精神障がい、性的違和の知暖が学んだ「真実の愛」と「人生の正解」を目指す道

小学生の頃から、アイドルや歌手、アニメソングシンガーになりたいという夢もあり、できたら子ども番組の人形劇や教育テレビのキャラクター、ヒロインアニメの妖精、架空の生物といった、個性的なキャラクターの声を担当してみたかった。

他の生徒がタレント養成所のホームページを視聴覚室のパソコンで閲覧している様子を見て、自分も検索し、仙台市のボーカルスクール・声優養成所をネット検索で見つけた。夜間や週末だけ登校するスタイルが、通信制や定時制の学校に似ていると思い、自分でも通えると思った。本気でその学校に進みたいと思った。でも、母は賛成しなかった。現実は甘くなかったのだ。我が家には余裕がなく、離れて暮らす父からの援助も見込めず、学費は自分で貯めるしかなかった。

今度は、就職を目指し、高校在学中からハローワークに通い、ハローワークの求人検索用のパソコンで見つけた、大手メガネブランド店や郵便局の求人票を印刷した。このメガネ屋さんは、この地域の障がい者枠の求人の中で最も賃金が高い。郵便局は最低賃金だが、自宅から近い場所にあるため、通勤の面では楽ができそうだと思った。

ボーカルや声優を養成する夜間・週末講座について、仙台市でひとり暮らしをしながら通学するのなら、物価や家賃が高く、アルバイト程度の収入では暮らすのが大変であることを母に指摘され、国家資格を持つ人は高い給料がもらえるという情報を知り、小児看護師を目指したいと思った。中学生の頃から、子どもたちの役に立つ仕事がしたいと思っていた。国家資格を得るために、県内の看護学校を希望した。

実際のところ、夜間・週末講座は、近隣県から交通機関を乗り継いで通う生徒も多い学校だった。自分にとって、長い時間、密閉空間の揺れる車内の中で移動することは息苦しさを伴い、毎回決まった時間に間に合わせる登校スタイルは心身をひどく消耗させる。余裕を持って学び続けるには、仙台に移り住むしかない。