Nocturne(ノクターン)ー美しさは静かに交差する

火の揺れる光の中で、
二人は、もう一度向き合っていた。

「肩書きで見られるの、慣れてるけどさ」

旬はそう言って、少しだけ視線を落とした。
暖炉の火が、その横顔に揺れる影を落とす。

「希には、普通に好きになってほしかった。
お互いのこと、知らないまま出会ったから。」

計算もない。
余裕もない。

ただの本音。

希は、その言葉をゆっくり受け止める。

そして、静かに言う。

「最初から、旬だったよ」

名前だけ。

肩書きでもない。

旬。

それだけ。

旬は一瞬、固まる。

まるで予想していなかった答えをもらったみたいに。

それから、ふっと小さく笑う。

「そりゃバレるよね。ほんと、失敗」

そう言いながらも、その笑いはどこか安心している。

隠していた扉が、音を立てて開いてしまった。

けれど。

壊れなかった。

距離はできなかった。

むしろ——

ほんの少しだけ、近づいた。

暖炉の火が、やわらかく揺れる。

二人の間にあった薄い膜は、
静かに溶けていった。

ロビーを出る直前だった。

旬は、ふと足を止める。

さっきまでの柔らかい空気とは違う、かすかな違和感。

視線を感じる。

フロントでもない。
スタッフでもない。

ラウンジの奥、窓際。

スーツ姿の男が、こちらを一瞬だけ見て、すぐに目を逸らした。
隣には、スマホを持った女性。

カメラを明確に向けたわけではない。
だが、画面の角度が、わずかにこちらをかすめていた。

——今の、俺じゃない。

旬は直感する。

視線の先は、自分ではなく。

隣に立つ、希。

希は何も気づいていない。
無邪気に窓の外を見ている。

「寒そう」

それだけ言って、小さく肩をすくめる。

雪を見つめる横顔は、どこまでも無防備だ。

旬の胸に、小さな引っかかりが残る。

肩書き。
名前。
家。

それらが動けば、周囲も動く。

けれど今は——

探り合う関係じゃない。

旬は自然な仕草で、希の背にそっと手を添える。
守るように。