きみのポケットに入ってた恋

 授業を全て終えた希美は、風紀委員室の前にいた。
 丁寧に扉を開けた希美の目に、一人の男子生徒が映った。窓際の席にだらりと座っている。希美の一つ上の先輩、速水礼司である。扉の音に気付いた礼司と希美の目が合った。希美は面食らいながらも挨拶を口にする。

「こ、こんにちは」
「こんにちは」

 そっけなく返し、礼司は目線を机に戻した。礼司の目線……机の上には彼の片手に握られたスマホがある。もう片方の手はズボンのポケットの中に入れられていた。希美はおずおずと扉を閉める。

『このひとは、なんだかちょっと怖い』

 ぶっきらぼうな態度に委縮しつつ、希美はちらりと礼司を盗み見た。

『いつもポケットに手、入れてるような……』

 希美の視線に気づいたのか、再び礼司が希美の方を向いた。

「なに?」
「あ、い、いえ。なにも!」

 ぶんぶん顔を横に振り、希美はぎこちなく笑う。礼司は一瞬怪訝そうな顔をしたものの、特に言及することなくすぐにスマホに目を戻した。
 間もなく始まった委員会会議はつつがなく行われ、希美も普段通りそれをこなした。



 校舎から門へと続く道には、静かに茜が差している。建物も人も、影が色濃くなる時間帯になっていた。希美と由佳は家への帰り道を歩いていく。由佳が首を傾げた。

「速水先輩?」
「うん」

 希美がこくりと頷く。由佳は考えるそぶりをしてみせた。

「あんまり聞かないなあ。有名なハネの人なら分かると思うんだけど」

 難しい顔をした後、由佳はまた首を傾げる。

「なんで?」
「え? えっと、なんでかな……」

 とっさに答えが出せず、希美も同じように首を傾げた。

「なにそれー」

 けたけたと笑う由佳の声が響く。希美もごまかすように微笑んだ。

『そういえば、なんでだろう……』

 どうして速水礼司のことを聞こうと思ったのか、希美には分からなかった。その間にも夕陽は落ち、夜になりかけていく。



 翌日の廊下にて。希美と由佳は教科書を持って歩いていた。移動教室である。丁度その時、希美達とは反対方向から礼司が歩いてきた。すれ違う際、希美は控えめに会釈をした。礼司も小さく会釈を返す。やや間を持たせた後、由佳が口を開いた。

「先輩?」
「うん。昨日の、速水先輩」
「そうなんだ」

 由佳はそっと後ろを振り向き、礼司の姿を確認する。

「あ、知ってる。あの人」
「え、ほんと?」
「うん。なんだったかな……すごく応用のきくハネだった気がする」
「便利なハネなんだ……」
「うーんでも、あんまり目立つ方じゃないというか。不思議だけど」
「目立つ方じゃない……」

 希美も後ろを振り向いた。礼司の背中は遠のいて小さくなっている。礼司の片手は、昨日と同じくポケットに入れられていた。

『また……』

 理由は分からないが、希美は礼司のポケットに興味を持っていた。ふいに礼司が振り向く。礼司と希美の視線がかち合った。

『あっ』

 希美は慌てて目をそらす。対する礼司は、どうでもよさそうに目線を前に戻した。小さく後ろを盗み見る希美の目が、礼司の後姿をとらえる。それはどんどん小さくなっていった。希美はほっと胸をなで下ろした。



 間もなくたどり着いた教室で、希美は授業を受けている。
 窓際の席に座り、希美は教師の話を聞いていた。なんともなしに希美は窓の外を見る。グラウンドでは体育の授業が行われていた。

『あ』

 生徒の一人が希美の目にとまる。礼司だった。

『速水、先輩』

 人目も気にせずあくびをする礼司の姿が、希美の瞳に映る。堂々とした大口に、希美は思わず頬をゆるめた。

『先輩、便利なハネなんだ……』

 希美はトラックを走り出す礼司を目で追っていく。

『どんなハネ、なんだろう』

 走り終えた礼司は、息を整えるとポケットに片手をいれた。

『あ……』

 じっと、希美は礼司の全身を見つめる。

「癖なのかな……」

 希美はその一言を思わず口に出していた。ハッとしてそっと辺りを見回したが、希美の独り言に誰かが気付いた様子はない。安心が希美を満たした。訳の分からない言葉は誰に聞かれることもなかったのだと。ほっと息をつき、希美は授業に戻っていった。