私の羽が、あなたのポケットの中に触れる……きっかけになればいいと。
私立羽瑞学園。正面からは大きく先進的な校舎群が目に入ってくる。存在感のある黒い正門には羽瑞学園の表札がかけられている。
この羽瑞学園は、全国に複数個所設置されている、超能力発現者の保護と健全な育成を目的とした教育機関である。超能力……一定個人に発現する、様々な能力。最初に能力が発現した者にならって、一般的にはこの能力のことを「ハネ」と呼称していた。
羽瑞学園一年A組教室では、生徒たちが授業を受けていた。黒板の前で教師が書き物をしながら口も動かしている。香坂《こうさか》希美《きみ》は、窓際真ん中の席でぼんやりその話を聞いていた。新一年生の高揚感も薄れ、授業にも慣れ始めた頃の空気が教室には流れている。希美はおもむろに窓に目を向けた。数回瞬きしてから目を閉じ、希美はスカートのポケットに手を入れる。
希美はゆっくりとまぶたを開ける。途端に、希美の目の前に幻想世界が広がった。ポケットの中の異空間。それを作り出すこと。それが希美の、ハネだった。
水色やラベンダー色や薄桃色……空も草原も水辺も、みんなパステルカラーに彩られている。どこまで行っても何にも阻まれることがない……境界線のない景色だった。いつも通りそこにある空間を眺め、希美はふわりと微笑む。ユニコーンやタキシードを着たウサギなどメルヘンなものが、次々に希美のまなこに映されてはフレームアウトしていった。
『私の能力《ハネ》は、派手さがない』
希美は辺りをぐるりと見回す。
『強くもなければ、多分人の役にもたたない』
希美の足元を、静かで柔らかい風が吹き抜けた。
『でも私は』
希美はまた、そっと目を閉じる。
『このハネのこと嫌いじゃない』
人知れない小さな逃避を終え、希美は授業へと戻っていった。
チャイムの音と共に一年A組教室には休み時間が訪れた。
とたんに室内は雑然としだす。わいわいと賑やかな空間の中、希美は机を挟んで桜井由佳と話していた。由佳は教科書を確認しながら言葉を発す。
「次能力開発だよ」
「うん」
頷き、希美も机の中から必要なものを取り出していった。その様子を見た由佳は、ふと思いついたようにたずねた。
「あれ、希美のハネってなんだっけ」
希美は少しだけぎくりとしたが、気取られないよう微笑みをつくる。
「えっと……」
小さく言い淀んだ後、同じくぽそぽそとした調子で希美は声に出した。
「ポケットの中に異空間がつくれる……」
希美は緊張していた。あまり役に立たないものであることは分かっていたが、面と向かってそれを指摘されるのはどうにもつらい。由佳の朗らかな声が希美の鼓膜を揺らした。
「あー、そうだった! いいよね。私好き」
「へへ……ありがとう」
由佳は若干デリカシーに欠けるところがあるものの、本質的にはとても心の優しい少女である。希美はそれをとてもよく知っていた。中学校からの友人、同時期にハネが発現したこともあり、二人の心の繋がりは深いものがあった。それでも緊張したのは、ハネというアイデンティティの深い部分に触れる事柄故だろう。こと全員がハネを持つこの学園において、ハネが持つ意味は広く大きかった。
希美はふいに自分の異空間……幻想空間のことを考えた。自分がそこにいる空想を。
「希美?」
「え? あ、ごめん……」
話の途中で希美がぼうっとしたことを、由佳は笑って責めなかった。昔からよくあることだったのだ。
能力開発の授業を受けるため、希美を含めた1年A組の生徒たちは第一グラウンドにいた。皆体操着に着替えて集っている。数名の生徒が前に出て、炎や氷の弾を用意された的に当てていた。端に座った希美と由佳は、その様子を静かに見つめている。由佳が感心のままに口を開いた。
「すごいねー!」
「うん……すごい」
希美も心からの同意を返す。由佳はさらに続けた。
「ああいう派手なハネの人は良いよねー。警察とかー、ハネ機構みたいな公機関だけじゃなくて創作系もいけそう」
「たしかに……」
地面を縦横無尽にかける生徒達をぼんやりと二人は目で追う。
ハネ機構とは能力……ハネを持つ者のみで構成された治安維持機構のことだ。ハネを悪用する犯罪者達に対抗するべく警察組織の一部から独立した。ハネを持つ者にとって花形的な位置づけになっており、志願者も多かった。
「あたしもああいうのが良かったなー」
由佳はグラウンドで活躍する生徒たちにうらやむような視線を向ける。
「由佳ちゃんのだってすごいのに……風のハネ」
「でも全然はやくないんだもん」
むくれる由佳を見て、希美の頬は思わずゆるんだ。由佳のハネを希美は心から尊敬している。それを口に出すことが無くても、由佳の心には確かに伝わっている気がした。
授業を終えた希美と由佳は更衣室にいた。充分な広さを持つ、清潔な更衣室だ。希美と由佳を含む女子生徒たちは体操着を脱ぎ、制服へと着替えている。半ズボンを脱いだ由佳は呟くように口を開いた。
「やっと終わったねー」
「でもこのあと委員会あるよ」
「えー!」
抗議のような声を上げる由佳を見つめ、希美はおかしそうに口元を覆った。
「そうだったー……」
「すぐ終わるって」
「うあー」
希美はまた吹き出す。由佳のうめき声はまだ空中に浮かんでいるようだった。はたと由佳は首を傾げる。
「希美はどこだっけ? 委員会」
「風紀」
ブラウスのボタンを順番にとめながら、希美は答えを返した。
「めんどいとこじゃーん」
うなだれた由佳を見て希美は苦笑する。
「なんで由佳ちゃんが困ってるの。それにそんなにめんどくないよ」
「想像するだけでめんどい」
ひどい言い草に希美は笑うしかない。由佳より一足先に着替え終わった希美は、静かに制服を整えた。
「由佳ちゃんは美化だっけ」
「そう。めんどい」
「全部めんどいんじゃん!」
希美のツッコミが更衣室の一画を裂く。続いて笑いあう希美と由佳の声が睦まじく響いていた。
私立羽瑞学園。正面からは大きく先進的な校舎群が目に入ってくる。存在感のある黒い正門には羽瑞学園の表札がかけられている。
この羽瑞学園は、全国に複数個所設置されている、超能力発現者の保護と健全な育成を目的とした教育機関である。超能力……一定個人に発現する、様々な能力。最初に能力が発現した者にならって、一般的にはこの能力のことを「ハネ」と呼称していた。
羽瑞学園一年A組教室では、生徒たちが授業を受けていた。黒板の前で教師が書き物をしながら口も動かしている。香坂《こうさか》希美《きみ》は、窓際真ん中の席でぼんやりその話を聞いていた。新一年生の高揚感も薄れ、授業にも慣れ始めた頃の空気が教室には流れている。希美はおもむろに窓に目を向けた。数回瞬きしてから目を閉じ、希美はスカートのポケットに手を入れる。
希美はゆっくりとまぶたを開ける。途端に、希美の目の前に幻想世界が広がった。ポケットの中の異空間。それを作り出すこと。それが希美の、ハネだった。
水色やラベンダー色や薄桃色……空も草原も水辺も、みんなパステルカラーに彩られている。どこまで行っても何にも阻まれることがない……境界線のない景色だった。いつも通りそこにある空間を眺め、希美はふわりと微笑む。ユニコーンやタキシードを着たウサギなどメルヘンなものが、次々に希美のまなこに映されてはフレームアウトしていった。
『私の能力《ハネ》は、派手さがない』
希美は辺りをぐるりと見回す。
『強くもなければ、多分人の役にもたたない』
希美の足元を、静かで柔らかい風が吹き抜けた。
『でも私は』
希美はまた、そっと目を閉じる。
『このハネのこと嫌いじゃない』
人知れない小さな逃避を終え、希美は授業へと戻っていった。
チャイムの音と共に一年A組教室には休み時間が訪れた。
とたんに室内は雑然としだす。わいわいと賑やかな空間の中、希美は机を挟んで桜井由佳と話していた。由佳は教科書を確認しながら言葉を発す。
「次能力開発だよ」
「うん」
頷き、希美も机の中から必要なものを取り出していった。その様子を見た由佳は、ふと思いついたようにたずねた。
「あれ、希美のハネってなんだっけ」
希美は少しだけぎくりとしたが、気取られないよう微笑みをつくる。
「えっと……」
小さく言い淀んだ後、同じくぽそぽそとした調子で希美は声に出した。
「ポケットの中に異空間がつくれる……」
希美は緊張していた。あまり役に立たないものであることは分かっていたが、面と向かってそれを指摘されるのはどうにもつらい。由佳の朗らかな声が希美の鼓膜を揺らした。
「あー、そうだった! いいよね。私好き」
「へへ……ありがとう」
由佳は若干デリカシーに欠けるところがあるものの、本質的にはとても心の優しい少女である。希美はそれをとてもよく知っていた。中学校からの友人、同時期にハネが発現したこともあり、二人の心の繋がりは深いものがあった。それでも緊張したのは、ハネというアイデンティティの深い部分に触れる事柄故だろう。こと全員がハネを持つこの学園において、ハネが持つ意味は広く大きかった。
希美はふいに自分の異空間……幻想空間のことを考えた。自分がそこにいる空想を。
「希美?」
「え? あ、ごめん……」
話の途中で希美がぼうっとしたことを、由佳は笑って責めなかった。昔からよくあることだったのだ。
能力開発の授業を受けるため、希美を含めた1年A組の生徒たちは第一グラウンドにいた。皆体操着に着替えて集っている。数名の生徒が前に出て、炎や氷の弾を用意された的に当てていた。端に座った希美と由佳は、その様子を静かに見つめている。由佳が感心のままに口を開いた。
「すごいねー!」
「うん……すごい」
希美も心からの同意を返す。由佳はさらに続けた。
「ああいう派手なハネの人は良いよねー。警察とかー、ハネ機構みたいな公機関だけじゃなくて創作系もいけそう」
「たしかに……」
地面を縦横無尽にかける生徒達をぼんやりと二人は目で追う。
ハネ機構とは能力……ハネを持つ者のみで構成された治安維持機構のことだ。ハネを悪用する犯罪者達に対抗するべく警察組織の一部から独立した。ハネを持つ者にとって花形的な位置づけになっており、志願者も多かった。
「あたしもああいうのが良かったなー」
由佳はグラウンドで活躍する生徒たちにうらやむような視線を向ける。
「由佳ちゃんのだってすごいのに……風のハネ」
「でも全然はやくないんだもん」
むくれる由佳を見て、希美の頬は思わずゆるんだ。由佳のハネを希美は心から尊敬している。それを口に出すことが無くても、由佳の心には確かに伝わっている気がした。
授業を終えた希美と由佳は更衣室にいた。充分な広さを持つ、清潔な更衣室だ。希美と由佳を含む女子生徒たちは体操着を脱ぎ、制服へと着替えている。半ズボンを脱いだ由佳は呟くように口を開いた。
「やっと終わったねー」
「でもこのあと委員会あるよ」
「えー!」
抗議のような声を上げる由佳を見つめ、希美はおかしそうに口元を覆った。
「そうだったー……」
「すぐ終わるって」
「うあー」
希美はまた吹き出す。由佳のうめき声はまだ空中に浮かんでいるようだった。はたと由佳は首を傾げる。
「希美はどこだっけ? 委員会」
「風紀」
ブラウスのボタンを順番にとめながら、希美は答えを返した。
「めんどいとこじゃーん」
うなだれた由佳を見て希美は苦笑する。
「なんで由佳ちゃんが困ってるの。それにそんなにめんどくないよ」
「想像するだけでめんどい」
ひどい言い草に希美は笑うしかない。由佳より一足先に着替え終わった希美は、静かに制服を整えた。
「由佳ちゃんは美化だっけ」
「そう。めんどい」
「全部めんどいんじゃん!」
希美のツッコミが更衣室の一画を裂く。続いて笑いあう希美と由佳の声が睦まじく響いていた。
