洛陽夜曲

事務所の目前、京司の視界に入ってきたのは、
見覚えのない大阪ナンバーの一台であった。
アスファルトに影を落とし、異質な静寂を纏って佇むその鉄塊に、
彼は直感的な危うさを嗅ぎ取る。


「……何や、あの車」


低く漏れた独白と同時に、全身の筋肉が瞬時に硬化し、
防衛本能が鋭い警告を鳴らした。
張り詰めた空気の中、均衡を破るように運転席のドアが緩やかに、
しかし拒絶しがたい重みを持って開かれる。
その隙間から、一人の女性がしなやかな輪郭を現した。


「……鈴華っ! 君、なんで京都におるんや」

京司の言葉が、凍てついた空気を切り裂く。
彼の視線が鋭い矢となって自分へと向けられた瞬間、鈴華の時は止まった。
しかし、その視線の先に映り込んだのは、
京司の傍らにしなだれかかる梨花の姿。
二人の残像が、網膜に焼き付いて離れない。
心臓を直に抉られるような鋭利な痛みが走り、膝は頼りなく震え、
指先からは体温が失われていく。
己の内で何かが崩落していく音を、鈴華は確かに聞いた。

だが、彼女は逃げなかった。
込み上げる動揺を力任せにねじ伏せるように、薄い唇を強く噛みしめる。
滲む鉄の味を覚悟に変え、震える足で一歩、また一歩と、
執着と意地が混ざり合う足取りで京司のもとへと歩み寄った。

(――しっかりしなきゃ。私情を挟んでいる場合ではないでしょう?)

胸中に渦巻く動揺を鋼の意志でねじ伏せ、鈴華は京司の前に歩み出た。
しなやかな腰を折り、深く、恭しく頭を垂れる。
その所作は、張り詰めた糸のような緊張感を孕んでいた。


「烏丸の若頭。突然の訪問の非礼、何卒ご容赦ください。
至急、耳に入れておきたい義がございます。
……しばし、お時間を頂けないでしょうか」


潤んだ瞳を隠し、凛とした声を絞り出す。
だが、京司がその重い唇を開くより早く、
傍らの梨花が鋭い言葉の礫を放った。


「プライベートな刻を邪魔立てしているのが、貴女には見えないのかしら?」


梨花の視線は、冷徹な氷刃となって鈴華を射抜く。


「京司さんに御用があるのなら、しかるべき場所を通しなさい。
ここは、貴女のような者が土足で踏み込んでいい領域ではないわ」


その眼差しに宿るのは、抜き身の刀のような剥き出しの敵意。

梨花の瞳は、鈴華を射抜く氷晶のように冷徹であった。
京司の腕に縋りついていた彼女の指先は、
温もりを拒絶するように無慈悲に振り払われる。


「わかった。話は聞くさかい、事務所へ行こうか」

重苦しい沈黙を破った京司の言葉に、鈴華はか細く、しかし拒絶の色を滲ませて応えた。

「……いいえ。できれば、二人きりでお話ししたいのです」


その一言が、梨花の心の奥底で燻っていた導火線に火をつけた。

「どうして二人きりでなくてはなりませんの?
――京司さん、私も同席させていただいてもよろしくて?」


静謐な声音に潜む激昂。梨花の放つ言葉は、
凍てつく刃となってその場を切り裂いた。