Nocturne(ノクターン)ー美しさは静かに交差する

一睡もできなかった。

目を閉じるたび、同じ言葉が波のように押し寄せてくる。

――結婚考えてる人がいるらしい。

頭の中で、何度も再生される。

その直後に重なる、あの夜の声。

「いませんよ」

柔らかくて、少し笑いを含んだ声だった。

希は天井を見つめたまま、浅い呼吸を繰り返す。
胸の奥が、じわじわと痛む。

あの夜は、嘘だったのだろうか。

外は冷えていたのに、部屋の中はあたたかくて。
コートを脱いでソファに沈んだとき、旬は自然に隣へ座った。

昨日より、近い距離。

触れてはいないのに、触れられているみたいに心臓が騒いだ。

「ねぇ」

少し真面目な声で呼ぶと、

「ん?」

優しく返ってきた。

肩に頭を預けた時間。
そのまま眠ってしまった、あの静かな時間

規則正しい鼓動。
安心する匂い。
逃げ場をなくすほどの、ぬくもり。

全部、嘘だった?

違う?

考えれば考えるほど、答えは霧の中へ沈んでいく。

聞けばいい。
ただ、それだけのこと。

でも、聞けない。

もし本当だったら。

「結婚を考えてる人」が本当にいるのだとしたら。

自分は、何になる?

好きになってしまった自分が、壊れる。

それが怖い。

希はゆっくりと体を起こす。
朝の光が、やけに白い。

終わらせよう。

胸の奥で、静かに決める。

名前のない関係は、
名前のないまま終わればいい。

肩書きも、約束も、未来の話もない。
だから、失うものもないはずだ。

三ヶ月前の自分に戻るだけ。

まだ何も始まっていなかった頃。
ただの知り合いだった頃。

何もなかったことにする。

そう思うのに。

気を抜くと、涙が溢れる。

拭っても拭っても、止まらない。

朝の光は、何も知らない顔で部屋を照らしている。

希は膝を抱え、声を殺して泣いた。

壊れないようにと決めたはずなのに、
もう、こんなにも好きになってしまっている。