紅い空、金色の粒子、辺りを囲むのは絶え間なく燃え続ける焔。
少女のぼやけた視界には、彼女の頭を優しく撫でる少年の姿がある。
「お別れだ、アスカ」
いやだ、と声を出そうとするけれど、喉から出てくるのは空気を切る音だけで声にはならない。
「………幸せに…なってね…」
手を伸ばそうとするも、思うように体が動かせない。行かないでと、引き止めたいのに。
出ない声を必死で振り絞り
その人の名を呼ぼうと──────
「やぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!」
意識が覚醒し、一気に目が覚める。
今の悲鳴の出処を探そうとし、少女は体を起こすと
「ミリっ!ミリ!そっち行ったわ!」
「任せて………えいっ!」
「ちょっと!こっち来ないで…っ!来ないでぇっ!」
続けて何かがひっくり返る音と割れる音。
壁を2枚以上隔てているのにも関わらず、隣の家から聞こえてくる悲鳴はとてもクリアだ。
時計を見ると、朝5時24分。
起きるはずの時間はまだ先である。
ベッドから出た少女は少しの怒りを纏った表情で、スマホに繋いであった充電コードを抜くと、素早く電話をかけた。
コール音が1回もならないうちに電話の相手である隣の家の住人は驚きの声を上げた。
『あ、アスカ先輩!?こんな朝からどうしたんですか!?』
電話越しでも頭に響く声量に、アスカは軽くスマホを遠ざける。
そしておもむろに口を開く。
静かに、しかし恐ろしく怒気を含んだ声色で。
「近所迷惑よ。静かにしなさい」
『『……………はい』』
アスカの迫力に押され、電話越しの少女たちは半ば無意識に返答したのだった。
***
冷たい水の温度に、アスカの目が冴える。
優しくタオルで水を拭き取ると、慣れた手つきでスキンケアを済ませた。
邪魔にならないようにヘアバンドでまとめていた髪を下ろすと、目に前髪がかかる。
それを半ば無意識的にとめようとして、手元につけ慣れたピンが無いことに気が付いた。
星が3つ連なったヘアピン、というよりも小さめのヘアクリップ、と言った方が適切かもしれない。
毎日つけているそれは、今は昨晩寝る時にベッドサイドで外したため、宝箱の中で眠っていることだろう。
「私、どうして毎日つけてるんだっけ…」
2階へ続く階段を登りながら、アスカはふと呟く。他にもヘアアクセサリーはいくつか持っている。
しかし毎回付けるのは、決まってこのピンなのだ。
そもそもこれはいつ買ったものだったか。
記憶を辿るが思い当たるものがなく、アスカは首を傾げながら辿り着いた自室の宝箱を開け、ピンを付けたのだった。
***
2階から戻ったアスカは朝食を用意するためにキッチンに立った。
そして慣れたようにコンロに手を翳し。
「っ──────」
やってしまったと言うように目を見開いた。
翳していた手を見つめると、嫌でもわかってしまう。この手に魔力が一切流れていないことが。
1年前までは、難なく使えていたというのに。
辛そうに眉を寄せたあと、アスカは拳を握る。
そしてもう一度コンロに手を翳すと、鋭い声で呟いた。
「[炎よ]」
しかし何も起こらない。
「[風よ][水よ][浮いて]……っ!!」
必死に1番簡単とされる呪文を唱えるが、炎が現れたり風が吹いたり水が発生したり、コンロの上に置かれたポットが浮いたりすることはなかった。
苦痛の表情を浮かべたまま、アスカはコンロの縁に手を付きそのまま崩れ落ちる。
今にも涙がこぼれ落ちそうなほど瞳を潤ませて、歯を食いしばった。
「どうして……っ…どうしてよ………っ!」
悔しげに漏れ出した言葉は掠れていて、アスカの苦悩を色濃く表していた。
星導アスカ(セイドウ)は、魔法師を統べる星導家の現当主である。その魔力は現存している魔力保持者の中で最も多く、魔法の扱いも、ずば抜けて長けていた。
優しく素直でいて意思の強い彼女を多くの人が慕い、彼女にならば魔法師を任せられると誰もが思っていた。
1年前、彼女の魔力が封印されるまでは。
きっかけも分からない、解放することも出来ない。
分かるのは両親が亡くなった次の日だということ。
その日からアスカの身体から魔力の反応がぱったりと消え、魔法が一切使えなくなった。
彼女は自分が知るあらゆる方法を使ってみたが、どれも効果を発揮せず、毎日泣き叫ぶ日々が続いた。
魔法が使えない。
その上で魔法師のトップに君臨しなければならないという重荷は、14、5歳の少女には到底抱えきれないものだった。
それでも周りの人々の助力があり、何とか1年間当主の座に居続けることができていた。
立ち上がり手動で火をつけたアスカは、シンクを跨いだ反対側に周り、カウンターの椅子に腰掛ける。
ふとスマホを覗くと、先程騒いでいた少女達───魔法師幹部家のひとつ、冬路(トウジ)家のマリとミリから長文の謝罪メッセージが届いていた。
あまりの長さに思わず苦笑してから、アスカはスマホを閉じる。
なんとなく、目を通す気にはなれなかった。
すると、閉じたはずのスマホがまた光る。
「っ───」
突如送られてきたメッセージに、アスカは息を飲んだ。
送り主は《サクヤ》。
アスカは唇を噛むと乱雑にスマホを置いた。
直前に見えた「絶対にお前を“依代”(ヨリシロ)なんかにしない」という文字が、頭の端をチラつく。
“依代”
それが何を意味するのか。
1番わかっているのは、当事者であるアスカだ。
そもそも“魔法”と“魔術”とは、昔は同じ『魔式』(マシキ)というものだった。
それが2つに分断された理由を辿るには、ある事件に遡る。
はるか昔から、この世界には『影』というものが存在していた。『影』とは所謂人間の負の感情の具現化。実態を持たないそれらに大した害はないと思われていた。しかし、時を経て大量の負の気を吸収した『影』は、軈て実体を得てしまった。
無力だと侮っていた『影』の襲撃に人々は混乱し、神に助力を仰いだ。
そこで人々は初めて『魔式』というものを授かったのだ。初めは攻撃手段であったそれは、時が経つにつれて発展し、人々の生活の助けとなるツールとして浸透していった。
『魔式』が生活の一部となってきた頃。
『魔式』を扱う者たちの村に突如としてひとつの『影』が現れた。否、もはやそれを『影』と称することは出来ないだろう。
何故ならば、ソレは我々人間と同じ姿かたちをしていたから。
ソレは村人たちにこう言った。
「ボクのいもうとは、おまえたちにコロされたのだ」と。
村人たちは困惑した。そもそも『影』に妹という、家族という概念があったことに。
そうしてソレは、状況を呑み込めず混乱している村人たちを、殺戮していった。半数の人々が、なす術もなく殺されてしまったのだ。
ソレは、近いうちにお前らも殺しに行く、と言い残すとどこかへ姿を消した。
ソレは、後に『影』よりも深い闇───『陰影』(インエイ)と呼ばれる存在である。
絶望に暮れた人々がとった行動は、同じであった。
またも神に助けを求めた人々に、神が授けたのは“イズーナ”という神霊。
彼女はソレを封印する方法を知っていた。
それは、とても合理的で。とても残酷なもの。
「当代最高魔力保持者が、あの『影』を封じ込める“依代”になることで封印することができます」
解決策が存在することに人々が喜んだのは、ほんの一瞬。何故ならば、その“依代”となるべき人間は、喜んで差し出せるような存在ではなかったから。
この始まりの代で最も魔力を持っていたのは、まだ十数年しか生きていない少年だったのだから。
この少年は、この村の中でもトップクラスの魔力を保持した夫婦の子供だった。
それが災いしてしまったのだが。
勿論この少年をみすみす“依代”にすることははばかられた。
しかし、かかっているのは村の人間どころか全ての魔力保持者の命だ。
そこで意見が別れてしまった。
それは夫婦とて例外ではなく、夫は子供を、妻は他の人を守ると対立してしまったのだ。
そうすれば村の人間は二つに分かれ、争いを始める。人々は残された時間が少ないことも忘れ、争った。
死がすぐそこまで来ている。それでも自分には何も出来ない。そんな不安と焦燥感が人々の心を侵食して、その苛立ちをぶつける場所を探していたのかもしれない。
突如、光が辺りを覆った。
それは今まで目にしたどんな輝きよりも眩しく、神々しいもので。
人々は一瞬にして、少年が“依代”として封印されたのだと気が付いた。
暫くの沈黙の後、初めに口を開いたのはどちらだったのか。
「どうしてあんな子供に重荷を背負わせたのか」
「どうして我々は何もできないのか」
一度始まってしまえば、争いは止むことを知らなかった。『陰影』は封印されたというのに、人々は争い続け、傷つき、傷つき。
それを見ていた神は、争っていた人々が持つ『魔式』をそれぞれ『魔法』と『魔術』に分けた。
神───ウーニウェルスムとアミキティアは、魔法を持つ者に〈星導〉、魔術を持つ者に〈湊ノ〉(ミナトノ)という名を付けた。
これが魔法と魔術の始まりである。
「──────熱っ」
ふと考え事をしていたアスカは、トーストを取ろうとした指先に、金網を触れてしまった。
高温に熱された網はいとも容易く、その細く白い指先を傷付ける。
僅かな痛みに眉を歪めながら、火傷が酷くならないよう冷水を流す。
アスカが“依代”としての役目を果たすことを強いられているのは、4年前、『陰影』の封印が解かれてしまったからである。
当代で最も魔力が高いのはアスカ。
そもそも徐々に魔力値が低下してきている現代で、“依代”としての器に耐えきれる程の魔力を所持している人間はほとんどいない。
その為必然的に“依代”に選ばれてしまったアスカは、本来であれば従来通り封印に使われるはずだった。しかし、父である悠希(ユウキ)の猛反対があり“依代”になることは避けられた。
結果として、起こったのは悲劇だった。
アスカという“依代”を巡って起きた争いは規模を広げ、最終的には200人以上を巻き込んだ《戦争》となってしまった。
魔法師と魔術師は封印の仕方をかけて争い、そして。
───全滅した。
そのため、《戦争》で何があったのか、正確なことを知っている者は誰もいない。
遠隔で支援していた人も、原因不明の昏睡状態に陥っているため、状況の解明は困難を極めていた。
全滅を確認できたのは、《戦争》が起こった場所にこの街を飲み込むほどのクレーターがあったからだ。
それに加え、周囲に魔力の反応がなかったことから《戦争》に挑んだ者は全員戦死したと判断したのだ。
その中には、アスカの両親も含まれていた。
では、避けられたのに何故まだ“依代”としての役目を周りから熱望されているのか。
沸かし終えたお湯で紅茶を淹れるアスカ。
パンに塗るものを考えつつ、トーストの乗ったお皿とティーカップを持ち、テーブルに着く。
「ジャムにしよう」
塗るものが決まったので冷蔵庫へと向かうと、ドアポケットからいちごジャムの瓶を取り出した。
そしてまた席に着くと、小さく手を合わせ「いただきます」と呟いた。
4年前の封印は、再び閉じられた。
その方法はどうやらわかっていないようだが、元通りになっていたらしい。
半年前までは。
昨年の大晦日頃、封印が破られているのが発覚し、魔式会議が行われた。
両親が亡くなってまだ半年。おまけにアスカは魔力が封印されていてお荷物状態だ。
魔術師側にとって、魔法師の統制を崩す絶好のチャンスであった。それにもかかわらず、アスカは“依代”にならずに魔法師のトップに居続けている。
アスカが“依代”にならずに済んだのは、一重にサクヤのおかげだろう。
湊ノサクヤ
アスカの幼馴染みであり、1番の理解者と言っても過言ではない。
そして彼こそが、湊ノ家の現当主───魔術師のトップである。
そのサクヤが、何故敵であるアスカを庇っているのか。答えは簡単なこと。サクヤにとってアスカは大切な人だからだ。
だからサクヤは魔術師の総意を振り切り、アスカを使った封印に断固として首を縦には振らなかった。
例え9割の魔術師がアスカを使った封印に賛成したとしても、トップの承諾がなければ決定には至らない。それがわかっているからこそ、サクヤはこの半年間、周りからの反感を買うと知っていても、否定を続けたのだ。
それでも今日、また魔式会議が開かれる。
議題は勿論、解かれてしまった封印についてだろう。
反対し続けたサクヤも、流石に限界を迎えたのか。
それとも、彼は彼で何か思惑があるのだろうか。
どちらにしても、今日の議題でアスカの未来が決まるのは間違いなかった。
朝食を食べ終え、お皿を流しに置くと水を流す。
洗うのは少し面倒だったので、そのままにしておくことにする。
これからの憂鬱感がため息となって零れる。
知らずのうちにピンへと伸びていた手を下ろし、軽く自分の頬を叩くと、アスカは出掛ける準備を始めたのだった。

