Nocturne(ノクターン)ー美しさは静かに交差する

「希は?」

静かな問い。

逃げ道はないけれど、急かさない声。

希は少し迷ってから、スマホを手に取る。

「ちょっと待って」

ロックを外す。

開いたのは、インスタの鍵垢。

誰にも見せたことのない、小さな日記。

恋からずっと遠ざかっていたから。
何かが動いたとき、あとで自分で確かめられるように。

スクロールする指が、ゆっくりと止まる。

「これ、Nocturneで会った次の日」

画面を、旬に向ける。

そこには、星空の写真。

まだ北海道じゃない、東京の夜。
ビルの隙間から見えた、ほんの小さな星。

そして、短い文章。

“昨日、安心する人に会った。”

旬の呼吸が、止まる。

「……俺のこと?」

「うん」

希は少し照れながら笑う。

「あのときさ、なんか変な感じだった」

店の灯り。
グラスの音。
低く流れる音楽。

でも、その中で、旬の隣だけが落ち着いていた。

「好きっていうより」

希は言葉を探す。

「大丈夫かも、って思った」

その“かも”が、慎重だった時間を物語る。

旬は、画面を見つめたまま動かない。

自分の知らないところで、
自分の知らない言葉で、

ちゃんと、始まっていた。

「安心したってこと?……」

小さく呟く。

「悪くないか」

希が言う。

「最高だよ」

旬は、そっとスマホを持つ希の手ごと包み込む。

一瞬じゃない。
積み重なった時間。

あの夜の星と、
今日の雪が、静かにつながっていた。

「これも」

希は、もう一枚スクロールする。

コーヒーカップの写真。
午後の光が、白い陶器にやわらかく落ちている。

その下に、短い言葉。

“目が優しい人はずるい。”

旬が、ゆっくり顔を上げて希を見る。

希は少し照れながら、でも隠さずに笑う。

「確認したらさ」

さらにスクロールする指。

会うたびに増えている、小さな記録。

“会いたいと思うのは危険。”

“この人といると、強くなれる気がする。”

どれも短い。
でも、どれも本音。

希はそっとスマホを閉じる。

そして、旬を見る。

「最初からみたい、」

少し恥ずかしそうに。
でも、そこに嘘はない。

旬は、何も言えなくなる。

自分の知らないところで、
こんなにも丁寧に想われていたことに。

言葉の代わりに、そっと希の頬に触れる。

指先が、あたたかい。

「なんで言わなかった」

低く、やわらかく。

希は、少しだけ視線を落とす。

「誰かを好きになるのが、どういうことなのか」

ゆっくりと。

「自分がどうなっちゃうのか、ちょっと怖かった」

正直な声。

好きになると、弱くなる。
期待してしまう。
失う可能性も生まれる。

それを知っているから、怖かった。

旬は、親指でそっと頬をなぞる。

「弱くなった?」

希は少し考える。

「ううん」

小さく首を振る。

「むしろ、強くなった」

目が、まっすぐになる。

「ちゃんと好きになってもいいんだって思えた」

旬の胸が、静かに満ちていく。