きみのポケットに入ってた恋

 希美はふわふわした心地のまま風紀委員室から1年A組の教室へと戻ってきた。由佳は希美の机の側に立っていた。由佳の声が希美の鼓膜を揺らす。

「希美ー! どこ行ってたの?」

 希美は安心感に泣きそうになった。

「由佳ちゃーん!」

 倒れこむように由佳に抱きつく。

「おお、どうしたどうした」
「詳細は言えないけどこの世は世知辛いよ……」
「ほんとにどうした?」

 由佳の声はキョトンとしていた。希美は腕を解いてすがるように由佳を見上げる。

「嫌なことがこれからあって、どうしても回避できないときってどうしたらいいのかな?」
「ん、んー」

 由佳は考えるそぶりをした。

「心を無にする……」
「やっぱりそうかなあ」
「そのために」
「?」

 希美は首を傾げる。由佳がニッと笑った。

「ちょっと良いお菓子を食べる。食事でも可」
「えー」

 言葉とは裏腹に希美の頬はゆるんでいる。由佳は得意げに続けた。

「これはほんとだよ!」
「うん……たしかにそうかも。そうかもね」

 由佳から体を完全にはがし、希美は姿勢を正す。今度は由佳が首を傾げた。

「希美なにか嫌なことあるの?」
「ん、んーまあ……そんな感じ」
『ほんとは私じゃないけど……』

 希美は曖昧に微笑む。由佳はまた元気よく歯を見せた。

「よくわかんないけどすぐ終わるよ! 秒!」
「そうだよね。ありがとう!」

 希美と由佳が微笑みあう。二人の間には温かな空気が流れていた。

『そういえば今日チョコ渡しそびれちゃったし、丁度いいかも』

 希美は両手を胸の前で拳にする。希美の放課後の予定が決定した瞬間だった。



 学園と希美の家との動線上……ターミナル駅の付近にその百貨店は立っている。派手さはないが品のいい複合店だった。希美は由佳と別れて一人そこの地下にいた。高級チョコレートやクッキーに囲まれ、希美はどこか場違いな自分を感じていた。

『バレンタインぐらいでしか買ったことない……』

 洋菓子だけでなく和菓子を置いている店舗もある。様々なお菓子が所狭しと並んでいた。

『先輩の好きなもの、聞いとけばよかったかも……』

 希美はうろうろと悩んでいた。そんな希美の背後から声がかけられる。

「香坂さん?」
「わあ!」

 驚いて振り向いた希美の目に、同じく少しだけ驚いた様子の紗耶香が映った。

「ごめんね、驚かせちゃった」
「い、いや……」
「不思議なところで会ったね」
「う、うん。河嶋さんも、贈り物?」
「まあ、そんな感じ」

 紗耶香はそこで一拍、間を置いた。

「好きな人に餌付け、しようかと思って」

 希美の喉がごくりと音を立てる。

「そ、そうなんだ」
『河嶋さんと話すと、なんかどきどきしちゃうな……』

 希美は思わず目を泳がせた。

「もしかして、香坂さんも?」

 紗耶香がいたずらっぽく笑う。希美はぶんぶん首を横に振った。

「い、いや! 私はそんな! あの! 事情が複雑というか!」
「冗談」
「はは……」

 紗耶香にからかわれたことに気付き、希美は照れるまま頬をかいた。紗耶香がにっこりと笑う。

「お互い喜んでもらえると良いね」
「うん、そうだね」

 希美と紗耶香の微笑みが宙で重なった。恋という一点の共通点があるのみだったが、二人にはそれで十分すぎるほど通じ合う理由になっていた。



 翌日、朝の教室。希美はブランドチョコレートを鞄に忍ばせていた。

『渡しに行くって、いつメッセージ入れようかな……』

 そわそわしている希美を尻目に、定刻通りホームルームが始まる。1年A組担任教師は渋い顔をしていた。

「今日はちょっと一つ伝えないといけないことがある」

 希美は自席で首を傾げる。

「昨日、風紀委員室の窓ガラスが割られてるのが見つかった」

 聞きながら、希美は目を見開いた。良く知る特別教室に対する、聞き慣れない話題だ。

「単なるいたずらだとは思うが……学校の備品はただじゃないからな! 丁寧に扱うように! 以上」

 衝撃に希美の頭はぼんやりしていた。担任は淡々と続ける。

「風紀委員誰だったっけ」
「あ、はい」

 我に返り、希美は小さく手を上げた。

「一応軽い聞き取りがあるみたいだから、呼ばれたら来なさい。あと放課後は臨時風紀委員会も行うと」
「はい。わかりました……」

 希美は目をパチパチさせ、呆然と返事をする。突然のことに希美の理解は追い付かなかったが、ホームルームは粛々と進んでいった。