深夜2時。君のとなりで ――世界中が知っている彼を、私だけが知らなかった

 翌朝、目が覚めたのは八時二十分。

 今日は十時に社内会議がある。
 こうしてまだ、ちゃんと朝に起き上がれるのは、体内時計がまだ死んでいない証拠だ。

 顔を洗って、冷蔵庫を開けて、賞味期限が昨日までのヨーグルトを発見して、少しだけ躊躇したもののそのまま食べる。
 この仕事は体が資本。
 かろうじてそれだけは守っている。

 鞄を持って玄関を出たのは八時五十分。
 会議までにメールチェックも済ませたいし、出来るならば月末の立て替え払いの清算を、登録しておきたい。
 エレベーターのボタンを押して、扉が開くのを待っていると、ふと気配を感じ振り返る。

 黒いTシャツにデニム、髪は少し寝ぐせが残っている。
 昨夜より無防備な顔をしていた。

「おはようございます」

 柚子が先に言った。
 社会人として当然の挨拶だ。

「おはようございます」

 彼も返した。
 それから、一拍おいて「早いんですね」と付け加えた。
 
 主語は無かったけれど、それは柚子の行動時間の話であろうと、予測はつく。

「仕事なので」

「何時からですか?」

「会議が十時ですけど、その前に、色々片づけたいことがあって」

 エレベーターが一階に着いた。
 柚子が先に出て、振り返ると彼もついてくる。
 エントランスを出て、駅の方へ歩き始めたところで、二人は横に並んだ。

「駅ですか」

「そうです」

「じゃあ一緒に」

 断る理由もないので、そのまま歩く。

 朝の中目黒は、深夜と全く違う顔をしていた。
 川沿いには犬の散歩をしている人、ジョギングしている人、保育園に子どもを連れていく人。
 昨夜二時過ぎにここを歩いた記憶と、今の景色が上手く繋がらない。

「仕事、大変そうですね」

 彼が言った。
 唐突でも、馴れ馴れしくもない。
 ただ事実として言っているような口調。
 寝起きの頭で、ただ思いついたことを口にしていると言った印象を受ける。

「大変ですよ。でも好きなので」

「好きだから大変でも続けられる?」

「たぶんそうだと思います。嫌いだったらとっくに辞めてますね」

 彼は少し笑って「そうか」と小さく言う。

 駅の改札前で、柚子はICカードを出した。

「じゃあ」

「はい、お疲れ様です。いってらっしゃい」

 彼は改札には入らなかった。
 どうやら電車に乗るわけではないらしい。

 柚子は改札を通りながら、ふと振り返った。
 彼はまだそこに立っていて、どこか茫洋と遠くを見ていた。

 何を考えているんだろう、と思ったのは一瞬だけ。