Nocturne(ノクターン)ー美しさは静かに交差する

日曜の朝。
雲ひとつない青空が、やけに広く見えた。

ゴルフ場の駐車場で、希は小さく深呼吸する。
隣では旬が帽子の角度を何度も直していた。

「まずはちゃんと挨拶しないと……」

その横顔は、商談前の顔とは違う。
どこか少年のように、真面目で、不器用で。

車のドアを閉めた、その瞬間だった。

「おう、旬!」

視線を上げると、すでにカートに乗り込んだ父が片手を振っている。
エンジン音とともに、もうスタート体勢。

呼び捨て。
しかも、挨拶の間もない。

「え、ちょっと……!?」

希が声を上げる間もなく、カートは軽やかにコースへ出ていった。
母はにこにこと手を振る。

「いってらっしゃーい!」

旬は一瞬固まり、それから苦笑した。

「……挨拶、間に合わないかも」

「まあ、パパのやり方だから」

希は肩をすくめる。
木村家流の“歓迎”は、いつだって豪快だ。



十八ホール。
逃げ場なし。

青い空の下、芝生の匂い。
父の目は鋭いが、声は明るい。

「ドライバーいいね!」
「そのアイアン、俺も昔使ってた」
「アプローチ、もうちょい腰入れろ!」

まるで長年の仲間のように話しかける。
けれど、その視線は確かに試している。

最初は硬かった旬の表情が、少しずつほぐれていく。

ミスショットをすれば素直に悔しがり、
ナイスショットには本気で喜ぶ。

誤魔化さない。
取り繕わない。

父はその一打一打を、黙って見ている。

「この人……優しいのに、完全に俺を試してる」

旬は心の中でそう呟く。
だが不思議と嫌ではなかった。

母はカートで差し入れを持ってくる。

「休憩〜!チョコ食べて!」

張りつめた空気が一瞬で和らぐ。
希は少し離れた場所から、その光景を見つめていた。

風に揺れる木々。
笑い声。
並んで歩く二人の背中。

——あ、もう大丈夫だ。

最後のホール。

父がボールをカップインさせ、静かに言った。

「……悪くないな」

それだけ。

けれど、その一言にはすべてが込められていた。

旬は立ち止まり、深く頭を下げる。

「ありがとうございます」

真っ直ぐな声だった。

父はふっと笑う。

「希のこと、大事にしてくれるか?」

一瞬の沈黙。

「はい」

迷いのない返事。

父はそれ以上何も言わなかった。
ただ、軽く旬の肩を叩いた。