Nocturne(ノクターン)ー美しさは静かに交差する

飛行機が動き出す。
ビジネスクラスの広い座席に身を沈めると、現実感が少し遠くなる。
旬はいつも通りの落ち着いた顔。
でも、慣れていることは、隠せない。

同時に、小さな不安も胸に芽生える。
私は、この人のどこまで知っているんだろう——。
知らない部分があるから、少しだけ背筋が引き締まる。

座席の広さの中で、心は静かに揺れていた。

ビジネスクラスの広いシート。

隣との距離もゆったりとしていて、空間が贅沢に感じられる。

旬は自然に上着を預け、シートを少し倒す。
その仕草は慣れていて、無意識に様になる。

希は静かに尋ねる。
「寝る?」

「うん。昨日っていうか、あんまり寝れてない」
北海道の準備で忙しかったのだろう、と想像すると、胸がほんのり温かくなる。

でもそのとき、CAが旬に声をかける。
「いつもありがとうございます」

一瞬の間。

希は聞き逃さない。
“いつも”。

旬はさらっと頷くだけ。
何事もない顔。

希は窓の外を見るふりをする。
でも胸の奥は、静かにざわついている。

嬉しい。
誇らしい。

でも、少しだけ遠い——。
この人、何者なんだろう。

静かな機内で、希の心は好奇心と尊敬で満たされる。
そして同時に、少しだけ距離を感じていた。

到着

スーツケースを受け取りながら、旬のスマホが震える。
画面に映るのは、【専務】の文字。

一瞬、旬の表情が変わる。
でもすぐに画面を切り、何事もなかったかのように微笑む。

希は何気なく尋ねる。
「大丈夫?」

「んー、まあ」
それ以上は言わない。

車の手配も、すでに済んでいる。
運転手付きではないが、高級レンタカー。
すべてがスムーズすぎて、ため息が出そうになる。

助手席に座り、窓の外に広がる北海道の景色を眺める希。
空が高く、街も空気も、全てが透き通っている。

ふと、声をかける。
「旬ってさ」

「ん?」

「いつもこんな感じなの?」

ハンドルを握る手が、ほんの少し止まる。

「どんな感じ?」

「なんていうか…完璧?」

少し笑う旬。
「完璧に見える?」

「うん」

信号待ちの短い時間、車内が静かになる。
旬は前を見据えながら、ぽつりと言う。
「必死だよ」

「何が?」

少し間を置いて。
「希のこと」

その一言で、希の胸にあった疑問が一瞬、柔らかくほどける。
でも完全には消えない。

彼の世界は広い。
自分の世界とは、少し違う。
その距離感を、希はまだ完全には知らない。

北海道の空気に包まれ、車は静かに走り出す。
希の心も、少しずつ、この広い景色に溶けていく。