空白の卒業アルバム

翌日、雨は降らなかった。

結月は、放課後の廊下で真帆に捕まった。

「ねえ結月」

真帆は顔が近い。

「……なに」

「昨日、雨だったじゃん」

「うん」

「結月、図書室行ったでしょ」

「……うん」

真帆の目が光った。

「やっぱり!で、いるんでしょ?雨の日の図書室の美形先輩!」

結月は咳払いでごまかした。

「美形とか、言わないで……」

「本当にいるの?」

「……たまたま、いた」

「ほらぁ!」

真帆は声を潜めて、でもテンションは上げたまま囁く。

「その人、三年生の先輩?どこのクラス?」

結月は、喉が詰まった。

どこのクラス。

三年E組。

存在しないはずのクラス。

結月はごまかすように無理に笑ってみせた。

「……ちゃんと聞いてない」

「え、聞けよ!卒アルの素材だよ素材!」

「素材って言うな」

「でもさ、結月が気になってるの、バレバレだし」

真帆は目を細める。

「名前は?あだ名でもいい」

結月は一瞬、朝倉先輩の顔を思い出した。

あの目。
あの声。
「結月」と呼ぶ音。

名前を言ったら、誰かに奪われそうで嫌だった。
たった一つの秘密を、手放したくなかった。

結月は首を振った。

「……内緒」

「えー!」

真帆がぶうぶう言いながらも、どこか楽しそうに笑う。

「まあいいや。でもさ、卒アル委員としては諦めないよ。雨の日の図書室、張り込みしよっかな」

「だめ!」

結月は思わず強く言ってしまった。

真帆が目を丸くする。

「……結月、今の声、ガチじゃん」

結月は慌てて言い訳を探した。

「だって……図書室、静かにしなきゃだし……」

「そこ?」

真帆はにやにやしている。

結月は頬が熱くなるのを感じた。

「とにかく、だめ」

「はーい。結月がそこまで言うなら、今回は引いとく。今回はね」

真帆はわざとらしく言ってから、今度は真面目な顔になった。

「ねえ、結月」

「なに」

「卒業する前に、その先輩にちゃんと気持ち伝えたら?」

結月は、息が止まった。

真帆の目は冗談じゃない。
結月の反応で、なにかを感じ取ったのかもしれない。

結月は笑おうとした。
でも、うまく笑えない。

「……考えておく」

自分に言い聞かせるみたいな声になった。

真帆は結月を見つめてから、ふっと肩の力を抜いた。

「まあ、私はいつでも結月を応援するから」

真帆らしい言い方だった。

結月は、少しだけ救われた気がした。

その日から結月は、雨が降らない放課後も、校舎のどこかで先輩に会えるんじゃないかと探してしまった。

三年の教室の前を通ってみたり。
昇降口で靴箱を見てみたり。
図書室以外の場所を、理由もなく歩いてしまったり。

でも――会えない。

朝倉先輩は、雨の日の図書室以外では、どこにもいなかった。

昼休みに図書室へ行っても、いない。
晴れの日の放課後に行っても、いない。

雨の日の、あの薄暗い図書室だけ。

まるで、雨が扉の鍵みたいに、先輩をこの世界へ呼び出しているみたいだ。

そんな馬鹿なこと。

そう思うのに、先輩の不自然な消え方を思い出すたび、結月の中で怪談が現実味を帯びていく。

忘れられた生徒。

真帆が言っていた噂話が、頭をよぎる。

結月はそれを振り払うみたいに、栞を見た。

先輩からもらった栞。
触れば、そこに誰かの温度がある気がする。

結月は、いつの間にか天気予報の通知をオンにしていた。

雨マークが出るたびに、胸が跳ねる。

そして、週末前。

予報は言った。

――明日の放課後、降水確率70%。

結月は、スマホの画面を見つめながら、静かに息を吐いた。

雨の日が来る。

また、会える。

でも同時に、怖い。

会えることが嬉しいほど、会えない日が怖くなる。

このまま、雨の日だけの関係でいいの?
雨が止んだら、先輩も消えてしまうの?

結月は、胸元の栞を指先で押さえた。

あの日、図書室で先輩が言った。

「僕も」

あれは、ただの社交辞令じゃないと、結月は信じたい。

だから。

次の雨の日。

結月は、ちゃんと伝える。

雨を待ってしまう理由を。
会えると嬉しい理由を。
名前を呼ばれて、胸が苦しくなる理由を。

怖いけど、逃げたくない。

結月はスマホを閉じ、深呼吸を一回した。

そして心の中で、そっと決める。

――次の雨の日、ちゃんと気持ちを伝えよう。