記憶を失った婚約者は変わってしまった

「どうした? 皆、様子が変だが……何か問題でもあったのか?」

 止まった時を動かしたのは遅れてやってきたヴァレンティヌ伯爵。彼の後ろには夫人もいる。二人とも怪訝な顔をしている。
 誰も答えを出せない中、アレクシスが「ひとまず場所を変えましょう」と提案した。

 ヴァレンティヌ伯爵家の応接室にて。
「改めまして、私はセレスティーヌ・クロワ。クロワ侯爵家の三女であり……そのアレクシス……様の婚約者ですわ」
 アレクシスと一応エルナ様にも向けて挨拶をする。
 エルナ様からの明らかな敵意を含んだ視線が気になり、私は途中からよそよそしい口調に変えた。まあ、彼女がいなかったとしてもきっと同じ口調になっていただろうが。
(だって……私、こんなアレクシス知らないもの)
 頬を赤く染め、キラキラ、いやギラギラ(?)した瞳でずっと私だけを見つめてくるアレクシス。
 困惑しているのは彼の両親も同じようで、先ほどからアレクシスと私の顔を交互に見ている。

「君が私の婚約者っ。まさか、こんな夢のようなことが現実にあるなんてっ」
 感極まっているように瞳を潤ませ、声どころか体までも震わせているアレクシス。私はなんだかいたたまれなくなり、この場から逃げ出したいような気持ちになった。
「アレクシス様!」
 我慢の限界だとでもいうように横槍を入れたのはエルナ様。彼女はいきなり立ち上がったかと思うとずんずんと歩き始め、アレクシスの隣に腰を下ろした。そして、彼の腕にすがるように距離を詰める。淑女らしからぬ行動に思わずぎょっと目をむいた。この場には彼の両親もいるのにすごい勇気だ。いや、彼女の場合はアレクシス以外が目に入っていないだけかもしれないが。

 エルナ様は甘ったるい声色でアレクシスに語りかける。
「まだ本調子ではないのね? そうでなければこんな……きっと変なところを頭に打ち付けてしまったのだわ。記憶喪失になるだけではなく、性格まで変わっちゃうなんて……」
「あ、ああ。そのようだな! 以前の兄上とはまるで別人のようだ。頭を打っておかしくなったに違いない。父上!」
「……なんだ?」
「今の兄上に次期当主の座は荷が重いと思います!」
「そ、それは……」
 と、言いよどむ伯爵。明らかに様子のおかしいアレクシスを前にして、否定の言葉が出てこなかったのだろう。興奮した様子でカインは己の胸を叩く。
「俺に任せてください! 伯爵家の未来を思えば、俺が継ぐのが一番自然でしょう!」
「おまえが?」
「はい! 俺は兄上ほど頭はよくありませんが、外交は得意です。それにやる気もあります!」
「だが……」

 言いよどむ伯爵に、今度はエルナ様が話しかける。
「私も良いアイデアだと思いますわ! ヴァレンティヌ伯爵家はカイン様が継いで……そして、アレクシス様は私のお婿さんになるのはどうでしょう?!」

 名案だとばかりに両手を合わせ、小首を傾げ、キラキラした目で伯爵を見上げるエルナ様。
 しかし、その案をアレクシスは真顔でぶった切った。――「それは最悪の案ですね」の一言で。
 エルナ様は一瞬固まった後、頬を引きつらせ、アレクシスに視線を向ける。
「どうして?」
 エルナ様の質問に対し、アレクシスは「わざわざ聞かなければわからないのですか?」とでも言うようにクスリと笑う。エルナ様の頬に朱が走った。
 アレクシスは笑っていない目でエルナ様を見つめる。
「確かに私の記憶は一部喪失しています。ですが、それがどの程度影響を及ぼすか、その確認はまだされていません。判断するのは早計すぎるかと」
 確かにと伯爵は頷き返す。
「だ、だが記憶喪失だぞ! 重大な欠陥だろう!」
「そうですか? だとしても、カインに当主の座がふさわしいとは思えませんが……。父上、カインの当主教育はどの程度済んでいるのでしょうか?」
「いや。そもそもカインには当主教育は施していない」
「ですよね。だとしたら、現段階ではどちらもふさわしいとは言えないのでは? 幸いなことに私の記憶が抜けているのはここ数年間分のみ。当主教育で教わった基礎は覚えています。であれば、一から学ぶカインよりも私の方が早くものになると思うのですが……自分で言うのもなんですが、私はそこそこ優秀なので」
「確かに」と思いながら軽く頷いていると、アレクシスは照れたような笑みを浮かべた。その笑みはまるで母親に褒められた子供のようで、なんだかキュンとしてしまう。そして、そんな自分にも驚く。
(ア、アレクシスに対して可愛いなんて感情を覚える日がくるなんて……)


 カインが顔を真っ赤にして下唇を嚙んでいると、今度はエルナ様が吼えた。
「そんなものセレスティーヌ様がなんとかしてくれるわよ!」
「私?」と思わず目をむく。ギッとエルナ様から睨まれる。
「クロワ侯爵家は文官の家系で娘のセレスティーヌ様もとても優秀だと聞くわ。だったら、カイン様のお手伝いも楽勝でしょう?!」
「それは……ですが、私は……」
「夫婦は支え合って生きるもの! そうよね?」
 エルナ様の勢いに押され、私は頷き返す。たしかにそれはそうだが……彼女は何を言いたいのだろうか。

「私はベルジュラック辺境伯家の一人娘なの」
「え、ええ。それは存じておりますが」
「だから、優秀な婿を取らなければならないの!」
「は、はあ……」
 それはつまり、『自分は無能だから、代わりに働いてくれる優秀な婿が必要』と堂々と宣言しているようなものではないだろうか。
「ベルジュラック辺境伯にアレクシス様が婿入り、ヴァレンティヌ伯爵家はカイン様が継いで、セレスティーヌ様がそれを支える。ほら、完璧でしょう?!」