二人きりの風紀委員室では和やかな時間が流れていた。
礼司は一瞬上方に視線を向けた後、希美に目を戻す。
「あー、俺のハネも見る?」
「え!?」
希美は目を見開いた。
「いらない?」
「いる! 見たい! 見たいです!」
興奮した希美がぴょんぴょん跳ねる。礼司は気まずげに目をそらした。
「いやなんか、見せてって言っといて自分は見せないのかよって感じだから」
「それは全然気にしてないけど……見てみたいです」
「あーじゃあ」
礼司が口を開こうとしたその時、勢いよく音を立てて扉が開かれた。一人の男子生徒が立っている。礼司の友人の三崎裕翔だった。三崎はしかめっ面で吠える。
「速水! 遅い!」
「遅くねえ!」
「遅い!」
礼司は大きく音を立てて舌打ちした。バツが悪そうな表情で希美に向き直る。
「悪い。また今度でいいか?」
「あ、はい! なんかすみませんでした」
希美がぺこりと頭を下げる。礼司は控えめに片手を上げた。
「いや、ほんとに悪い。じゃまた」
「はい。お疲れ様です」
希美は先ほどよりも深く頭を下げた。礼司の背中が小さくなっていく。一人になった希美は、突然現れた三崎について考えていた。
『ちょっと由佳ちゃんみたいな人だったな』
希美の密かな笑いが風紀委員室に転がった。
翌日の1年A組教室。朝の澄んだ空気が漂っている。希美はいつものように机を挟んで由佳と話していた。由佳がぼやく。
「今日も一日が始まってしまう……」
「そうだね」
「全てがめんどくさい……」
希美がくすくすと笑う。由佳の言葉はどんなときも希美を笑顔にした。希美の脳裏にふと昨日の出来事がよぎった。おずおずと言葉を発する。
「あ、あのさ……」
「ん?」
由佳が希美の顔を見つめた。希美の視線は机に向かっている。
「前もちょっと話したんだけど……速水先輩って人のハネ、知ってる?」
「あー……前すれ違った人か。なに、気になるの?」
「いや、気になるってわけじゃ! あれ、気にはなってるのかな……」
希美はわたわたと挙動不審になった。最終的には天井の方を見上げて停止する。由佳は思い切り吹き出した。
「なにそれー」
「わかんない……」
希美は額の汗を手でぬぐう。由佳は考えるそぶりをした。
「んーでも、やっぱ聞かないな。便利らしい、ってだけ」
「そっか……ありがと。急にごめんね」
「でも大丈夫」
「ん?」
話の流れが変わる。希美は首を傾げた。由佳がビシッと希美に指をさす。
「我々には合同授業がある!」
「あ……今日だっけ」
「そ! その先輩のハネも見られるかも!」
「うん……! 由佳ちゃんありがとう。聞いてくれて」
パッと明るくなった希美の表情が由佳を照らす。
「いいよ! 由佳ちゃんになんでも聞きな!」
「ありがと。頼もしい」
「まーね!」
由佳は満足げに鼻を鳴らした。
第一グラウンドには普段の授業より更に大勢の生徒が集っていた。2学年合同で行われる能力開発授業。ハネの多様性故羽瑞学園では合同授業が多数カリキュラムされていた。隅で由佳と希美が話している。
「えーっと、かの人は……」
「あ、あそこ」
希美は控えめに指をさす。礼司はポケットに手を入れ、三崎と何事か話している。
「お、いるじゃんいるじゃん!」
「まあそりゃいるよね」
希美の冷静なツッコミが冴えた。構わずに由佳が続ける。
「ずっと見ときな!」
「自分が呼ばれてないときだけにするかな……」
「もー! おしとやかなんだから!」
「おしとやか……?」
希美が首を傾げるのと教師から号令がかかるのとは、ほとんど同時のことだった。
「じゃ! あとでね!」
「うん」
別の班での行動になっていた由佳が去っていく。一人になった希美は再び礼司を見つめた。
『どんなハネ、なんだろう』
丁度その時教師によって礼司の名前が読み上げられた。他に呼ばれた生徒と共に礼司が前に出る。
『あ』
数名の生徒同士が距離を置いて向かい合う形になっていた。教師から打ち合うよう合図が出る。礼司の影が実体を持って立ち上った。
『わ、わ』
礼司は対面している鋭い水のハネを全て影の盾や影の手ではじいていく。
『すごい……あれは、影のハネ?』
攻撃の速度も量も徐々に増えたが、礼司は顔色を変えず対応しきっていた。
『あれが……先輩の、ハネ』
間もなくして合図があるとハネを使うのをやめ、生徒たちはお互いに頭を下げた。駆け足で次の生徒達と交代していく。希美はしばらく呆然と礼司の背中を眺めていた。
上の空の希美をよそに、合同授業は問題なく終了した。
「少し早めだが、これにて本日の合同授業は終了とする。号令」
生徒代表の二年生の号令がかかる。礼をし、生徒たちは各々次の授業に向かうため解散した。礼司は大口を開けてあくびをする。駆け寄った希美が弾んだ声をかけた。
「速水先輩!」
「うわびっくりした。香坂か」
隣にいた三崎は礼司の肩を軽く叩いた。
「お、じゃあ俺先戻っとくな」
「あ? おう」
三崎はひらひらと手を振って去っていく。瞳をきらめかせた希美が残った。
「見ました、見ました!」
「ん、ん?」
状況を飲み込めず、礼司は首を傾げる。希美はその場でぴょんぴょんと跳ねた。
「先輩のハネ!」
「あー、はい」
「すごいです!」
「そうでもねえよ」
興奮している希美に対して礼司の返事は素っ気ないものだった。だが礼司の頬には微かに赤みがさしている。そのことに気付くものはいなかった。
「本当にすごかった。発表会に選ばれてもおかしくなかったんじゃないですか?」
「……目立つの苦手なんだよ」
礼司がきまり悪そうに答える。希美は目を輝かせた。
「選ばれてたんですか!?」
「候補に入っただけ。辞退しなくても落ちてたって」
「すごい……」
照れくさそうに礼司は頬をかく。
「ほんとにそんな大層なものじゃない。今日は良かったけど防御特化というか……攻撃するための力はほぼないんだ」
「へえー」
希美の相槌はどこか間延びしていた。
「他にも色々出来るけど、今日のはだいぶ派手なやつだよ」
「そうなんだ……でもすごいのは変わりないですよ」
「あんまり褒めんなよ。反応に困る」
「そんな! 先輩らしくて、素敵です!」
感動のまま、希美がにっこりと笑う。
「あー……ありがと」
礼司は口を覆いながら言葉を返す。礼司なりの照れ隠しに見えた。
「じゃあまあ気をつけて教室帰れよ」
「はい! 先輩もお気をつけて!」
礼司はのろのろと去っていく。歩き出しながらも、希美はしばらく礼司の背中を見つめていた。
昼時の大食堂は人でごった返している。それでも希美と由佳はここでの食事が好きだった。安さも栄養バランスが取れていることもあるが、何よりおいしいのだ。希美は日替わり定食を、由佳は好物のパスタを食べている。フォークを口に運ぶ合間に由佳が口を開いた。
「そういや合同授業! どうだった? 私授業の後まで河合先生に捕まってたから!」
「見られたよ。先輩のハネ」
「へえ! よかったじゃん!」
「うん」
希美の顔に微笑みが浮かぶ。
『見られただけじゃない。先輩……自分のこと教えてくれた』
礼司の言葉を反芻しながら、希美は目の前の定食を見つめた。
「目立つの、苦手なんだって」
「ああー、わかるわかる。そういう感じ!」
希美は苦笑し、また一口定食を口に運んだ。飲み込み、目を細める。
『意外なようで、でも言われると納得できる……』
幸せそうに、希美は人知れずくふくふ笑った。
『先輩の輪郭が濃くなっていくみたい』
大勢の人の中、希美は静かに喜びに浸る。向かいに座る由佳は、パスタのエビを食べるのに夢中になっていた。
礼司は一瞬上方に視線を向けた後、希美に目を戻す。
「あー、俺のハネも見る?」
「え!?」
希美は目を見開いた。
「いらない?」
「いる! 見たい! 見たいです!」
興奮した希美がぴょんぴょん跳ねる。礼司は気まずげに目をそらした。
「いやなんか、見せてって言っといて自分は見せないのかよって感じだから」
「それは全然気にしてないけど……見てみたいです」
「あーじゃあ」
礼司が口を開こうとしたその時、勢いよく音を立てて扉が開かれた。一人の男子生徒が立っている。礼司の友人の三崎裕翔だった。三崎はしかめっ面で吠える。
「速水! 遅い!」
「遅くねえ!」
「遅い!」
礼司は大きく音を立てて舌打ちした。バツが悪そうな表情で希美に向き直る。
「悪い。また今度でいいか?」
「あ、はい! なんかすみませんでした」
希美がぺこりと頭を下げる。礼司は控えめに片手を上げた。
「いや、ほんとに悪い。じゃまた」
「はい。お疲れ様です」
希美は先ほどよりも深く頭を下げた。礼司の背中が小さくなっていく。一人になった希美は、突然現れた三崎について考えていた。
『ちょっと由佳ちゃんみたいな人だったな』
希美の密かな笑いが風紀委員室に転がった。
翌日の1年A組教室。朝の澄んだ空気が漂っている。希美はいつものように机を挟んで由佳と話していた。由佳がぼやく。
「今日も一日が始まってしまう……」
「そうだね」
「全てがめんどくさい……」
希美がくすくすと笑う。由佳の言葉はどんなときも希美を笑顔にした。希美の脳裏にふと昨日の出来事がよぎった。おずおずと言葉を発する。
「あ、あのさ……」
「ん?」
由佳が希美の顔を見つめた。希美の視線は机に向かっている。
「前もちょっと話したんだけど……速水先輩って人のハネ、知ってる?」
「あー……前すれ違った人か。なに、気になるの?」
「いや、気になるってわけじゃ! あれ、気にはなってるのかな……」
希美はわたわたと挙動不審になった。最終的には天井の方を見上げて停止する。由佳は思い切り吹き出した。
「なにそれー」
「わかんない……」
希美は額の汗を手でぬぐう。由佳は考えるそぶりをした。
「んーでも、やっぱ聞かないな。便利らしい、ってだけ」
「そっか……ありがと。急にごめんね」
「でも大丈夫」
「ん?」
話の流れが変わる。希美は首を傾げた。由佳がビシッと希美に指をさす。
「我々には合同授業がある!」
「あ……今日だっけ」
「そ! その先輩のハネも見られるかも!」
「うん……! 由佳ちゃんありがとう。聞いてくれて」
パッと明るくなった希美の表情が由佳を照らす。
「いいよ! 由佳ちゃんになんでも聞きな!」
「ありがと。頼もしい」
「まーね!」
由佳は満足げに鼻を鳴らした。
第一グラウンドには普段の授業より更に大勢の生徒が集っていた。2学年合同で行われる能力開発授業。ハネの多様性故羽瑞学園では合同授業が多数カリキュラムされていた。隅で由佳と希美が話している。
「えーっと、かの人は……」
「あ、あそこ」
希美は控えめに指をさす。礼司はポケットに手を入れ、三崎と何事か話している。
「お、いるじゃんいるじゃん!」
「まあそりゃいるよね」
希美の冷静なツッコミが冴えた。構わずに由佳が続ける。
「ずっと見ときな!」
「自分が呼ばれてないときだけにするかな……」
「もー! おしとやかなんだから!」
「おしとやか……?」
希美が首を傾げるのと教師から号令がかかるのとは、ほとんど同時のことだった。
「じゃ! あとでね!」
「うん」
別の班での行動になっていた由佳が去っていく。一人になった希美は再び礼司を見つめた。
『どんなハネ、なんだろう』
丁度その時教師によって礼司の名前が読み上げられた。他に呼ばれた生徒と共に礼司が前に出る。
『あ』
数名の生徒同士が距離を置いて向かい合う形になっていた。教師から打ち合うよう合図が出る。礼司の影が実体を持って立ち上った。
『わ、わ』
礼司は対面している鋭い水のハネを全て影の盾や影の手ではじいていく。
『すごい……あれは、影のハネ?』
攻撃の速度も量も徐々に増えたが、礼司は顔色を変えず対応しきっていた。
『あれが……先輩の、ハネ』
間もなくして合図があるとハネを使うのをやめ、生徒たちはお互いに頭を下げた。駆け足で次の生徒達と交代していく。希美はしばらく呆然と礼司の背中を眺めていた。
上の空の希美をよそに、合同授業は問題なく終了した。
「少し早めだが、これにて本日の合同授業は終了とする。号令」
生徒代表の二年生の号令がかかる。礼をし、生徒たちは各々次の授業に向かうため解散した。礼司は大口を開けてあくびをする。駆け寄った希美が弾んだ声をかけた。
「速水先輩!」
「うわびっくりした。香坂か」
隣にいた三崎は礼司の肩を軽く叩いた。
「お、じゃあ俺先戻っとくな」
「あ? おう」
三崎はひらひらと手を振って去っていく。瞳をきらめかせた希美が残った。
「見ました、見ました!」
「ん、ん?」
状況を飲み込めず、礼司は首を傾げる。希美はその場でぴょんぴょんと跳ねた。
「先輩のハネ!」
「あー、はい」
「すごいです!」
「そうでもねえよ」
興奮している希美に対して礼司の返事は素っ気ないものだった。だが礼司の頬には微かに赤みがさしている。そのことに気付くものはいなかった。
「本当にすごかった。発表会に選ばれてもおかしくなかったんじゃないですか?」
「……目立つの苦手なんだよ」
礼司がきまり悪そうに答える。希美は目を輝かせた。
「選ばれてたんですか!?」
「候補に入っただけ。辞退しなくても落ちてたって」
「すごい……」
照れくさそうに礼司は頬をかく。
「ほんとにそんな大層なものじゃない。今日は良かったけど防御特化というか……攻撃するための力はほぼないんだ」
「へえー」
希美の相槌はどこか間延びしていた。
「他にも色々出来るけど、今日のはだいぶ派手なやつだよ」
「そうなんだ……でもすごいのは変わりないですよ」
「あんまり褒めんなよ。反応に困る」
「そんな! 先輩らしくて、素敵です!」
感動のまま、希美がにっこりと笑う。
「あー……ありがと」
礼司は口を覆いながら言葉を返す。礼司なりの照れ隠しに見えた。
「じゃあまあ気をつけて教室帰れよ」
「はい! 先輩もお気をつけて!」
礼司はのろのろと去っていく。歩き出しながらも、希美はしばらく礼司の背中を見つめていた。
昼時の大食堂は人でごった返している。それでも希美と由佳はここでの食事が好きだった。安さも栄養バランスが取れていることもあるが、何よりおいしいのだ。希美は日替わり定食を、由佳は好物のパスタを食べている。フォークを口に運ぶ合間に由佳が口を開いた。
「そういや合同授業! どうだった? 私授業の後まで河合先生に捕まってたから!」
「見られたよ。先輩のハネ」
「へえ! よかったじゃん!」
「うん」
希美の顔に微笑みが浮かぶ。
『見られただけじゃない。先輩……自分のこと教えてくれた』
礼司の言葉を反芻しながら、希美は目の前の定食を見つめた。
「目立つの、苦手なんだって」
「ああー、わかるわかる。そういう感じ!」
希美は苦笑し、また一口定食を口に運んだ。飲み込み、目を細める。
『意外なようで、でも言われると納得できる……』
幸せそうに、希美は人知れずくふくふ笑った。
『先輩の輪郭が濃くなっていくみたい』
大勢の人の中、希美は静かに喜びに浸る。向かいに座る由佳は、パスタのエビを食べるのに夢中になっていた。
