忘れられないものがある。
それは、こないだマボロシ塔の展望デッキで食べた、七五三くんのパイ。
あれ、めちゃくちゃ美味しかった。
なんだかとっても不思議な味だったし。
すっごく甘くて、なのにクドくなくて、さわやかに口に残る感じ。
つまり、絶品。
二時間目と三時間目の間の休憩時間、私はとなりの七五三くんに聞いてみる。
「ねぇ、七五三くん」
「ん?」
「こないだマボロシ塔でごちそうになったパイのことなんだけど……」
「あぁ、うん。あれは我ながら美味しかったね」
「あれって、何のパイなの? リンゴとかチェリーとかブルーベリーとか、そういうのとはちょっと違う感じだったけど?」
「あぁ、そうだね。もしかしたら、葉月さんは初めて食べた味かもしれない」
「うん。あぁいうの、初めて食べた。あれ、何て果物?」
「果物……うーん……まぁ、果物と言えば果物なのかなぁ?」
「え? どういうこと?」
「うん。実はあれ、ボクもよくわかんないんだ」
「よく、わかんない……」
よくわかんないものを、自分の彼女に食べさせたんかい!
私は思わず、七五三くんにツッコミたくなる。
だけど……あれはべつに悪い食べ物じゃなかったと思う。
あのあと、べつにお腹が痛くなったわけじゃないし、逆に、むしろ体の調子が良くなった気がする。
だから、知りたい。
あれは一体、何のパイ?
「でも、あのパイを焼いたのは、七五三くんなんだよね?」
「うん。でも、何て説明すればいいのかなぁ? あ、わからないっていうのは、『名前がわからない』って意味だよ」
「名前がわからない……それは七五三くんもあんまり食べたことないってこと?」
「いや、何度も食べてる。体にも良いんだ。でも――あれはおそらく、ほとんどの人が食べたことないんじゃないかな? スーパーとかにも、ゼッタイ並ばないし」
「スーパーとかにも、ゼッタイ並ばない……」
「現物、見てみる?」
「え? 見れるの?」
「たぶん。まだ一つくらい、残ってると思うんだ」
「一つくらい……ねぇ、それって、やっぱりレアな果物なの?」
「レアと言えば、レアだろうね。今日の放課後、いっしょに探しに行ってみよっか」
「え? そんな近くにあるの?」
「うん。この学校の裏山だよ」
「ち、近っ!」
「じゃ、終わりの会が終わったら、二人で行こう」
あっさりと、今日の放課後の私たちの予定が決定する。
でも――。
何て言うか、私、ちょっと不安。
あの日、私、マボロシ塔の展望デッキで、一体何を食べさせられたの?
いや、まぁ、本当に美味しかったし、あれから体の調子もいいんだけど……。
𖧧
学校が終わると、私たちはスクールバッグを持って、裏山に入っていった。
中学に入学して二ヶ月――私も七五三くんも、まだどこの部活にも所属していない。
これって、そろそろ何かの部活に入った方がいいのかな?
このままも何もしないで、七五三くんと毎日いっしょに過ごすのも、まぁ、べつにいいんだけど。
七五三くんがいっしょなら、勉強のわかんないとことか、すぐに教えてもらえるし。
なにしろ彼は、学年トップ!
おまけに彼氏なんだから、これは、もぉ、私の特権だよ!
「ねぇ、七五三くん。この山の、一体どのあたりにその果物はあるの?」
「え? わかんない」
「わ、わかんない?」
「あれは、特別なんだ。ボクも数回しか採ったことがない」
「そんなの、あなた一体どうやって見つけたの?」
「中学に入学した直後に発見したんだ。裏山を散歩してる最中に」
「裏山を散歩してたの? 誰と?」
「一人だよ」
「一人……」
フツーの人なら、中学入学直後に裏山を一人で散歩するとか、ゼッタイにありえない。
でも――七五三くんなら、たぶん、したんだろうね……。
なにしろ私の彼氏、基本めちゃくちゃアレで自由すぎる人だから……。
「でも……この山の中にあるって言うけど、アテもなくここをずっとさまよい続けるわけ?」
「いや、アテはあるよ。大体、このあたりだったと思う」
「私、思うんだけど……」
私は、こないだのマボロシ塔のことを思い出す。
「もしかしてその場所って、こないだみたいな時空の歪みなの? あのゴーグルを使わなきゃ、見えない場所とか?」
「いや、そうじゃない。そこはフツーに存在してるよ」
「フツーに、存在してるんだ……」
「ただ、あそこに行ける人は少ないだろうね。そういった場所」
「は、はぁ」
「まず最初に言っとくけど」
「う、うん」
「その森は、本当に特別なんだよ」
「本当に特別……って言うか、そこ、森なの?」
「うん。森」
「どんな森?」
「色が、無いんだよね」
「色が、無い?」
「うん。その森には色が無い。たとえば、今ボクたちのまわりにある木は、緑色とか茶色とかだろ? でもその森には、色が無い」
「あんま、イメージできないんですけど?」
「あっ! やっぱり葉月さんといっしょにいると、良いことが起こるね。今日はじつにあっさりと見つけることができたよ」
そう言って、七五三くんがその場に立ち止まる。
「あそこだ。ボクは『白と黒の森』って呼んでる」
「白と黒の森……」
七五三くんが指さしている方向に、私は目をこらす。
え……。
こ、こんなことって、ある?
私たちを取り囲む、緑色と茶色の木々。
その向こうに――異様な森が広がっているのが見えた。
なんだか少し怖くなって、私は七五三くんの腕にギュッとしがみつく。
七五三くんの腕、なんかすごく――男の人。
意外と、たくましい?
匂いも、なんか落ち着く……。
って、いやいやいや!
今は、そんなことを考えてる場合じゃないよ!
ずっと向こうに広がる、あの森!
本当に、色が無い!
あそこに並んでいる木々の色は、基本、白と黒だけ!
幹も、枝も、葉っぱも、全部、黒!
あるいは白!
ど、どういう場所なの、あそこ?
まるで真っ白な紙に、黒インクだけで描いたイラストみたい!
「じゃ、行こっか。あそこに、あのパイに入れたレア果物がある」
そう言って、七五三くんが白と黒の森に向かって歩きはじめた。
私、彼の腕にしがみついたまま、ゆっくりとついていく。
いや、だって、怖いでしょ、これ?
マジで。
自分が今まで見たこともない場所に入っていくんだよ?
まぁ、七五三くんがいるから、ちょっと安心ではあるけれど……。
𖧧
「いやぁ、やっぱりここの木々は、いつ見ても活き活きしてるね」
白と黒の森をキョロキョロ見回しながら、七五三くんが言う。
いや、だから、どこが?
どこがですか?
まわり、白と黒しか色がありませんけど?
何て言うか、まるで古い白黒映画の中にでも入ったみたい。
私と七五三くんだけ、カラー。
総天然色。
その中を、私たちはゆっくりと進んでいく。
ここ、本当にウチの学校の裏山なの?
ふ、不思議すぎるでしょ?
完全にビビってる私は、七五三くんから離れないよう必死に彼にしがみつく。
七五三くんは、いつもと同じフツーの顔。
私なんかおかまいなしで、テクテクと前に進み続けた。
「どうしてこんな森が存在するんだろう? この世界は、ホントに不思議なことばかりだよね」
歩きながら、七五三くんが言う。
いえ、あの、七五三くん……。
あなたも十分不思議です……。
思いっきり、百二十パーセント……。
だってこんな森を、中学入学直後に、フツーに一人で発見しちゃうんだよ?
しかも、たった今、平然と歩いてるし。
メンタル、|激強(げきつよ)!
「でも、ホント、どうしてこんな森があるんだろう?」
私の言葉に、七五三くんは進みながら答える。
「理由なんて、きっと人間があとで勝手にくっつけるものなんだろうね。重要なのは、今ここにこの森があるってことだよ」
「まぁ、そうですけど……」
「でも、今日はなかなかいい感じだ。夕方だからかな?」
「いい感じって? 何が?」
「陽が落ちて、黒が深い黒になってるだろう? だから、あれを見つけるのも、わりと簡単かもしれない」
「そ、そうなの?」
「あ、話をすれば、だ。あれだよ。良かったね。一個だけ残ってる」
「え? どれ?」
「あれだよ。あそこ」
七五三くんが指さした先を見ると――そこには一つの小さな点が見えた。
オレンジ色の、球体。
それは少し離れた白と黒の木の枝にぶら下がっていて、パッと見ただけでその存在が確認できる。
あの球体にだけ、色がついてるからだ。
でも、ホント、何なんだろう、あれ?
まるでクリスマスツリーに飾る、少し大きめなクーゲルみたい。
「あれが……あのパイに入ってた果物?」
「綺麗だろ? 白と黒の世界の中で、あれだけが色を持ってる」
「ルックスは、まぁ、可愛いけど……フツー、あれを食べようとは思わなくない?」
「そう? ボクは人類で初めてタコを食べた人の方がすごいと思うけど?」
その球体がぶら下がっている木まで、私たちは進んでいく。
近くに行っても、やはりその木は白と黒の色しか無かった。
だけどそこにぶら下がってるその球体だけは、オレンジ色に輝いている。
「ちょっとここで待ってて」
私から離れ、七五三くんがその木によじ登っていく。
スルスルと、すごく慣れた感じ。
あっさりと枝にたどり着いた彼は、その球体をブチッともぎ取った。
そのまま、ふたたびスルスルと、木から下りてくる。
七五三くん、木登り、得意なんだ。
すごいなぁ……。
まぁ、なんにせよ、非常にアレな人なんだけど……。
「無事、収穫。良かったね。これでまた、あのパイが作れる」
「う、うん。良かった」
「匂い、嗅いでみる?」
七五三くんに差し出されたので、私はその球体を両手で受け取る。
ゆっくりと、鼻先に持っていった。
なんか……すごくいい匂い……。
これ、何なんだろ?
たしかにフツーの果物とか、栗とか、そういうのとは全然違う気がする。
「こないだ、その球体の果肉を分析してみたんだ」
「ぶ、分析? ど、どうやって?」
「ほら、どこの家庭にだって、顕微鏡くらいはあるだろ?」
「いえ、ないですけど……」
「分析の結果、この球体にはとくに人体に悪い成分は入っていなかった。つまり、フツーの果物だ」
「フツー、ではないでしょう、これ……」
「葉月さん、これ、家に持って帰る?」
「え? いやいやいや。私は、その、どう扱ったらいいのかわかんないし……」
「そっか。じゃあ、ボクの家に置いとこう。まだ少し硬いから、熟してないよ、これ」
「う、うん」
「食べ頃になったら、またあのパイを焼いてあげるね」
「え? マジ? あのパイ、また食べれるんだ……」
私、それだけは嬉しい!
またあのパイを食べれるんだ!
さ、最高かよ!
「あ、それから、これはくれぐれも言っとくけど」
「うん」
「葉月さんね、もし山で見たこともない木の実とかキノコとか見つけても、ゼッタイ食べちゃダメだよ? 命にかかわる物だってあるんだ」
「それを、よりによって、あなたが言うのですか?」
「ボクは、よく調べてから食べてるよ」
球体を持ったまま、私たちは白と黒の森を歩きはじめる。
周囲に緑色と茶色の木々が広がりはじめると、私は後ろを振り返った。
白と黒の森は――まだ確かにそこにある。
だけど……これはきっと、七五三くんといっしょじゃなきゃ、来れなかった場所なんだろうな。
なんか、そんな気がするよ。
𖧧
「でも――どうしてあの森、フツーの人はなかなか行けないのかな?」
帰り道。
いつもの通学路を歩きながら、私は七五三くんに聞いてみる。
彼は手の中の球体を見つめながら、それに小さくうなづいた。
「たぶんだけど……あの森が拒絶してるんじゃないかな?」
「拒絶?」
「うん。あの森は、たぶんずっと一人でいたいんだよ。だから人が近づかないような、音とか匂いを出してるんだ。つまり、自己防衛だね」
「自己防衛……」
「そう。単純に、自分で自分を守ってるだけなんだよ」
「それは、その、どうしてなんだろう?」
「ほら、どこのクラスにもいるだろ? なるべく自分を出さないで、できるだけ静かにしてる人。あの人たちは、あぁやって、自分自身を守ってるんだ」
「自分自身を守ってる……でも、それ、一人でさみしくないのかな?」
「葉月さん」
「ん?」
「一人になれるってね、じつはすごい才能なんだよ?」
「才能……」
「うん。その人は、すごく色々なことを考えてる。楽しいこととか、悲しいこととか、そういうのを深く深く考えてる」
「そうなんだ」
「逆に、まったく何も考えてない人もいるかもしれない」
「それ、どっちなの?」
「それがどっちだったとしても――そういう人を『暗い』とかなんとか、バカにしてはいけない。その人は、一人で過ごせる才能があるんだ」
「一人で過ごせる才能……」
「おまけにそういった人は、たとえばこの球体みたいな特別な果物を生み出すことができる。他のどこにもない、あの森だけの果物をね」
「そっか……でも確かに、そう考えたら、そういうのも才能かも」
「大切なのは、他人に迷惑をかけないで生きること。大勢の人に囲まれても、他人に迷惑をかけてたら意味ないだろ?」
そう言って、七五三くんが突然、通学路の横の草むらに入っていく。
また何か見つけたみたい。
「ほら、葉月さん! テントウムシだ! 今年も彼らは鮮やかだなぁ! この子たち、デザインのセンスがバツグンだよね! すっごくオシャレな模様だ!」
七五三くん、すごく深いことを言ったかと思ったら、めちゃ子ども。
幼稚園の頃、こんな子、まわりにたくさんいたなぁ……。
私は、お母さんみたいな気持ちで、そんな彼を見つめる。
七五三くんって、可愛いね。
おまけに超イケメンだよ。
勉強もできるし、色々と不思議なことも知ってるし、おまけに木登りまで得意だった。
でも――私は、彼っていう人が本当によくわからない。
七五三くん。
あなたは一体、どんな人なの?
大人なの?
子どもなの?
私の彼氏は――ホントにアレ。
めちゃくちゃアレな人。
でも――私は、そんな七五三くんが大好き。
彼といっしょにいると、なんだかワケわかんなすぎて、逆に、超楽しいよ!
それは、こないだマボロシ塔の展望デッキで食べた、七五三くんのパイ。
あれ、めちゃくちゃ美味しかった。
なんだかとっても不思議な味だったし。
すっごく甘くて、なのにクドくなくて、さわやかに口に残る感じ。
つまり、絶品。
二時間目と三時間目の間の休憩時間、私はとなりの七五三くんに聞いてみる。
「ねぇ、七五三くん」
「ん?」
「こないだマボロシ塔でごちそうになったパイのことなんだけど……」
「あぁ、うん。あれは我ながら美味しかったね」
「あれって、何のパイなの? リンゴとかチェリーとかブルーベリーとか、そういうのとはちょっと違う感じだったけど?」
「あぁ、そうだね。もしかしたら、葉月さんは初めて食べた味かもしれない」
「うん。あぁいうの、初めて食べた。あれ、何て果物?」
「果物……うーん……まぁ、果物と言えば果物なのかなぁ?」
「え? どういうこと?」
「うん。実はあれ、ボクもよくわかんないんだ」
「よく、わかんない……」
よくわかんないものを、自分の彼女に食べさせたんかい!
私は思わず、七五三くんにツッコミたくなる。
だけど……あれはべつに悪い食べ物じゃなかったと思う。
あのあと、べつにお腹が痛くなったわけじゃないし、逆に、むしろ体の調子が良くなった気がする。
だから、知りたい。
あれは一体、何のパイ?
「でも、あのパイを焼いたのは、七五三くんなんだよね?」
「うん。でも、何て説明すればいいのかなぁ? あ、わからないっていうのは、『名前がわからない』って意味だよ」
「名前がわからない……それは七五三くんもあんまり食べたことないってこと?」
「いや、何度も食べてる。体にも良いんだ。でも――あれはおそらく、ほとんどの人が食べたことないんじゃないかな? スーパーとかにも、ゼッタイ並ばないし」
「スーパーとかにも、ゼッタイ並ばない……」
「現物、見てみる?」
「え? 見れるの?」
「たぶん。まだ一つくらい、残ってると思うんだ」
「一つくらい……ねぇ、それって、やっぱりレアな果物なの?」
「レアと言えば、レアだろうね。今日の放課後、いっしょに探しに行ってみよっか」
「え? そんな近くにあるの?」
「うん。この学校の裏山だよ」
「ち、近っ!」
「じゃ、終わりの会が終わったら、二人で行こう」
あっさりと、今日の放課後の私たちの予定が決定する。
でも――。
何て言うか、私、ちょっと不安。
あの日、私、マボロシ塔の展望デッキで、一体何を食べさせられたの?
いや、まぁ、本当に美味しかったし、あれから体の調子もいいんだけど……。
𖧧
学校が終わると、私たちはスクールバッグを持って、裏山に入っていった。
中学に入学して二ヶ月――私も七五三くんも、まだどこの部活にも所属していない。
これって、そろそろ何かの部活に入った方がいいのかな?
このままも何もしないで、七五三くんと毎日いっしょに過ごすのも、まぁ、べつにいいんだけど。
七五三くんがいっしょなら、勉強のわかんないとことか、すぐに教えてもらえるし。
なにしろ彼は、学年トップ!
おまけに彼氏なんだから、これは、もぉ、私の特権だよ!
「ねぇ、七五三くん。この山の、一体どのあたりにその果物はあるの?」
「え? わかんない」
「わ、わかんない?」
「あれは、特別なんだ。ボクも数回しか採ったことがない」
「そんなの、あなた一体どうやって見つけたの?」
「中学に入学した直後に発見したんだ。裏山を散歩してる最中に」
「裏山を散歩してたの? 誰と?」
「一人だよ」
「一人……」
フツーの人なら、中学入学直後に裏山を一人で散歩するとか、ゼッタイにありえない。
でも――七五三くんなら、たぶん、したんだろうね……。
なにしろ私の彼氏、基本めちゃくちゃアレで自由すぎる人だから……。
「でも……この山の中にあるって言うけど、アテもなくここをずっとさまよい続けるわけ?」
「いや、アテはあるよ。大体、このあたりだったと思う」
「私、思うんだけど……」
私は、こないだのマボロシ塔のことを思い出す。
「もしかしてその場所って、こないだみたいな時空の歪みなの? あのゴーグルを使わなきゃ、見えない場所とか?」
「いや、そうじゃない。そこはフツーに存在してるよ」
「フツーに、存在してるんだ……」
「ただ、あそこに行ける人は少ないだろうね。そういった場所」
「は、はぁ」
「まず最初に言っとくけど」
「う、うん」
「その森は、本当に特別なんだよ」
「本当に特別……って言うか、そこ、森なの?」
「うん。森」
「どんな森?」
「色が、無いんだよね」
「色が、無い?」
「うん。その森には色が無い。たとえば、今ボクたちのまわりにある木は、緑色とか茶色とかだろ? でもその森には、色が無い」
「あんま、イメージできないんですけど?」
「あっ! やっぱり葉月さんといっしょにいると、良いことが起こるね。今日はじつにあっさりと見つけることができたよ」
そう言って、七五三くんがその場に立ち止まる。
「あそこだ。ボクは『白と黒の森』って呼んでる」
「白と黒の森……」
七五三くんが指さしている方向に、私は目をこらす。
え……。
こ、こんなことって、ある?
私たちを取り囲む、緑色と茶色の木々。
その向こうに――異様な森が広がっているのが見えた。
なんだか少し怖くなって、私は七五三くんの腕にギュッとしがみつく。
七五三くんの腕、なんかすごく――男の人。
意外と、たくましい?
匂いも、なんか落ち着く……。
って、いやいやいや!
今は、そんなことを考えてる場合じゃないよ!
ずっと向こうに広がる、あの森!
本当に、色が無い!
あそこに並んでいる木々の色は、基本、白と黒だけ!
幹も、枝も、葉っぱも、全部、黒!
あるいは白!
ど、どういう場所なの、あそこ?
まるで真っ白な紙に、黒インクだけで描いたイラストみたい!
「じゃ、行こっか。あそこに、あのパイに入れたレア果物がある」
そう言って、七五三くんが白と黒の森に向かって歩きはじめた。
私、彼の腕にしがみついたまま、ゆっくりとついていく。
いや、だって、怖いでしょ、これ?
マジで。
自分が今まで見たこともない場所に入っていくんだよ?
まぁ、七五三くんがいるから、ちょっと安心ではあるけれど……。
𖧧
「いやぁ、やっぱりここの木々は、いつ見ても活き活きしてるね」
白と黒の森をキョロキョロ見回しながら、七五三くんが言う。
いや、だから、どこが?
どこがですか?
まわり、白と黒しか色がありませんけど?
何て言うか、まるで古い白黒映画の中にでも入ったみたい。
私と七五三くんだけ、カラー。
総天然色。
その中を、私たちはゆっくりと進んでいく。
ここ、本当にウチの学校の裏山なの?
ふ、不思議すぎるでしょ?
完全にビビってる私は、七五三くんから離れないよう必死に彼にしがみつく。
七五三くんは、いつもと同じフツーの顔。
私なんかおかまいなしで、テクテクと前に進み続けた。
「どうしてこんな森が存在するんだろう? この世界は、ホントに不思議なことばかりだよね」
歩きながら、七五三くんが言う。
いえ、あの、七五三くん……。
あなたも十分不思議です……。
思いっきり、百二十パーセント……。
だってこんな森を、中学入学直後に、フツーに一人で発見しちゃうんだよ?
しかも、たった今、平然と歩いてるし。
メンタル、|激強(げきつよ)!
「でも、ホント、どうしてこんな森があるんだろう?」
私の言葉に、七五三くんは進みながら答える。
「理由なんて、きっと人間があとで勝手にくっつけるものなんだろうね。重要なのは、今ここにこの森があるってことだよ」
「まぁ、そうですけど……」
「でも、今日はなかなかいい感じだ。夕方だからかな?」
「いい感じって? 何が?」
「陽が落ちて、黒が深い黒になってるだろう? だから、あれを見つけるのも、わりと簡単かもしれない」
「そ、そうなの?」
「あ、話をすれば、だ。あれだよ。良かったね。一個だけ残ってる」
「え? どれ?」
「あれだよ。あそこ」
七五三くんが指さした先を見ると――そこには一つの小さな点が見えた。
オレンジ色の、球体。
それは少し離れた白と黒の木の枝にぶら下がっていて、パッと見ただけでその存在が確認できる。
あの球体にだけ、色がついてるからだ。
でも、ホント、何なんだろう、あれ?
まるでクリスマスツリーに飾る、少し大きめなクーゲルみたい。
「あれが……あのパイに入ってた果物?」
「綺麗だろ? 白と黒の世界の中で、あれだけが色を持ってる」
「ルックスは、まぁ、可愛いけど……フツー、あれを食べようとは思わなくない?」
「そう? ボクは人類で初めてタコを食べた人の方がすごいと思うけど?」
その球体がぶら下がっている木まで、私たちは進んでいく。
近くに行っても、やはりその木は白と黒の色しか無かった。
だけどそこにぶら下がってるその球体だけは、オレンジ色に輝いている。
「ちょっとここで待ってて」
私から離れ、七五三くんがその木によじ登っていく。
スルスルと、すごく慣れた感じ。
あっさりと枝にたどり着いた彼は、その球体をブチッともぎ取った。
そのまま、ふたたびスルスルと、木から下りてくる。
七五三くん、木登り、得意なんだ。
すごいなぁ……。
まぁ、なんにせよ、非常にアレな人なんだけど……。
「無事、収穫。良かったね。これでまた、あのパイが作れる」
「う、うん。良かった」
「匂い、嗅いでみる?」
七五三くんに差し出されたので、私はその球体を両手で受け取る。
ゆっくりと、鼻先に持っていった。
なんか……すごくいい匂い……。
これ、何なんだろ?
たしかにフツーの果物とか、栗とか、そういうのとは全然違う気がする。
「こないだ、その球体の果肉を分析してみたんだ」
「ぶ、分析? ど、どうやって?」
「ほら、どこの家庭にだって、顕微鏡くらいはあるだろ?」
「いえ、ないですけど……」
「分析の結果、この球体にはとくに人体に悪い成分は入っていなかった。つまり、フツーの果物だ」
「フツー、ではないでしょう、これ……」
「葉月さん、これ、家に持って帰る?」
「え? いやいやいや。私は、その、どう扱ったらいいのかわかんないし……」
「そっか。じゃあ、ボクの家に置いとこう。まだ少し硬いから、熟してないよ、これ」
「う、うん」
「食べ頃になったら、またあのパイを焼いてあげるね」
「え? マジ? あのパイ、また食べれるんだ……」
私、それだけは嬉しい!
またあのパイを食べれるんだ!
さ、最高かよ!
「あ、それから、これはくれぐれも言っとくけど」
「うん」
「葉月さんね、もし山で見たこともない木の実とかキノコとか見つけても、ゼッタイ食べちゃダメだよ? 命にかかわる物だってあるんだ」
「それを、よりによって、あなたが言うのですか?」
「ボクは、よく調べてから食べてるよ」
球体を持ったまま、私たちは白と黒の森を歩きはじめる。
周囲に緑色と茶色の木々が広がりはじめると、私は後ろを振り返った。
白と黒の森は――まだ確かにそこにある。
だけど……これはきっと、七五三くんといっしょじゃなきゃ、来れなかった場所なんだろうな。
なんか、そんな気がするよ。
𖧧
「でも――どうしてあの森、フツーの人はなかなか行けないのかな?」
帰り道。
いつもの通学路を歩きながら、私は七五三くんに聞いてみる。
彼は手の中の球体を見つめながら、それに小さくうなづいた。
「たぶんだけど……あの森が拒絶してるんじゃないかな?」
「拒絶?」
「うん。あの森は、たぶんずっと一人でいたいんだよ。だから人が近づかないような、音とか匂いを出してるんだ。つまり、自己防衛だね」
「自己防衛……」
「そう。単純に、自分で自分を守ってるだけなんだよ」
「それは、その、どうしてなんだろう?」
「ほら、どこのクラスにもいるだろ? なるべく自分を出さないで、できるだけ静かにしてる人。あの人たちは、あぁやって、自分自身を守ってるんだ」
「自分自身を守ってる……でも、それ、一人でさみしくないのかな?」
「葉月さん」
「ん?」
「一人になれるってね、じつはすごい才能なんだよ?」
「才能……」
「うん。その人は、すごく色々なことを考えてる。楽しいこととか、悲しいこととか、そういうのを深く深く考えてる」
「そうなんだ」
「逆に、まったく何も考えてない人もいるかもしれない」
「それ、どっちなの?」
「それがどっちだったとしても――そういう人を『暗い』とかなんとか、バカにしてはいけない。その人は、一人で過ごせる才能があるんだ」
「一人で過ごせる才能……」
「おまけにそういった人は、たとえばこの球体みたいな特別な果物を生み出すことができる。他のどこにもない、あの森だけの果物をね」
「そっか……でも確かに、そう考えたら、そういうのも才能かも」
「大切なのは、他人に迷惑をかけないで生きること。大勢の人に囲まれても、他人に迷惑をかけてたら意味ないだろ?」
そう言って、七五三くんが突然、通学路の横の草むらに入っていく。
また何か見つけたみたい。
「ほら、葉月さん! テントウムシだ! 今年も彼らは鮮やかだなぁ! この子たち、デザインのセンスがバツグンだよね! すっごくオシャレな模様だ!」
七五三くん、すごく深いことを言ったかと思ったら、めちゃ子ども。
幼稚園の頃、こんな子、まわりにたくさんいたなぁ……。
私は、お母さんみたいな気持ちで、そんな彼を見つめる。
七五三くんって、可愛いね。
おまけに超イケメンだよ。
勉強もできるし、色々と不思議なことも知ってるし、おまけに木登りまで得意だった。
でも――私は、彼っていう人が本当によくわからない。
七五三くん。
あなたは一体、どんな人なの?
大人なの?
子どもなの?
私の彼氏は――ホントにアレ。
めちゃくちゃアレな人。
でも――私は、そんな七五三くんが大好き。
彼といっしょにいると、なんだかワケわかんなすぎて、逆に、超楽しいよ!
