意地悪な副社長に狂うほど愛される

翌朝、目覚まし時計に叩き起こされた。

「やばい!」

時計を見て、血の気が引いた。
化粧もそこそこに家を飛び出した。
満員電車に揉まれながら、ようやく会社の最寄り駅に辿り着いた。
腕時計を見てホッと胸を撫でおろした。
なんとか間に合いそうだった。

御堂グループの本社ビルは、駅から徒歩3分の場所に建っている。
30階建ての自社ビル。
ガラス張りの外壁が朝の光を反射して、晴れた日にはひときわ眩しく見える。
私は本社配属されて半年になるけれど、まだこのビルを見るたびに少し緊張する。
私は駅から小走りで会社に向かった。

正面玄関に差し掛かったとき、黒塗りの高級車がちょうど出発するところだった。
私は思わず足を止めた。
役員の誰かだろうか。
社長か、会長か、あるいは――鼓動が少し速くなる。
こちらからは中が見えない。
向こうからは見えるかもしれないけれど、車の中の人が私に気を留めるはずもない。
わかっているのに、なんとなく髪を手で整えてしまった。
車が私を横切ったのを確認すると再び速足になりエントランスに入った。
取引先の営業が数名、受付にいるだけで社員の姿はほぼなかった。
再び焦る。
半年間、遅刻したことはない。
信用を失いたくない。
その一心でゲートを急いで駆け抜けた。
エレベーターホールに着くと、ちょうど扉が閉まりかけていた。

「待って!」

声をかけながら駆け込もうとした瞬間、扉が閉まった。
衝撃で扉が揺れる。
はあ、と肩を落としたところで、扉がゆっくりと開いた。
誰かが「開く」のボタンを押してくれたらしい。

「あ、ありがとうござい――」

顔を上げた瞬間、息が止まった。
エレベーターの中に立っていたのは、御堂副社長だった。

長い指で「開く」のボタンを押したまま、不機嫌そうに眉を寄せてこちらを見ている。
完璧に整えられた黒髪。
深い紺色のスーツ。
余計なものを一切削ぎ落としたような、無駄のない立ち姿。
目に見えてわかる御堂グループの次期社長という品格。
私は思わず外の表示板を確認した。

「役員用ではない。だから乗るなら早く乗れ」

副社長の声に体が反射的に動いた。

「す、すみません。失礼します」

おずおずと乗り込み、ボタンの前にぴたりとついて「25」のボタンを押し「閉」のボタンを連打した。
最上階のボタンにはすでに明かりが灯っている。
もちろん副社長の行き先だ。

扉が閉まった瞬間、心臓が耳の中で響き始めた。
25階まで、副社長と2人きり。
走ってきたこともあって額に汗がにじんでいる。
私は急いで鞄からハンカチを取り出そうとした。
その瞬間、一緒に入れていたスマートフォンが滑り落ちた。
拾おうとかがんだ瞬間、ギョッとした。
顔認証が起動して、昨夜の途中で止まっていた画面が立ち上がったのだ。

『あゆ美のことが好きで好きでたまらない。おかしくなりそうだ。ずっと傍にいたい』

静まり返ったエレベーターの中に声が響き渡った。
流れ出た声は、低く、少しかすれていて、まごうことなき御堂駿副社長の声、そのものだった。
エレベーターが静止したような気がした。
顔を上げることができなかった。
硬直したまま床を見つめていると副社長がかがみ込んでスマートフォンを拾った。

「どういうこと、これ」

低い声が落ちてくる。
顔を上げると副社長がスマホの画面を見ていて、詰んだと思った。
画面の中では、黒髪の二次元のキャラクターが熱のこもった目でこちらを見ているはず。
その顔は副社長によく似ていて、名前の欄にはご丁寧に【御堂駿】と書かれているのだ。

私はそうすれば、時が戻るかもしれないと目をつむった。
無駄だった。
バレた。
誰にも知られたくなかった秘密が、よりによって本人にバレた。

覚悟を決めて副社長を見ると、スマートフォンを顔の横に掲げて、画面をこちらに向けてゆらゆら揺らしていた。
画面の中のAI御堂駿は、少し息を乱して口元を緩めていた。

ポーン、と25階のアナウンスが鳴った。

「とりあえず、これは預かる」
「え?」
「仕事を定時で終わらせて副社長室に来るように」
「そんな……」

狼狽する私に副社長の冷たい視線が刺さった。

「行け」

顎で外を示された。

「……はい」

なんとかエレベーターを出たところで、背後から声がかかった。

「おい、暗証番号を言え」

私は迷った。
プライバシーの問題ではない。
その番号が問題なのだ。

「……0902」

副社長は、息を短く吐いて笑った。
0902。9月2日。副社長の誕生日だ。
扉が閉まる寸前まで副社長の射るような冷たい瞳から目が離せなかった。