Nocturne(ノクターン)ー美しさは静かに交差する

小さな沈黙が湯気と夜空の間に溶ける。旬の低い声が静かに落ちる。

「希」

「なに?」

「震えてる」

図星に、希は鼻で笑う。

「寒いだけ」

「嘘」

湯面に星が揺れる。

旬は静かに、しかし確かに言う。

「そっち、いっていい?」

希の呼吸が止まる。

「近い方がみえないよ」

その声に、旬は微笑みながら一歩だけ前に出る。夜と湯気と星に包まれた、二人だけの時間がゆっくりと流れる。

「傍にいきたい。」

その言葉は、静かな湯気の中でまっすぐに届いた。

安心と、ほんの少しの寂しさ。
希はゆっくりと鼻まで浸かっていた顔を上げる。

湯気の向こうに、旬の横顔。
夜空の星を映した瞳が、やわらかく揺れている。

「……キスしてもいい?」

小さな声。
湯面に落ちて、波紋みたいに広がる。

旬が一瞬、固まる。
そして、ふっと笑う。

「それは危険」

「だめ?」

希の問いは、からかい半分、確かめるような本気半分。

旬は目を細める。

「いいの?」

その返しに、二人とも堪えきれず、ふっと笑う。

湯気に溶ける笑い声。
あたたかくて、やわらかくて、少しだけ切ない。

近づきたい。
でも壊したくない。

そのぎりぎりの距離が、いまは愛しい。

星はまだ、空いっぱいに瞬いている。
まるで二人を見守るみたいに。

触れそうで、触れない。
それでも、心は確かに、傍にあった。

笑い合った、その直後だった。

旬の表情が、ふっと変わる。
ほんの一瞬。

希が気づくより先に、腕が伸びた。

「きゃ…」

湯の中で、ぐっと引き寄せられる。
水面が大きく揺れ、温度が跳ねる。

気づけば、旬の膝の上。
距離は、もうゼロだった。

「旬…」

低く息を吸う音が、耳元で響く。

「近すぎ」

かすれた声。

希の両手が反射的に旬の胸を押す。
けれど、力は弱い。

本気で拒んでいないことを、旬は知ってしまう。

「キスしてもいいんでしょ?」

囁きが、肌に落ちる。

次の瞬間、唇が重なった。

さっきまでの触れるだけのキスじゃない。
深く、熱を奪う。

息が絡まり、思考が揺れる。

希の指が、無意識に旬の肩を掴む。
逃げ場はない。

湯の熱よりも近い体温が、容赦なく伝わる。

「ん…っ」

苦しい。
でも、離れたくない。

背中に回る腕が、さらに強く引き寄せる。
希の体が震える。

怖い。

でも――

嫌じゃない。

それが一番、怖かった。

唇がゆっくりと離れる。

「はぁ…はぁ…」

希は息を求めるように吸い込む。
目の端に、涙がにじんでいる。

旬はその表情に、はっとする。
すぐに力を緩める。

額と額をそっと合わせる。

「ごめん」

本気の声。

「俺、止まらなくなる」

正直すぎる言葉。

希はまだ、旬の膝の上。
体温が重なり、鼓動が近い。

旬は目を閉じ、深く息を吐く。

湯気の向こう、星は静かに瞬いている。

熱と理性の境界線で、
二人はただ、息を整えていた。

旬の手は、それ以上動かない。
動かさない、と決めたみたいに。

「愛してる」

その言葉に、胸がぎゅっと締まる。

守られている。
でも、求められている。

その両方が、こんなにも甘くて、少し苦しいなんて。

希は、勇気を出す。

「……もっとキスしたい」

旬が目を開ける。
ほんの少し、困ったように笑う。

「それが一番危険」

けれど、唇はまた触れる。

今度は、ゆっくり。

さっきより深いのに、どこか優しい。
奪うのではなく、確かめるみたいなキス。

希の手が、そっと旬の首に回る。
自分から。

その小さな動きだけで、旬の理性が揺れるのがわかる。

やっと唇が離れたとき、
二人とも息が荒い。

湯気の向こう、星が静かに瞬いている。

旬は小さく笑う。

「まだまだ時間あるね」

低い声。

希は真っ赤になって、
「言わないで」
と肩を押す。

でも、その手も、笑っている。

愛しくて。
切なくて。

限界ぎりぎりの距離で、
二人はまだ、ちゃんと守られていた。