零班は落第寸前!――名門男子校は秘密のスパイ養成学校でした――

俺は机の上の黒い封筒から目を離さなかった。

「なんでですか」

真砂先輩は黙った。

「なんで、それを外に渡そうとしてるんですか」

真砂先輩の顔から、きれいな模範生の表情が少しだけ剥がれた。

「俺には兄がいた」

その一言で、部屋の空気が変わった。

「高等部で、特別進級者に選ばれた」

「特別進級……?」

俺が聞き返すと、九条が短く答えた。

「成績と適性が極端に高い者だけが、通常課程から別枠に回される制度だ。選ばれるのは栄誉なことだと言われている」

「表向きは、ね」

真砂先輩が静かに言った。

「兄は全校の前で祝われた。その三日後に消えた」

白鷺が口を閉じた。

火村も、今度は茶化さなかった。

「寮の部屋は空。荷物もない。教官は『特別進級者は別の場所で授業をしている』としか言わない。家族への説明も、『履修内容秘匿の都合で連絡制限がある』の一文だけ。手紙も、面会も、その後一度もない」

真砂先輩の声は荒れていなかった。むしろ静かすぎた。

「校内の記録を調べたら、兄の名前は消されていた。写真も、名簿も、話題も。まるで最初からいなかったみたいに」

俺は何も言えなかった。

喉の奥に、嫌なものが引っかかった。

「だから模範生をやった」

真砂先輩は自分の胸の生徒会章に目を落とした。

「規則を守り、評価を稼ぎ、鍵のある部屋に入れる位置まで上がった。そうしたら見えたよ。この学園が、何を隠しているか」

机の上の黒い封筒に、指先が触れる。

「兄を返さないなら、せめて隠しているものを外に出す」

真砂先輩は俺たちを見た。

「この学校が、ただの全寮制の名門校ではないと、外に知られればいい」

「だからって!」

思わず俺は声を上げていた。

「だからって、地下の見取り図とか暗号表とか、外に渡していい理由にはならないだろ!」

「なら、どうする」

真砂先輩の声は低かった。

「黙って待てと?兄が消えた理由も知らされず、学園の都合だけ信じて?」

「それは――」

言葉が詰まった。

詰まった俺の代わりみたいに、九条が言った。

「暴いても、兄が戻る保証はない」

「何もしなければ、このまま永遠に分からない」

真砂先輩は即答した。

その返しが、あまりに迷いなくて、俺は余計に嫌だった。

分からないままにされたやつの言葉だった。

「それでも止める」

俺は言った。

うまい言い方はできなかったけど、それしかなかった。

「先輩の兄さんのことは、たしかに変だと思う。でも、だからって外に渡したら、今学園にいる生徒まで危なくなると思う」

真砂先輩の目が、ほんの少しだけ揺れた。

「まっすぐだな、有馬直」

「回りくどいの苦手なんで」

「知っている。君は顔に全部出る」

「先輩まで言うのかよ」

白鷺が横でぼそっと言った。

「有名だねえ」

「うるさい」

その一瞬だった。

真砂先輩の右手が、机の横の壁へ伸びた。

かち、と小さな音。

次の瞬間、通信室の灯りが一斉に落ちた。