父さんが天にフワフワと召されて兄さんがフラフラ外地に行ったせいで、天涯孤独といっても過言ではない状態になったけれど、生活は大幅に変わることはなかった。友人の奏子がよく来て世話をしてくれていたからだ。奏子は孤児だがしっかりしているいい子で、なかよし食堂――とか言う食堂で住み込みで手伝いをしているらしい。除け者にされることなど無く、むしろ可愛がられ看板娘のような存在になっているらしい。あんなに愛らしい見た目で一生懸命な彼女を健気だと思う連中は沢山いる――こんな尖った文体なのは性格だから気にはするな――。
「やっほ、湊、今日も静かだねー」
「奏子⋯」
奏子がやってくる。髪を丁寧なお団子にしている。モンペという地味な格好だけど、可愛い。
「久しぶり」
「もう、湊、配給に行かないと大変なんだよ。食べられなくて死んじゃうかもしれないの!」
「いや、ひとりじゃあ、配給は多いし⋯」
「そんなことずっと言ってるからそんなに痩せてるの!少食の域を超えてる!」
私のことになると勢いよく怒る。奏子はいい子だから、外に出なくてあまりご飯も食べない私のことを心配しているのだ。
彼女は腕を組むと、私を見据えた。
「ほら、行くよ。外にいなかなきゃだめ。早く、そのマント?みたいの着て出なさい」
「わ、待って⋯」
なんとなく奏子には逆らえない。
急いでうちの爺さんのお下がりのマントを羽織って外に出る。
「ねえ、湊、いつ、その長髪切るの?」
私の髪は腰までと、とても長いため、驚かれることが多い。奏子はいつも、邪魔じゃないのかと心配してくる。邪魔じゃない。
「またそれ?大丈夫、気にすんな」
「っはは」
何が面白いのか奏子が楽しそうに笑う。まあ、楽しいならいいか。
「やっぱり、湊は外に出て社会経験を詰む必要があると思うの。家が古本屋だからって、本の世界に没頭して社会を忘れることはいけないことなのだと思う」
「私と奏子は同い年だろ。なんでそんなことを言えるんだ」
「そこ、その言葉遣い。名前だけで男子と勘違いされそうなのに、言葉まで男子っぽいのは私でも驚くわよ!」
「クセ」
心配性だな、と思いながらもこんな奏子が大好きだ。
「おや、かなちゃんじゃない。それに、みなちゃんも。よく出てきたねぇ」
近所のおばさんが驚いたように言った。
「奏子って、人気だよね。孤児とは思えない」
孤児は一般的に五月蠅とされ、煙たがられることが多いのに、奏子は例外だ。だって彼女は優しい、いい子だから。他の孤児にも優しく、人望が厚い。
「そうでもないよ。たまに、追い出されたりするし」
「私は、奏子を悪く言うやつは国籍超えて悪者だと思う」
「はは」
何だよ、褒めたのに。
「湊は優しいねぇ」
「ありがと」
ははっ、と奏子がまた笑う。私も思わず笑ってしまった。
「あ、笑った」
「え?」
「すごい、大事件だよ!湊が笑った!」
やめろ。恥ずかしい。
ふと、遠くで音がした。誰かを引っ張る音と、叫ぶ声と。
「何だろうね」
「行ってみよう」
久しぶりに体が先に動いていた。
「わ、待って――」
物陰から覗いてみると、ひとりの憲兵が誰かの家の玄関前に立っていた。
「戦争に反対するため、署まで――」
そこまで聞いたとき、自然に口が動いた。
「なにそれ」
憲兵のところまで、わざと靴音をたてながらつかつか歩いていき、言い放った。
「理不尽だ」
憲兵の顔は一瞬狼狽え、一瞬あとに彼の顔は真っ赤に染まった。
「な、何だと!そんなことを言うとお前も同罪だぞ!非国民だぞ!」
構わず言い放った。
「自分の気持ちや意見を言って何が悪い」
「うるさい!こいつに加担するということはお前も日本が負けるなどと馬鹿らしいことを言っているのだろう!?」
言ってない。なんでそんなことをのうのうと言えるのだろうか。
「日本が負けるなんて思ってない!勝つか負けるかわからないのが当たり前!未来なんて誰にも読めない!」
憲兵の顔はいよいよ酒にでも酔ったように赤くなり、私を思い切りぶった。
「痛ってー」
ぶたれた頬を撫でながら、呟く。腫れてはないようだ。手加減⋯してる気はないんだろう。
なるほどね。
「コラァ!なに私の友達をぶってるんですかぁ!いくら憲兵さんでも許しません」
奏子だった。猫のように爪を立てている。私も被害にあったことはあるけれど、結構痛い。
「ひぃぃぃぃ!」
憲兵にふさわしくない悲鳴。まぁ、後ろでヒヤヒヤしながら見ていた少女だと思うと、信じられないよな。間の抜けたことを考えていると、サイレンが鳴り出した。
「空襲だ⋯」
家の人らしき人が、
「みんな、隠れなさい!」
と叫んで壕に入っていく。
「ほら、お嬢ちゃんたちも!」
お言葉に甘えて入ろうとしたところで、奏子が思い出したように憲兵のところに行った。
「入って」
私が何度も聞いてきた、なんとなく抗えない声。凛としているのにどこか儚くて、いますぐにも途切れてしまいそうな声。
流石にその声には、抗えなかったらしい。
憲兵は、豪に入ってきた。
飛行機の音が鳴り響く。家の人がぼそりと呟いた。
「ありがとうね」
思いもよらなかったので、どう返答すれば良いのかわからず慌てていると、奏子が「いえ」と言った。それだけで通じるのか。
「あ、そうだ、湊」
「何?」
「憲兵さんに言いたいことがあるんでしょ?早く言いなよ」
「了解」
息を吸う。地上の上に追い出されたら死ぬ。まさに背水の陣。
「憲兵さん、あなただって本当は私をぶちたくなかったんでしょ?」
憲兵はあからさまにきょとんとしていた。
「え?」
人間味のある間の抜けた声が聞こえる。
「普通だったら私の頬が赤くなるくらいに思い切りぶつはず。それなのにそうしなかったってことは、あなたが怖いんでしょ?人を傷つけることが。傷つけることで誰かが悲しんで泣き寝入りしている姿を見ていると、罪悪感ばかり出てくるんでしょ?だから手加減した」
憲兵がはっとしたような顔をした。
「それは⋯気づかなかった⋯。憲兵失格だ」
なんて返せばいいのだろう。こういうときは。言ったきりじゃ本当に申し訳け無い。
「憲兵さんは憲兵さんでも、優しい憲兵さんは初めて見た」
奏子。
「自分の気持ちを隠して仕事をして生活をするのなら、自分の気持を精一杯活かせるように生きるのが、生きるってことじゃない?」
その声は、反響などせずに全員の耳に直接入ってきた。
「これは孤児の私が出した答え」
付け加えるように、彼女は呟いた。
気づいたらもうサイレンは鳴っていなかった。もう解除されていたらしい。今日は、被害が少ない気がする。もしかして、奏子の言葉が空にも聞こえたのだろうか。なんて非科学的なことを久しぶりに考えていた。
「さてと、今日は、みんなで食堂に行きませんか?友達に⋯なるために」
奏子が言った。みんなというのは、憲兵さんや家の人達も含めてなのだろう。
友達。ふっと、奏子と出会った頃のことを思い出した。あのとき、一緒になかよし食堂に行ったのだ。そこで、食堂のおばちゃんに可愛がられて、住み込みで手伝いをするようになったはずだ。
「いいね。行こう」
私も、思わず賛同した。
「お、おう。俺もか?」
「もちろん」
奏子がニッと笑った。
食堂を出た頃には、もう夕暮れになっていた。
「じゃあね」
奏子がふふっと笑って玄関で手を振った。
「うん、さよなら」
そう言った途端だった。
一緒にいた憲兵さんに向かって少年が飛び出してきた。
銀色の怖いくらいきれいな光が目を焼いた。
「やっほ、湊、今日も静かだねー」
「奏子⋯」
奏子がやってくる。髪を丁寧なお団子にしている。モンペという地味な格好だけど、可愛い。
「久しぶり」
「もう、湊、配給に行かないと大変なんだよ。食べられなくて死んじゃうかもしれないの!」
「いや、ひとりじゃあ、配給は多いし⋯」
「そんなことずっと言ってるからそんなに痩せてるの!少食の域を超えてる!」
私のことになると勢いよく怒る。奏子はいい子だから、外に出なくてあまりご飯も食べない私のことを心配しているのだ。
彼女は腕を組むと、私を見据えた。
「ほら、行くよ。外にいなかなきゃだめ。早く、そのマント?みたいの着て出なさい」
「わ、待って⋯」
なんとなく奏子には逆らえない。
急いでうちの爺さんのお下がりのマントを羽織って外に出る。
「ねえ、湊、いつ、その長髪切るの?」
私の髪は腰までと、とても長いため、驚かれることが多い。奏子はいつも、邪魔じゃないのかと心配してくる。邪魔じゃない。
「またそれ?大丈夫、気にすんな」
「っはは」
何が面白いのか奏子が楽しそうに笑う。まあ、楽しいならいいか。
「やっぱり、湊は外に出て社会経験を詰む必要があると思うの。家が古本屋だからって、本の世界に没頭して社会を忘れることはいけないことなのだと思う」
「私と奏子は同い年だろ。なんでそんなことを言えるんだ」
「そこ、その言葉遣い。名前だけで男子と勘違いされそうなのに、言葉まで男子っぽいのは私でも驚くわよ!」
「クセ」
心配性だな、と思いながらもこんな奏子が大好きだ。
「おや、かなちゃんじゃない。それに、みなちゃんも。よく出てきたねぇ」
近所のおばさんが驚いたように言った。
「奏子って、人気だよね。孤児とは思えない」
孤児は一般的に五月蠅とされ、煙たがられることが多いのに、奏子は例外だ。だって彼女は優しい、いい子だから。他の孤児にも優しく、人望が厚い。
「そうでもないよ。たまに、追い出されたりするし」
「私は、奏子を悪く言うやつは国籍超えて悪者だと思う」
「はは」
何だよ、褒めたのに。
「湊は優しいねぇ」
「ありがと」
ははっ、と奏子がまた笑う。私も思わず笑ってしまった。
「あ、笑った」
「え?」
「すごい、大事件だよ!湊が笑った!」
やめろ。恥ずかしい。
ふと、遠くで音がした。誰かを引っ張る音と、叫ぶ声と。
「何だろうね」
「行ってみよう」
久しぶりに体が先に動いていた。
「わ、待って――」
物陰から覗いてみると、ひとりの憲兵が誰かの家の玄関前に立っていた。
「戦争に反対するため、署まで――」
そこまで聞いたとき、自然に口が動いた。
「なにそれ」
憲兵のところまで、わざと靴音をたてながらつかつか歩いていき、言い放った。
「理不尽だ」
憲兵の顔は一瞬狼狽え、一瞬あとに彼の顔は真っ赤に染まった。
「な、何だと!そんなことを言うとお前も同罪だぞ!非国民だぞ!」
構わず言い放った。
「自分の気持ちや意見を言って何が悪い」
「うるさい!こいつに加担するということはお前も日本が負けるなどと馬鹿らしいことを言っているのだろう!?」
言ってない。なんでそんなことをのうのうと言えるのだろうか。
「日本が負けるなんて思ってない!勝つか負けるかわからないのが当たり前!未来なんて誰にも読めない!」
憲兵の顔はいよいよ酒にでも酔ったように赤くなり、私を思い切りぶった。
「痛ってー」
ぶたれた頬を撫でながら、呟く。腫れてはないようだ。手加減⋯してる気はないんだろう。
なるほどね。
「コラァ!なに私の友達をぶってるんですかぁ!いくら憲兵さんでも許しません」
奏子だった。猫のように爪を立てている。私も被害にあったことはあるけれど、結構痛い。
「ひぃぃぃぃ!」
憲兵にふさわしくない悲鳴。まぁ、後ろでヒヤヒヤしながら見ていた少女だと思うと、信じられないよな。間の抜けたことを考えていると、サイレンが鳴り出した。
「空襲だ⋯」
家の人らしき人が、
「みんな、隠れなさい!」
と叫んで壕に入っていく。
「ほら、お嬢ちゃんたちも!」
お言葉に甘えて入ろうとしたところで、奏子が思い出したように憲兵のところに行った。
「入って」
私が何度も聞いてきた、なんとなく抗えない声。凛としているのにどこか儚くて、いますぐにも途切れてしまいそうな声。
流石にその声には、抗えなかったらしい。
憲兵は、豪に入ってきた。
飛行機の音が鳴り響く。家の人がぼそりと呟いた。
「ありがとうね」
思いもよらなかったので、どう返答すれば良いのかわからず慌てていると、奏子が「いえ」と言った。それだけで通じるのか。
「あ、そうだ、湊」
「何?」
「憲兵さんに言いたいことがあるんでしょ?早く言いなよ」
「了解」
息を吸う。地上の上に追い出されたら死ぬ。まさに背水の陣。
「憲兵さん、あなただって本当は私をぶちたくなかったんでしょ?」
憲兵はあからさまにきょとんとしていた。
「え?」
人間味のある間の抜けた声が聞こえる。
「普通だったら私の頬が赤くなるくらいに思い切りぶつはず。それなのにそうしなかったってことは、あなたが怖いんでしょ?人を傷つけることが。傷つけることで誰かが悲しんで泣き寝入りしている姿を見ていると、罪悪感ばかり出てくるんでしょ?だから手加減した」
憲兵がはっとしたような顔をした。
「それは⋯気づかなかった⋯。憲兵失格だ」
なんて返せばいいのだろう。こういうときは。言ったきりじゃ本当に申し訳け無い。
「憲兵さんは憲兵さんでも、優しい憲兵さんは初めて見た」
奏子。
「自分の気持ちを隠して仕事をして生活をするのなら、自分の気持を精一杯活かせるように生きるのが、生きるってことじゃない?」
その声は、反響などせずに全員の耳に直接入ってきた。
「これは孤児の私が出した答え」
付け加えるように、彼女は呟いた。
気づいたらもうサイレンは鳴っていなかった。もう解除されていたらしい。今日は、被害が少ない気がする。もしかして、奏子の言葉が空にも聞こえたのだろうか。なんて非科学的なことを久しぶりに考えていた。
「さてと、今日は、みんなで食堂に行きませんか?友達に⋯なるために」
奏子が言った。みんなというのは、憲兵さんや家の人達も含めてなのだろう。
友達。ふっと、奏子と出会った頃のことを思い出した。あのとき、一緒になかよし食堂に行ったのだ。そこで、食堂のおばちゃんに可愛がられて、住み込みで手伝いをするようになったはずだ。
「いいね。行こう」
私も、思わず賛同した。
「お、おう。俺もか?」
「もちろん」
奏子がニッと笑った。
食堂を出た頃には、もう夕暮れになっていた。
「じゃあね」
奏子がふふっと笑って玄関で手を振った。
「うん、さよなら」
そう言った途端だった。
一緒にいた憲兵さんに向かって少年が飛び出してきた。
銀色の怖いくらいきれいな光が目を焼いた。
