Nocturne(ノクターン)ー美しさは静かに交差する

旬は何も言わない。

ただ、希が自分で言葉を選ぶのを待つ。

急かさない。
遮らない。

「“もう待たないで”って」

その一文だけが、部屋に落ちる。

空気が、すっと冷える。
外の雪が、やけに白く見える。

旬の手が、わずかに握られる。

「それだけ?」

「うん。それだけ」

「理由は?」

「書いてなかった」

希は笑う。

けれど、その笑いは薄い。
指先で触れたら消えてしまいそうなほど。

「かっこいいよね」

「どこが」

旬の声が、少し低くなる。

「優しさのつもりだったんじゃない?」

「優しくない」

即答だった。

希が、少し驚いて旬を見る。

旬は真剣だ。

「待たないで、って」

「うん」

「それ、逃げだろ」

強くもなく、怒鳴りもしない。
でも揺るがない声。

希は、しばらく黙る。

暖炉の火が、ぱち、と鳴る。

「……そうかもね」

静かに認める。

あのときは、そう思えなかった。
でも今なら、分かる。

「泣いた?」

旬が聞く。

希は少し笑う。

「あんまり」

あっさりと。

「ほんとに?」

「うん」

「追いかけなかった?」

希は首を振る。

「追いかけたら、もっと惨めになる気がして」

声は穏やかだ。

でもその奥に、若い日の意地と、傷ついた自尊心が見える。

待つと決めた一年。
信じた時間。

それを、たった一文で終わらされた。

旬は、ゆっくり息を吐く。

そして、何も言わずに希の手を握る。

今度は、はっきりと。

過去の誰かに向ける怒りではなく。
今ここにいる彼女に向ける、静かな誓いみたいに。

雪は、まだ降り続いている。

けれど、ソファーの上だけは、あたたかかった。