すっかり日も落ち、星導家には月明かりが差している。時刻は夜の11時。
サクヤとユウヤは夕飯前に星導家を出発し、残った女子たちは一緒に夕飯を作り、お風呂に入ったあとはマリの宣言通りパジャマパーティーと称したおしゃべり会を満喫した。明日も学校があるため早めに解散したはいいものの、どこで誰が寝るかはひとしきり揉めた。自分たちは護衛なのだから廊下で寝ると主張する双子に、ならば自分もと便乗するコトハ。最終的にはアスカとコトハはアスカの部屋、双子は客間で寝るというところに落ち着いた。
クリーム色のワンピースタイプのパジャマに身を包んだアスカは、宝箱にピンをしまう。サテンのパジャマのコトハは、興味深そうに部屋を見回している。長い付き合いの彼女だが、アスカの部屋に入るのは初めてだった。2人はベッドに潜り、顔を見合わせる。
想定以上の至近距離に、思わずお互い笑みを零した。
「こんなに近付くなんて、なんだかくすぐったいわね」
「そうね。普段だって、こんなに至近距離で話さないし…」
布団を肩まで引き上げたコトハは、不意に真面目な顔になった。
「でもアスカ。ちょっと不用心すぎよ。私が敵だったらどうするの。ここで魔式を発動されたら、いくらあなたでも無事じゃないでしょう」
「それは…」
お説教じみた指摘に言葉を詰まらせる。
双子はあくまで“護衛”という言葉を使ったが、その対象はコトハだけに向けたものではない。もちろんコトハを守るというのも事実だが、“コトハから”アスカを守るというのもまた、目的の1つなのだろう。
「ねぇ、もし私があなたの敵だったとして、あなたは当主として本当に私を断罪できた?…殺せたって言える?」
すぐに答えることが出来なかった。
できる、と口にするのは簡単だ。
しかし本当にそれは真実だろうか。
コトハとは小学校入学以来の親友だ。サクヤとは小学校は別だったから、学校にいる時間を含めればサクヤよりも一緒にいた時間は長いかもしれない。
いつだって隣にいるのが当たり前で、どんな話も頷いて聞いてくれて、困った時は迷わず手を差し伸べてくれる。そんな存在が、自分の命令ひとつで居なくなってしまうと思うと。
「…あぁ、もう。私の負けよ」
真面目な顔を崩し、諦めたようにため息を着くコトハ。
「そんな泣きそうな顔しないでよ」
泣きそうな顔、と言われ、慌てて体を丸めて顔を隠す。
「泣きそうな顔なんて、してないわ」
「してるのよ」
必死の抵抗は、あっさりと切り捨てられた。
渋々アスカは顔を出す。
コトハは困ったように微笑んでいた。
「やっぱり、辛そうな顔は見たくないわね」
小さく呟かれた言葉は自分に向けられたものではないような気がしたから、何も言わず次の言葉を待つ。
「本当はこんなこと言える立場じゃないんだけど、あえて言うわね」
カーテンの隙間から細く伸びた月明かりが、コトハのシトリンを輝かせる。
「私は絶対に、あなたとサクヤの敵にはならない。何があっても2人のことは守る。だから安心して」
綺麗な蜂蜜色に、自分の顔が映る。
その表情は自分でも驚くほど、安心したものだった。
「うん。ありがとう、コトハ」
「すぐ信用するなんてダメだってわかってるのに…。やっぱり、信じてもらえるって嬉しいわね」
「私はずっとコトハを信じてるよ?」
「それが本当は良くないの。全くもぅ…」
唇を尖らせるコトハ。しかし信じられているという嬉しさが勝ち、つい頬が緩む。
「こんな風に、あなたに直接言える日がくるなんて思ってなかった。隠さなくていいって、こんなに楽なのね」
「…そうだよね。ずっと辛い思いさせて、ごめん」
「どうしてアスカが謝るの?決まりだったんだからしょうがないわ。誰のせいでもない」
「でも、全然気が付かなかったもの。コトハが1人で悩んでたこと。もっと早く気付けてればよかった…」
後悔の念に、ぐっと眉を寄せるアスカ。
コトハは右手の人差し指で、眉間をトンっと叩く。
「あなたの真面目さは美点だけど、アスカは色んなものに手を伸ばしすぎよ」
突然の行動に、アスカは驚いて瞬く。
「確かにアスカはできることが多いと思う。大体のことなら解決できる力がある。でも、だからってなんでも出来るわけじゃない。今日も言ってたじゃない。『私は万能じゃない』って」
瞬くアスカが面白く、小さく笑みを零すコトハ。
指を下ろすと、瞳に冷酷さが混ざる。
「私の悩みは、誰にも解決できなかった。そもそも解決できる人なんていないもの。だから、不可能なことまで背負おうとしないで」
手厳しい言葉に、唇を引き結ぶ。
今まで近くでアスカを見てきたコトハの言葉だからこそ、そこには重さがあった。
「私は優しいアスカが大好きだけど、そんなに優しいと心配になるわ。あなたもサクヤも、そんなに優しくて当主として大丈夫なの?」
「う…。私はまだまだだけど、サクヤは大丈夫だと思う」
「んー…、まぁそうね。サクヤが今回あんな感じだったのは、相手が私だったからかもしれないし。私がいなくなったら、アスカは悲しんでくれるでしょうから」
「それはもちろん…ぁ」
即答して気付く。これではコトハを失いたくなかったと言っているようなものだ。
コトハもそれには気付いていたが、あえて指摘せずに続ける。
「サクヤはあれでいて、意外と手厳しいっていうか。敵と判断したらちゃんと戦うタイプでしょうしねぇ」
「…なんかちょっと、含みがある?」
「え、それは…」
疑いの眼差しで見つめられ、コトハはふっと視線を逸らす。
「なぁに?私に言えないことなの?」
「言えないっていうか…」
暫く曖昧に微笑んで誤魔化そうとしていたコトハだったが、やがて負けを認めて渋々語り出した。
「ほら、私とサクヤって中学入るまで面識なかったじゃない?アスカからお互い話は聞いてたけど」
「うん?」
「だからこう…なんていうか、相手に対して対抗心みたいなのがあったのよね」
「対抗心…?何に対して…?」
「どっちがアスカと仲良しか」
自分の名が出てきたことに驚きの声を上げるアスカ。
それに、今まで1番近くで2人を見てきた自分が全く気付かなかったのだ。驚くのも無理はない。
「中学入って直接会ったとき思ったの。あ、この子も同じこと考えてるって」
諦めたように微笑みながらコトハは語る。
こうなると思ったから、アスカには自分たちの攻防は隠していたのに。
「それこそ1年くらいはそんな感じだったわよ。ライバルとまではいかないけど、どこかお互いバチバチしてたって言うか、小さいことでマウント取ったりとかしてたし」
「…知らなかった」
「バレないようにしてたの。唯一、私たちの中でそれは一致してたからね」
幼稚なことをしていた自覚があるだけに、羞恥を笑いで誤魔化す。
アスカは過去の2人を思い出そうとするあまり、難しい顔になっていた。
「でも、あれは分かりやすかったんじゃないかな。覚えてる?1年生の調理実習」
「調理実習…?」
「そ。キャロットケーキ」
キャロットケーキ、と聞き、アスカは納得の声を上げる。中学1年生の秋頃、キャロットカップケーキを作ろうという授業があったはずだ。
「何かあったっけ…?」
「ほら、調理実習やるってなった時───
「私、あんまり料理したことないけど大丈夫かな…」
「私もキャロットケーキは作ったことないなぁ」
「コトハなら大丈夫だよ。バレンタインのお菓子、いっつも美味しいもの」
って、アスカが褒めてくれるから嬉しくなってたんだけど、
「へぇ。コトハはお菓子作り得意なんだ?」
「うん。料理も上手だし…あ、でもサクヤも料理得意でしょ?遊ぶ時持ってくるお弁当、いつもすごいもんね。私、サクヤが作る卵焼きふわふわで好きなんだ」
なんてサクヤのことも褒めるから、なんとなく悔しくなっちゃってね
「じゃあ、どっちが上手く作れるか勝負する?アスカに食べてもらってどっちが好きか決めるの」
「ふぅん、いいよ。俺は負けないから」
───って、言って勝負になったの」
「そういえば確かに…。なんか私だけ他の人より倍の量食べた記憶があるのはそのせいね…」
橙色の記憶を呼び覚まし、遠い目をするアスカ。あの時は確か、やたら2人が期待の眼差しを向けてくるものだから、結局どちらも選べなかったような気がする。しかしまさか、自分の発言が発端だったとは。
「んー…その時ちょっと険悪だったのはわかったけど…じゃあ今は?私が知らなかっただけで、今もバチバチしてたの?」
「ううん。さすがに今はやってないわ。っていうか、卒業する頃にはもう和解してたし」
小さく肩を竦め、笑みを零すコトハ。
アスカはその様子にほっと胸を撫で下ろす。
今も続いていたらどう仲裁するべきか本気で悩むところだった。
「サクヤが本当にアスカを大切に思ってること、わかっちゃったからね」
少し、ほんの少しだけ。
その言葉に寂しさが含まれているような気がして、コトハを見つめる。しかしその疑問は、淡い微笑みによって拒絶されてしまった。
「あーもう恥ずかしい、この話お終い!」
突然コトハは天井を見上げ、目元を腕で隠す。
「もう寝ましょう!おやすみ!」
アスカに背を向け、布団をかけ直す。
投げやりな言い方に、アスカは小さく微笑む。
さっぱりしているのに、どこか乙女らしさを残している。そんなコトハが好きだった。
アスカも先程のコトハと同じように天井を向く。
正確には天蓋を視界に収め、ゆっくりと目を閉じる。
「うん。おやすみ」
暗い視界に、やがて思考も溶けていった。
***
同時刻。
湊ノ邸の一室には提灯の明かりが灯っていた。
きちんと整列された書棚にはぎっしりと書物が並び、入り切らないものが床に積まれている。
少し開かれた障子の隙間から差す月明かりが、頁を捲る手元を照らす。
書棚と壁の間の空いた通路に正座しているのは、黒い着物に身を包んだサクヤ。羽織は黒地に下にいくほど白になっていくグラデーションで、裾には赤いアネモネの刺繍が施されている。
サクヤは、規則正しく紙の音を奏でる。正面と右側には、今日コトハから譲り受けた書物が積まれていて、既に読み終えたものはこれから読む数を上回っていた。
音を立てず開かれた襖に、顔を上げる。
そこに居たのはお盆に2つの湯呑みを乗せた、ジャージに紺色の羽織を纏うユウヤだった。
「やっぱりいた。そろそろ零時回るぞ」
「もうそんな時間か。ユウヤこそ、まだ起きてたの?」
「新しい書物手に入れてウキウキな誰かさんは、時間を忘れて読み耽ると思ったからな。明日は学校行くんだろ?そろそろ寝た方がいいんじゃないか」
周りの書物に注意しながら、ユウヤは湯呑みを渡す。
お礼を言い受け取るサクヤ。熱すぎず冷めすぎずな温かさにふっと息をつく。ゆっくりと口をつけると緑茶の香りがふわりと立った。
「あと少しだから、これを読んだら寝るよ」
「ん、わかった。」
お盆を持った手を腰に当て、自分もお茶を飲むユウヤ。ふと視線を床に落とすとサクヤに問いかける。
「今のとこ手がかりは?」
「…特には。新しい情報はあるけど、解決策に繋がるかと言われると…」
「そっか」
しゅんと湯呑みを見つめるサクヤ。
ユウヤは視線を逸らすと、1冊の古い書物に目をつける。
「なぁ、こっちのは読み終わったやつ?」
「そうだよ。なにか気になるものでもあった?」
「んーちょっとな。これ、借りてく」
ひょいと手近にあった書物を手に取るユウヤ。
その際お盆と湯呑みは魔術で浮かせ、持ってきた時と同じように並べた。
「飲み終わったか?頂戴」
「うん。お茶、ありがとう」
サクヤの湯呑みも魔術でお盆に乗せると、ユウヤはくるりと振り返る。翻る羽織の刺繍は四葉とシロツメクサ。
「程々にしとけよ。サクヤが倒れでもしたら、アスカちゃんが悲しむだろ?」
「…悲しんで、くれるかな」
「悲しむだろ。だから無理はするなよ」
サクヤの方は見ずに、ユウヤは小さく笑う。
そして「おやすみ」と、本を持った方の手を振りながら扉へと向かう。
「…悲しむ人がいるだけ幸せだ」
小さく呟かれた言葉が聞き取れず首を傾げるサクヤを残し、襖を閉めた。
明かりを持っていないため、感覚を頼りに廊下を歩くユウヤ。杉の床板を鳴らしながら進むと、左右の開けた渡り廊下に出る。月の光に照らされふと立ち止まり
、眩しさに目を細める。慣れてきた目を何度か瞬かせると、借りてきた本に視線を落とした。
その本は年季を感じさせる色をした、糸で綴じられた書物だった。
そして、表紙にはこう書かれていた。
───〈鏡里〉と。
***
ふわり、と星導家のバルコニーに人影が降り立つ。
身長はサクヤやユウヤと同じくらい。黒いローブを身に纏いフードを被っているため顔は見えない。月光に照らされ、銀糸があしらわれたローブは煌めき出した。
彼がスっと手をかざすと、バルコニーの大窓が開く。
靴音もなく歩を進める先は、夕方アスカが開けられなかった空き部屋だった。
彼はドアノブに手をかけると同時に、アメジストの魔力を纏う。そしてゆっくりとドアノブを回すと、開けられなかったはずのドアが開いた。
彼は足を踏み入れようとするが、立ち止まる。
視線の先はアスカの部屋だった。
───会いたいなら、会いに行けばいいじゃないか。
頭の中に声が響く。青年のような少年のような、美しいけれどどこか虚ろな声だった。
彼はその声に首を振り、心の中で呟く。
───ダメだ。僕の意識があるのに、君にアスカを会わせられない。
───頑なだなぁ。ボクを拒否できないくせに、まだ頑張るの。
───拒否出来ないから、だよ。それならせめて、僕の意識があるうちは君を止めなくちゃ。
彼はもう一度かぶりを振ると、開かずの間だった部屋に足を踏み入れる。
元は客間だったであろうその部屋には、本や紙が散乱しており、綺麗とは言えない有様だった。
彼は部屋の真ん中に立つと、本を全て魔式で持ち上げた。アメジストの魔力を纏った本は、瞬間、消えた。
布団も魔式で整え、散らばったものを片し、紙は燃やす。まるで、人がいた痕跡を消すかのように。
しばらくすると、部屋は生活跡をなくした客間と化した。彼はふと目を細める。視線の先にあるのは縦横15cm程の小さなクッキー缶。淡い空色にカランコエとリンドウが描かれた可愛らしいものだった。
彼は近付き手に取ると、音を立てないよう注意しながら蓋を開ける。中には数枚の封筒が入っていた。上品なデザインから可愛らしいデザインまで様々で、送り主が1人では無いことを物語っていた。
彼は1番上の半透明の封筒を優しく撫でる。中の便箋の色が透けて見えるおしゃれなデザイン。その便箋の色が、自分たちの瞳の色に似ているのだと嬉しそうに話した声が、今でも聞こえるような気がした。
また注意しながら蓋を閉じる。
缶を胸に抱くと、彼はそのまま部屋を出た。
バルコニーに出ると窓を閉める。これで、元通りだ。
バルコニーの手すりに足をかけ、立ち上がる。
月を見ようと顔を上げると、イタズラな風が彼のフードを攫う。
風に舞う漆黒の髪と月光に煌めくアクアマリンの瞳。
彼は淡く微笑むと1人呟く。
「ずっと君の味方でいられなくてごめんね、アスカ」
再び吹いた風は、庭の青薔薇の花弁を纏ってやってきた。
「ばいばい」
その花弁が彼の前を通り過ぎた時、もう彼の姿はどこにもなかった。

