きみのポケットに入ってた恋

 希美が肩にかけている指定鞄には礼司からのクッキーが大切にしまわれている。校舎から門に続く道には、下校する生徒たちが多く歩いていた。希美と由佳も並んで歩いている。

「今日も一日がんばったな。私えらい!」
「うん」

 希美の相槌は生返事だった。どこか上の空な希美を、由佳が覗き込む。

「希美」
「うん?」

 冷静に名を呼ばれ、希美は慌てて笑顔をつくった。

「どうしたのー? やっぱりなんか変」

 由佳は不満そうに問いかける。希美はきゅっと唇を噛んだ。

『由佳ちゃんには、聞いてほしいって思ったのに……先輩のこと、全然言えないまま放課後になってしまった……』
「体調でも悪いの?」
「そ、それはない! 元気!」

 希美が勢いよく答える。

「ふーん。ならいいかあ」

 言いながら由佳は伸びをした。カラッとした性格の由佳は本当にそれだけでいいと思っているし詮索もしない……そのことを希美はよく知っていた。希美はもごもごと口を動かしたが、言葉は出てこない。その時、由佳が予備動作なく希美の手を握った。

「あ」

 驚く希美を見た由佳はニッと笑う。

「もっと元気にしてやろう」

 由佳はぶんぶんと繋いだ手を揺らした。希美の胸は様々な想いでいっぱいになった。ぎゅっと唇を噛みしめる。希美は意を決して口を開いた。

「ゆ、由佳ちゃん。あのね」
「ん?」
「き、聞いてほしいことがあって。由佳ちゃんにだけは聞いてほしくて。一番に聞いてほしくて……」
「なになに? 聞くよー」

 由佳は無邪気に答える。希美は一拍置き、ごくりと唾を飲み込んだ。

「す、好きな人が出来ました」

 一瞬ぽかんとした後、由佳はきらきらに目を輝かせる。

「えー! いいじゃん! 誰? 私の知ってる人?」
「あの……前ちょっと話した……」
「飯田!?」
「違う!」

 希美が全力で否定した。由佳はとぼけた様子で記憶を巡っている。

「違うのか……私と話した人? そんな人いた?」
「あの、風紀委員の……速水先輩」

 その名前を口にする度、希美の頬には赤みがさした。

「あー! 絶対そうだと思ったんだよね!」
「思いつかなかったじゃん!」

 希美は照れをごまかすように突っ込む。由佳は明るく微笑んだ。

「いいじゃん! 上手くいくよ! 応援してる!」
「ありがとう……嬉しい。今日ね、お菓子ももらったの」

 希美と由佳は手を繋いで歩いていく。二人の影が夕暮れに仲良く揺れていた。



 数日後のある日。希美は朝の図書室で本を探していた。本棚を歩き気になるタイトルを手に取り、パラパラとめくっては戻す。それをしばらく繰り返していた。また本を戻して顔を上げた時、よく知る人らしき後姿を見かけた。

『速水先輩?』

 希美は思わずその背中を追いかける。角からそっと様子をのぞいた。そこにいたのはたしかに礼司だった。

『やっぱり速水先輩だ』

 一瞬頬をゆるませたが、希美はすぐに異変に気付く。礼司の眉間には深いしわが刻まれ、口元もへの字に下がっていた。

『先輩なんか……怒ってる? こんな顔見たことない……』

 礼司は棚の本を睨んでいたが、ややあって希美の方に歩きだした。希美はとっさに姿を隠す。

『なんで隠れてるの……挨拶すればいいのに』

 自分の行動を脳内で反省しつつ、希美は礼司の険しい顔を思い返した。

『気のせい? 何かあったのかな……』

 希美は人の気配がなくなる頃合いを見て、礼司のいた辺りに歩いていく。棚にはハネに関する研究本などが置かれていた。

『ハネ? たまたま見てただけ? うーん……』

 目を伏せて考え込む。しかし特に目ぼしい答えは出てこなかった。希美は瞼を開ける。

『先輩には、元気でいてほしい』

 希美の願いは図書室の静謐な空気に溶けていった。



 希美はその後もいつも通り授業をこなし、休み時間には由佳とじゃれた。午前も半ばに差し掛かった頃、希美と由佳は移動教室で廊下を歩いていた。希美の目に礼司が反対側から歩いてくるのが映りこむ。教室の位置関係から時折そうなるようだった。すれ違うのを見計らって希美はぺこりと頭を下げる。

「先輩、こんにちは」
「ああ、こんにちは」

 希美を見とめた礼司が微笑む。ただ、普段と違ってどこか覇気がなかった。その様子がなんとなく気にかかり、希美は通り過ぎた後も確かめるように後ろを振り向く。

「よかったね! 会えて挨拶もできた!」

 由佳に声をかけられ、希美はビクッと体を強張らせた。

「あ、ああ……うん。ほんとに。よかった」

 由佳に微笑みを返す。笑顔をつくりつつ、希美の心はざわめいていた。

『多分だけど、気のせいじゃない……先輩、元気なかった』

 希美は少しだけ目を伏せた。正直な想いが意図せず希美の口から零れ落ちる。

「どうしたんだろう……」
「希美?」
「あ、あ、ごめん! 行こ!」

 首を傾げた由佳に笑いかけ、希美は歩き出す。懸念があっても時間は止まらない。休み時間のうちに移動を終わらせるべく、希美は足を動かした。



 1年A組教室、昼休み。由佳は補習関係の用事で外していた。希美はスマホを凝視する。

『なにかあったんですか、はおかしいかな。元気でないときってありますよね、もいきなりすぎる気がする……』

 希美は文面に迷い、考え込む。しばらく脳内で唸った後、希美はパッと目を開いた。

『……よし』

 希美がおもむろに立ち上がる。勢いのある動きだったが昼時は騒がしく、希美の行動は誰の気にとまることもなかったようだった。



 目的地は二年A組の教室。迷うことなくたどり着いた希美は、そっと部屋の中をのぞいた。キョロキョロと礼司を探すが、その姿は見当たらない。

『いない……』

 希美の口からため息がもれる。

『なにしてるんだろ……』

 希美はとぼとぼと踵を返す。ふと顔を上げると、廊下の隅を歩いている探し人が目に入った。

「あっ」

 見失わないよう、希美はパタパタとその背を追いかける。



 特別棟に向かう廊下の端の曲がり角に、礼司はいた。場所の性質上人通りはほとんどない。礼司はスマホを耳に当て、誰かと通話しているようだった。希美は角からそっと様子を見る。

『電話、してる……?』

 希美に通話相手の声はもちろん聞こえてこない。

「はい。分かってます」

 礼司が言いながら虚空に頷いた。

「大丈夫ですよ。俺はあの人とは違う。犯罪なんかしない」
『はんっ……!?』

 希美は限界まで目を見開く。礼司は笑顔を浮かべているが、目も笑っていないしどこか無理をしている雰囲気が見て取れた。心配そうに礼司を見つめ、希美は胸元を握る。強く握られたブラウスはしわになってしまっていた。