Nocturne(ノクターン)ー美しさは静かに交差する

エレベーターの扉が開くと、最上階のガラス張りフロアが広がっていた。
窓の向こうには、雪に包まれた街の灯りがきらめく。
静かなピアノの旋律が、柔らかく空間を満たしている。

支配人がすぐに歩み寄る。
「佐伯様、本日は――」

その言葉は、希を一瞬見た瞬間に止まった。
息をのむ。
それは演出でも誇張でもなく、本当に空気が止まった瞬間だった。

希は深い色のドレスに身を包んでいる。
背中のラインがすっと浮かび、髪は柔らかくまとめられている。
控えめなジュエリーが光を添え、品がありながらも圧倒的な存在感を放つ。

自然に流れる視線の先で、女性客が小さく囁く。
「きれい……」

旬はその声に気づき、そっと希の腰に手を添える。
所有でも誇示でもない。
ただ、自然に、
“俺の隣にいる人”という仕草。

その距離感に、二人の呼吸が一瞬だけ重なる。
窓の外の雪と灯りの光も、今だけは二人だけの舞台装置のように思える。

テーブルに案内されると、窓際の席だった。
足元まで広がる夜景に、希は目を奪われる。
「すごい……」

その横顔を見た瞬間、旬は思う。
景色よりも、ずっと綺麗だ、と。

グラスが運ばれ、カチ、と小さな音が鳴る。
乾杯。

旬はグラス越しに希を見る。
ドレスに覆われた肩、首筋のライン。
視線を上げれば、希の目と重なる。

「見すぎ」
希が小さく囁く。

「無理」
旬は即答する。
「今日、連れて歩くの危険」

希は笑う。
「大げさ」

「本気で言ってる」
その低い声に、希の指先がわずかに震えた。

窓の外の光も、ピアノの音も、
二人の間の静かな緊張に溶けていく。

料理が運ばれる。

繊細に盛り付けられた一皿。
静かな空間。ピアノの旋律がそっと流れる中、旬はいつもより少しだけ無口だった。
その顔は、何かを決めていると希にはわかる。

「どうしたの?」
希がそっと尋ねる。

旬はナイフを置き、夜景を背にして真っ直ぐ希を見る。

「今日さ――」
言葉を切る。空気が変わる。

「ちゃんと言おうと思ってることがある」

希の胸が静かに締まる。
怖くはない。だけど、軽くもない。

旬はゆっくり息を吸う。
その瞳は、もう揺れていない。

レストランのざわめきが遠くなる。
この夜景も、この料理も、すべてが前振りだったかのように感じられた。

メインが静かに下げられ、グラスの中のワインがゆっくりと揺れる。
二人だけの時間が、静かに濃くなっていった。

窓の外は、静かに降る雪。