・・何でもします・・・・私のこのか、体もあげます・・・・だからお願い・・・助けてください・・・」

 私の目からは止めどなく涙があふれ出している。これは絶望の涙だ。これから一人で戦っていかなきゃいけない。でも、未来に何が起こるか知っていても、私一人じゃみんなを、世界を救えないのよ。

「皇女殿下、残念ですがそんなモノでは協力できませんよ。俺はロリコンじゃないのでね」

 えっ?“ロリコンじゃない“?



 私は泣きじゃくってまっ赤に腫らした目でシンジローを見上げた。そこにはさっきまでの困った顔をしているシンジローじゃなくて、優しく目を細めているシンジローが居た。

 私はシンジローに抱きついて腕に思いっきり力を入れた。そして顔をシンジローの制服に埋めて涙と鼻水をこれでもかというくらいこすりつけてやった。子供の体って、どうしてこんなに鼻水が出るんだろう。

「このクソ野郎!何で私のこと知らないふりしたの!私が困って泣きじゃくるのを楽しんでたんでしょ!バカシンジロー!!!死ね!!」

 “ロリコン”って言葉はこの時代にはまだ無い。私の知る知識では20年後くらいからイスタニアのUSUIHONで使われ始めたのが初出のはずだ。こういうサブカルもシンジローが流行らせたのよね。ドキドキしながら読んだことを思い出すわ。こういう知識もシンジローの異世界知識だったはずよ。おそらくこの時代に無い単語を使って私を試したんだと思う。

「いや、本当に知りませんよ。時系列を整理してください。俺は異世界人なんですよ。この世界に来てあなたに会うのは初めてですから」

「あ、そうか」

 ちょっと混乱しちゃったわ。シンジローが異世界から来たことはわかったけど、そういえば私と会うのは初めてよね。何十年間もトモダチとして付き合いがあったから勘違いしちゃった。

「でも、でも、異世界の記憶を持ってるのよね。あのすごい技術を」

「この世界からしたら、そうでしょうね」

「それなら何で私に隠すのよ!あなたを殺して私も死のうかと思ったわ!(嘘だけど)」

「怖いことを言わないでください。あなたの素性が解らない以上警戒するのは当然ですよ。あなたが教室に入ってきた瞬間、なんだか変な匂いがしたんですよね。物理的な匂いじゃ無くて魔導的な何かです」

「え?変な匂い?加齢臭じゃ無くて?」

 私はちょっと心配になって自分の匂いをかいでみた。あの匂いって自分じゃなかなか気付かないのよね。腕を上げて脇の下の匂いもかいでしまったわ。あ、シンジローが冷たい目で見てる。

「はい、でも近くで観察して今話しをして、それはあなたの魂からの匂いだと解りました。おそらく、転生した人間にしか解らない匂いだと思います」

「転生した人間特有の?でも私、あなたから変な匂いなんか感じないわよ」

「鈍感なだけでは?」

何てこと言うのかしら?シンジローってこんなに口が悪かった?

「非道いわね!あなたは転生したときに神様からこの世界を救ってくれって言われたんでしょ?その時にもらったチート能力じゃないの?」

「よく知ってますね。それは俺から直接聞いたんですか?」

「そうよ、私が天寿を全うする直前にあなたからキ・・・・・」

うわー、こんな近くでシンジローに見つめられてどうしよう。心臓が張り裂けそうだわ。これが揺れる乙女心というものなのね。

「どうしました?皇女殿下」

「な、何でもないわよ。私が死ぬ直前にあなたから打ち明けられたのよ」

 そして私が前世で経験したことを全部シンジローに話した。シンジローは興味深そうに聞いている。私が話す内容はシンジローが中心となって技術革新をした世界だから、自分の力がどの程度の影響を与えたのか気になるのよね。

「なるほど。二度の大戦を経て革命主義者や侵略主義者を打ち倒したんですね。でも、その代償として一億人以上の人が死んでしまったと」

「そうなのよね。流行病の死者を入れるともっと多くなっちゃうんだけど。そして戦争が終わった後、シンジローは全ての知識をグローバルネットで公開したの。そして科学を一気に進めてこの世界から戦争や飢餓を完全に無くしたのよ。私が70才のころには軌道エレベーターも完成するし太陽系外の植民惑星を見つけて移民も開始されるわ。どう?すごいでしょ!」

 自分がやったように言っちゃったけど、全部シンジローの知識がベースになってるのよね。

「俺は前世では自衛隊っていう軍の研究所で働いていたんですが、その時の知識が役に立つんですね」

「私の前世ではシンジローにたくさん助けてもらったわ。ヨシュアとシンジローに命を救ってもらえたし。あ、そ、それについてちょっとお願いがあるんだけど・・・」

 シンジローには協力を得るために全部話しちゃったけど、これだけはお願いしておかなきゃ。

「ヨシュアには、私が100歳のおばあさんだって事、内緒にしてもらえないかしら?」

「それ、思いっきり不誠実じゃありません?」

 う、そんな正論ぶつけてこなくても良いじゃない。乙女心を理解してよ。

「お、女って化粧するでしょ。自分を隠すの。それと一緒よ!女は秘密があった方が魅力的なの!」

 シンジローはヤレヤレといったゼスチャーをする。秘密にするって明言してはくれないが、その辺りは大丈夫だと信じたい。

「シンジローの持ってるすごい技術を使ってリューリカを助けてくれるのね!三年後の大戦とリューリカ革命を防ぐことが出来れば何千万人も死ななくてすむわ。それはあなたが神様からお願いされたことに繋がるわよね!」

「いえ、申し訳ないのですがそれには協力できません」

「へっ?」