Nocturne(ノクターン)ー美しさは静かに交差する

シートベルト着用サインが、柔らかな電子音とともに灯る。

希は窓側の席。
白い翼の向こうに、まだ雪の残る滑走路が見える。

「昨日ほとんど寝てないもんね」

旬が小さく笑う。

希の頬が、ほんのり赤くなる。

「誰のせい?」

「知らない」

とぼけた横顔。

やがてエンジン音が低く響きはじめ、機体がゆっくりと動き出す。
速度が上がる。振動が増す。

希は窓の外を見つめたまま、ぽつりと言う。

「なんか夢みたいだったね」

「夢じゃない」

旬は即答する。
迷いのない声。

その瞬間、機体がふわりと浮く。
体がシートに押しつけられ、すぐに重力が軽くなる。

雲の上へ抜けた瞬間、まばゆい光が差し込んだ。

白い世界。
果てしなく続く雲海。

希のまぶたが、ゆっくりと重くなる。

「ねえ」

「うん?」

「起きたら日常だね」

「うん」

「ちゃんとできるかな」

その声は、少しだけ不安を含んでいる。

旬はそっと手を伸ばし、希の指を握る。

「できるよ」

短い言葉。
でも、確信を込めて。

希はそのまま、旬の肩にもたれかかる。

「……ちょっとだけ寝る」

「うん」

「起きたらまだ隣にいてね」

旬は小さく笑う。

「いなくなる理由ある?」

希は安心したように目を閉じる。

数分もしないうちに、規則正しい寝息。
本当にぐっすりと。

昨夜の余韻をまだまとったまま、無防備に眠っている。

旬はその横顔を見つめる。

長いまつ毛。
わずかに色づいた唇。

——この世に、これ以上の幸せがあるのか。

ふと、よみがえる。

ドレスアップした希。
星空の露天風呂。
過去の話。

嫉妬した自分。

そして——

自分の腕の中で震えながら、
「好き」と言った声。

旬はそっとブランケットを肩までかける。

触れないように、頬の輪郭をなぞるように、空気だけを指先で辿る。

——守りたい。

強く、強く思う。

窓の外は、どこまでも白い雲。
機内は静まり返り、エンジンの低い音だけが響いている。

希は深く眠っている。

旬は目を閉じない。

この時間が、あまりにも愛おしくて。

やがて希が、眠ったまま小さく動く。
無意識に、旬の腕に寄り添う。

旬はわずかに笑みをこぼす。

「……絶対離さない」

聞こえないくらいの、小さな声で。