校長室前の回廊は、朝なのに妙に張りつめていた。濃い色の絨毯、壁に並ぶ歴代校長の肖像画、真鍮の取っ手がついた重そうな扉。時計の針だけが、こつ、こつ、と小さく鳴っていた。
篠宮教官は、俺たちが並ぶと同時に言った。
「最初の実技を始める。五分間、私語禁止。姿勢を崩すな。目だけ使え。以上」
白鷺がうさんくさそうに手を挙げた。
「説明が短すぎて不安なんですが」
「不安で結構だ」
「優しくないなあ」
「白鷺、今ので七秒失った」
「うわ、ちゃんと数えてる」
篠宮教官が壁際に下がると、本当にそれだけだった。
俺たちは黙って立った。最初の一分は、ただ寒かった。次の一分で、暇になった。三分目から、逆にいろいろ気になり始めた。
絨毯の端が少しだけめくれている。右から二番目の肖像画だけ額縁が新しい。窓の留め金は閉まってるけど、下の木枠に細い擦り傷がある。扉の下のすき間から、かすかに紙の匂いがした。
そのとき、校長室の扉が一瞬だけ開いた。
中から事務員らしい男の人が出てきて、すぐ閉まる。見えたのは奥の机の角と、机の上に置かれた真っ赤な封筒だけだった。
俺は思わず目を止めた。
横を、二年の秋月先輩が通った。昨日と同じで姿勢がきれいで、片手に書類を抱えている。軽く会釈だけして、そのまま音もなく角を曲がっていった。ほんとに音がしない。人ってあんな歩き方できるのか。
五分後、篠宮教官が言った。
「答えろ。今ここで何を見た」
九条の手がいちばん早かった。
「通行人は三名。事務員、二年A班の秋月柊真先輩、用務員。用務員の台車は行きと帰りで雑巾の位置が逆、時計の分針は四分進み、左窓のカーテンは一度だけ揺れました」
「よく見てるな」
白鷺がうへえって顔をした。
「ちょっと怖いよね、九条って」
「お前に言われたくない」
火村はすっと手を挙げた。
「扉の鍵、外から見た感じだと旧式のシリンダーじゃなくて二重構造でした。あと廊下の端の消火器、箱だけ新しい」
「鍵を見てどうする」
「気になるだろ!」
「ならない」
大河内は少し考えてから言った。
「……秋月先輩、右手。書類、重いふり」
篠宮教官の眉がわずかに動いた。
「理由は」
「腕、力入ってなかった」
「なるほど」
俺も口を開いた。
「事務員の人が持ってた封筒、中身はたぶんありません」
四人がいっせいにこっちを見た。
「なんでわかるの」
白鷺が言った。
「封筒から中身が透けて見えなかった。持ち替えたときの音も軽かった」
九条が少しだけ目を細めた。
「耳まで使ったのか」
「使えるものは使うだろ」
「有馬、意外とちゃんと見てるんだね」
「意外って何だよ」
篠宮教官は淡々と言った。
「観察は、眺めることではない。違和感を拾うことだ。次からは記憶しろ。流すな」
そこでやっと解散になったけど、俺は校長室の扉をちらっと見た。さっき一瞬だけ見えた赤い封筒が、妙に頭に残っていた。
でも、そのときはまだ、あとでそれが面倒の種になるなんて思ってもいなかった。
篠宮教官は、俺たちが並ぶと同時に言った。
「最初の実技を始める。五分間、私語禁止。姿勢を崩すな。目だけ使え。以上」
白鷺がうさんくさそうに手を挙げた。
「説明が短すぎて不安なんですが」
「不安で結構だ」
「優しくないなあ」
「白鷺、今ので七秒失った」
「うわ、ちゃんと数えてる」
篠宮教官が壁際に下がると、本当にそれだけだった。
俺たちは黙って立った。最初の一分は、ただ寒かった。次の一分で、暇になった。三分目から、逆にいろいろ気になり始めた。
絨毯の端が少しだけめくれている。右から二番目の肖像画だけ額縁が新しい。窓の留め金は閉まってるけど、下の木枠に細い擦り傷がある。扉の下のすき間から、かすかに紙の匂いがした。
そのとき、校長室の扉が一瞬だけ開いた。
中から事務員らしい男の人が出てきて、すぐ閉まる。見えたのは奥の机の角と、机の上に置かれた真っ赤な封筒だけだった。
俺は思わず目を止めた。
横を、二年の秋月先輩が通った。昨日と同じで姿勢がきれいで、片手に書類を抱えている。軽く会釈だけして、そのまま音もなく角を曲がっていった。ほんとに音がしない。人ってあんな歩き方できるのか。
五分後、篠宮教官が言った。
「答えろ。今ここで何を見た」
九条の手がいちばん早かった。
「通行人は三名。事務員、二年A班の秋月柊真先輩、用務員。用務員の台車は行きと帰りで雑巾の位置が逆、時計の分針は四分進み、左窓のカーテンは一度だけ揺れました」
「よく見てるな」
白鷺がうへえって顔をした。
「ちょっと怖いよね、九条って」
「お前に言われたくない」
火村はすっと手を挙げた。
「扉の鍵、外から見た感じだと旧式のシリンダーじゃなくて二重構造でした。あと廊下の端の消火器、箱だけ新しい」
「鍵を見てどうする」
「気になるだろ!」
「ならない」
大河内は少し考えてから言った。
「……秋月先輩、右手。書類、重いふり」
篠宮教官の眉がわずかに動いた。
「理由は」
「腕、力入ってなかった」
「なるほど」
俺も口を開いた。
「事務員の人が持ってた封筒、中身はたぶんありません」
四人がいっせいにこっちを見た。
「なんでわかるの」
白鷺が言った。
「封筒から中身が透けて見えなかった。持ち替えたときの音も軽かった」
九条が少しだけ目を細めた。
「耳まで使ったのか」
「使えるものは使うだろ」
「有馬、意外とちゃんと見てるんだね」
「意外って何だよ」
篠宮教官は淡々と言った。
「観察は、眺めることではない。違和感を拾うことだ。次からは記憶しろ。流すな」
そこでやっと解散になったけど、俺は校長室の扉をちらっと見た。さっき一瞬だけ見えた赤い封筒が、妙に頭に残っていた。
でも、そのときはまだ、あとでそれが面倒の種になるなんて思ってもいなかった。



