Nocturne(ノクターン)ー美しさは静かに交差する

映画館近くの小さなワインバー。

カウンター越しに並ぶボトルの影が、
ゆらゆらと揺れている。

さっきまでの暗闇とは違う、
柔らかな灯り。

でも、距離は近いまま。

グラスが軽く触れ合う。

「どのシーンが好きでした?」

旬が聞く。

穏やかな声。

試すようでもなく、
ただ自然に。

希は少し困る。

頭の中で必死に映像を探す。

海辺のシーン?

窓辺の沈黙?

……だめだ。

正直に言うしかない。

「覚えていなくて」

小さく笑う。

降参、という顔。

旬の目が笑う。

予想していたように。

「じゃあ、何を考えてました?」

少し低い声。

ワインの赤が、
グラスの中で揺れる。

視線が絡む。

逃げない。

今度は、逸らさない。

「うーん……」

ほんの一秒の迷い。

でも、隠すほうが不自然だと気づく。

「隣が気になってました」

言ってしまった。

空気が、わずかに変わる。

旬の呼吸が一瞬だけ止まる。

すぐに整う。

けれど、確かに変わった。

「奇遇ですね」

静かに返す。

声が少しだけ深い。

「僕もです」

言葉は短い。

でも、濁りがない。

ワインの香りが濃くなる。

二人の間に、余白はある。

でも、もう冷たくない余白。

「集中できなくて」

希が小さく続ける。

「肩が当たっていたので」

旬はグラスを置く。

「離れましたよね、一度」

覚えている。

細かい動きまで。

「……逃げました」

正直に。

「戻しました」

同じ温度で。

目が合う。

今度は、長い。

店内のざわめきが遠くなる。

七割の空白。

七割の本音。

映画の内容は覚えていない。

でも、あの暗闇の呼吸は覚えている。

「次は」

旬が言う。

希が見る。

「三割じゃなくて、ちゃんと観ましょうか」

意味は、映画だけじゃない。

希は微笑む。

「努力します」

グラスの赤が、また揺れる。

今度は、
逃げないとわかっている揺れだった。