6月某日。羽瑞学園校舎には普段と違う装飾が施されていた。校舎の壁を覆うほどの大きな垂れ幕がかけられている。垂れ幕には「能力開発成長発表会」と太い字で書かれていた。
大講堂の前には大勢の人が集まっていた。制服を着た学生やスーツ姿の企業人など会場の雰囲気は固い。扉の前には簡素な長机が置かれている。そこに二人で座っているのが希美と礼司だった。希美は制服のボタンを第一ボタンまでとめている。礼司は第一ボタンのみ開けていた。受付に少しの間人が途切れた瞬間、礼司はポツリと呟く。
「窮屈だよな」
「え?」
「ボタン」
「ああ」
礼司は人差し指で襟に無理やり空間をあけた。希美は苦笑する。
『普段開けすぎなんじゃないかな……』
礼司のじとっとした視線が希美をとらえた。
「普段開けすぎなんだよ、って思ってる?」
「え、すごい。なんで分かったんですか?」
希美は目をパチパチさせる。
「顔に出てる」
「顔に……」
神妙な面持ちをしつつ、希美は自分の顔をむにむにと触った。礼司は思わず吹き出す。二人がじゃれている間にも、遠目にまた来客が見え始めた。
「人、多いですね」
「そうだな。何が楽しいんだか」
礼司は吐き捨てるように言う。聞いていた希美はくすくすと笑った。
「なんだよ」
「友達が同じようなこと言ってたので……」
「その友達が正しいだろ。めんどくせえ」
「ふふ」
希美はなんとなく気になって礼司のポケットを見た。来客が近づくと手を出して対応している。
『そりゃそうだよね』
礼司にバレないよう、希美は口元を隠して笑った。希美の密やかな笑みに気付く者は、そこにはいなかった。
定刻通りに発表の時間になると講堂の外はそれまでが嘘のように静かになった。希美がほっと息をつく。
「落ち着きましたね」
「そうだな」
礼司はあくびをした。ポケットには片手が突っ込まれている。
大講堂の中では様々なハネを持つ生徒が壇上に上がっていた。発表のたびに割れんばかりの拍手が上がる。
その音は講堂の前の希美たちの耳にも漏れ聞こえていた。希美たちの無関心をよそに、発表会はつつがなく執り行われていく。
能力開発成長発表会を無事終えてから数日後。1年A組教室ではすっかり普段の様子を取り戻した希美と由佳がいた。いつものように机を挟んで話している。
「発表会、やーっと終わったね」
「ね、大変だった」
「ほんとだよー! でも照明ブースは意外と楽しかったな」
由佳は思い出したように呟いた。希美が食いつく。
「へー! いいな」
「あんま入れるとこじゃないしね」
得意げな由佳の様子に、希美はなんだかおかしくなった。
「あんなに嫌がってたのに」
「それはそれこれはこれー」
希美と由佳は声を上げて笑いあう。ひとしきり笑うと、由佳は希美を覗き込んだ。
「ね、報告書はもう書いた?」
希美は机に視線を移す。
「大体書いたけど……わかんないところあって」
「え、もう書いたんだ! えらい!」
「ありがと」
ストレートな誉め言葉に希美は思わずはにかんだ。
「見ただけで訳わかんないもん。埋められてるだけえらい」
「複雑だよね。書き方も固いし」
「そうそう! 全然生徒のこと考えてないよ!」
「それはちょっと……わかんないけど」
苦笑しつつ、希美はちらりとスマホを見た。
『先輩、返信ないな』
見計らったように希美のスマホが光る。メッセージ通知だった。
『あ』
昼休みはどこでもにぎやかな雰囲気になる。二年A組教室も例外ではなかった。食事をとるもの、遊びに行くもの、様々な意図をもって生徒が出入りを繰り返している。ひょっこりと希美が顔を出した。
『二年生の教室だ……』
希美はきょろきょろと辺りを見回す。探していた人物……礼司はすぐに見つかった。同じく周囲を気にしていたらしい礼司と希美の目が合う。礼司は早足で歩いてきた。
「よお」
「こんにちは。すみませんお時間頂いて」
希美がぺこりと頭を下げる。
「いや、こっちこそ来てもらって悪かったな。次移動遠くて」
「いえ。来てもらってばかりは悪いので……」
礼司はふ、と微笑んだ。
「わからないところ以外にも、できれば書けてるとこが合ってるかも見てほしくて……」
「りょーかい。あー……思ったより量あるな。机……風紀委員室行っていいか?」
プリントを受け取った礼司は目線だけで外の風紀委員室を指す。
「あ、はい。先輩が良いなら私はどこでも。移動大丈夫ですか?」
「あっちは通り道だから大丈夫。ちょっと待っといて」
「はい」
自分の机に引き返した礼司は間もなく授業道具を手に戻ってきた。
「行こうぜ」
「はい。ありがとうございます」
「いいえ」
また礼司は薄く笑う。礼司と希美は並んで歩き始めた。
使用予定の入っていない風紀委員室はしんと静まっていた。電灯をつけると、希美と礼司は机を挟んで向かい合う形に座った。礼司の表情は硬い。
「去年と同じ形式っつっても、これ苦手なんだよな……」
「すみません……」
「いや、どうせ俺も書くんだからいいよ。仕事が早いな」
「すぐ何があったか忘れちゃうんです」
礼司は口元を手で覆う。大笑いしたいのをこらえているようだった。
『笑った……』
珍しい様子に希美は目をしばたたかせる。しかし礼司はすぐまた険しい顔になった。
「ほんとにこの学校の書類はなんつーか……不親切だよな」
言いながら礼司はポケットに片手をいれる。希美は小さく笑った。
「なに?」
「あ、えーっと……」
希美はきょろきょろした後、視線をポケットに向ける。礼司は希美の視線の行き先にすぐ気付いたようだった。
「あー、これ?」
礼司の手がポケットの中でパタパタと動かされる。
「すみません。じろじろ見たりして。ほんといつもしてるなって」
「いつもしてるか?」
「割と」
希美がくすくすと笑う。礼司は照れからか一瞬不服そうな顔をしたが、すぐに和やかな表情に戻った。
「これな、多分考え事してる時の癖なんだよ」
「考え事……」
「よくねーよな」
礼司がくしゃっと笑う。それを見た希美の時は止まってしまった。反応のなさが居心地悪いのか、礼司が困ったように続けた。
「なんか言えって」
「あ! あー、癖は誰にでもありますから!」
再起動した希美は勢いよく答える。
「まあそうか」
礼司はどうでもよさそうに話題を切り上げ、またプリントを見つめた。希美は自分の鼓動が早くなっていることに気付いた。だがそれがどうしてなのかは、わからなかった。
昼以降ずっとふわふわしたまま一日を過ごし、希美は自宅に帰ってきた。自室のベッドに寝転んで天井を見つめている。
「考え事してる時の、癖」
一人呟くと、部屋着のポケットに手を入れて目を伏せた。
目を開けた希美の前にはハネの幻想空間が広がっている。
『考え事してる時の……癖』
色とりどりの花が咲き、異空間はいつもより更に華やかになっていた。
『先輩が教えてくれた。自分のこと。自分の癖』
希美はぎゅっと胸の前で両手を握る。
『なんだかわかんないけど、すごく嬉しい……』
ゆっくりと目を伏せ、静かに微笑みを浮かべた。
『速水、先輩』
誰に干渉されることもない世界で、希美はしばらく目をつぶっていた。ただ安らかな満足感に身をゆだねていた。
大講堂の前には大勢の人が集まっていた。制服を着た学生やスーツ姿の企業人など会場の雰囲気は固い。扉の前には簡素な長机が置かれている。そこに二人で座っているのが希美と礼司だった。希美は制服のボタンを第一ボタンまでとめている。礼司は第一ボタンのみ開けていた。受付に少しの間人が途切れた瞬間、礼司はポツリと呟く。
「窮屈だよな」
「え?」
「ボタン」
「ああ」
礼司は人差し指で襟に無理やり空間をあけた。希美は苦笑する。
『普段開けすぎなんじゃないかな……』
礼司のじとっとした視線が希美をとらえた。
「普段開けすぎなんだよ、って思ってる?」
「え、すごい。なんで分かったんですか?」
希美は目をパチパチさせる。
「顔に出てる」
「顔に……」
神妙な面持ちをしつつ、希美は自分の顔をむにむにと触った。礼司は思わず吹き出す。二人がじゃれている間にも、遠目にまた来客が見え始めた。
「人、多いですね」
「そうだな。何が楽しいんだか」
礼司は吐き捨てるように言う。聞いていた希美はくすくすと笑った。
「なんだよ」
「友達が同じようなこと言ってたので……」
「その友達が正しいだろ。めんどくせえ」
「ふふ」
希美はなんとなく気になって礼司のポケットを見た。来客が近づくと手を出して対応している。
『そりゃそうだよね』
礼司にバレないよう、希美は口元を隠して笑った。希美の密やかな笑みに気付く者は、そこにはいなかった。
定刻通りに発表の時間になると講堂の外はそれまでが嘘のように静かになった。希美がほっと息をつく。
「落ち着きましたね」
「そうだな」
礼司はあくびをした。ポケットには片手が突っ込まれている。
大講堂の中では様々なハネを持つ生徒が壇上に上がっていた。発表のたびに割れんばかりの拍手が上がる。
その音は講堂の前の希美たちの耳にも漏れ聞こえていた。希美たちの無関心をよそに、発表会はつつがなく執り行われていく。
能力開発成長発表会を無事終えてから数日後。1年A組教室ではすっかり普段の様子を取り戻した希美と由佳がいた。いつものように机を挟んで話している。
「発表会、やーっと終わったね」
「ね、大変だった」
「ほんとだよー! でも照明ブースは意外と楽しかったな」
由佳は思い出したように呟いた。希美が食いつく。
「へー! いいな」
「あんま入れるとこじゃないしね」
得意げな由佳の様子に、希美はなんだかおかしくなった。
「あんなに嫌がってたのに」
「それはそれこれはこれー」
希美と由佳は声を上げて笑いあう。ひとしきり笑うと、由佳は希美を覗き込んだ。
「ね、報告書はもう書いた?」
希美は机に視線を移す。
「大体書いたけど……わかんないところあって」
「え、もう書いたんだ! えらい!」
「ありがと」
ストレートな誉め言葉に希美は思わずはにかんだ。
「見ただけで訳わかんないもん。埋められてるだけえらい」
「複雑だよね。書き方も固いし」
「そうそう! 全然生徒のこと考えてないよ!」
「それはちょっと……わかんないけど」
苦笑しつつ、希美はちらりとスマホを見た。
『先輩、返信ないな』
見計らったように希美のスマホが光る。メッセージ通知だった。
『あ』
昼休みはどこでもにぎやかな雰囲気になる。二年A組教室も例外ではなかった。食事をとるもの、遊びに行くもの、様々な意図をもって生徒が出入りを繰り返している。ひょっこりと希美が顔を出した。
『二年生の教室だ……』
希美はきょろきょろと辺りを見回す。探していた人物……礼司はすぐに見つかった。同じく周囲を気にしていたらしい礼司と希美の目が合う。礼司は早足で歩いてきた。
「よお」
「こんにちは。すみませんお時間頂いて」
希美がぺこりと頭を下げる。
「いや、こっちこそ来てもらって悪かったな。次移動遠くて」
「いえ。来てもらってばかりは悪いので……」
礼司はふ、と微笑んだ。
「わからないところ以外にも、できれば書けてるとこが合ってるかも見てほしくて……」
「りょーかい。あー……思ったより量あるな。机……風紀委員室行っていいか?」
プリントを受け取った礼司は目線だけで外の風紀委員室を指す。
「あ、はい。先輩が良いなら私はどこでも。移動大丈夫ですか?」
「あっちは通り道だから大丈夫。ちょっと待っといて」
「はい」
自分の机に引き返した礼司は間もなく授業道具を手に戻ってきた。
「行こうぜ」
「はい。ありがとうございます」
「いいえ」
また礼司は薄く笑う。礼司と希美は並んで歩き始めた。
使用予定の入っていない風紀委員室はしんと静まっていた。電灯をつけると、希美と礼司は机を挟んで向かい合う形に座った。礼司の表情は硬い。
「去年と同じ形式っつっても、これ苦手なんだよな……」
「すみません……」
「いや、どうせ俺も書くんだからいいよ。仕事が早いな」
「すぐ何があったか忘れちゃうんです」
礼司は口元を手で覆う。大笑いしたいのをこらえているようだった。
『笑った……』
珍しい様子に希美は目をしばたたかせる。しかし礼司はすぐまた険しい顔になった。
「ほんとにこの学校の書類はなんつーか……不親切だよな」
言いながら礼司はポケットに片手をいれる。希美は小さく笑った。
「なに?」
「あ、えーっと……」
希美はきょろきょろした後、視線をポケットに向ける。礼司は希美の視線の行き先にすぐ気付いたようだった。
「あー、これ?」
礼司の手がポケットの中でパタパタと動かされる。
「すみません。じろじろ見たりして。ほんといつもしてるなって」
「いつもしてるか?」
「割と」
希美がくすくすと笑う。礼司は照れからか一瞬不服そうな顔をしたが、すぐに和やかな表情に戻った。
「これな、多分考え事してる時の癖なんだよ」
「考え事……」
「よくねーよな」
礼司がくしゃっと笑う。それを見た希美の時は止まってしまった。反応のなさが居心地悪いのか、礼司が困ったように続けた。
「なんか言えって」
「あ! あー、癖は誰にでもありますから!」
再起動した希美は勢いよく答える。
「まあそうか」
礼司はどうでもよさそうに話題を切り上げ、またプリントを見つめた。希美は自分の鼓動が早くなっていることに気付いた。だがそれがどうしてなのかは、わからなかった。
昼以降ずっとふわふわしたまま一日を過ごし、希美は自宅に帰ってきた。自室のベッドに寝転んで天井を見つめている。
「考え事してる時の、癖」
一人呟くと、部屋着のポケットに手を入れて目を伏せた。
目を開けた希美の前にはハネの幻想空間が広がっている。
『考え事してる時の……癖』
色とりどりの花が咲き、異空間はいつもより更に華やかになっていた。
『先輩が教えてくれた。自分のこと。自分の癖』
希美はぎゅっと胸の前で両手を握る。
『なんだかわかんないけど、すごく嬉しい……』
ゆっくりと目を伏せ、静かに微笑みを浮かべた。
『速水、先輩』
誰に干渉されることもない世界で、希美はしばらく目をつぶっていた。ただ安らかな満足感に身をゆだねていた。
